籠から放れる青い鳥 後編
或る村の外れにある一つの家。
アイリスと、銀髪の少女、サラは、二人でのんびりとお茶を飲んでいた。
「手伝ってくれてありがとうアイリス。ほんとに助かったわ」
心の底からホッとしたような声のサラに、ニッコリと笑う。
「お前大切な妹が苦しんでいると聞いて放っておけるわけがないだろう?気にするんじゃない」
「ふふっ。頼りにしてるわ」
その言葉にまた微笑むが、先ほどの妹の容態を思い出すと少し顔が曇った。
「だが…あそこまで苦しんでいるなら、ちゃんと療養院に連れて行った方がいいんじゃないのか?病気ならともかく、ただの風邪なのだろう?レシカが病弱なのは確かに元からだが……」
療養院とは知的能力者が集まる場所で、彼らの治療により患者を助けることを目的に造られた施設である。
病院も無いことはないが、診察を受け、薬を処方されるだけで、その場で治してもらうことはできないのが療養院との大きな差だ。
「療養院は…お金がかかるでしょう?連れて行ってあげたいけど……どうしても、普段のお小遣いとお給料だけじゃあね……」
サラはレシカと二人暮らしで、生活費は親戚の叔母から最低限の分だけ与えられているらしい。
そのため、病弱なレシカが病気にかかった時の治療用のお金は、アルバイトをしているサラが自腹を切らなければいけなかった。
「そうか…それもそうだよな…すまない。私もこんなことしかできないが…」
「そんな!こんな高いお薬を貰えるなんて思わなかったから…とても感謝してるわ」
サラが手にしている麻袋の中の丸薬が、実はアイリスが軍にある薬箱から持ち出してきたものだなどとは言えない。
───だが使えるものは使わなくては勿体無いだろう?
まさかこんな時に幼い頃の悪戯スキルが活かされるとは、夢にも思っていなかったが……
「早く治るといいな」
「えぇ!」
花のような笑顔を咲かせたサラとの会話は段々いつもの話に戻っていった。
「ねぇ、そういえばどうなの?バルトとは?」
「うっ………み、見れば解るだろう………」
平行線。その言葉がぴったりだった。
いつからかずっと彼に好意は寄せているものの、自分の立場上、決して打ち明けていいものでないことも理解していた。
「もう!何で普段はこんなに行動派なのに、恋愛になるとこうなっちゃうのかしら!…なんて、私が言えたことじゃ無いんだけどね」
何も知らないサラは茶目っ気たっぷりにウインクをすると、カップに紅茶を注ぎ足した。
───言えたなら、どんなに楽なのだろうか…
バルトだけじゃない。ウルズにも、サラにも、自分の立場を言えたらどんなに楽なのだろうか。
アイリスは心からそれを何度も思った。
───しかし、きっと時が来るまで、永久に言えないのだろうな。そして時が来る前には、嫌われる覚悟を持たなくてはいけない…
平民であるサラたちは、アイリス以上に、この国の王を酷く憎んでいるに違いない。
そんな奴の子供などと知られれば、嫌われるのは致し方ない。
アイリスは幼い頃から、それをずっと心苦しく思いながらも自覚していたのだ。
「でもアイリス、逃げちゃダメだよ。幸せはちゃんと掴まなきゃ!」
「え?あ、あぁ………」
───私がそんなものを掴む権利は、あるのだろうか…?
返す言葉も無く俯くと、自分の手を握ってくる親友の手だけが視界に映った。
「アイリス…幸せになってね。──私の分も」
「…?!な、何だ急に改まって?!気味悪いではないか!!」
急いで再び親友を見ると、彼女は空気に溶けこむように、輪郭をぼかしながら淡く光っていた。
周りを見ると、今までの風景は全て光に溶け、まるで何もなかったかのようだ。
「これからの貴女にはもう、身分とか、立場とか、気にするものは何も無い。勇気さえあれば、幸せは目の前よ。バルトも…それを望んでる」
「さ、サラ…?お前何言って───」
「もう一度言うけど、逃げちゃダメよ?ちゃーんと幸せになったっていう報告、ウルズと一緒に向こうでずっと待ってるから!…ね?」
───サラ……!!!
✽✽✽
「───っ!!」
起きたのは、部屋全体が夜の闇に沈んでいる時だった。
「……夢か。久々に見たな……」
まるで本当にさっきまで会っていたかのように、握られた感覚がアイリスの手にくっきりと残っている。
───あいつはもう、話すどころか、顔を見ることさえできない、空の住人だというのにな…
「はぁ…………はっ!い、今何時だ?!」
時間を知りたくて彼方此方に首を振ると、微かな光が見えた。
光だけを頼りにそちらへ行くと、ランプの元で机に突っ伏して寝ている幼馴染がいる。
こうして見ると普段は自分より一回りでかい彼が小さく見えるのだから面白い。
───そうか…私が起きなかったから……
起こされた記憶は…無くはない。
朧気ながら呆れた声で「ゆっくり寝てろ」と声をかけてくれた人がいた気がする。
しかしはっきり覚えているかと言えば微妙だ。
つまり、眠気の束縛に敵わなかったのだ。
ふとテーブルにある置き時計を見ると、午前四時を回っている。
「は、半日っ…………?!!」
思わず声が出る。
半日も寝たことなど今まで一度もなかった。
二日分の睡眠は取り戻せた……って、そういう問題ではない。
───完全にやらかした……
こいつだってベッドで寝たかっただろうに…あぁでも明日が祝日なだけまだマシか……
起きた時どう謝罪するべきかと考え始めた時、ふとバルトの下敷きになっている真新しい紙を見つけた。
少し気になって引き抜いてみる。
───これ…は……
草案の改定案だった。
第一章
第一条 問題なし
第二条 問題なし
第三条 第三十二条との矛盾点あり
・
・
・
と、十三章百二十条分の問題点の位置と矛盾点を全てあげてあった。
───これをあれからずっと……?しかも…半日でここまで細かく……?
相変わらずといえば相変わらずだが、想像を絶する仕事の早さに寒気すら覚える。
「───ん?」
全てをざっと読んでいると、下の方に小さく※印があり、
※尚これはあくまでも参考程度であり、一般市民のほんの一部の意見だから絶対に丸パクりしないように。
と書かれてある。
───マメすぎか!!
思わず吹き出してしまいながら、改めてまとめてくれた書類を見直した。
書類数が減ったお陰でだいぶ見やすくなっている。
元々文字に弱いアイリスには大変ありがたいものだ。
「……………………」
じっくりと読んでみると、彼の指摘点はどの改善点も的を射ている。
しかもアイリスでも見過ごしそうな巧みな文脈も全て読み解いて指摘されていた。
───私がベルディさえ入れていなければ、こいつだって、今頃………
あれ以来物事は慎重に取り組むべしと、彼女は胸に刻んだはずだった。
しかし、彼の提示したこれを見れば、まだまだツメが甘かったのは否めない。
───こいつには本当に敵わん……
アイリスがそっと青年の頭を撫でると、彼が少し身動いだため、すぐに手を離した。
───幸せ……か……私は…
私は眠っている幼馴染を愛おしげに見つめながら、暫くその場にただ立っていた。
その後アイリスは改定案をほぼ全面受け入れた草案を最終決定として議会に提出、国民に公布し、女王としての最後の仕事を終えたのだった。
城を出た後、何の運命が働いたのか、レアシス住人の粋な計らいでアイリスがバルトの家の近くに越すことになったのは、また別のお話……