月明かりの黒
「…ローマネ?」
ゆっくりと振り返れば、黒装束の人物。
「……ミズハラ…サキ?」
知った声より覇気の無い返事に戸惑う。
「どうしたの?てゆうか今まで何処に…」
紗季の言葉が終わらない内に、黒装束にスッポリ包まれていた。
多少驚くものの、周囲を刺激しないよう平静を装う。
「…少々力を使い、過ぎた…ようじゃ。精力を貰うぞ?」
「……あ、うん。」
正直疲れ切っていた紗季だが、呆気に取られそれすら忘れていた。
耳元に寄せられた相手の唇は、ゆっくり開かれる。
「…魔獣を、退けて来ておいたぞ。」
え?
紗季の瞳が瞬く。
「ローマネが?どうして?」
混乱する間に、相手の声音に力が戻っていく。
「餞かのう?新しき王に…。ケープラナから出るつもりだから、餞別じゃ。」
精力を渡したからか、紗季の体から少し支えが失われた。
ローマネの口元に笑みが浮かぶ。
「礼を言うぞ。…先ほどのお主の言葉、嬉しかった。」
ローマネの手元がフードを下ろし、顔を晒す。
美麗な顔には読めない笑みではなく、年相応の笑顔をにっこりと浮かべた。
(…蔑まれ罵られたのを拭われたようじゃな。これで、短い生を謳歌できる。)
ローマネの笑顔に紗季の頬に僅かに朱が差し、そっと視線を逸らす。
…っ美形の笑顔は反則だ!!
紗季の初めて見る表情に、ローマネの中の抑えていた感情が芽生えた。
「…最後にお主と二人で話をしたい。壁の外に来てくれぬか?」
相手の静かな口調と最後という言葉に、紗季も反論せず頷く。
「…分かった。」
気力を絞ってネルビア達に駆け寄ると、その事を簡単に伝える。
勿論反対していたネルビアとキリスだが、紗季と会議を共にしたローマネを知っていたファウルに、やんわりと助言をされる。
「…もし危険な事がござれば、直ぐにお呼び下されば宜しかろう。魔術師殿自体に、敵意は見受けられない。」
ファウルの落ち着いた態度に、二人もなんとか引き下がる。
しかし民を預ける紗季の万が一を考え、メーリングに隠れて見張るよう耳打ちしたのだ。
国壁の外に出た紗季は、魔獣の居ない事に安堵すると直ぐにローマネに向く。
「…最後の話って?」
ローマネと共に居ると、レビュートと同じように紗季は砕けて話せていた。
「うむ。別れの前に確認じゃが…お主の初めての官吏はキリス・トレガーかの?」
ローマネの意外な質問に、紗季は一瞬答えが遅れた。
「…え?いえ。初めての官吏は、魚人のルピアかな。トレガーは初めて会った人だけど。」
そうか、とローマネは呟く。
「……ならば、儂もお主の初めてを頂こうかのう?」
老若男女問わず見惚れる微笑に見惚れ、紗季の反応は遅れる。
ローマネの手袋を着けたままの指先が、紗季の頬に添えられ急速に顔の距離が縮まった。
反射的に瞳を閉じた紗季の背後には、夜空に月明かりが照らされている。
紗季の頬にローマネの髪先が当たる。
「……ん」
紗季の小さな抵抗に、名残惜しく離れた唇から吐息を漏らす。
「……な、んで?」
茫然とする紗季を、ローマネは強く胸に抱いた。
「…儂の名は、ローマネ…ローマネスト・ルッフェ。魔術師ローマネは仮の名じゃ。」
ローマネの言葉に反応する所ではない紗季だが、その様子にローマネは笑みを溢す。
「魔族は真名をたった一人の女に捧げる。身も心もその者に捧げる事と、希少で嫌悪される魔族の血を後世に伝えてくれる事への敬意として。」
それって…
奥さんって意味だよね。
私は…
「…貴方のモノになれない。」
困惑を浮かべる紗季に、苦笑が返される。
「分かっておる。」
ふと紗季の目に違和感が映る。
先ほどまで無かった相手の頬に、いつか見た紋様がうかんでいる。
「ローマネ?!」
「…ああ、気にするでない。真名を明かして拒まれた魔族は罰として、呪いがかかる。三日後、肌が黒ずみ骨ごと灰となる。」
紗季の瞳が見開かれ、肩を震わせる。
(楽しかったのう…あの狼との競り合いも、人間との駆け引きも。)
ローマネは静かに目を伏せ、別れを紡ごうと口を開く。
「…許さない。」
しかし、それは少女の鋭い声に防がれた。
「勝手に名乗って、満足して自己完結で死ぬなんて、許さない。」
「…ミズハラサキ。」
彼女の黒い髪は月夜に照らされ輝く。
「ローマネスト・ルッフェ。貴方は私の官吏になりなさい。…レビュートも神書で治ったわ。反論は無いでしょ?」
紗季の瞳に金が宿る。
「…魔族の住む国は短命となるぞ。」
「…へえ?そう。」
だから?と紗季は首を傾げる。
「…今まで、魔族を側に置いた王は居ない。」
上級官吏とは、ある種王と運命を共にするという事だ。
「あのね…。」
紗季の眉間が寄り、声音も不機嫌そうに早くなる。
「私は魔族に官吏になれと言ってない。ローマネになれと言ってるの。」
貴方だから…と付け足す。
その瞳には、一切の含みは無かった。
「………………」
辺りを包む静寂に、紗季は気付かぬ内に身体を傾けていく。
「っミズハラサキ!」
意識を離した紗季の体を受け止めたローマネの耳に、一定の呼吸音が入る。
それにホッと安堵し、紗季を横抱きに抱える。
「……儂だから…か。」
紗季の口から出た自分の名は、何と甘美に響いたか。
(…完敗じゃな。)
月明かりに照らされる王の顔に、目を細めたのだった。
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