政の書
揺れる王と揺れる宰相
「はい。民の名を全て書き終えた事の報告を。」
「………………は?」
アルバンドの報告に一瞬信じられず、しかし何とか呑み込み受け入れる。
「…一万人じゃなかった?」
「?はい。正確には、1万と28人でした。」
あまりの事実に紗季は開いた口が塞がらない。
「…一晩で書いたと言うの?」
思わず、アルバンドの顔を凝視してしまう。そうういえば、目の下にうっすらと隈が見える。
どうしよう…あまり聞きたくない。
「…昨夜はちゃんと寝た?」
「いえ。」
不思議そうな相手に、内心溜め息を洩らし続けた。
「…一昨日は?」
「…いえ。」
そこで、アルバンドが口ごもる。
まさか……。
「…最近寝たのはいつ?」
あー、とかうーとか誤魔化すが、結局はおずおずと口にする。
「………四日前に、少し。」
間髪入れず立ち上がり、紗季の手がバンと机を叩く。
「何やってんの!この大バカ者!!これから大事な時期に、体を壊したらどーすんの!」
声を荒げられ、思いきりしょぼくれ目に見えて落ち込む宰相。
「…申し訳ありません。」
途端に紗季の怒りも沈んでいく。
ここまで低姿勢だと、こっちが悪いみたいだなあ。
なんか…先行き不安だ。
扉の前に居るナディアに軽く手を振り、下がる様に促す。ナディアが出て行ったのを確認し、頬杖をついて相手を見据える。
「…ねえ?そこまで急ぐ必要はある?まだ出来たばかり、段々で良いんじゃない。確かに私は頼りないかも「いえ。」
のんびり語り出す紗季に、アルバンドは頭を振る。
「…あの時、俺は後悔しました。」
あの時?
「…陛下が国壁へ向かった時、俺は後を追ったものの、間に合いませんでした。」
急なアルバンドの話しに、紗季はただ頷いた。
「…陛下がいらっしゃった時、大勢の前に案内する失態をおかしました。」
俺は、とアルバンドの眉が寄る。
「俺は、休む時間すら自分などに勿体ない。努力をし続けなければと。」
真面目すぎるな、この男は…私なんか昨日しっかり寝ちゃったよ。
「…不味いわ。」
ポソリと呟き、小さく唸ると立ち上がり机に寄りかかった。
「…困るわそれ。少し力入れすぎ。そんなんじゃ、色んな大切な事を見落としそうだし。」
表情を硬くするアルバンドに、紗季は自分から普段の自分を出して見せていく。
「あのね?今のうちに、少し話してみない?」
「…え?」
「だってさ、国がもし上手くいかなくても最低10年、上手くいったら何百年一緒かもしれない…なのに、ずっとそれじゃあ絶対無理!」
「…申し訳ありません。」
「それもだめ。何ですぐ謝るかなあ。」
がっくりと肩を落とす紗季は、少し考える。
どうしてみるか?そうだ。
「…そうだ。二人きりだし、普段の言葉で話してみて?」
「えっ?…そんな、とんでもありません!」
絶対に出来ないという相手に、紗季は勿論許さなかった。此処で腹を割って話す必要があると感じたのだ。
「…命令よ。これから私が許すまで身分を忘れて話しなさい。それと、聞きたい事は今この場で聞きなさい。」
威圧を与えはっきりと言いきれば、アルバンドは最後には頷いた。
彼自身にも、何か思う所はあったのだろう。
「…貴女は…」
「紗季で良い。」
「………………さ、サキは、なぜ…モリス・フェルトニアを官吏にしなかった?」
やっぱり、そこだったんだ。一番のアルバンドの疑問は。
「…簡単な事。彼は頭から爪のさきまで、ケープラナの物だからよ。それだけの理由…。」
淡々と答えてみれば、何となく悲しげなアルバンドの表情である。
「…では、少し気になった事が。貴女…君は、一部の者に砕けた様子で接する。それは良くない。」
「…なぜ?」
確かに、レビュートやネルビアは付き合いが違うので、気軽に接しているが。
「今、初めの官吏の少ない中、皆が君に近付きたいと思っているんだ。それなのに、初めから態度を変えるのはどうかと思う。」
紗季は、そうとだけ返し寄りかかった机に少し乗り上げる。
「…勿論区別してるに決まってるでしょ?」
「なっ…。」
「私の信頼する者はキリス以外は獣人。私は獣人は人間より上とは言わないけれど、獣人の立場を押し上げたいの。奴隷という存在自体消えていくように…。」
それは…とアルバンドは何か言おうとし、躊躇するがまた表情を戻し、紗季に向く。
「それは分かった。…最後に、君のその高圧的な物言いは良くないと思う。」
高圧的?
「…どういう意味?」
スッと室内の温度が下がり、声に冷たい音を乗せる。
「…それだ!君は無意識に臣下に上からの物言いをしている。せめて上級官吏だけでも、打ち解けてくれないか?これでは、距離が縮まらないじゃないか?!」
必死な相手の言い分とは裏腹に、紗季の心は次第に離れていく。
当たり前でしょ?
ただでさえ、17の子どもが普通に接したら…王だと思えるの?
心が冷え、黙ったまま体を反転し扉へ足を進める。
「待ってくれ!」
紗季の足がピタリと止まる。
「やはり、元は他国の人間だから…気を許してくれないのか?」
諦めた様なアルバンドに、紗季の頭にカッと血が昇った。
「私のせいにしているけど…認めてないのはアンタでしょ!何だかんだ、貴方はレビュートやネルビアを避けているじゃない?ケープラナの話を何度も引き合いに出しているじゃない?…。」
私は、と息を吐いて続ける。
「…若い貴方だから、先入観も無くすんなり入ってくれると思ったんだけど。まだ一日や二日ではダメね。」
寂しげに眉を下げた王は、アルバンドに全く視線を向けず扉のノブを握った。
握ったと思った。
アルバンドは紗季の肩に触れ、自分へと向かせ王を強く見つめる。
「…お気を悪くさせ、申し訳ありませんでした。…俺は、ケープラナ王と一度も話した事が無かった。だから、このようにじっくり話せ凄く嬉しかったです。…俺は、故郷を躊躇わず救ってくれた貴女だから…仕えたいと思えたんです…」
しかし、アルバンドの言葉は続かない。
何故なら、突然の轟音に掻き消されたからだ。
轟音と共に消える扉ともうもうと立ち込める砂埃。
「大丈夫か?サキ?」
ニッと笑い尻尾を振るサイラと、後ろで戸惑うナディアが現れたのである。
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