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夢の種

作者: 今西薫

もしかして残酷な描写があったらごめんなさい。

作者的には大丈夫と思ったのだけど、

ダメじゃんこれ、という人は連絡をくれると助かります。


 逃げなきゃ、と思うのに体が鉛のように重い。もはやスローモーションのようになっている。パントマイムの人だって、こんなにスローに走れない。そのくらい、体が動かない。

 そちらを見る時間すら惜しいのに、私はそちらを確認してしまう。

 そちら……銃をこちらに向けてにやにや笑ってる男のほうを。そんな時ばかり体はスムーズに動く。

 さっきまでは幸せだったはずだ。

 幸せな、夢だったはず…あ…

 ……目覚めたらいいんだ、そう思った。



「ちょーっと待った」

 多分、自室の天井を見たと思う。

 なのに、また夢の世界に舞い戻ってきていた。

 襟首を捕まえられた私は、そっちを見た。

「何するんですか!」

 もう少しで逃げられたのに。

 立っていたのは若い女。肩までの緩いウェーブのかかった赤い髪に、はっきりとした目鼻立ちの美人タイプ。動きやすそうな長袖のシャツにポケットが山ほどついてて重そうなベスト。自分で切ったんじゃないかって感じの膝上のジーパン。そして、長い銃。

「えっ」

 威勢よく叫んだ時には銃になんて気づいてなかった私は、固まってしまう。

「あー、うん。とりあえず、ちょっと待ってね」

 女は困った顔になって私の襟首から手を離すと流れるような動作でベストの内ポケットから手錠を取り出してまず自分の左手首にかけた。それから反対側を私の右手首にかけて、銃をかまえた。私を狙っているあの男の方へ。と思った時には爆音が響いて、思わず目を閉じてしまった私の瞼には、女が引き金を引く瞬間や、男が倒れる瞬間が映った気がした。

「はい、もういいわよー」

 声がかかって、私はようやく目を開けた。

 女は手錠の鍵を開けようとしているところだった。

「あの」

「うん、目覚められたら始末できないからさ、説明を後回しにさせてもらったの」

 私と女の手首とから外された手錠はまた内ポケットへ戻され、銃は無造作に肩に担がれている。

 男は、と見るとそこには誰もいない。

 ただ、愛犬が、愛犬の脱け殻が、しっぽを振ってこちらを見ているだけだ。

「あーあれもか」

「何、なんですか」

 考えてみたら、ものすごくおかしなことが起こってたのに。

「あのこ、名前は?」

 女は愛犬の脱け殻の名を訊きながら歩き出した。

「そら」

「可愛い名前だね」

女が名を呼ぶと、そらの脱け殻は嬉しそうに走ってきた。

「撫でてあげて」

 小声で言うと、しゃがんで、走ってきたそらを迎え入れ、まるで自分の愛犬のように撫で回す。私も横から手を出して、首から背、脇腹を撫でる。そらは嬉しそうに体をくねらせた。口を開けた様子は笑っているようにも見える。

「イイコだね」

「うん」

 誉め言葉は私に向けられているように感じられた。

「じゃあ、行こう」

 何気ない様子で女はそらを抱き上げた。

 腹側に手をやれば気づくはずだ。そこにはぽっかりと穴が空いてることに。

 だが、女は気にしたふうもなく小型犬を抱っこするように軽々と抱き上げ、その頭から背をいとおしそうにゆっくりと何度も撫でた。そらは嬉しそうに気持ち良さそうに目を閉じて、その顎を女の肩に載せ、眠ったと思ったら空気に融けるように消えていった。

「説明する。移動しよう」

 名残惜しそうにそらがいた空間を見ながら、女は少し柔らかな声音でそう言った。



 そう、それはもらい物だったのだ。三つ折りにした、冊子のようなもの。開くと中は水槽になっていて、いろんな魚が入っていた。閉じた状態ではA4サイズなのに、厚さだって二センチ程度なのに、サメやウナギ、タイやヒラメが入っていた。

 いいものを貰ったねと、母と話していたら、水槽が破れて水がこぼれてきた。慌てて洗面器に移していると、そこに、そらの抜け殻があってかかったのだ。

 そらの抜け殻は、ただの抜け殻だった。病気になったそらを助けるために、小さな卵から育てた新しい体にそらの内臓を移した。その残った部分だったはずだ。でも、抜け殻のそらは、こぼれた水そ吸って、息を吹き返したかのように走り出した。お腹は開いたまま、内臓もからっぽのまま。

 私とそらは走っていつもの散歩の草原へ行った。そこで、銃を持って私を狙っている男をみつけたのだ。



 話を聞いた女は、小さく息を吐いた。

「まだ水槽が残ってるのか」

 私と女は自宅へと向かっていた。その途中、説明の前にと、この夢の最初からを話すことになったのだ。

「まあ、夢ってのは大抵不思議なものなんだけど」

 女は、銃を左肩に担いだまま歩いていた。重そうなブーツだが、軽い足取りに、これが彼女の日常であることが判る。

「中に、悪夢の種みたいなのがあるんだよね」

「…それが、水槽?」

 訊ねると、首を捻る。

「今回の場合はなんともいえない。もともと、小さなきっかけみたいなものなんだ。それが、いろんな状況が重なって育ってしまうことがある。…問題は、この育ったものは新たな種を蒔くってことでね」

 どうやら、目が覚めるとその育ったものが逃げるらしい。逃げられるとどこに行くか判らないので、私が起きるのを止めたのだという。

「あなた、よく悪夢を見るでしょう」

「よく、というほどは…。ただ、逃げようがなくて目が覚める……目を覚ますってことはよくあるかも」

「ああ、育ちやすいのか」

「育ち、やすい」

「うん、たぶん、想像力が豊かなんだろうね」

 女は軽く言う。てっきり、シンソウイシキに何かがあるとかそんなことを言われると思って身構えていた私は肩透かしを食う。

 それに気づいたらしく、女は小さく笑った。

「あっちこっち見たけどね、関係ないんだよね。だから、悪い方に考える癖がある人の夢に種が落ちても、ぜんぜん育たないこともあるんだよね。ま、気にしないことだ」

 家に入って洗面器を探すが、どこにもない。首を捻りながら、今度は母を探すが母もいない。

「手分けして…」

 探そうか、と言いかけると首を横に振られる。

「悪夢の種は、夢の主に近寄ろうとする性質があるから」

 水に関係があるからとお風呂場へと向かうことにする。…と、浴槽に入っていた。

「あー、これねー」

 浴槽の中は小さな海になっていた。ヒトデや、ワカメやサンゴなんかも現れていた。

「うーん、どうしよっかな」

 女は腕を組んでしばらく浴槽を見ていたが、うん、と小さく頷いた。

「ちなみにね」

 女はベストのポケットから、金魚すくいの時の小さなビニール袋を取り出した。

「逃げられて他の人に種を蒔かれると困るんだけど、そらちゃんや、さっきの男みたいにうまく捕まえられると、こういう道具にできるんだ」

 指先で口を広げるようにして、洗面器で無造作に浴槽の中身を移していく。不思議なことに、ビニール袋の何十倍もの容量の浴槽の中身はどんどん入っていき、とうとう浴槽は空になった。ビニール袋の中には、小さくなったサメやサンゴやヒラメが泳いでいる。それはちょっと美しい物になっていた。

「たぶん、不思議に思うだろうから伝えておくけど、私たちがこうやって種を回収しようとしてるのは、たまに悪夢に飲まれてしまう人がいるからなんだ。あなたみたいに、自分で逃げられる人はまだいいの。不思議な夢を見たな、で済ませられるから。ああ、夢だった、恐かった、夢で良かった、で済ませられるから。でも、そうならない人がいるから」

 ビニール袋を目の高さに持ち上げて、キラキラするそれを憧憬の眼差しで見つめ。

「今日はありがとう。そらちゃんによろしくね」

 女はビニール袋の紐を持つ指先を開いた。落ちて行くそれを信じられない気持ちで見つめていたら、見慣れた天井が目に入ってきた。

 目が覚めたことを、それで知ったのだった。



 目を開いたまま頭を動かして左側を向くと、寄り添うようにして眠る愛犬がいた。

 黒っぽい犬だったのに、白髪が増えてまだらになってしまっている。もう老犬なのだ。彼女は。

 手を伸ばしてそっと撫でると目を開け、頭を持ち上げる。そのまなざしは期待に満ちている。

 遊ぼう。食べよう。

 そう言っている。

 彼女が死にかかった時があった。

 原因が不明で、対症療法しかできなかったのに助かったのは、獣医師の判断だったと思っている。

 女は、深層意識とは関係ないと言った。でも、きっとさっきの夢は関係がある。

 老犬になってよたよたで、きっと痛いところもある彼女の延命を、私はなんとなく後悔している。

 生きていて嬉しいという気持ちの裏で、自分の選択を後悔している。

 無理がいろんなところに詰まってるんじゃないかと、泣きたい気持ちになることがある。

 助かった彼女は、その前からとなんら変わりのない彼女なのに、違う未来だったんじゃないかと思うことがある。

 ……思うことがあった。

 たぶんこれからは、少しはあの時の選択を肯定していけると思う。

 キラキラの小さなビニール袋の海を思い出しながら、私は起き上がった。



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