31 市民革命団の斬首
防衛騎士団が壊滅した事実は無法地帯アヴェルレスにあっても驚くべき出来事ではあって、この一報に触れた者はマフィアも市民も一様に心を騒がしくした。
騎士団といっても、騎士団としての実体は既になく、とっくの昔に形骸化していた名ばかりの組織である。いざなくなったところで誰も彼らの存在など寂しがらないが、それを見せしめのように破壊したオドレイヤの行動にこそ注目が集まった。
これまで見逃していた存在にも、直々に制裁を加えるようになったというのだ。
それが一体何をもたらすのか、この街に暮らす人々には想像が及ばない。あらゆる残酷な悪夢が現実のものとはならぬことを祈りつつ、ただ恐怖するのみだ。
市民の関心が高まったからというわけでは決してないが、影響を無視することもできないと、アヴェルレスにて緊急の議会が開かれた。いつもは怠慢とつまらないパフォーマンスばかりで任期を全うする老人たちのお遊戯会である。
「これにて閉会!」
と、すんなり議会は終わる。話し合いの結果など、話し合う前から決まっているからだ。
即日で決定されたのは、壊滅した防衛騎士団の解散と、全市民に対して不用意な外出を自粛するようにとの要請である。
やはり、ほとんど意味のない宣言でしかない。
これで自分たちの仕事は終わりと、満足する議員たち。仰々しく執り行われた茶番も終わり、議場を退出しようと我先に立ち上がった彼らであったが、その動きは次の瞬間あっけなく制せられた。
「なっはっは! まだ議題が残っているのだが、ご着席を願えるかな?」
「あの、それは……」
「ん?」
有無をいわさぬ圧力を前にして、飾り物の議長は黙り込んだ。すでに周りの議員たちは内心不服であろうが律儀に座り直している。
予告なく議会に乱入したオドレイヤは議場の中心で、周囲に座っている驚いた様子の老人たちを見回し、大きく頷いてから声を張り上げた。
「本日をもって、この議会を永久に解散する! 今後この街の運営は我々ブラッドヴァンにお任せいただこう!」
明朗なるオドレイヤの声色とは裏腹に、聴衆の間では動揺が広がった。
余生の安楽椅子とも揶揄される議会は、老人たちにとってしがみつきたい特権に他ならない。それを一方的な宣言一つで奪われてしまってはたまらないのだ。
いかにオドレイヤへと有効な対案を出せるか、それを誰もが懸命に考えながら、結局は口を開けずにいる。
「なっはっは、いやもちろん無理矢理にとは言わない。ここで今から投票して決めようではないか」
民主主義的なことを提案するも、彼は温情から言っているのではない。
所詮これも彼にとっては建前でしかないのだ。
「議会の永久解散に賛成の者は拍手を。反対は……そうだな、赤票を投じてもらおうか」
問われた彼らは意思を表明するにあたって迷うまでもなかった。
一人、また一人と、間を置かずして全会一致で拍手が響き渡る。
これで議会は解散。名実共にオドレイヤが街の支配者となるのだ。
本来なら誰も賛成したがらなかったろうが、この場では反対できずとも無理はない。
赤票とは、すなわち死を意味するのだから。
議会が解散され、マフィアであるブラッドヴァンが政府機関にとって代わった事実は、彼らの広報機関によって即座に市民へと布告された。あくまでも民主的手続きに乗っ取って行われたと強調されてはいるが、もちろん街に暮らす誰一人として彼らの言葉を信じてはいない。
「いよいよ戦場のお膳立てが整ってきたか」
様々に入り混じった感情をにじませて唸ったのはピアナッツ。魔法能力に乏しいながら、オドレイヤに挑むことを覚悟した市民革命団の副リーダーである。
場所は西部地域、市民革命団が所有する本部施設に次ぐ大きさを誇る隠れ家だ。
ここでは、新しく迎え入れることになった勇敢なるメンバーを集めての決起集会がひそやかに開かれていた。
「我々は今こそ攻勢に出る。このまま座していれば、オドレイヤの支配は今より厳しいものとなろう。マフィアの作った暴力的な秩序によって、これほどまで一方的に我々の幸福が左右される暗黒時代を、どうして許容できようか」
と言えば、頼もしい返事がすぐ返ってくる。
「許容できない!」
「マフィアは消えろ!」
「我々こそ正義!」
「……うむ!」
士気の高さを受けてピアナッツは満足げだ。
はやる気持ちを抑えつつ、こぶしを握って一同を鼓舞する。
「市民革命団が敵とするのは、オドレイヤとその組織ブラッドヴァンだ。……が、ハルフルート率いる本隊が本格的な行動に出るまでの間、我々別働隊はこの西部地域において、かく乱作戦に打って出ることになった。むろん、これまではそれも不可能だったろう。しかし今の我々には十分なだけの魔道具がある。これだけの仲間がいる。そして少なからず、勝利の目が見えてきている!」
「見える見える!」
調子のいい合いの手に思わず笑いそうになったが、それを力に言葉を続ける。
「そう、見える! 具体的に勝つための道筋はこうだ。まず我々が一人残らず魔道具で武装して束になる。うろつくマフィアを取り囲む。各個撃破を繰り返す。あまりにも敵が強ければ逃げる。ただこれだけのこと!」
魔法使いでなくとも、人間は魔道具さえあれば魔法を駆使して戦える。
それを今こそ証明するのだ。
「さて、全員に魔道具は行き渡っているかな? 最低でも一つ、ものによっては二つ以上を。足りなければ、すぐにでも申し出てくれ」
尋ねてみたが、誰からも返事はない。心配になったのか、全員が確認するように自分に渡された魔道具をいじっている。元が普通の市民であるためか、ほとんどの人間が戦闘用の魔道具を初めて扱うので、不安と期待に落ち着きを無くしつつあった。
気が急いて暴発させないでくれよ、と心の中でピアナッツは苦笑する。
ただ、それでも臆病風に吹かれて動けないよりはずっといい。
「よし、準備ができたなら出撃しよう。拙速を重んじる我々だ!」
「おお!」
威勢のいい雄たけびを合図に全員が立ち上がる。
だが、そこへ水を差すように叫び声が上がった。
「待ってくれ! 泥水だ!」
「……は? 泥水だと?」
何を言われたのか理解できずピアナッツは顔をゆがめたが、騒いでいる男の口から説明されるより早く、すぐに事態を把握することになった。
彼の足元にまで、部屋の入口から泥水が流れ込んできたのだ。
しかも止まらないらしく、どんどん水かさが上がってくる。
「くそ、なんてタイミングの悪い。雨は降っていなかったはずだが、水道管でも破裂したのか?」
それにしては濁っていて、あまりに汚い泥水だが。しかし鼻を衝くような悪臭はしないので、汚水というわけでもなさそうだ。
そこまで考えて彼はピンときた。
ここは西部地区なのだ。気づかないほうがどうかしている。
「待て、もしかしてこれは……!」
彼の焦燥感は致命的に遅かった。
部屋の中央、不自然に盛り上がった泥水の中から一人の男が飛び出した。
「ジャーンジャジャーン!」
両手を広げて泥水を飛び散らせる壮年の男。
彼こそは西部マフィアのボス、その名もジャン・ジャルジャンである。
「沼術の魔法使い、ジャルジャンだ! 全員ここから逃げろ!」
この場を仕切るピアナッツは同士の全員に聞こえるように叫んだ。
下っ端の構成員ならばともかく、マフィアのボスともなれば、いくら多勢でも素人が魔道具で勝てる相手ではない。ジャン・ジャルジャンをボスとする西部マフィアはブラッドヴァンの下部組織だが、だからといって弱い相手と言い切れるものでもないのだ。
「逃がすわけなどなーい!」
場違いなほどに愉快な声で笑ったジャン・ジャルジャンは、その場で縄なしの縄跳びをするようにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
訳の分からない行動だが、逃げるなら今を置いて他にない。そう考えた彼らではあったけれど、持ち上げようとした足が動かせず、思わずつんのめって床に倒れこんだ。部分的に凝固した泥水に足をつかまれたのだ。
きっとジャン・ジャルジャンの魔法に違いない。
「なんでもいい、何か魔道具を使え!」
とっさに叫んだピアナッツ。切り抜けるにはそれしかない。いきなりの襲撃に混乱していることもあって、彼はもはや誰がどの魔道具を持っているのかも覚えておらず、部下に向かって具体的な指示を出すことはできなかった。
とはいえ、なにも革命団は彼だけが頭を持っているわけではない。
「俺のを使います! 気を付けてください!」
とある一人の青年が声を上げ、それまで大事そうに抱えていた四角い箱を泥水の中に投げ込んだ。
その箱は泥水に沈んだと同時にブォーンと激しい音を立てると、その地点を中心として、部屋全体が崩れそうなほど激しく震え始めたではないか。
これは振動発生機だ。物理的な動作ではなく、魔力によって周囲を激しく揺らす魔道具である。
彼らを足止めするように凝固していた泥が強烈な振動で粉々となって崩れ去り、どろどろの液状に戻っていく。
「でかした! 今度こそ逃げろ!」
拘束を解かれ自由になった足を前方へと動かす。ひざ丈へ迫りつつある大量の泥水の中では、もはや自由というには程遠いほど足を取られるけれど、がむしゃらになって足を動かし続けるしかない。
泥水が流れ込んだ際に開いていたらしいドアから、革命団員は一人ずつ次々と外に向かって駆け出した。
「おー、なんたることだ」
揺れる大地に足を取られて倒れこんでいたジャン・ジャルジャンは悔し気に舌打ちを漏らした。
ただし、我先に逃げ去る革命団員たちを見送る羽目になったものの、置き去りにされた彼は焦っていなかった。
むしろ余裕をにじませている。顔に跳ね返った泥水をなめながら。
「ハンティングは大好物だ」
絶対的に追う側であるからこそ言えるセリフである。
息を大きく吸い込んで、潜るように身を伏せた彼は泥水の中に溶け込んだ。もちろんこの泥水は、ただ単純に泥で濁った水というわけではない。彼の魔法によって生じている特別な泥水だ。
彼が潜り込んだ泥水は濁流となって逃げる獲物を追いかける。
瞬く間に追い付かれては一人、また一人と足元をすくわれる。すくわれれば飲み込まれる。
全身の動きを封じられ、魔道具で反撃する余裕もない。
「ええい、来るな来るな!」
たまに戦う余裕のある骨太の革命団員がいたとしても、立ち向かう彼らの決意とは裏腹に相手が悪かった。これがもし下っ端のマフィアが相手であったなら、勇ましく戦う彼らも少なくない戦果を挙げたことだろう。
ところがジャン・ジャルジャンの魔法は驚異的でさすがに強かった。
堤防の決壊した濁流のように流れ込んできた泥水から、人間大に固形化した泥の塊が飛び出してきて襲い掛かる。それは泥で作られた無数の兵士たち。魔力的な泥人形だ。
対抗する彼らも強力な打撃力を発揮する魔導鉄パイプで殴りつけるが、壊せども壊せども、次から次へと終わりなく新しい泥人形が迫りくる。しかも時間とともに一度に襲い掛かってくる量が増えていく。
多勢に無勢。戦闘訓練も十分でない彼らは、着実に一人ずつ倒されては息絶える。
あわや全滅か。
しかし幸運にも一人だけ生き延びた男がいた。
「なんということなのだ、これは……!」
別動隊の隊長を務めていたピアナッツである。
それは、彼だけが逃走に適した魔道具を所持していたおかげであった。「生ける木馬」と呼ばれる、複雑で高価な折り畳み式の魔道具だ。劣勢を見て取った彼はそれを用いて、全速力で本拠地を目指したのだ。
酷使したせいか、たどり着いたところで魔道具は壊れた。
「ええい、かまわん!」
もつれそうになる足を鼓舞しつつ、彼は本拠地の扉を雑に開け放って大声で呼びかけた。
「我々別動隊は西部マフィアのジャン・ジャルジャンに襲撃を受けた! ほとんど全滅の痛ましい大打撃だ! きっと奴らは本格的に我々をつぶすために動き出したのだ!」
危急存亡の事態を本部に伝えることこそ、生き延びた彼の使命であると信じた。
しかし内側から返事が戻ってくるより早く、すぐ背後から返答があった。
「そーだとも!」
「……なっ!」
そこに立っていたのはジャン・ジャルジャンである。
全身が泥に汚れて、ずぶ濡れ状態の彼は泥水を滴らせながらピアナッツを睨み据える。
「これまでは君たちを意図的に見逃していた私だが、よーやく腹を決めさせてもらった。この街の戦争はオドレイヤ様が勝つ! そーして私はその尻馬に乗る! そのために手土産となる戦果が必要なのだよね! 君たちの首が!」
ジャン・ジャルジャンが言うように、これまで西部マフィアは市民革命団の存在を意図的に無視していたところがある。それは市民革命団が恐れるに足りない弱小組織だと侮っていたこともあるが、実のところ、彼らが力をつけてオドレイヤを倒してくれないかと期待していた部分もあった。野心に燃えるジャン・ジャルジャンにしても、街に君臨するオドレイヤの存在は邪魔だったのだ。
ところが真なる街の支配者として動き始めたオドレイヤは、それまで静観していた西部マフィアに対して旗色を問うてきた。個人的な野心はともかく、ボスである彼は組織としての身の振り方を決断しなければならなかった。
そこで彼は迷いながらも判断をしたのだ。
裏切りかねないマフィアたち、フレッシュマンの率いるマギルマ、そして市民革命団……。オドレイヤに立ち向かう存在は数あれど、現時点ではブラッドヴァンの陣営が圧倒的に有利である、と。
だからもはやオドレイヤに敵対するものを生かしておく義理はない。
「覚悟していただけーるかな?」
逃げ場と対抗する手段を失ったピアナッツはがくがくと足が震えている。
「な、なぜ、いったいどうしてここが……」
「それはもちろん君の足跡をたどったのだーけれども?」
いくら敵に追われて焦っていたとはいえ、逃げるピアナッツもバカではないから、地面を確認してみても追跡できるような目に見える足跡はない。だが相手は魔法の泥水を駆使する沼術使いなのだ。
ジャン・ジャルジャンにとって、自分の魔法である泥水に浸ってしまったピアナッツの見えざる足跡を追うことなどたやすかった。
「終わるとしても、ただでは終わらぬ!」
ピアナッツは懐から細長いこぶし大の魔道具を取り出した。先っぽについているヒモを引き抜くと、シューシューと音を立てて震え始める。
魔力的な爆発を引き起こす手投げ弾だ。
「それを最後まで隠し持っていたことだけはほめてあげよう」
ジャン・ジャルジャンを中心に泥水があふれ出す。
今まで彼を薄い泥水の膜で覆っていたそれは、膨れ上がるように流出して正面にいるピアナッツごと手投げ弾を包み込んだ。
「最後の最後まで使わずにいた……。つまり、どうせ使っても私には意味がないとわかっていた証拠だからね」
ピアナッツは閉じ込められた泥水の塊の中で爆散した。衝撃のほとんどは打ち消され、ほんのわずかに飛び散った泥水だけがジャルジャンの顔をしかめさせた。
「さて、それでは本日のメインディッシュといこーじゃないか!」
誰にともなくそう宣言したジャン・ジャルジャンは彼の得意魔法を最大限の威力で発動した。
市民革命団の本拠地を荒れ狂う泥水が埋め尽くす。ところどころでは盛り上がった泥水の塊が、あたかも意志を持った獣のように暴れまわる。その結果、敵の襲来を察して隠れ潜んでいた革命団員たちも、根こそぎ一人残らず命を奪い取られた。
強力な魔法を駆使する魔法使いと魔法の使えぬ人間の戦いは、魔道具を用いてさえ、これほどまでに圧倒的。生死を分ける戦闘は、ほんのわずかな時間で決着がついた。
いや、ジャン・ジャルジャンに関して述べるなら、わずかな時間でつけなければならなかった。
「かは……っ! ついに枯れたのか。しかーし、なんとか間に合った!」
攻撃に防御に大活躍の泥水魔法だが、欠点のない完璧な魔法ではない。
魔力としてため込んだ泥水には限度がある。つまり魔法には量的制限があるのだ。
「ここが引き上げ時ということかーね。しばらくはじっとさせてもらおうか」
そして枯れた魔力を再び充填するには、使用した分に応じて長時間の休息を必要とする。彼が再び動き出すには時間がかかるだろう。だからこそ彼は一度の戦闘で敵を徹底的に壊滅させなければならず、功を焦っていたという側面もあるのだが、それは革命団にとって迷惑な話でしかなかったであろう。
革命団本部をつぶしたことで満足したジャン・ジャルジャンは引き上げる。
いちいち敵の顔を確認しない彼は知らなかったが、革命団のリーダーであるハルフルートはピアナッツとは別の本隊を率いて本部を離れており、このときは不在であったため難を逃れた。
そして、その本隊にこそアレスタたちは混在していたのだ。
「なんてことだ! ああ、なんということなのだ……!」
しばらくして本部に戻り、そこで革命団の壊滅を知ったハルフルートは地面に膝をついて慟哭した。
ピアナッツたち別動隊を合わせ、本部に残っていた革命団員は全滅したのだ。
リーダーとして仲間である彼らに愛着を持っていた彼の涙と怒りは止まらない。すべてを投げ出したくなる絶望だけが、ぎりぎりの瀬戸際で止まってくれている。
「俺たちがいれば、どうにかできたんだろうか……?」
防衛騎士団に引き続き、革命団への襲撃にも間に合わなかったアレスタは無力感に包まれた。彼の治癒魔法は負傷者を助けられるものの、死者を復活させることまではできない。
しばらくそうしていたが、やがて涙を拭いて立ち上がったハルフルートは振り返って宣言した。
「我々はマギルマに合流する」
「え? でも……」
「実は以前から誘われていたのだ……。もはやオドレイヤに正面から立ち向かうには、それしかない。君たちはどう思うかね? 彼らは信用に値するか?」
「それは……」
判断材料が足りないゆえに、即答を避けるアレスタ。
そこへカズハが寄ってきて、言葉を濁らせる彼の代わりに答えた。
「マギルマがオドレイヤの敵であることだけは疑いようがない。その点については誰よりも強力な味方だ」
そして彼女はこうも付け加えた。
「それに……少し相談したいことがある」
「だったら、そうだね。俺たちも合流しよう」
こうしてハルフルートをはじめとする市民革命団の残存勢力は、オドレイヤと戦うマギルマに吸収されることになった。同時に革命団に協力するアレスタたちも、マギルマに正式合流する。
戦いの情勢はオドレイヤ対マギルマのアヴェルレス解放戦争へと、たくさんの血をまき散らしながら急速に発展していった。