狼の狼狽
名前を呼ばれたレビュートは振り向いた。
狼人らしく元々鋭かった瞳は、更に剣呑な光を宿していた。
どうしたんだろう?
ただ事ではない様子に、紗季は戸惑う。
「…何があったの?」
レビュートは顔をしかめ、近くで座り込んでいる男を片手で持ち上げた。
「…こいつだ。」
「え…?」
紗季が戸惑いの声を上げ、男に目を向ける。
少し小太りの男は、身形は良く、貴族か豪商の様に見えた。
「…こいつが、クデルト以外に住む獣人を拐い、奴隷として売ってやがったんだ!」
ええ!?
紗季の隣に居たローマネは小さく呟く。
「…成り上がりじゃな。」
その言葉に意味が分からなかった紗季だが、殺意を露にするレビュートに近付いた。
「何で分かったの?」
その疑問に、レビュートは忌々しげに吐き捨てる。
「っ匂いだ!…こいつからは、ケープラナに入った時から獣の血が漂っていた。それに何種類も、幾千の数も知れねぇ程な!」
思わず紗季は口元を押さえると、レビュートは男の袖をを乱暴に捲った。
腕には、白く輝く装飾品を身に付けている。
紗季はその輝きに、瞬間背筋が凍った。
「…まさか。」
紗季の表情に、レビュートは表情を削ぎ落としていた。
「…ある狼人の骨だ。」
紗季はハッと息を呑む。
「…そんな。」
酷すぎる…。
レビュートは暗い瞳のまま続けた。
「使われたのは、病気になった高齢の狼人だったそうだ。クデルトでは、使えない奴隷は捨てられる。ゴミのように…。」
こいつは…とレビュートは男を床に叩きつける。
「…再利用だとぬかして、死にかけた獣人をわざわざ命を奪い、骨や歯で装飾品を作った。」
人より寿命の長い獣人は、命を大切にする。
高齢者は敬われ、死者は丁重に弔われる。
レビュートは言い終わると、男を力の限り殴った。
人より力のある狼人の拳に、男は声無き声を上げた。
そのまま殴り続けたレビュートに、紗季は一瞬の隙に間に入る。
拳を止めたレビュートは眉を吊り上げた。
「どけ!!こいつを殺す!」
「駄目。」
何か駄目なんだよね。
理由ははっきりしないけど…。
「…何だと!」
「殺したら、貴方も一緒になるでしょ?狼人を殺したこいつの様に。」
はっきり答えた紗季に、レビュートは一瞬怒りを止めた様に見えたが、口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「…綺麗ごとぬかしてんじゃねぇよ。」
「は?」
「…てめえに何が分かる!」
レビュートは声を張り上げる。
「…何の不自由もなく生きてきた人間の女に、何が分かるんだ!!
綺麗ごと言って、俺を手懐けようってか?
人間の、まして王なんかに獣人の苦しみや痛みが分かるかよ!
…簡単に言うんじゃねぇよ!」怒りと悲しみを含んだ声が響いた。
紗季は視線を落として、俯く。
そんな紗季に、レビュートは僅かに胸が痛んだが、すぐに頭を振った。
下を向いていた紗季は、しばらくそうしていたが、次第にゆっくり顔を上げる。
自分を睨む狼人に、視線を向けた。
そして、大きく口を開く。
「分かるわけない!!」
思った以上の声量に、レビュートは目を見張り口を閉ざした。
「…分かるわけないでしょ!そうね。私は確かに飢えも渇きも無く、差別も迫害も無く、家族に愛されて育った…。」
紗季の言葉にレビュートは眉を寄せたが、続いた台詞に表情を変える。
「…此処に来るまではね。…私は違う世界から来たの。元の世界で死んでね。…もう、戻れない。戻れないのよ。」
紗季は唇を震わせて、目を赤く染め、それでも続けた。
「獣人だって、初めて見たし、存在を知った。…わけ分かんない。…神から今から貴女は王様です…って、何なの?故郷に帰れない、家族も友人も居ない。…何処に行っても安心出来ない。」
…初めて会ったトレガーは、帰ったら居なくて。
紗季は一筋涙を溢した。
「…貴方みたいに、命がけで心配してくれる弟は居ないの。見知った故郷も二度と行けない。」
だから…
「…だから、この世界で数少ない知り合えた貴方に、殺しなんかして欲しくないと思ったんだ。」
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