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魔物や罠の蔓延る危険な迷宮……この際、具体的にどんな魔物や罠やらの危険があるのか、というか魔物とか迷宮って何だという事はどうでもよくって、とにかく危険な場所に潜っているという事で周囲の警戒やそれなりの緊張をして然るべしな気がするのだが、今の僕はと言えば、ただ俯き加減に歩きながら、こんな風に妄想考え事に耽る事くらいしかしていない。
というのも先の休憩が終わり、迷宮の探索を再開してから恐らく一時間程経っているハズなのだが、その間一度も魔物に遭遇していなければ、罠で云々という事態も起こっていないのだ。
その理由は単純で、先の魔法使い風の女が魔物に遭遇し辛くなる魔法をかけ、コート姿の男が罠に対する警戒、時にここは避けて通れ、という風な罠回避の指示……をしてくれているからなのだが、変な話、そのせいで僕は微妙に居心地の悪い時間を過ごしていた。
先頭を往くリーダーは地図を片手に進む道を示してくれているし、何なら魔物の奇襲とかの急な事故の被害を一番受けやすい先頭にいる時点で十分に自分の役割を果たしている……問題は、最後尾という割と安全な場所にいる僕は、この行軍に何も貢献できていない事だ。
僕は魔物に遭遇し辛くなる魔法は使えないし、罠に対する警戒も満足にはできない。危険な先頭を歩くことは可能だろうけど、それは僕の様な貧弱な革の防具に身を包んでいる奴より、立派な金属製の防具に身を包んでいる男の方が明らかに適任である。
ならば、と他の事で貢献しようとしても、そもそも他の事というのがあまり無い。というかこの状態で問題も無く行軍が進んでいる以上、僕が何か余計な事をして崩す訳にもいかない。
だからこそ、死ぬほど居心地が悪かった。何かしらの目的を持った集団に所属した上で、周囲がその目的に向けて注力しているのに、自分だけ何の役割も果たせず手持無沙汰になる時間。
例えるならば、授業中に実験を行う5~6人組の班を造れと言われた際に一人だけ余った結果、大して仲良くも無い陽キャの班に入れられ、彼らが楽し気かつ勝手に実験を進めていくのに口出しできるハズも無く、何もせずにただ無言で眺めているだけの時間の様だった。
それが最適解というかそれ以上に自分から何かをする必要もなく、自分を抜きにして十分に上手く回っているので、傍から見ればどころかその集団から見ても何も問題はないのだ。
だから結局の所、僕はこうやって妄想に耽る事くらいしかやる事が無かった。
むしろ何もしない事が一番の貢献であるとさえ思う。そもそも僕はこのパーティに――
「……ね、起きてる?」
聞こえてきたのは、女性の囁き声。
特にやる事も無く妄想に浸ってはいたが、危険な迷宮の中を、今度は歩いているという事で、流石に先ほどには気が抜けてはいない。情けない声を上げるような真似はせずに声のした方向を見れば、さっきまでは僕の前を行っていたはずの魔法使い風の女が、いつの間にか僕に並ぶ様にして歩いていた。彼女はどこか心配そうな表情を浮かべて、横目でこちらを見てくる。
「起きてたんだ。いや、歩いてはいたし、当たり前なんだけど……うん、でもなんかこう、肩を落として俯いて、なんていうか、ゾンビみたいな歩き方だったから、さ。」
そりゃ特にやる事も無く変わらない光景の続く薄暗い回廊の中を一時間も歩いていれば自然と肩も落ちるってものである。それに僕は現代日本を生きていたゲーム大好きもやしっ子なのだ。体力の無さには割と自信があるのだ……。
……などという弱音、元の世界の事を話して何になるのだろう。というか元々喋る事が割と苦手な僕にできる事なんて、適当に反省の言葉を口にしながら背筋を伸ばすことぐらいである。担いだ斧が揺れ、反動で少しよろめいた。
「いや、別に謝って欲しい訳じゃなかったんだけど……うーん。」
そう言った魔法使い風の女は、何か納得していないというか、妙にそわそわと何かを逡巡している様子だった。その視線は既に僕から外れ、逃れる様に前を向いていた。
その態度がちょっと気になったものの、僕はその先を促すような事はしなかった。
喋るのが苦手だと自覚している僕にとって、自発的に何かを喋るのは辛い。さっきの作戦の説明の様に発言を強要される場合はともかく、こういった場合はなるべく喋りたくなかった。それに、僕の勘違いという可能性も普通にあるのだ。
微妙な間を埋める為に女から視線を外して前へと顔を向けると、リーダーが手にした迷宮の地図をコート姿の男が覗き込みながら、二人して何事か相談しながら歩いているのが見える。
けどそれ自体はどうでも良くって、問題だったのは彼らとの距離がまた少し空いている事だ。大した距離では無かったが、もう少し離れてしまったら再び少し走る必要がありそうだった。
「えっと、さっきリーダーに怒られてる時に、君、私達の方を見てたけどさ、でも私達、それを無視したでしょ?」
再び女の声が聞こえ、僕は声の主の方向を見る。魔法使い風の女はさっきと同じ様に視線だけをこちらに向けて、どこか遠慮している様な小さな声で語り掛けてくる。
「まあ、特に言えるような事は無かったけどさ……でも君からすれば、何も言わなかったって事は見捨てられたって感じてもおかしくないし、元気が無い理由はそれかなって」
ここで僕はようやく気が付いた。
……そう、僕はさっきリーダーに怒られている時、彼らに助けを求めて視線を送っていた。あの時、彼らは僕の視線に気付いてないのか気付いていながら無視しているのか分からなかったが、少なくとも魔法使い風の女の方はその事に気付いていたのだ。しかし掛けるべき言葉も見当たらず、助ける事も出来ずに見捨てるしかなく……さっきの事から約一時間程、彼女は無関係なのにも拘らず、助けを求めた僕の事をここまで心配してくれてい――
「悪いのは明らかにそっちで、私、全然悪くない……っていうか無関係でしょ? なのに頭の中とかで悪口言われてたら嫌だなって思って」
――た訳では無いらしかった。単純にさっきの事で八つ当たりされるのが嫌だったらしい。
いやまあ実際、さっきの事に彼女は無関係で、彼女の悪口を言うのは今しがたの妄想でも無いが……見当違いという物だ。思う所が無かった訳でも無いが、それでも悪口までいかない。
……けど、わざわざそれを口に出して訊くか、とは思う。それこそ口には出せないけど……。
頭の中を『自意識過剰』という言葉が回る中、僕は適当な否定の言葉を返す。
なら別にいいや……、と彼女はさっきもそうだった気がするが、ストレートな言葉の内容とは逆に遠慮がちな返事をしするのだが、改めて考えるとそのギャップに少し違和感を覚える。何かしらの異世界人と日本人の思考のギャップかもしれない。
魔法使い風の女が再び前を往くのを見ながら、僕も再び肩を落として、彼女に言わせる所の「ゾンビみたいな歩き方」に戻る。背筋伸ばして歩いた方が疲れにくいとは知っているのだが、その為に体力を使うのも疲れる。妄想に浸りながら惰性で歩くのには最適なポーズなのだ。
果たして恐らく十数分程経った頃だろうか。先頭を歩いていたリーダーが突然立ち止まり、掌をこちらに向けて「止まれ」の合図をした。
何事か、とリーダーを見ると、彼の眼は鋭く回廊の先を見やっていた。釣られて僕も見た所、一瞬行き止まりかと思ったものの、よく見ると違った。正面は壁に遮られ、直角に左右に道が分かれているという形らしい。
……そして、リーダーが止まった理由も分かった気がした。