40 最終決戦(上)
秘密の地下通路を抜けた先は、軽く数百人は収容できるような大広間につながっていた。湖に浮かぶ小島に建てられたオドレイヤ邸の真下、堅牢なる地下階層に存在する大空間である。
一段上がったところに幅広の舞台が見える大広間には、両側の壁面に備え付けられた窓型の照明器具から魔術光が照らされ、何か盛大なパーティーでもやっているのか、いくつもの丸いテーブルが間隔を置いて並べられていた。純白のクロスがかけられたテーブルには、それぞれ数人ずつの招待客が集まっている。
だがテーブルの上を飾るはずの料理は一つとして用意されていないし、その必要もない。なにしろ彼らには肝心な命がないのだ。
オドレイヤの魔法によって操られる死者たち、死体人形である。
「待ちに待った招待客のお出ましだ。彼らを歓迎しよう!」
パーティーの主催者らしく壇上に立ち、両腕を躍らせるように指を振るオドレイヤの指揮によって、総勢五十は超えるであろう死者たちがそろって向きを変える。狙うは侵入者。すなわちアレスタ御一行だ。
一人や二人ならばともかく、これだけの数による魔力爆発を一斉に食らえば致命的だ。攻撃を食らう前に迎撃するなり回避するなりせねば、ひとたまりもない。負傷に対して絶大な効果を発揮するアレスタの治癒魔法も、死んでしまっては意味がないのである。
しかし、ここから逃げるのは簡単なことではない。残念ながら出口はふさがれている。大広間を挟む左右の壁には上の階へ続く階段も見えるのだが、今は鉄格子が降ろされており、鍵もなければ普通の手段では突破するのも難しい。
なにより、ここへはオドレイヤと戦うために彼らはやってきたのだ。消極的な逃亡策は最後の最後まで取っておかなければ、わざわざこうして攻め入ってきた意味がない。
「近づかれたら厄介ね! ここは私が道を開くわ!」
うーうーと唸るばかりで言葉もなく、もぞもぞと蠢き始めた敵の群れ。そのおぞましい怪物たちの姿を前にして、臆するどころか勇ましく腕まくりをしてみせたナツミが魔法で暴風を発生させる。こちらへと向かってくる死体人形たちをテーブルごと左右の壁に吹き飛ばす。
結果として、大広間の中央にスペースが作られた。
今なお壇上に立つオドレイヤへと続く道だ。
「よくやってくれた! あとは私に任せてくれたまえ!」
壁際で折り重なるように倒れているオドレイヤの操り人形たち。
意識を失った死体人形どもが立ち上がる前にと、いかにも手慣れた手つきで魔導書を掲げるフレッシュマンが高らかに呪文を唱える。
「ズッデスト・ネニィーキ・ヒラサック!」
呪文に応じて魔法が発動する。
ちぎれた魔導書のページが爆発的に燃え上がると、大広間の両脇に寄せられていた死体人形たちが一斉に発火した。一体残らず激しく燃え上がり、かろうじてわかる骨だけを残して瞬く間に焼失する。
遺体を焼き尽くす魔法。生者には効果がないこれは、古代の火葬術式である。
本来は戦闘用の魔法ではないけれど、ともかく、これでオドレイヤの死体人形を封じることができた。戦場において残る敵は、負傷を隠しきれないオドレイヤただ一人となり、数の利はこちらにある。
ただしここはブラッドヴァンの本拠地と呼んでもいいオドレイヤ邸だ。何人のマフィアが詰めているかはわからないが、騒ぎを聞きつけたオドレイヤの援軍が地下に降りてくる前に決着をつけなければならない。
「なっはっは、盛大な葬式をありがとうとでも言っておこう!」
パープルティー・ヒルの戦闘で右腕を失っていたはずのオドレイヤだが、その右腕部分には、魔力で作られた新しい腕が紫色に輝いていた。皮膚がえぐれていた左腕は傷が完治していないものの、皮膚を突き破るようにして内側から骨の先端が無数に飛び出ており、鋭いトゲだらけの腕になっている。人間には本来ついていないような骨だが、おそらくあれも魔法で骨を組み替えて作った即席の刃物だろう。
その武骨なる左腕には魔剣、ハクウノツルギが握られている。
「ではでは、これでどうかな?」
これ見よがしに大げさな手ぶりでハクウノツルギが振り下ろされた。すると剣筋に従って空間にひびが入り、そこから砕け散るようにして、大きな穴が開いた。
人間一人が余裕で通れる程度の穴を即席の出入口として、一匹のみならず十数頭もの魔獣が飛び出してくる。
次元を切り裂くハクウノツルギを用いた簡易の召喚魔法だ。
即席のゲートから次々と現れたのは、ポチブルより一回り大きいイノシシ型の魔獣。そして身の丈三倍はあろうかという巨大な熊。さらには高い天井の大広間を埋め尽くすように飛び上がった鳥もいる。もはや魔獣軍団といってもいいだろう。
前衛に立つイリアスとナツミがそれぞれまずは一体ずつ相手取るべく構えたが、それより早くフレッシュマンが魔導書を開いた。
「イナラディン・ライッシュ・ボンバーレ!」
呪文に応じて魔法が発動する。
世界を閉ざすほどに目がくらむような轟音と激震を伴って、前方の広範囲に向かって雷撃が走る。避けきれなかった魔獣を大量に飲み込むと、莫大なるエネルギーによって一挙に半数が消えうせた。狙ってのことではなく幸運にも直撃を回避した魔獣も存在したが、そのどれもが無傷と言わず深刻なダメージを負っており、四肢がちぎれる死屍累々たるありさまだ。
壇上で片膝をつくオドレイヤは体の前に出していた魔法防壁により、この攻撃を防いでいた。おかげで身体的な負傷こそなかったようだが、余裕があるようには見えない。
けれど、疲れを見せず即座に立ち上がったオドレイヤが再び剣を振る。一度は閉じていた空間に先ほどと同じく異次元に続くゲートが開き、ひび割れのような穴を通って、次々と新たな魔獣がやってくる。
フレッシュマンが使う魔導書は基本的に使い捨てのため、一発一発の威力は高いものの、同じ魔法を二度続けて使うことはできない。今のと同じ迎撃をもう一度繰り返すことは不可能だ。
ならば次こそ自分たちの出番だと、二刀を振りかざすイリアスがオドレイヤへと向かって駆け抜け、彼女のすぐ背後を風に乗ったナツミが追いかける。
それより後方、いつものようにカズハを背負ったアレスタは無理して追わず、魔道具を構えたブリーダルとともにヘブンリィ・ローブの魔法で安全な位置を選んで隠れている。彼の役割はあくまでも治癒魔法だ。
すでに百戦錬磨の経験によって戦士として成長しているイリアスは、襲い掛かってくる魔獣を次々と危なげなく退治していく。これには風魔法で援護するナツミのサポートも十二分に機能した。もちろん魔導書や魔道具による攻撃を続けざまに放つフレッシュマンの功績も大きい。
魔力吸収システムによる多大な恩恵があったころならばともかく、他者を圧倒するほどの強力な魔法を失った今のオドレイヤには、彼女たちの接近を止めることができない。魔力に応じて効力を発揮するハクウノツルギのせいか、現時点で召喚できる魔獣にも限界がある。
右腕を突き出したオドレイヤは火球をイリアスに向かって発射したが、それはかつてよりも小さく、ナツミの風魔法によって進路をずらされ攻撃が外れた。
右足を踏み込んで床を蹴ったイリアスは壇上に飛び乗り、勢いそのままオドレイヤへと切りかかる。
魔法では間に合わぬと見て、ハクウノツルギが迎え撃つ。イリアスの振るう右の剣が相打ちし、左の剣が隙をぬぐって胴を斬る。その刃先が血を生み出すという寸前、ギリギリのところでオドレイヤは右腕を突き出すことによって剣をはじいた。
わずかながらに彼我の間には距離が生まれる。ここが反撃のチャンスとオドレイヤはハクウノツルギを返す刀で横払いした。慌てることなくイリアスは二刀をそろえて受けとめつつ、ほんの少しだけ後ずさった。
敵を熟知するフレッシュマンが大声をあげてイリアスに忠告する。
「気をつけろ、奴の目を見るな! まだいくつかの魔法は使えるはずだ!」
「了解! でも目をそらし続けるってわけにもね!」
至近距離であるならば、目を合わせるだけで相手の体内をめぐる魔力を操り、内側から破裂させ殺せてしまうというオドレイヤの恐るべき魔法。幻想樹を基にした魔力吸収システムが破壊されて弱体化したとはいえ、もともと優れた魔法使いであったオドレイヤが全く魔法を使えなくなったわけではないのだ。
念には念を入れ、魔法の攻撃を避けるべく、顔を伏せて目をそらしたイリアス。身体の動きによって予測のつけやすい物理攻撃ならともかく、多種多様な魔法による攻撃は事前に予測がつかないものも多く、勝ちを確信して油断すれば足元をすくわれかねない。
ということで、オドレイヤの視線や、強大なる魔力の風をまとった右腕、そして左腕に握られているハクウノツルギの動きに最大限の意識を向けるイリアス。
しかし思いがけず足元を狙われた。
――足をすくわれた!
どちらかと言えば縫われた。先端が鋭利になっている骨のトゲがオドレイヤの左腕から発射され、解き放たれた矢のごとく深々と突き刺さったのだ。
高速化魔法をかけたイリアスは速度と威力を増した二刀の打撃でトゲを打ち砕き、そのあとで床に縫い留められていた足を振り上げて、強引に引き抜いた。
バックステップで距離を取って体勢を立て直そうとすれば、それを許さぬとばかりに鋭くとがった骨の破片がオドレイヤの左腕から発射される。一つや二つではない。超至近距離から大小複数の矢となって、イリアスの全身をこれでもかと貫き、深く傷つけた。頭部や心臓など急所は避けたが、身体の複数個所に深手を負った。思わず倒れこみそうになったところを足で踏ん張る。激痛が走ったけれど彼女は耐えた。
気を失いそうになるほどの痛みをこらえる彼女の苦悶は筆舌に尽くしがたいものではあったものの、地獄は一時的なもので、長くは続かない。なぜならアレスタの治癒魔法が彼女を守るからである。
「よからぬ魔法を使う邪魔者が潜り込んでいるようだな!」
それが彼女の力ではないと一目で見抜いたオドレイヤ。最初はフレッシュマンの持つ魔導書の力かと思ったが、どうやら違う。しかし肝心の使い手の姿が見当たらない。
戦いの合間に周囲へと注意深く視線を巡らして隠れているアレスタを探すオドレイヤだったが、その余裕はすぐに失われた。
「私もサポートするわ!」
暴れていた魔獣を一通り討伐し終えたナツミの風魔法が大量の風の刃や壁を生み出し、イリアスに対処するオドレイヤの動きや攻撃を封じ込める。今までは歯牙にもかけなかった彼女の風魔法も、今の弱体化したオドレイヤは無視することができない。飽きれるくらい乱暴に襲い掛かってくる一つ一つに対して、面倒くさくても回避や迎撃の手段を丁寧にやっていくしかない。
「なんて女どもだ!」
しびれを切らせたオドレイヤが苦情を込めて吐き捨てると、不敵な笑みを浮かべた二人の女性は勝ち誇ったように即答した。
「素敵な彼女はイリアスよ!」
「頼もしい彼女はナツミね!」
前後で互いに指をさし合って、オドレイヤに名前を刻む。
攻勢をかけるイリアスとナツミに囲まれていくオドレイヤは迎撃も後手に回る。やはり弱体化しているのが効いているのか、以前ほどのスピードや威力では魔法を発動させることができず、防御魔法も突破され、無敵と思われた彼の身体に生傷が増えていく。
タイミングを見計らって繰り出されるナツミの放った風が鋭く刃物のようにオドレイヤの額をかすめ、横に長く開いた傷から血が流れ出した。だらりと垂れた血が目に入り、思わず目をつぶったオドレイヤの視界を一時的に奪う。
その瞬間を狙ってイリアスの踏み込み。
上段からの振り下ろし。
魔力によって形成されていたオドレイヤの右腕が肩口から切り落とされた。
さらに一撃を加えようとするイリアスが左腕を狙ってきたため、致命的なまでの危機を察したオドレイヤはハクウノツルギを振り上げながら後ろに下がった。
「ここが奴の仕留め時だ! 油断はもちろん、手加減もするな!」
イリアスとナツミに向かって叫びつつ、己にも気合を入れるフレッシュマンが魔導書を開く。
これが最後の戦闘と判断して、ここですべてを使い切る勢いで魔法を発動する覚悟だ。
「ドガスティッド・フュルエル・デデーレ!」
呪文の詠唱とともに魔導書のページが失われ、即座に発動した強力な魔法によってオドレイヤが氷漬けにされていく。冷気を放つ氷の檻に閉じ込められ、足元から頭部へと徐々に身体が凍っていくオドレイヤ。さすがに慌てて振り払おうとするものの、自身の身体が凍らされていく魔法を止めることができない。イリアスやナツミに押されていることもあり、魔導書の魔法が上回ったのだ。
これなら本当に勝てるかもしれない。ただし、魔法の力によって氷の像に変えるだけではオドレイヤを亡き者にしたとはいえない。完全に息の根を止めなければ、勝利とは呼べない。
ならばとて覚悟を決めたイリアスが剣を突き出し、身動きの取れないオドレイヤの心臓を狙う。
これでおしまいだ。アヴェルレスを苦しめる抗争の時代は終焉を迎えるのだ。
そのとき、青白い衝撃が大広間に走った。
正体不明の不可視なる力によって、オドレイヤを取り囲んでいたイリアスとナツミは壇上の外に弾き飛ばされた。咄嗟に放った向かい風で衝撃を殺しつつ、身をひねったナツミは風のクッションを作り出すと、自分とイリアスの二人を優しく包み込んで着地させる。
「なっはっは、なーはっは!」
その高らかなる笑い声は、他でもないオドレイヤのもの。
オドレイヤを氷漬けにしていたフレッシュマンの魔法が打ち消されたのだ。
絶体絶命なる危機を脱して自由の身となった彼は勝ち誇るほどの笑顔を見せ、
「我が愛するフーリーよ、よくぞ助けに来てくれた!」
朗々たる歓喜の声を上げた。
「もちろんだとも。お前の窮地ともなれば、無視してもいられまい」
そこにいたのは、一人の麗しい妙齢の女性だ。
イリアスたちを一人で相手取るオドレイヤの窮地を察知して、これまで屋敷の門前で新設騎士団と戦っていたフーリーが転移してきたのである。
「そいつはオドレイヤの腹心、フーリーだ! 戦っているところを直接目にしたことはないが、下手をするとオドレイヤよりも厄介かもしれん! 命が惜しければ、攻撃の手を緩めるな!」
フレッシュマンは開いたまま抱えていた魔導書のページをめくった。
そして呪文を唱えて、相手の動きを封じる魔法を発動させようとしたのだが、
「させないわ」
「なっ! 奴め、魔導書を狙ってきたか!」
目を細めたフーリーがフレッシュマンに向かって指を伸ばすと、もくもくと煙のように広がる闇に包まれて、彼の手にする魔導書が消滅した。それは黒い炎にも見えるフーリーの魔法。草原に放たれた火が燃え広がるように拡大する闇に飲み込まれそうになり、慌てて魔導書から手を離したフレッシュマン。なんとかフーリーの魔法に巻き込まれず間に合ったものの、命の代わりに強力な武器を失った。
このままでは、もはや彼に対抗する力はない。魔法による攻撃に耐性を持つ魔滅体質といえど、フーリーほどの相手では防御を貫かれるだろう。
冷静に彼我の戦力差を考えて後方へと下がろうと動いたフレッシュマンだが、そこに彼女の追い打ちがかかる。
と、そこへ――。
「私たちを忘れないことね!」
視界の端からイリアスとナツミの二人が呼吸を合わせて飛び掛かった。刃に盾にと存分に風魔法を駆使するナツミと、高速化魔法で自身の身体能力を強化しているイリアスである。
しかし彼女らに狙われたフーリーは慌てなかった。それどころか余裕さえにじませている。
「ええ、ええ、かかってきなさい! 格の違いってものを見せてあげるわ!」
横薙ぎにされた腕から風が爆発した。すると展開していたナツミの風魔法が打ち消される。荒れ狂いつつも制御された小さな竜巻が彼女を遠くまで吹き飛ばし、追い打ちのように風の刃が乱れ打つ。いくつかは分厚くした風の防護壁を発生させることで防いだものの、すべてに対処することができなかった。
ほんの一瞬でナツミは傷だらけになって無力化される。それだけではない。
この時、フーリーによる魔法は二つ、ほとんど同時に出されていた。
イリアスには先端をとがらせる巨大なツララが襲い掛かった。頭上からの槍だ。身を翻して避けようと駆け出した彼女だが、それは失敗する。すでに足元が冷気に当てられて凍っていたため、足を滑らせて重心を見失った。そこへ、床に激突して粉々に砕け散ったツララの破片たちが操られたように襲い掛かる。
たまらず右と左の剣で応酬するイリアスだが、こちらもすべてを防ぐことはできない。
いくつもの傷が赤く燃え盛るような血を噴き出して身体中を埋め尽くす。
だが彼女たちは立ち止まらない。大量の血とともにほとばしる痛みさえ、一瞬のうちに打ち消してしまうアレスタの治癒魔法があるからだ。
まずはナツミに飛びついたテレシィを通して、アレスタの治癒魔法が彼女を万全の状態にしてみせる。直後に指示を飛ばすアレスタに従って、ハチドリのように一生懸命に羽ばたくテレシィはナツミからイリアスのもとに移動して、やはり同じように彼女へと治癒魔法がかかる。
たちどころに全快して態勢を立て直した二人は何事もなかったような顔をして、即座にフーリーへと立ち向かった。
さすがに驚きを隠せなかった様子のフーリーだが、あくまでも冷静に対処する彼女は左右の腕から水晶の刃を無数に飛び出させると、これによってイリアスとナツミの攻撃を防ぐ。単純な魔法の力量差ではフーリーに軍配が上がるものの、アレスタの治癒魔法が援護するおかげで勝負は拮抗する。
いや、二人がかりで挑むイリアスとナツミがやや優勢だ。
一方、魔導書を失ったフレッシュマンにはオドレイヤが向かっていた。助太刀に現れたフーリーのおかげか、かつての勢力を取り戻した激しい火球を出しつつ、フレッシュマンに突進する。これを魔法の威力を減衰させる体質を利用した魔力の壁で防ぎながら、慎重に距離を取って逃げ延びるフレッシュマン。魔導書を失えば攻撃魔法が使えず、生半可な魔道具もオドレイヤ相手には通用しないので反撃は難しくなったが、時間稼ぎ程度なら無理でもない。
もちろん、現時点でもカズハの魔法によって後方に身を隠し続けているアレスタは戦う三人に目を光らせて、迅速かつ的確に治癒魔法を発動させていく。
これこそが勝利の方程式だ。
けれど――。
「そこねっ!」
わずか一瞬のわずかな隙をついて、一匹の蛇のように黒い煙で作られたフーリーの長い尾が振り下ろされると、したたかにイリアスの胸を打った。たまらず尻もちをついたイリアスだが、打撲こそ負ったものの他には目立った外傷もない。
それでも念のために治癒魔法をかけておこうと思ったアレスタが魔法を発動させようとした瞬間、その重大なる違和感に気づいた。
嘲笑をにじませるフーリーが誰にともなくつぶやく。
「ああ、これ。これね? あなたたちの不思議な力の源は……」
「ア、ヤ、ヤメテ!」
「馬鹿ね、暴れても無駄よ。小さな妖精なんて相手じゃないわ」
その手に握られていたのはテレシィであった。治癒魔法のために奔走していた小さな妖精の姿を目ざとく見つけたフーリーはいともたやすく彼女を捕まえたのだ。決して逃すまいと力強く握りしめつつも、殺してはしまわず、まじまじと興味深そうに眺めている。
世界にはびこる多くの魔法使いがそうであるように、同じく彼女もまた治癒魔法の秘密を暴こうと躍起になっているのだ。可能ならばこのままテレシィを生け捕りにして、治癒魔法を手に入れて自分のために役立てようというのである。
姿を隠すカズハの魔法の力は絶大で、まだフーリーはアレスタの存在に気が付いていない。この場に治癒魔法の使い手が潜んでいることなど想像もしていないだろう。
だからアレスタは考えた。状況の打開策を。
しかし、思考をフル回転させ彼が考えている間に、イリアスもナツミもフーリーの強力な魔法によってついに追い込まれつつあり、いつの間にやらフレッシュマンはオドレイヤによって取り押させられていた。
加勢しなければ危険だ。とはいえ、この状況でアレスタがいきなり飛び出しても、無策のままでは意味がない。せめて誰かと動きを合わせなければ……。
そう考えるアレスタだったが、それはできなかった。
「はっ! 大したことのない。こんな相手に死にかけるほど苦戦するなんて、ずいぶんと弱くなったのね、オドレイヤ」
「そう言ってくれるな。お前が変わらず強いだけだ」
テレシィをフーリーに握られ、アレスタによる治癒魔法の援護を失ったイリアスとナツミが次々と戦闘不能に追いやられたのだ。
あえて命を奪わずに、半死状態となった彼女らの生殺与奪を己の手中に収めていると言わんばかりの態度でフーリーは二人を見下ろした。
「あなたたち、私の手下になりなさい」
「なにを、馬鹿なことを言っているのです……!」
「私の傘下に下れば、あなたたちにも加護を与えてあげるわ。それは奴隷としての力になるでしょうけれど、それでも死んでしまうよりは幸福でしょう?」
考えるまでもなくイリアスはこれを拒絶したが、強い言葉で言い返すことはできなかった。アレスタの治癒魔法がふさがれた今、勝算のない賭けに打って出るにはリスクが高すぎる。
すでに決着がついたと判断しているフーリーは余裕をにじませながら彼女らに語り掛ける。
「私たちにとっての勝利とは、相手を殺すか、手に入れるかよ。敵が強ければ強いほどに、どちらの欲求も高まるもの。だからまずは手に入れるためのお誘いをしているのだけどね? 可愛がりたいのよ、私はあなたたちを精一杯。素敵な愛玩人形として」
同じく勝利を確信するオドレイヤがフーリーの隣に並ぶ。
「降伏しろ、フレッシュマン。貴様が歯向かえば、ここにいる三人まとめて私の力で死体人形に変えることになる。それも悪くはないが、どうせなら生きたまま手に入れたい」
負けを悟りつつも、あきらめるわけにもいかぬフレッシュマンは強気に口をゆがめて答える。
「ふふん、お断りだ。むざむざと死ぬつもりはないが、だからといって、生き延びるためだけに貴様の配下になるという選択肢は存在しない」
その答えをすでに予想していたオドレイヤはこれ見よがしにため息をつく。
「仕方がない。フーリー、お前の力でこいつらに鎖をつけろ」
「ええ、いいわ。なら、まずは異界の扉を開くわ」
淡々とした口ぶりでフーリーが宣言した瞬間、その場にいた全員の心臓が得体の知れない何かに握られたように鼓動を乱した。
立ち眩みが襲う。視界が濁るように空間が暗い雰囲気に包まれていく。
ついには耐えられなくなり、まずはフレッシュマンが膝をつく。
「な、なにが……」
「そういえば貴様は知らなかったか。フーリーはただの女ではない。私の……いや、私の一族を支えてくれた異界の魔術師なのだ」
「そう。私はあなたたち貧弱な人間とは違うわ。怒れる悪霊……魔界生まれのフーリーよ」
そして異次元世界ユーゲニアはさらなる異界、魔界につながるゲートを開く。




