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治癒魔法使いアレスタ(改稿・削除予定)  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
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36 燃え盛る塊

 オビリアとの激戦の直後ということもあり、イリアスには十分な休養が与えられることとなった。

 また、まだまだ本調子ではないスウォラも含め、カズハやニック、キルニアたちにも連戦の疲れを考慮して、しばらくの休日が与えられた。

 次の作戦が決定するまでの短い時間ではあろうが、それでも与えられた休養の時間を無駄なく十分に使うのが戦士の掟である。彼女たちは安全な拠点内部で食事や睡眠をとって、失った分の体力と魔力を回復させることに集中する。

 さて、それとは違って特別な任務が与えられたのはアレスタだ。短い休憩時間を挟んで、すぐさま次の作戦に赴いている。

 期待される役割は、もちろん治癒魔法。つまり負傷者が出た場合の対処である。

 他の魔法と違って治癒魔法は替えがきかない。命ある限り、致命傷さえなかったことにしてしまう治癒魔法の効果は絶大である。日常生活においても万が一の保険として魅力的な魔法であるし、常に命の危険と隣り合わせなマフィア同士の抗争では、魅力的どころか不可欠である。それが痛いほどにわかっているので、アレスタも魔力的な面では疲れを覚えつつ、頼まれれば協力を拒めないでいた。

 イリアスはだから思った。やっぱりアレスタが治癒魔法使いであることは公言するべきではないと。彼の力が世界中に知られてしまえば、きっとアレスタは休む間もなく世界の善意と悪意の両方によって使い果たされる。お人好しであればあるほど自分の人生を犠牲にしてしまうのだ。

 一方で彼女の心配を知らぬアレスタにしてみれば、むしろもっと積極的に治癒魔法を役立てていきたいとさえ思い始めていた。自分が無理をしつつあるのを承知の上で、持てる力を出し惜しんでいるのは悪人とまでは呼べないまでも、善人のあるべき姿ではないと。

 世のため人のために活動すると決めてギルドを始めたのだから、それがどれほどいばらの道であろうとも突き進む覚悟はできていた。


「不安ですかな?」


 そう尋ねてきたのは、アレスタとともに前線に出てきたブリーダルだ。

 全く予想外の質問であったため、アレスタは驚いて顔を彼に向けた。


「不安そうに見えましたか?」


「不安というよりは、迷いにも見えましたが。苦しんでいると言ってもいいでしょう。何か自分に背負わされた重荷につぶされそうになっている。自覚がないのであれば、それはあなたをいずれ死に導くほどの危険です」


「……俺が、迷い、苦しんでいる?」


 それはアレスタにない視点だった。

 わかっているつもりでいて、いや、だからこそ、自分のことほどわからないこともない。自分はこうだと自分自身が決めつけてしまうがゆえに、あえて見ないように、気づかないようにしていることも多いのだ。

 それは多く、無意識的に行われる心の防衛本能。自分の中に眠る恐れや不安、弱さや悪意を直視しないための制御された視野狭窄である。

 ただ、アレスタ自身が治癒魔法の使い手としての自分の運命や重圧にどれほどの不安を抱いているのか、それを知るのも結局はアレスタだけなのだ。自覚することができるなら、正しく自覚するに越したことはない。自分の弱さに目を背けたままでは、きっといつまでも本当の意味では成長できないはずだから。


「俺は……」


「考え事は後に回しましょう。どうやらターゲットが来たようです」


 その言葉に従って、眼下を見下ろす一室からアレスタが目を向ければ、四方を複数の建物に囲まれた正方形の空き地に一人の女性の姿があった。


「ここね……。ふうん、人間のための入口はないんだ?」


 そう言ってスライムに変身したのは、オビリアの腹心であったメイナだ。

 彼女こそ、今回の作戦のターゲットである。

 魔法によってスライム状態となった彼女は流れる液体のように、人間用のものではない入口へと入っていく。それは人間には狭すぎる穴。地下空間へ続く、細長い通気口である。

 アヴェルレスに数ある地下室の中でも、より深く掘られた地下牢。その地下牢に設置された台座の上に横たわるのは、死してなお魔法の炎に身体を包まれるオビリアだ。

 つまり彼女はオビリアの墓に潜入したのであった。


「オビリアの炎は魔法によるもので、どうやらあれは一種の狼煙のろしとして機能しているらしいのです。つまり誰かを呼んでいる。しかしオドレイヤは魔力吸収システムが破壊され弱体化した上に、腕を失うほどの傷のため、すぐには表に出てこられない。しかもオビリアの遺体は細い通気口だけを残して、扉と通路をふさいだ地下牢の深くに眠らされている。そうなれば呼び込まれるのは一人に絞られるのです」


「でも……」


 そうやすやすと来るだろうかというアレスタの言葉はブリーダルの言葉によって否定される。


「彼女の性格上、これが罠だと見抜いていても来てしまう。いや、罠だとわかっているからこそと言ってもいい。おそらく彼女はオビリアとの心中さえ覚悟していることでしょう」


 そして実際そうなったのだった。

 オビリアを慕う彼女だからこそ、彼女が閉じ込められているとなれば、来ざるを得なかった。

 まともに光さえ届かぬ深い地下牢の底で、彼女が心から慕っていたオビリアの遺体を自分の目で確認したとき、メイナはどう反応するだろうか。案外、本当に心中してしまうのかもしれない。


「ただ、そうでない可能性もある以上、我々も手を抜けないでしょう」


 メイナの姿が完全に見えなくなったのを目視で確認したブリーダルの指示によって、周囲に潜んでいたマギルマの構成員たちが動き出す。

 まず、小さな通気口に魔道具の先端が突きこまれた。

 それは大量の毒ガスを注入する魔道具である。

 地下牢内部にガスが充満したであろう後は、唯一の通路となっていた通気口をふさぐように破壊して、他に出入り口のない地下空間を完全に密閉した。

 爆発力のある火炎魔法を駆使したオビリアなどと違い、メイナの魔法はスライム化である。斬撃に対して無敵を誇った彼女も、壁を破壊するほどの攻撃力を発揮することはできない。こうして外側から閉じ込められ、おまけに毒ガスまで注入されたとなれば、あとは時間をかけて中毒死か窒息死か餓死を待つしかない。

 たった一つ、自殺という手段を選びさえしなければ。

 アレスタは無意識に目をそらした。悲惨な光景を想像したせいである。


「あなたが罪悪感に思い悩む必要はありませんよ。これは本来であれば我々の戦いなのですから」


「しかし、ここまで関わってしまった以上――」


 と、アレスタはそこで言葉を打ち切った。

 続ける言葉を思いつかなかったのではない。

 ただ、何か得体のしれない不安が鎌首をもたげている。


「今、爆発のような音と振動がしませんでしたか?」


 怪訝に眉をひそめるアレスタと違って、ブリーダルは確信をもって答える。


「ええ、しています」


 再び響いた音と振動が、身を隠す二人のいる建物ごと揺らす。今度は聞き逃しようもない。三度目、四度目、五度目と繰り返されるごとに音と振動も大きくなる。誤解であればどんなによかったか。

 何かが地下からどんどん上に上がってくる。


「メイナだ!」


 ふさがれた地面にひび割れができたかと思えば、次の瞬間には内側から膨れ上がって爆発した。地下牢の底から、何かが飛び出してきたのだ。

 アレスタにはそれが、地下からマグマを吹き出す噴火のように見えた。

 その正体はオビリアの身体を取り込んだメイナの姿であり、燃え盛る真っ赤なスライムであった。

 灼熱の塊となったスライムが、崩落するはずだった地下牢から地上へと向かって強引に穴を掘りながら――いや、燃やして溶かしながら登ってきたのである。


「オビリア様……! ああ、なんて素敵な私たち……!」


 メイナ本人はそう言ったつもりだったろうが、それは人の言葉をなしていなかった。かろうじてオビリアの遺体がスライムの中で立ち上がっているようにも見えるが、もはや人としての原形をとどめていない。

 オビリアも、メイナも、二人は一つの塊となってうごめいている。

 歩いた――というよりった――後の地面は溶けて、シュウシュウと煙を吐いている。

 アレスタは息をのんだ。


 ――これに勝てるのか?


 もはや彼女はブラッドヴァンの魔法使いではなく、オビリアの炎魔法を受け継いだスライム状の魔獣である。マフィアの抗争などすでにどうでもよくなっているとしても、敵味方の区別なく襲い掛かる炎の怪物となっているのかもしれない。

 オビリアに対してイリアスが無力であったように。

 今のメイナに対して有効な手立てなどあるのだろうか。

 雄たけびを上げるように全身を震わせたメイナが何かを目指して動き出す。その先がオドレイヤであったのかフレッシュマンであったのか、アレスタにはとっさに判断がつかない。

 そのとき、それに先んじてブリーダルが号令を出した。


「今だ、やれ!」


 号令を聞き届けた彼の部下たちは魔道具を起動させる。

 直後、灼熱のスライムとなったメイナの塊が内側から破裂するように爆発した。彼女の魔法ではない。いくつもの破片に引きちぎられるように遠く飛び散ったのは、明らかに何らかの攻撃を受けた結果であろう。


「死体すら操るのがブラッドヴァンの恐ろしさですからね。もちろん作戦を立てた時点で対策済みですよ」


 スライムに変化する魔法を使うと分かっているメイナをおびき出すにあたって、彼らが何も策を取っていなかったわけではない。毒でさえ生き延びて地上を目指してくるという万が一の事態を考え、遺体となったオビリアの腹を裂いて爆弾を埋め込んでいたのだ。

 たった一つきりではなく、頭にも首にも、オビリアの身体のうちで燃え切らずに残っていた部位には大小いくつもの爆弾を埋め込ませていた。

 普通の爆弾ではない。自在に爆発のタイミングを合わせられる魔道具だ。

 その作戦はうまくいった。あれほど難敵に見えた灼熱のスライムは形を保っていられず爆散した。

 しかしメイナは死んでいない。オビリアの遺体に仕込まれていた爆弾に対して無警戒だったのは、爆発で分裂した程度では死なないと彼女がわかっていたからだ。

 内側からの爆発という予想外の攻撃を受けてもなお、必死に元の姿に戻ろうと、周囲に飛び散って散乱したスライムの破片たちが少しずつ動いて、一か所に集まろうとしている。

 感情を殺した冷静な声で、ブリーダルがさらに指示を飛ばす。


「あのスライムも分裂状態では無力な液体だ。それぞれを回収したのち、別々のビンに詰めておけ」


 当然、メイナを相手にするからにはスライム対策も考えていたわけである。

 メイナの変身したスライムは強力な酸や毒素を持つ危険なものではなく、ただ粘着力や弾性に優れたものでしかない。ある程度まとまって人間状態に戻れる場合であればともかく、分裂した状態では人間の姿にもなれず、ただの無力なスライムでしかないのだ。

 爆破により分裂状態になった時点で、メイナのスライムに取り込まれていたオビリアの遺体も粉々に吹き飛ばされ、彼女の残っていた魔法反応――つまり残照でしかなかった炎も、ほぼ消失してしまっていた。この状態であれば、ブリーダルの部下たちが触れても問題ないだろう。

 小さな密室――特注で用意された密閉可能なビン――に詰められていくスライムの破片たち。数個ではなく、万全を期して数十個もの小さな大量のビンに分けられては、さすがのメイナも反撃や逃走ができないらしい。酸素も魔力もほとんど通さない密閉容器。いくらスライム状態であっても、魔力なり酸素がなくなればメイナは少しずつ死んでいく。スライム状態である以上、死ぬよりも枯れていくといったほうが表現としては正しいのかもしれないが。


「あとはあれだけですな」


 おおよそ頭部くらいの大きさである最後の塊が、たった一つだけ残っていた。ぎりぎりで人型にも戻れず、言葉もなく、ただ震えている。飛び散ったスライムの破片たちが炎を失っていたのに対し、その塊だけは朱色の炎をめらめらとなびかせていた。

 これも微弱な残照。もはや物質を燃焼させる力も残っていない。

 ある意味では美しい炎のともった臙脂色えんじいろのスライム。こればかりは小さなビンではなく、大きめの特製ケースにおさめられた。その燃え盛る塊がすくわれるとき、顔もないのにスライムが泣いていたように見えたのはアレスタの気のせいだっただろうか。

 なんにせよ、あれが彼女――あるいは彼女たち――のひつぎとなる。

 残虐な行為に明け暮れたマフィアの魔法使いであったとはいえ、その最後はあまりにも無残だった。人間としての形さえ保てず、人間としての扱いさえされていない。アレスタはふと自分の手を握ったり開いたりして、益体もないことを考えた。今の彼女に治癒魔法は可能だろうか、という無意味な問いかけを。

 作業を見守っていたブリーダルがアレスタの方を見ずにささやく。


「やはりお悩みがあるようだ」


「いや、悩みというものでは……。ただ、治癒魔法が使えるということもあって、この抗争を前にして俺はどうしたらいいんだろうってことを考えていただけです。何ができるのか、ってことも含めて」


 ふ、と息を吐きだしたブリーダルは、今度は顔をアレスタに向けて苦笑する。


「治癒魔法の使い手であるあなたには申し訳ありませんが、立ちはだかる敵は徹底的に殺します。容赦なくつぶすのです。それこそが我々の当初からの方針であり、ここでは正しいやり方ですよ。法の体現者であるオドレイヤが死んでしまうまではね」


「それは、わかっています。相手がマフィアなのでは、温情を与えるというわけにもいきませんし……」


 いえいえ、と言ってブリーダルは目を細めた。


「これから先も治癒魔法使いとして活動していく以上、これに匹敵する過酷な試練、おぞましい敵、悲惨な状況は何度でもあなたに襲い掛かってくるでしょう。そのたびにあなたが何を救い、何を見殺しにするのかが、あなたを含むあなたの世界を決定づける。

 魔法使いとは、世界の法を捻じ曲げる力を持つ存在。だからこそ、逆に世界の側が己の法則を捻じ曲げられまいとして、身に余るほどの力を持った魔法使いをつぶそうとすることもあるでしょう」


 魔法使いは強力な存在であっても、決して無敵ではない。それこそ敵だらけになる。使いこなせば使いこなすほど、魔法使いは傲慢さと無縁ではいられなくなる。

 オビリアとメイナ、強大な敵である二人の魔法使いが倒されたばかりの戦場で、アレスタは己の未来にただならぬ思いを馳せるのだった。

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