沈む日
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「キリス様、大丈夫ですか?」
セラからの傷の手当てが終わると、キリスはゆっくりと立ち上がる。
「…ああ。助かった。」
小さく微笑したキリスに、セラもホッと息を吐く。
しかし直ぐ様笑みを引き、自らの主を見つめる。
ウォーター国王水原紗季は、感情の読み取れない表情で騎士団の向かった方向を見つめていた。
ふいに、近くの建物に背を預けていた狐人に声を掛ける。
「…ネルビア、私を国壁まで運んでくれる?」
紗季の予想外の言葉に珍しく表情を崩すネルビアだが、瞬間口元に笑みを浮かべた。
「いーよ。もう行く?」
ええ、と紗季は頷く。
身体を纏った他を威圧する雰囲気は消えたが、未だ表情は鋭いままである。
ネルビアは軽々と紗季の身体を横抱きに持ち上げ、向かう方向へ目を向ける。
「…ミズハラ様、俺も御供をさせて下さい。」
「トレガー。貴方は怪我をしているでしょう?」
紗季は後方からの声に淡々と返すも、キリスは全く引き下がる様子は無い。
「この程度障りはありません。それより、俺は貴女様の側でお力になりたい。」
次第に日が傾いていく。
キリスの顔に影が落ちる。
「…それとも。……先ほどの失態に、役立たずと思われましたか?」
誰が見ても、先の野獣へはあれ以上の対応は出来なかっただろう。
しかし、守るべき王に助けて貰ったキリスは、羞恥と後悔が胸中に生まれていた。
はあ?
紗季の表情に次第に人間味が戻る。
「トレガー。此方に。」
ジロリと音がしそうな視線を向ければ、キリスは反射的にネルビアに抱かれたままの紗季に走り寄る。
「…私がどれだけ時間と労力を使って、貴方を探したと思う?今さら役立たずだから遠ざける、とかすると思うの?」
不機嫌に言い募る紗季とは反対に、キリスの瞳に生気が生まれる。
「…いえ。……俺などを重用して頂き光栄に存じます。」
静かに頭を下げるキリスの空気に、なんとなしに喜びが伺えた。
それに気恥ずかしさを感じた紗季は、キリスから視線をずらす。
「ネルビア、行って。…着いてきたかったら勝手にすれば良いけど。」
目を合わせず投げ掛けた言葉に、キリスの口元が綻ぶ。
「…ッハ。」
ネルビアが大地を蹴ると同時に、キリスは馬の鞍に飛び乗る。
走り際、ネルビアとキリスの視線が交差する。
(サキちゃんは、本当にコイツを…)
(ミズハラ様に密着し過ぎだ…)
一瞬の緊張感にセラも冷や汗が滲むが、間も無く二人の姿は消え去っていた。
少しずつ視界が薄暗くなる中、国壁が近付いて来る。
…疲れた。
眠いし、お腹も空いた。
正直、疲労と緊張感に紗季は疲弊していた。
国壁まで着くと、辺りに転がる野獣の屍に気づく。
「ウォーター国王陛下。」
「…ファウル。」
声を掛けられた紗季は、周囲の惨状に自然と寄る眉間を振り払い、ネルビアから離れ国壁に近付く。
やっぱり。
「魔獣の姿は無いのね?」
ファウルの表情に驚きが混じる。
「…お気付きでしたか!」
まあ、と相槌を打つ。
紗季の感じていた違和感はこれだった。
最初に聞いた野獣や魔獣が町を襲う、という状況が違っていたからだ。
野獣という生き物は凶暴化しており、魔獣の姿は無い。
「…もしかして。魔獣は野獣に襲われたのかしら。」
「否。それはあり得ません。」
脆く崩れる国壁に手で触れる紗季の斜め後ろに、ファウルは隙無く周囲を見張り続ける。
「理由は?」
「…是。魔獣と野獣は相容れぬもの。野獣にとって、楽に捕れるエサ(人間)があるのに魔獣を襲う意味はないでしょう。」
ファウルの言葉に思案する。
うーん。
分からなくなって来た。
結局魔獣はもう居ないの?
それをファウルに問えば、静かに首を振られた。
「野獣が減らされた今、今度は魔獣が国内へ侵入する恐れがありますゆえ。」
安心できないと。
「…でも、魔獣も騎士団の人なら退治できるでしょ?」
サラリとした紗季の口調に、ファウルの表情に苦いものが浮かぶ。
「経験の無いものは難しいでしょうな。武器は武器屋、服は服屋という様に得手不得手がございます。魔獣を上手く扱えるのは、魔族ぐらいでしょう。」
魔族…
紗季の脳裏に黒いローブの人物が浮かぶ。
今回も言わなくても来ると思い、声をかけなかったら来なかった人物。
ケープラナに来てからは、レビュートとローマネが傍らに居たせいか、ローマネの不在に違和感を感じる。
もしかして…もう何処かに消えたのかな?
確かに彼は、どこまで着いて来るか言わなかった。
キリスを失った時と似た感情が込み上げていく。
まだ、魔術師を名乗る意味聞いてないけど。
それに…
『気味が悪いじゃろ?』
あの時の美しい瞳に浮かぶ色を脳裏に描く。
紗季は知らずファウル達から離れ、未だ崩れていない国壁に手を置いた。
「…気持ち悪く無いよ。牢から出してくれてありがとう。城まで一緒に来てくれて心強かった。…会えて良かったよ、ローマネ。」
紗季の呟きが終わり踵を返した時、キリスとネルビアが血相を変えて駆けて来るのが視界に映る。
紗季の視界の端に映る黒。
「…待って!」
反射的にキリス達に掌を向けていた。
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