フラワ王
ウォーター王紗季は、ふわふわとした意識の中で夢を見ていた。
『…此処は?』
揺れる視界は、次第に形を作っていく。
広い室内には、真っ白な壁に薄ピンク色のカーテン。不思議なのは、美しい模様の花瓶に枯れた花。
ふと、誰かの息づかいが聴こえる。
豪華なベッドには、シーツに誰かがくるまっていた。
シーツの震えを見て、紗季は思わず触れられる距離まで近づいた。
『ねえ?大丈夫?』
「……………だれ?」
シーツが滑り落ち、その姿が露になる。
ウェーブのかかった長い灰色の髪、黒目がちの瞳に雪の様な白い肌。誰もが称賛するであろう容姿だが、窶れた頬に淀んだ瞳でその美しさも薄れている。
『…よく分からなくて。気づいたらここに居たみたい。あ、私は水原紗季って言うの。』
相手は何も言わず、天井を仰ぐ。
『あなたは?』
「……セレナ。」
紗季の問いにポツリと答えた相手の隣に座り、ぼんやりと座る様子に目を向ける。
『そう、セレナね。どうしてこんな所にいるの?何かの病気?」
病気…とセレナは繰り返し、急に顔を膝に埋めて泣き叫ぶ。
あああああ!!
「どうして?!どうして?!私はもう死にたいのに…死なせてよ!生きたくない!!死なせてええええ!!」
悲痛な声で叫ぶセレナに、初めて会った相手の気持ちが濁流の様に、紗季に流れていく。
守れなかった自分に、生きる価値はない。
なぜ自分は生きているの?
なぜあの人は死んで、皆生きているの?
なぜ、私は…死ねないの?
心が、張り裂けそう。
紗季の頬に滴が伝い、セレナを後ろから抱き締める。
「…死にたいのに…。」
『うん。』
「…国の為に生きろって。」
『ええ。』
「すぐ忘れられるって…。」
『そう。』
セレナは伸びきった爪を太股に食い込ませ肌を傷つけるが、痛みすら既に関心を無くし泣くだけ。
「…忘れられるわけない。…人の生より外れたこの身が、耐えられたのはあの人のお陰だった。
だって…あの人だけは、私を、王では無く人として見てくれたのだから…。」
疲れはてたのか、セレナは寝台に倒れ込み強くシーツを握る。
王…か。
ヨッツアとチェイダーは、男王と聞いた事がある。
クデルトは、クデルト・レプシェークだったしね。
問題が起こってる国、フラワ国だっけ?
これって…国の問題って言うより、王の問題って感じね。
『王は、死ねないんっだったっけ?』
こんなにも衰弱していれば、楽にしてあげた方が良い気がする。王が生を終わらせるのは、神に王を辞めると告げる事だよね。
ケープラナの王を思い出し、複雑な思いを抱く。そうしたら、この国の官吏や民はどうするんだろう?ケープラナの後でどの国も忙しい…。
ウォーターは絶対に無理。私自体、体を動かせないし。
何故、夢の中でフラワ国に来ているのかは分からない。それでも何か意味があるのだろうか。
紗季の声を聞き、セレナはまた嗚咽を洩らす。
「…死にたい。」
メソメソと泣く相手に流石に、可哀想以外の気持ちが浮かんできていた。
『…じゃあ、王なんか辞めれば?』
思わず冷たい口調になり、セレナも目を見開き体を起こす。
『ここで泣いてても何も変わらないし…いっそ、神殿に行けば良いと思う。』
「…だって…。」
至極普通の会話のように語る紗季だが、セレナは首を振るのみ。
「食事が運ばれてくる以外は、頑丈に閉められているの。窓も開かないわ。」
ええーー。
監禁?いやいや流石にそれは駄目でしょう。官吏もちょっとは話し合えば良いのに。閉じ込めたって絶対良いことないのに。
確かに今すぐ退位しそうな様子だけどね…。
「…疲れた。」
ポツリと呟き涙を溢す姿は男なら愛でたいと思うだろう。守りたいと思うだろう。
だが紗季は違う。
貴女は王でしょうが!?
『じゃあ、ここから出ましょう。』
「……でも、鍵がかかってる。」
『あのねえ。そんな事で諦めるの?貴女はこの城で一番偉いんでしょ!官吏に命じれば良い事じゃないの?』
はっきりと告げる紗季に、セレナはただ俯き眉を下げる。
「…駄目よ。食事を持って来るのは私の側近だけ。彼は思った事は曲げないわ。…たまに来る侍女は、私を気弱いと軽んじているし。」
なるほど。確かにおしとやかそうだし、周りに舐められてるのか。その側近も融通が利かないのかな?
思わずアルバンドを思い出す。アルバンドだったら、私が命じれば否は無いだろう。キリスも、レビュートも。…私が尊重されているのか、それともまだ信頼が無いのか。でも、あまりに気安いのも良くないよね。
打ち沈むセレナに、紗季は一人頷き窓に近付く。
『よし、割ろう。』
へ?とセレナの間の抜けた声が響く。
『そこまでしないと何も変わらないじゃない?それとも、ずっと此処で泣いてるの?』
その言葉に、セレナの表情が変わる。瞳に強い光が宿り、流れる様に立ち上がると花瓶を手に取る。
「…いいえ。自分で変えてみるわ。ねえ…もう一度貴女のお名前を聞かせて?」
『水原 紗季だよ。ウォーター国の国王をしてるの。』
そう、とセレナは花瓶を構え、意外な力で窓に向かって叩き付けた。
飛び散るガラスに、途端に騒がしくなる外を気にせず、セレナと紗季は顔を見合わせ直ぐに窓から飛び出た。
幸運な事にこの部屋は一階であり、ガラスの破片はバラバラに飛び足を下ろせる場所があった。
少し安堵した様な雰囲気で走るセレナは、隣で駆ける紗季に初めて微笑む。
「サキ…素敵な名だわ。私は、セレナ・フラワーズ。フラワ国国王…よろしければ、お友達になって下さる?」
周囲の喧騒も気にせず、セレナは勝手知ったるとばかりに神殿の前までたどり着く。
息を調え、紗季はセレナの落ち着いた横顔を眼に映す。
『此方こそ。王の友達なんて初めて。よろしく、セレナ。』
嬉しい、とセレナは笑う。花の様な笑みに紗季も釣られて微笑む。
「…こんなにも、簡単だったのね。私、死ぬ前に貴女に会えて良かったわ。」
儚げに笑みを浮かべ、セレナは神殿の扉に手を掛ける。
「…陛下!!!」
その時、烈火の如く走って来た人物にセレナの希望が砕かれる。
「っお離しなさい!」
腕を掴み必死の様子の人物は、辛うじて男だと分かる。そう、何故か男は熊の毛皮を丸ごと被り、顔さえ見られないからだ。
その事より、紗季は慌てて男を止めようとした。
『止めなさい!セレナはも、王を続けられない。』
しかし、紗季の声はおろか姿さえ見えないらしく、届かない。
そんな中、次第に紗季の姿は存在を薄くしていく。
まさか、此処で戻るの?!もう少しだけでも!
紗季の願いは空しく、とうとう視界も薄まっていく。セレナの悲痛な表情に、最後に一言口にした。しかし、全て通じたかは定かではなかった。
『セレ………………して!』
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