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治癒魔法使いアレスタ(改稿・削除予定)  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
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30 防衛騎士団の落日(下)

 ゴールである扉に手をかけ、油断した瞬間を背後から狙われたナルブレイド。彼はその薄れていく意識の中で、ただ冷静に己の死を覚悟していた。

 いや、実際のところ、否が応でも彼は死を覚悟せざるを得なかったというべきかもしれない。

 このとき彼が膝を屈した場所は、目的とした通信室へと至る扉の前。

 憎らしい若造であるナルブレイドを決して逃がすまいと、尋常ならざる鬼の形相で追いついて来た騎士Aによって、まさしく首を絞められている危機的な状況なのであった。


「死ね、死ね、死んでしまうのだ、ナルブレイド!」


 時間稼ぎもかねて何か言葉を伝えようとしたものの、首を絞められたナルブレイドは顔が歪むばかり。懸命に身をよじりつつ全力でもがくが、息ができぬほど喉がしめつけられてしまったためか、声らしい声を出すことができなかった。

 ……まずはなんとしても首の拘束を解かなければ。でなければ死んでしまう。

 こちらの命運を文字通り握っているのは、己の首に回された騎士Aの両手。それをなんとか強引に振りほどこうとして、窮地に陥ったナルブレイドは必死の思いでスリップの魔法を仕掛ける。

 だが一体どうしたことか、これがなかなかうまく決まらない。

 その場で七転八倒するように転げ回ろうとも、意地でも手を離さない騎士Aのせいである。むしろ抵抗を試みるナルブレイドへの反抗心からか、首を握った手の力が強まっていく。

 並々ならぬ執念だ。単純な殺意ではない。もはや怨念さえ感じる。

 ふと気がついたときには大切な剣も盾もすべて、大きく転んだ際の衝撃で振り落としてしまっていた。身体ごと動かなければ、手が届かない位置に転がっている。ナルブレイドが扱うスリップの魔法では人体以外の物体そのものを滑らせることはできないため、この状況ではあれをつかみ取ることは難しそうだ。

 今は武器に頼ることはできない。


「……逝ったか? すでに逝ったのかっ? ほら、今すぐ私に生死を答えるのだ。死にかけのナルブレイドよ!」


 答えの代わりとでもいうように、歯を食いしばったナルブレイドはスリップの魔法を繰り返す。

 何度も短いスパンで試みては、相手に容赦も隙も与えない。

 単純攻撃の繰り返しが効かぬようなら、今度は数発分の威力を込めた強い一撃を。

 ほぼ落ちるような速度で床を滑るようにして、自分から壁にぶつかっていく。ためらいはなく、摩擦熱を感じるほどの威力で。床を滑走する勢いは十分だ。

 壁にぶつかる直前、ナルブレイドはねじるようにして己の身体をわずかに傾ける。背中側から突撃するようにして、両手で首を絞めるため馬乗りの体勢になっていた騎士Aごと自分を壁に叩き付ける。

 ずしんとくる鈍い衝撃音。

 ろくに受け身をとれなかったらしい騎士Aは背中からぶつかり、短く息を吐き出して顔をしかめた。

 だが、ぶつかったダメージは彼が想定していたよりも小さかったようだ。


「壁にぶつけてくれるとは小癪な攻撃だなぁ、ナルブレイド! しかしこの程度ではっ!」


 行動の無意味さをあざ笑って、不思議と上機嫌な騎士Aは勝利を確信した。肩のみならず、全身を揺らして笑うほどの余裕を見せつける。

 自分が小馬鹿にされていることを理解しつつも、諦めるわけにはいかぬナルブレイドは騎士Aに対してスリップの魔法を試みた。飽きるくらい何度も何回も何遍でも、自分ごと騎士Aを壁に叩き付ける。

 ところが、さすがに首を絞め続けられていれば息も限界となってくる。

 意識が遠のいて来たナルブレイドは徐々に気力体力が奪われていく。

 そろそろ終焉が近いことは疑いようもない。魔法を使う体力も尽き始めている。

 こんなことになるならば、もっと他の対抗手段を試みるべきだったのだろうか。スリップの魔法を使うより先に、なんとか策を巡らせて、地面に落ちている剣を拾っていれば良かったのかもしれない。

 後悔先に立たずとは言うものの、やはり、何かもっとうまいやり方があったのではないかと考えずにはいられないナルブレイド。ろくに後先を考えずに突っ走りがちなのは、自身も認めるナルブレイドの悪い癖だった。

 ……と、そのときであった。


「ええい、くたばれ小悪党!」


 組み合う二人の背後から突然、誰かが叫んだのと同時である。

 それまでナルブレイドの首を絞めていた騎士Aが奇声をあげて床に倒れたのだ。

 気を失う寸前だったナルブレイドは命からがら、がはごほと咳き込みつつも立ち上がる。


「先輩、助けに来ていただけたのですか!」


 かろうじて起き上がって振り向いた視線の先に悠々と立っていたのは、いつもナルブレイドに優しく親身に接してくれる上官の騎士ケニーだった。

 わざわざ彼はナルブレイドを助けに参上したのである。


「理由はわからないが、私を足止めしていた敵の攻撃が止まったのでな。急いで助けに来たぞ。どうやら間一髪だったようだが」


 ほっと一息つく彼がナルブレイドを助けにこられたのも、今の今まで彼を足止めしていたエッゲルト・シーの攻撃、すなわち「乱れ操り刀剣」による攻撃が止まったからである。

 すなわちそれは遠回しにキルニアのおかげであったが、それを彼らが知る由はない。


「とにかくナルブレイド、雑談にかまけている暇はない。今のうちに通信室から外部へ救援を呼べ。呼んだところでもう騎士団の壊滅は避けられないだろうが、やれることはやっておくべきだ。私はここで、誰か来ないか見張っておく」


「はい、わかりました!」


 吐く息も荒く扉を開けたナルブレイドは、倒れ込むように通信室へと駆け込んだ。

 そこはそう広くない長方形の部屋で、中央には資料が山積みにされた丸テーブルが置かれており、向かって右側に魔術式の通信装置が備え付けてあった。左側には巨大な棚やケースがあって、これはおそらく雑多な資料がおさめられているのだろう。

 足を踏み入れた部屋の正面には、テーブルを挟んで防音魔法がかけられた窓が開放的に広がっている。

 そこから見える景色は殺風景だ。古びた石造りの噴水が備わった裏庭で、朽ちた色の落ち葉が散り敷かれている。さらに向こうには、人の足では越えることのできない切り立った岩壁と、それが崩れるのを防ぐ目的も含めてか、この施設全体を巨大な壁がぐるりと取り囲む。

 好奇心旺盛な子供でもなければ、初めて入った部屋だからと遊んでいる場合でもないので、迷うことなく通信装置に向かったナルブレイド。これまで一度も使った経験はなかったものの、ごく単純な仕組みで作動するよう設定された魔術式の通信装置を起動させた。

 彼が救援を求めて緊急の連絡を入れる相手は、かつて極秘裏に知り合った市民革命団である。


「こちらは襲撃されている! 救援を頼む!」


 といった内容の通信を送ったが、あちらから返事が来るのは、ずっと後だろう。

 しかしこれで、ひとまず果たすべき目標は達成した。

 人心地がついて満足感を抱きつつ、これで通信室にも用済みだろうと、ひとまず外へ出ようと扉を開けた時である。


「出てくるな、部屋の中に戻れ!」


 聞き間違いかと思ったが、そうではない。

 冷静さを保ちつつも血相を変えた上官ケニーが身を翻して、何が何やら理解できず戸惑うナルブレイドを強引に室内へと押し戻した。


「なんでもいい、とにかく誰も入れないよう、この部屋の入り口を塞ぐぞ!」


「……わ、わかりました!」


 問いただしたい気持ちもそのまま、ただ事ではない事態を察したナルブレイドは疑念を挟むでもなく彼の指示に従った。考えることを放棄したともいえるが、この場合は拙速を尊んだとしても、あながち間違いではない。それほどまでに事態は緊急を要した。

 ただちに組み上げられたテーブルや椅子を押し付けて、施錠だけではない物理的手段によって塞いだ扉から距離をとって、目をそらさぬままの後ろ歩きで、壁すれすれの窓際にまで下がる二人。

 そうやって形ばかりの退避が完了した、その直後だ。

 姿の見えぬ何者かによって全身を殴られたのではないかと思われるほどの空気振動が襲う。

 窓際に立っていた二人の腹の底まで震わせる轟音を立てて、くみ上げた即席のバリケードが入り口の扉ごと吹き飛ばされたのである。

 ナルブレイドの目の前にごとりと音を立てて落ちて来たのは、扉と一緒に吹き飛ばされた騎士Aの死体であった。扉を破壊した爆発的な暴力に巻き込まれたのか、あの一瞬で即死とわかるほど身体をズタボロにされている。流れ出る赤々とした血が遅れて生々しく床に広がり、ナルブレイドは思わず目をそらした。

 そこへ、堂々と、いかにも愉快げな、品のない笑い声が響いてくる。


「なっはっは! やはり組織のボスたる者、率先して襲撃の前線に立たねばなるまいなぁ! なんといっても逃げ惑う弱者をいたぶるのは面白い!」


 ブラッドヴァンのドンにして、最強最悪の魔法使いであるオドレイヤだ。

 こんなところで倒すべき敵の親玉と遭遇した。しかも勝ち目のないほどの難敵に。

 あまりの驚きと恐怖、あるいは強烈な敵愾心からか、相手への警戒も忘れてオドレイヤの顔を直視するナルブレイドであったが、そんな彼は隣から揺さぶられるように肩をつかまれて我に返った。


「ぼーっとして油断をするな、今すぐオドレイヤの顔から目をそらせ! ここから逃げるにしても、奴と戦うにしても気をつけろ! 許しがたい敵であることはともかく、あいつは魔法使いとしての力だけは本物だ。視線を合わせただけでさえ、あっという間に命を取られるぞ!」


「……はい!」


 頼れる先輩の忠告に気を取り直したナルブレイドはオドレイヤから視線を外したまま身構える。

 背後の窓を蹴破って施設の外へ逃げようとしても、無警戒に背を向けた時点で殺されてしまいかねない。

 ならば今は立ち向かうしかないのだ。

 一方、オドレイヤはくぐもった笑い声を上げる。


「いやぁ、なんと喜ばしい敵の姿であることか! ……そのきらめく闘志! この状況で、なおも私に闘志を向けてくるとはなぁ! よろしい! 奮い立った虫けらのために、この私からチャンスをやろう!」


「チャンスをくれるって?」


「そうとも。少しでも長く生き延びられるかもしれぬチャンスだ。私はこれから貴様ら二人を殺すまで、この右手による魔術と、そこにいる死体しか使わないでやろう」


 言いながら視線で示した先にあるのは、血だまりに伏した騎士Aの死体だ。

 その遺体へと右手の先を向けたオドレイヤが即興で考えたふざけた呪文をつぶやくと、四肢へつながれた無数の糸で引き上げられるように、不自然な動きをもって彼の死体が生気を失ったまま起き上がった。

 その両目に光はない。おそらく息を吹き返して生き返ったのではなく、彼は死体のままで等身大の人形として、オドレイヤの魔法によって操られているのだろう。

 忠実なる無言の兵士。オドレイヤの指揮する死体人形だ。


「ナルブレイド、奴の右手には触れるな。おそらくだが、何か強力な魔法を使ってくる。それから、そっちの死体人形には近づきすぎないよう注意だ。なんとか隙を作って逃げるぞ」


 そう言われてナルブレイドはふと考えた。果たして逃げる隙を作ることができるだろうか、と。

 しかし、ほぼ同時に結論を出す。

 わずかでも隙を作ることができなければ、その時は死ぬだけだ。

 ナルブレイドが決死の覚悟を決めるや否や、オドレイヤが身を屈めた。その場で前屈みになった中腰で、肘を曲げた右手を床につけている。

 次の瞬間、曲げていた右手をバネにしてオドレイヤは飛び上がった。

 あっという間にその身が天井に達すると、今度は上に伸ばした右手を天井に押し当て、肘を曲げ、再びバネのような勢いを得て、呆然と見上げるナルブレイドたちを目掛けて頭上から飛びかかってくる。

 その右手は目に見えるほどの風をまとって震えている。

 あれに当てられれば、人間の身体など粉みじんだろう。


「スリップ!」


 通常の動作では回避不能と判断したナルブレイドは即座にスリップの魔法を発動した。上官のケニーを巻き込んで二人ともども、左右別々の壁まで、急斜面を転がり落ちるように滑って移動する。

 地震めいた衝撃とともにオドレイヤが着地すると、轟音を立てて砂塵が舞い上がった。床が崩れて割れて大穴があいたのだ。直撃していれば今頃二人の命はなかったであろう。

 今なら出口から逃げられるか、いやそれはできない。唯一の出入り口には騎士Aの操られた死体がある。すれ違いざまに魔力爆発を起こされれば無事では済まない。

 着地の際に加減を誤ったらしいオドレイヤの姿は穴の下。つまり階下だ。

 ならば逃げ出す方向は一つ。


「窓を蹴破れ!」


 ナルブレイドは彼の指示を聞き届けるより早く行動に移っていた。はめ込み式の頑丈な窓は開けるのも簡単ではないが、近場にあった適当な鈍器を投げつけて窓をぶち破る。窓枠に残った破片は靴で蹴飛ばせばいい。幸いにもここは三階でそう高くもなく、窓際まで伸びていた枯れ木の枝に足場を求めながら、彼らは荒れ果てた庭へ向かって飛び降りた。

 オドレイヤは二階、死体人形は三階。ならば追いつかれる前に敷地外へ走って逃げれば助かる。

 そう思って一歩を踏み出したナルブレイド。


「伏せろ!」


 その声がなければ即死だった。

 転がるようにして地に伏せたナルブレイドの頭上を大量のがれきが通り過ぎる。

 オドレイヤが二階の壁を内側から右手の力のみで破壊して、大小無数の破片を二人へ向かって飛ばしてきたのだ。


「スリップでこのまま行きます!」


 あまり格好はつかないが、身を低くして伏せた状態のままであっても、スリップの魔法ならば高速で移動できる。

 魔力が続く限りにおいて、自分の足で走るより速いくらいだ。


「行かせはせんよ!」


 対するオドレイヤは崩れた二階の壁からためらいもなく飛び降りて、やはり右手で着地すると、それをバネにして高く飛び上がった。飛び乗る先は枯れ木。その枝の一つに力を込めて右手で折り取ると、それは即席の手投げ槍となった。


「おびただしき槍の軍勢よ、逃げ惑う獲物を刺し貫け!」


 その一本を投げ放つと、何本もの枝が同じように槍と化して、続けざまに自動で射出される。まるで意志を持った蜂の大群のように逃亡者へと襲いかかる。

 狙うはスリップで逃げる二人。

 魔法の才能に天地ほどの差がある故に、オドレイヤの投擲した槍は二人の身体に深々と突き刺さる。貫いて地面に縫い付けられる。

 だが致命傷は外した。

 上官のケニーが身を挺して振るった剣で防いだのも功を奏しただろうし、そもそもオドレイヤはいたぶるのが大好きなので、味気なくたった一撃で殺すのを意図的に避けたのもあるだろう。

 幸いにも一命を取り留めたとはいえ、肝心の足を止められた。この窮地から無事脱するにはどうするか。真正面から立ち向かうより、まずは槍と化した枝をすべて引き抜いて、再び外を目指すしかない。

 だから彼らはそうしたが、それを成し遂げる頃にはオドレイヤが次の一手を打っていた。

 今度は騎士Aの死体を投げつけてきたのだ。


「ナルブレイド、お前だけでも逃げろ!」


「しかし!」


 ナルブレイドはスリップの魔法を使おうとしたが失敗した。失血がひどい。痛みで意識も飛びそうだ。先ほどから魔法を使い続けているので、魔力切れもある。

 剣を杖に支えとして立ち上がったケニーはナルブレイドをかばうように構える。


「先輩!」


 オドレイヤの魔法で操られる死体人形は投げられた後で地面に着地すると、速度を落とすことなく走り出す。二人のそばで魔力爆発を起こすつもりなのだ。にやにやと笑っているオドレイヤは最後の余興を楽しんでいると見える。

 そうはさせるものかと、ケニーはタイミングと彼我の距離を見計らって剣を横になぐ。狙うは敵の下半身、足である。切断するにはいたらなかったが、鋭く入った切れ込みが死体人形の動きを制した。

 畳み掛けて剣を振り下ろす。

 首を切断した。

 だが、その瞬間、首を失った死体から強烈な光が放たれる。魔力爆発だ。

 至近距離から激しい爆発に見舞われたケニーは全身が燃え上がりながら吹き飛ばされて事切れた。断末魔を上げる暇さえなかった。

 ナルブレイドも余波に巻き込まれたが、爆発からの距離があったおかげで致命傷は免れる。しかし精神的ダメージは甚大だ。頼りになる先輩を目の前で失ったのだから無理もない。

 こんなにもあっけなく人が死んでしまうのだ。

 強力な魔法、才能ある魔法使いは、いとも簡単に人の運命を左右してのける。だからこそ帝国は高度魔法の普及に慎重であったし、世界には反魔法連盟の思想が広まっているのだ。


「抵抗もここまでかね?」


 気がつくとオドレイヤがそばにいた。戦意が喪失してうずくまった状態でいるナルブレイドの体を右手一つで持ち上げると、ぐるんと回して勢いをつけ、壁に向かって投げつけた。衝撃に外壁はひび割れる。ナルブレイドの体も無事ではすまない。打撲、骨折、裂傷その他、意識を失うには十分過ぎるダメージを与えられたので、もはや彼は逃げ出すことさえ諦めるしかなかった。

 オドレイヤは落ちていた枝の一本をすかさず右手に取ると、重力に引かれて落下し始めたナルブレイドへ向かって投げつける。魔力によって強化された枝は石壁をも貫き、落下途中のナルブレイドを縫い付けた。


「ふん、所詮この程度か。あとは鳥のえさにでもなるがいい」


 あまりにも一方的なまま決着がついて、つまらない対決の結果に興がそがれたオドレイヤは二人に背を向けて歩き出した。彼は広い意味での強敵には関心を示すが、立ち向かうことをあきらめた雑魚とわかると途端に興味を失ってしまうのだ。

 充満する血のにおいに引き寄せられてきたのか、上空には巨大な鳥が地上の様子をうかがいながら旋回している。やがて我先にと降りてきて、死者のデザートをついばんでしまうのだろう。







 壁に貼り付けにされた彼に幸運があったとすれば、とどめを刺されなかったことである。

 そして救援を求めた先に治癒魔法使いのアレスタがいて、他でもない彼が真っ先に駆けつけたことであろう。

 すでにオドレイヤは姿を消した後だったが、鉢合わせしなかったのはアレスタたちにとっても幸運に他ならない。いくらイリアスとアレスタのコンビであっても、無策では勝ち目がない相手だ。


「なんてひどい……」


 アレスタはナルブレイドを引き下ろすと、テレシィを呼び出して治癒魔法をかけた。見るも無惨な重体だったが、治癒魔法の効果は絶大だ。たまりにたまった疲労の影響か、身体の傷が完治しても目を覚まさないものの、これもしばらくすれば大丈夫だろう。


「アレスタ、どうやら大変なのは彼だけじゃないみたいだけど、どうする?」


「イリアスが彼らを見捨ててもいいと言うなら、俺だって魔力やら体力を理由にここを立ち去ったっていい。でもイリアスは傷ついた人々を見逃すことなんてできないし、そんな君に憧れる俺だって彼らを本気で助けたいと思えてくるんだ」


 イリアスは彼をねぎらうように肩をたたいて微笑んだ。


「それはアレスタがもともとそうだからだよ」


「うん、だったらなおさら頑張らなきゃ。イリアスの期待を裏切るわけにはいかない」


 他にも傷つきながら生き残った騎士団員の姿はあった。

 ナルブレイドと同じように深手を負っている者も一人二人ではなく大勢いたので、彼らを助けると決めたアレスタは忙しかった。

 そうして襲撃を奇跡的に生き延びた騎士団員たちは、その多くが市民革命団やマギルマに合流することとなる。彼らは個人として優れている訳ではないが、団結して戦えば、いずれブラッドヴァンとも対抗できる戦力になる可能性はある。


「でも、そんなにうまくいくかどうか……」


 つぶやきながらカズハは羽飾りを取り出した。ひと時でも穏やかな日々を夢想したくなって、思い出に浸るように、チークと交換した羽飾りを目の前にかざしたのだ。すると、どういうわけか強い風に吹かれたように羽先が揺れている。

 しかし今は風が吹いていない。ならばなぜ揺れているのか。

 羽飾りに使われている地獄鳥は一般的な鳥類とは異なり、大気の流れによって生じる風や浮力ではなく、ある種の魔力の流れに乗って飛ぶ。ゆえに魔力の流れに反応しているのだ。もちろん、これほどまで極端に反応することなど、今まで見たことも聞いたこともない彼女だったが。

 アヴェルレスのよどんだ空気のせいで感覚が鈍ってしまう人間にはわからないが、この異世界の街には独特の魔力の循環が発生しているのであった。

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