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10◆はじまりは、雨_3

「この車は、先週納車したばっかりだから。本当に亜莉紗ちゃんが初めてだよ」


その言葉がどんな意図を持つのか、何をあたしに伝えたいのかわからなすぎて。


あたしは山上さんに何て答えたらいいかわからなくて、本当に困った。



『ありがとうございます』


というべきなのか。それとも


『嬉しい』


とはしゃぐべきなのか。



わからない。



仕方なく


「先週、買ったばっかりなんですか?」


と訊き返す。


「そ。ずっと自分の車が欲しくてさぁ。それで頭金貯めてたんだ」


そういえば。


車のためにバイトしてる、ってのは前に誰かと話してるのを聞いた気がする。


スタッフルームで車情報誌とかカタログを広げて男同士話がはずんでたところも、たしかに見たことがある。


なんでも、自宅から大学までバスを使うと1時間もかかるうえにあまり本数もなくて、不便だったらしい。


車ならたった30分で通学できる。


今まではお父さんのセドリックやお母さんの軽を使わない時に借りてたけど、これからは自分の車で通学できるのが何よりうれしい、と山上さんはハンドルをとったまま説明を続けた。




それで、あたしは山上さんのいってる大学がだいたいわかった。


おそらく郊外にあるあまりレベルが高くない私大だろう。


ファミレスなんかでバイトしている時点で、たぶん国立大のほうではないな、とは思っていた。


なぜなら国立大学なら、フツーは家庭教師や塾講師などの、もうちょっと割のいいバイトを選ぶだろうから。



あたしがそんなことを考えているとは知らず、山上さんはこの車を選んだ理由なんかを、前を見たまま、しゃべっている。


思い切って新車を買ったのがとても自慢らしい。


その嬉しさは、はずんだ声からも十分にわかる。


「どうりで、すごいキレイですよね。あちこちピカピカ」


車にはまったく詳しくないので、気の利いたほめ言葉が浮かばないあたしは、とりあえず「新品のキレイさ」をほめるしかない。


「だろー? あんまりキレイだから最初、車内土足禁止にするか迷ったんだ。でもいかにもセコいからやめたんだけど」


そういわれて、あたしは、足もとをみた。


雨だったから、あたしの靴からついた水分で新品のマットがびしょびしょになっている。


あたしと山上さんが店から出てきたとき、雨は最高に激しかったのだ。


「……すいません」


反射的に謝ったあたしに、山上さんはなんのことだかわからなかったらしい。


「ん?」


と振り返った。


「床、びしゃびしゃにしちゃいました」


そういってようやく、「ああ」とうなづいた。


「いいって、いいって。そういうので気を使わせたくないから土足OKにしたんだし」


山上さんは目を糸にしながら、まったく気にしてない風に、話を続ける。


「大学のダチにさ。やっぱり新車買ったやつがいるんだけど、買って半年経つのに、シートにビニールはりっぱなしなの」


「ビニール?」


「そう。汚れるのが嫌なんだって。ビニールがやぶけるまでとりあえずつけとく、っていうんだけど、半年経ってもまだついてんだぜ。おかしくない?」


「へえー」


と返事をしながら、あたしは話ではなく別のことに気を取られていた。


さっきから気になっているそれは、山上さんの声。


ホールの中での


「いらっしゃいませ」

「かしこまりました」

「ごゆっくりどうぞ」


という営業用の、柔らかく明るすぎる声より一段低くて。


くだけた口調に、車の中で聞くせいなのか、男っぽく響く。


男の人の声って。


こんなに胸に響くような声だったっけ……。


山上さんの意外な魅力に、再び気になることが浮上してきた。


「やりちん」疑惑。


この声で、甘いことを囁かれたら。


案外、彼は女の子の前では、変身するのかもしれない。


そんなこともありえるかも。


彼の可能性があがるにつれて、汚してしまったマットも、気になりだす。


「女の子乗せるの、アリサちゃんが初めて」


そういってたけど、あたしでよかったんだろうか。


それとも――あたしをわざわざ選んだんだろうか。


焦れるつま先。


革のローファーからしみ込んだ雨は、靴下にまで染み込んでじっとりと冷たい。


靴を動かすと、ゴムのマットの上で、泥がざらついた。


「いいって」といってくれたけど、なんだか申し訳ない。


それとも、山上さんにとっては、マットやビニールのように。


「初めて乗せる女の子」も、どうでもいいことなんだろうか。


さっきより動悸が落ち着くとともに、ずっと気になっている。




「ところでさ」

「あたしなんかで」




声を出したのは二人同時だった。


「あ……」


目が合う。


恥ずかしい。


ひっこんでしまったセリフのかわりに、顔に血がのぼってくる。


再び目が糸になった山上さんをあたしは見続けられず、視線は自分の太ももに墜落した。


「いいよ」


山上さんは譲ってくれるそぶりをしたけど。


顔が熱い。


話せるわけない。


『あたしなんかで、よかったの?』


なんて……。


あたしは下をむいたまま首をぶんぶん振って、


「いや、いいです」


とかろうじて答えた。





「せっかくだから、少し、ドライブする?」


雨音より。


小さく響くラジオの音より。


山上さんの柔らかい声が、あたりを支配してしまっていた。


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