平行線のその先で
僕はいつも彼女を目で追っていた。
『橘ひづる』
学校の誰もが認める人気者で、持ち前の可愛いさと明るさに虜になった男子は数知れずかくいう僕もその一人、しかしその年季は違う僕は幼い頃から彼女と遊んでいて明確な恋心を抱いたのは小3のとき早過ぎるかもしれないが逆に言えば僕はそれほど早い時から彼女の魅力に気づいていた。
ただ、時間が経つに連れ胸に秘めた想いを伝えるのは難しくなりその結果彼女を慕うその他の有象無象と同じ立ち位置にまで落ちてしまった。
幼馴染というアドバンテージを活かせなかった僕はこうして毎日同じクラスにいる彼女をこっそり見るという苦渋の日々を送っている。
2年生になっても僕は彼女に想い伝えずにいた。徐々に離れていく距離感はすでに友達以下にまで達している。そんな事実が告白できない僕の気持ちに拍車をかけ逃げ続けるという情けない行動を繰り返している。
4月半ば柔らかな春の日差しが降り注ぐ中僕はいつも通りに学校に向かう。
教室にいる人はまばらで友達と談笑している人もいれば机に突っ伏している人もいる。そんな彼らを尻目に僕は自分の席に着いた。前列から2番の窓際に位置する席から僕はいつも後からやってくる彼女をこっそり見つめている。
今日も時計の長針が10分を指した頃、複数の友達と一緒に彼女ははいってきた。大人びた雰囲気でありながら笑った時に見せるあどけない顔に心臓が一瞬跳ね上がる。
昔は僕によく見せていたその笑顔は今では遠く遠く手の届かない宝物のように感じた。
三度の飯より恋愛話が好きな女子たちは休み時間になると教室の後ろに集まって井戸端会議を始める。
自分が女子に注目されそうな容姿をしていないことは自覚しているので彼女らの話題に自分の名前が出ないかなど愚かな期待は持たずいつも耳を澄まして聞いていた。もちろん僕の本命である橘ひづるの話のみ。
彼女、橘ひづるには彼氏がいるという噂は事を欠かない無論彼女自身それを否定している。しかし人というのは根も葉もない噂話ほど好きな事はない。僕が聞いた限りでは、その彼氏というのはイケメンで年上で金持ちでスポーツ選手で社長で俳優でベンツを持ってて高級なタワーマンションに住んでる人らしい。
おそらくこれらすべてに当てはまる人は相当限られるだろうし、すでに結婚していたり愛人の一人や二人がいてもおかしくないだろう。だから僕自身微塵も信じていない。
そして、現実は決まってつまらないもので、残酷にその事実を告げる。
休日に隣町の本屋に出かけたとき。本棚を物色し目当てのもの買った僕は出た店先でそれを見た。
楽しそうに腕を組んで歩く一組のカップル。片方は見知らぬ男そしてもう片方は僕が恋い焦がれてやまない橘ひづる。
その光景を目にした僕は持っていた本をその場に落としただ呆然と眺めていた。
しばらくして不審に思った店員さんに声をかけられ我に返った僕はわけのわからない言葉を早口で発し驚いた店員さんと本をそのままに逃げるように去った。
どうやって帰ってきたのか覚えていないが家に着いた僕は汗でぐっしょりと濡れていた。おそらく電車に乗らず走って帰ってきたのだろう。4月なのに上昇した体温は一向に下がらず襲ってきた疲労に僕は意識を持って行かれそのままベッドに倒れこんだ。
目を覚ますとすでに夕方になっており乾いた汗で髪はベトベトになっていた。重たい足を引っ張って僕は風呂に入った。
夕食を済ませ自室に戻ると今日の光景を思い出しながらボーとしていた。
やっぱり彼女に恋人はいたんだ。
今まで自分にいないと言い聞かせていたが心のどこかでもしかしたらという気持ちもあった。
あんなに可愛いくて明るくて華やかな彼女に恋人がいないはずがない。
わかりきっていたことなのに認めたくない気持ちと逃げ続けた自分に対する怒りに苛まれ溢れる涙をとめられなかった。
枕に顔を埋めて声をあげて泣いた。
「どうして僕は今まで逃げていたんだ!
誰よりもチャンスはあったのに! 誰よりも‥‥‥彼女のことが好きなのに‥‥‥」
行き場のない感情は僕の胸を締め付け漏れた嗚咽は誰に聞かれることもなく続いていた。
これはきっと罰なのだろう。幼馴染という関係にあぐらをかきついぞ想いを伝えることができなかった僕に対する今までの行いがこうして我が身に降りかかってきたのだ。
こんなことなら彼女に想いを伝えておけばよかった。例え断らて傷ついてもどこかで諦めがついたかもしれない。
伝えないという行為はそのいっときの痛みから逃げるだけで後から何倍にもなって襲ってくる。
そうして抗いようのない痛みは一晩中僕を蝕み続けた。
夜が明け目を覚ました僕は洗面時の鏡の前で目が赤くなってないか確認する。
どうせ誰も見やしなのにと自分を嘲笑って冷たい水を顔に打ち付けた。
普段どおりの時間に学校に向かい席に着く。しばらくすると彼女がやって来た。
誰のものでもないという幻想を昨日打ち砕かれた僕は笑った彼女の顔に心臓を握られたように感じた。
どうすればいいのだろう?
ほんとんど放心状態のままその日の授業が終わった。荷物を持って靴を履き替え帰路に着く。小さな頃に彼女とよく遊んだ公園の前で足が止まった。子供たちが遊んでいる中僕はベンチに一人腰掛けた。
何の気なしに眺めていると砂場で遊ぶ男女の子供の姿が昔の自分と彼女に似ていて気がつけば目頭が熱くなるの感じた。
それからしばらくその場に座って空を眺めていると足音が近づいてきた。
その方向に目を向けると僕の心臓はドックンと大きく打った。
なんとそこには彼女がいた。
「何してるの?」
久しぶりに自分にかけられる彼女の声を聞いた。
「なんだか童心に帰りたくなって」
彼女の顔を直接見るのが恥ずかしい僕は視線をそらして応えた。
「わかる。私もそういう時あるから」
そう言いながら彼女は僕の隣に座った。こんなに彼女を近くで見たのは一体何年ぶりだろうと顔には出さず内心呟いた。
「こうやって吉高君と話すの久しぶりだね」
昔は下の名前で呼んでいたが苗字で呼ばれて内心複雑な気持ちになった。
「ちっちゃいときはよくこの公園で遊んでたもんね。なつかしー」
そう言いながら周りを見渡す彼女は昔の彼女と同じ顔をしていた。
その顔で笑っていた彼女に僕は惹かれ恋し昨日誰にも知られることなく振られたのだ。
楽しそうに他の男と歩く彼女を思い出し僕は閉口した。
「吉高君どう? 最近元気してる?」
僕の今の心境を伝えたら彼女はきっと元気でないと判断するに違いない。失恋した翌日にその相手とこうして会話しているのは一種の拷問だろう。
「まあまあ、かな。最近ちょっと悲しいことがあったから」
何があったかは言わないがあまり調子が良くないことを伝えると、
「何があったん? もしかして失恋とか? だったら私話聞くよ」
心配そうに言ったその言葉に僕は驚きを隠せなかった。彼女は親切心から言っているのだろうが、その優しさは僕の胸を深く抉った。
「本当に失恋? ならなおさら話してよ私たち幼馴染なんだし」
『幼馴染』なら失恋の悲しいみを共有して慰められると思っているのだろうか。『幼馴染』を引き合いに失恋話を聞こうとしてくる彼女に僕は次第に怒りが湧いてきた。例え僕じゃなくても彼女の物言いは少々強引な所がある。
「橘さんだけには話したくないかな」
だから僕は突き放すように彼女に言った。
「なんで、もしかして私のこと、嫌いとか?」
悲しそうに見つめる彼女に僕はとうとうその怒りをこらえきれなくなった。
「嫌いだよ! そうやって人のことを興味本位で聞こうとしくるところや他の男と楽しそうに歩いてるところや、僕を選んでくれなかったところが!」
立ち上がって僕はその勝手な言い分を彼女に浴びせるように言った。
「えっ!」
僕の言葉に一瞬驚き口を開こうとして閉じたり開こうとして閉じたりを繰り返していた。
そんな彼女を残してその場を後にしようとした。すると、
「待って!」
その言葉と同時に僕は制服の袖を掴まれた。
「あの、さっきのことが本当なら、その、吉高君は私のことが好きってこと?」
確認するように彼女は聞いてきた。
そして僕は間髪入れずに応えた。
「そうだよ、でも昨日誰かさんがデートしてるのを見て僕は振られたんだよ」
もはやこれ以上彼女と話したくない僕は掴んだ手を振りほどこうとした。
しかし彼女はその手を離さなかった。
「‥‥‥うれしい」
「は?」
顔を伏せたままそう呟いた彼女は掴んでいない方の手を自分の胸元でギュッと握ると、
「私も吉高君のことが好きなの!」
次いで出た言葉を僕は理解できなかった。
「たぶん誤解があると思うの。昨日吉高君が見たっていうのは私の従兄弟で初めて彼女とデートに行くのにどうしたらいいかわからないから教えてくれって言われてそれで昨日隣町に行ってーー」
彼女が何か言っているようだが僕の耳には全く入ってこなかった。それよりもさきほどの彼女が言った「私も吉高君が好き」という言葉が何回も木霊していた。
彼女に肩を揺さぶられ、ようやく我にかえった僕は改めて彼女を見つめた。
「話聞いてた? だからあれは誤解なんだって!」
「聞いてた聞いてた」
本当は全く聞いていなかったがなおも言い募る彼女に僕は聞いていたことにした。
「だから私は吉高君が良ければ、その、つ、つ、つ、付き合いたというかなんというか」
顔を赤くさせ言葉を突っ返させながらそう言った。
今なら彼女の言ったことをちゃんと理解できた。
彼女は僕が好きで僕も彼女が好き。理解はできたがあまりにも現実味がない話だった。
僕が怒りながら告白まがいなものを彼女にしたと思えば僕の全くの思い違いであろうことか彼女からオッケーが出た。
ということは僕が怒る理由はもうどこにもない。なのでとりあえず彼女に謝ることにした。
「さっきはあんなことを言ってごめん。君が僕のことを好きだなんて思ってもみなかったから」
若干言い訳がましい謝罪をすると彼女も謝った。
「私こそごめん。吉高君の気持ちに気づかずにその上変な誤解まで与えてしまって」
「気持ちに気づいてなかったのはお互い様だね」
そう笑いかけると彼女も、そうだねと言って笑いかえした。いつかみた彼女の笑顔とかぶりドキッとした。
「もう遅いしそろそろ帰ろうか」
そう提案した僕に彼女は待ったをかけた。
「返事、聞かせて」
こちらを見つめる彼女のおでこに僕はそっと口づけをして応えた。
「もちろん喜んで」
想いは伝えなければお互いずっと平行線のまま。でも、伝えてみたらその線もちょっとばかし内側に向いてやがて交わる。
交わった点が良いこともあるし悪いこともある。しかし少なくともそれを繰り返しながら人と人はくっついたり離れたりするんだろう。
平行線のその先で。