終わりの清め湯
この世界に暮らす、良くも悪くも無い穏やかな魚人族。
魚人族は、伝説上の人魚とは異なり、ほんの少しの魚類の特徴以外は、ほとんど人と変わらない。
ただ、人と決定的に違うのは、雌が居ない事である。
というよりも、女性的特徴の無いものしか居ないという方が正しい。
魚人族は、ただの魚類から稀に突発的に進化した者を言うのだ。
その為、繁殖しようの無い特殊な一族なのだ。
また、魚人族は命を終える時、一族から離れ空気の澄んだ場所で身体を清め、水辺に身体を同化させて終える。
まことに魔族ともまた違い、不可思議な種族なのである。
「…そのままで居てね。」
紗季は、そうっと相手の様子を伺いながら、身体を拭いて着替えた。
相手は身動ぎせず黙って頷いた。
…よしよしこれで大丈夫!
着替え終わると相手に声を掛けた。
「はい。良いよ~!貴方も使うならどうぞ?」
相手は、紗季に申し訳無さそうに礼をした。
「…すみませんでした。ありがとうございます。」
頬を桃色に染め、柔らかい笑みをうかべる相手に、紗季もにこりと笑った。
「気にしないで?…それより、貴方も入浴しに来たの?」
「…あっ、いえ…私は。」
相手は、透き通るような美しい水色の髪を揺らした。
「…明日、魚人族としての生を終えるので、最後の清め湯をしに来ました。」
……何それ?
紗季の不思議そうな顔を見て、相手は慌てて話し始めた。
「…見て分かる通り私は魚人族です。」
いや…分からないし。
とりあえず紗季は頷いた。
「…魚人族は自分の死期を知る事が出来ます。私は、他の者より早く20年程でした。…それが明日なのです。その為、身体を清めようと参りました。」
丁寧な説明に紗季はふんふんと頷いた。
要するに死ぬ前の儀式みたいなもの?
紗季は勝手に納得してから、相手に目を向けた。
「…死ぬのに、結構冷静に見えるけど…。」
相手は苦笑する。
「…ええ。今は諦めましたから。どうにも出来ない事ですから。…例え神様にも。」
淡々とつむがれるその言葉に、紗季は眉を寄せた。
「…嫌じゃないの?」
え…と相手は声を上げた。
「…どう見ても若い貴方が、明日死ぬなんて私は考えられない。貴方は納得してるの?」
紗季が真っ直ぐ視線を送ると、相手は次第に視線を落とした。
「……言っても良いのでしょうか。」
本当に小さな声音に、紗季は相手に近付いた。
「…聞こえない。言いたい事は言ってみな?」
紗季が下から覗いた顔は、情けなく眉を下げていた。
「…私は……まだ、生きたい。あと1日でも良い。……もっと自分が生まれて良かった、と思える事がしたかった…!」
相手の頬を流れる雫に、紗季は手を伸ばした。
綺麗…。
紗季は、静かに涙を流す相手をそっと抱き締めた。
私にはこれしか出来ないしなぁ…。
てか残念だったなぁ…
せっかく会えた美形なのに…
内心嘆息していると、相手がすがる様に紗季に抱き着いてきた。
神…に頼もうかな。
ふと、神様を思い出し考え込む。
…あれ?
ふと紗季は思考が止まった。
それから妙にゆっくり懐を探る。
……忘れてた。
紗季は掴んだ分厚い本を見つめた。
《神書》
紗季は本を黙って見つめるのだった。
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