14◆夕立ち 1
夏休み入りしたというのに、なかなか梅雨は明けなかった。
朝のうちは晴れて暑いのに、毎日のように激しい夕立が来る。
今日も、午後になったとたん、いまにも雨が落ちてきそうに空はかき曇ってきた。
――あと15分であがりなのに、また雨かなあ。
そんなことを思いながらバッシング(片付け)するあたしに後ろから
「アリサ〜」
と呼ぶ声がした。
振り返るとクラスメートのハルナがいた。入口のところで手を振っている。
「あ〜、来てくれたんだぁ!」
あたしはメニューを持ってかけよった。
夏休みに入って。
あたしは毎日のようにバイトにいっていることになっていた。
実際かなり入っていたのだが、バイトじゃない日も祖母にはバイトといって街をぶらついたり、早めにあがって夜まで遊んだりしていた。
バイトに対する祖母の信頼があればこそできる技だ。
4時であがる今日は、ハルナと買物の約束をしていた。
バイトで稼いだお金で自分の好きな服を買うのは自由だったから、
(「だらしない」とか「安っぽい」とか必ず一言は言われたけれど、もう慣れていたので無視すればOKだった)
夏休みに入ったあたしはおしゃれに燃えていた。
お金を貯めるという最初の目的も「おしゃれをしたい」という気持ちの後ろではかすんでしまっていた。
店長のかわりにホール全体を監督しているパートのおばさんがいるのでいちおうお客にするように、メニューを持って席に案内する。
ハルナが席につくのと入れ替わりで隣の客が立ったので、素早くレジに立つ。
会計を済ませると、お冷を持ってハルナのところへ行く。
「雨大丈夫だった?」
声をかけながら隣のテーブルの片づけをする。
「降りそうだけど、まだ降ってなかったよ。今日は4時あがりなんでしょ」
「そうそう。あとちょっと」
そんな言葉を交わしながら、隣のテーブルをセッティングしてしまう。
「なにがお勧め?」
ハルナはメニューを開いて呼び止めてきた。
「もうあがるよ?」
「いいよ。なんか甘いものが食べたい。食べながら待ってるし。アリサはどれが好き?」
「ん〜、いちおう、うちの店のおすすめはマンゴーフラッペなんだけど」
そこまで言ってあたしは、声を落してハルナにささやく。
「でも、チョコナッツサンデーのティラミスバージョンもうまいよ。本当はバニラでつくるところをティラミスでつくる裏メニュー。……こっそり作っちゃるよ」
「じゃ、それ。それにする」
こってりスイーツ好きのハルナは案の定乗ってきた。
幸い暇な時間帯なので、こっち側のダイニングはあたしに任されている。
忙しい時間は過ぎ、おばさんもあがりが近いのでチェックが甘い。
あたしは雪菜さんにおそわったチョコナッツサンデーのティラミス版をすばやくつくるとハルナの席にもっていった。
「雨、降ってきちゃったよ」
ちょっとアイスクリームのコーナーに行ってる間に、外は激しく雨が降り出してきた。
せっかくあがりなのに、タイミングの悪い……。
今、外に出たらびしょぬれになってしまうだろう。
着替えたあたしは仕方なく、ハルナの前に座った。
幸いあたしの引き継ぎは雪菜さんだったので、気兼ねはいらない。
雪菜さんは
「アリサちゃんにもチョコナッツもってこようか?従食伝票で」
と声をかけてきた。
本当は従食は裏で食べないといけない。表で食べる分は正規の料金を払わないといけないきまりになっている。
だけど店長もいないので雪菜さんが気を利かせてくれたのだ。
「あたしさ」
座ってほっとする間もなく、半分くらい食べ終わっているサンデーを超えるようにしてハルナが身を乗り出してきた。
なに、と聞く前に、ハルナはいたずらっぽい顔をして小さな声で言った。
「やったよ」
「うそっ」
思わず反射的に大きな声を出したあたしに、ハルナはシーっと指を立てる。
「××くんと?」
ハルナはにんまりとうなづく。
こないだの合コンの一人だ。お互い気が合って、ときどきデートしてたって聞いてた。
いつ。どこで。どんなふうにそうなったのか。
具体的なことを聞くより。
驚いたあたしはただ、ただ、絶句していた。
女子中出身のハルナをあたしは見くびっていた。
過激なことにあこがれつつも、それは口だけで、実際にはウブで奥手だと思っていて。
踏み出すことなんかできやしないと、思いこんでいた。
そんなハルナが。
「……そう。よかったじゃん」
そういうのがせいいっぱいだった。
「で、どうだった」
「どうって。……別に」
反射的にあたしは軽く睨んだかもしれない。
だって、その答えこそ、向こう側にいった人の典型的な答え方だったから。
それに気づいたのか、ハルナはうっすら笑って
「アリサだってもうすぐなんでしょ」
話をあたしに振ってきた。
「あ〜、あたしは……」
あたしは窓の外に目をやった。
激しい雨が、道路にしぶきをあげている。
あのときのように……。
もう1か月以上経ってしまった。
ちょうどそのとき、雪菜さんがチョコナッツサンデーを持ってきた。
雪菜さんの作ったサンデーはあたしがつくったのよりずっときれいだ。
そのきれいなホイップにロングスプーンを突き刺しながら、
「あたしは、ないかも」
あたしはできるだけそっけなく言った。
「なんで。バイトの人といい感じだったんじゃないの?」
無遠慮なハルナの声が聞こえているんじゃないかとあたしは目の端で雪菜さんをチェックした。
幸い雪菜さんは客席に背を向けてコーヒーを新しくセットしているようだった。
コーヒーメーカーのセットは雪菜さんが好きな仕事だ。
だからたぶん、大丈夫――。
「最近、バイト来ないし。もしかして嫌われたのかも」
あたしはできるだけ声を落して言った。
「ええー」
「もういい。もっと他の人がいるかもしれないし」
「でもー」
「それよりさ。ハルナの話を聞かせてよ……」
あたしは無理やり話を変えた。
それがせいいっぱいだった。
次の日も朝からバイトだった。
「おはようございまーす」
あたしは裏に入ると声をあげた。返事はない。
裏には誰もいないらしい……と思ったら、スタッフ用の椅子をつなげて誰かが寝ている。
顔のあたりを店のジャンバーで覆っているから誰かはわからないけれど男性だ。
あたしは気にもとめなかった。
朝よく見られる光景だから。
深夜あけの店長や正社員がよくこうやって仮眠をとっていることがある。
朝だけ休んで、忙しいランチ時をこなしてから帰宅するのだ。
今日は制服をチェンジするか。
そう思ってビニールのついた制服をあさっていたときだ。
「嫌ってないよ」
と背後から声がした。