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治癒魔法使いアレスタ(改稿・削除予定)  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
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29 防衛騎士団の落日(中)

 外部の人間に助けを求めるべく通信室を目指したナルブレイドが、エッゲルト・シーの魔法である「乱れ操り刀剣」に襲われていたそのころ、彼とは正反対の方向を目指したキルニアは無事に会議室を離れることができた。

 振り返ることなく駆け抜ける彼は勢いそのまま、たった一人で防衛騎士団本部の出口を目指して走っていた。

 事前に襲撃を察知できなかった彼らにとって、完全なる不意打ちであり、同時に正体不明の攻撃でもあった恐るべき「乱れ操り刀剣」の魔法。その脅威からひとまず難を逃れたキルニアといえば、このまま誰にも狙われることなく安全に屋外へ出ることを目指している。

 つまり防衛騎士団からの脱出だ。

 ……というか、それ以外には何も考えていない。より正確には、他のことなど考える余裕がないと言った方がいいかもしれないが。

 現実問題として、これほど一方的に襲撃されてしまっては、防衛騎士団側の勝利は絶望的である。あえて比べるまでもなく彼我の差は歴然であり、正面切って戦おうとする限り、絶対に生き残れるわけがない。

 なので彼はここから迅速に逃げ出すことだけを第一目標に考えているのだ。

 このまま負けるにしても、いい負け方と悪い負け方がある。勝てるわけもない戦いに意味もなく挑んで死ぬのは、おおよそ最悪の負け方だ。

 使者に過ぎないキルニアにとって、ここで襲撃に巻き込まれて死んでしまうのは、どう考えたところで無駄死にである。彼が所属しているマギルマのためならばともかく、マフィアの操り人形とも揶揄される防衛騎士団とともに奮戦して死んでしまうのは、あまりにも無益でバカバカしい。

 実態はさておき、書類の上では少なくとも百人以上の人間が所属しているらしい騎士団員。そんな彼らの常駐する本拠地であり、騎士団員が寝起きする住居としての機能もかねている本部施設は無駄に巨大である。たくさんの騎士たちが仕事もせず引きこもっているだけの施設であり、取り立てて戦略的な価値もないくせに広さだけはあるので、初めての来訪者には複雑怪奇な迷路にも思えてくる。

 もはや半迷宮と呼んでも差し支えないような通路の果てに設置されている最奥の会議室からでは、出口まで行くのにも一苦労だ。

 それでも道は道、前後不覚な闇夜に包まれた深い森の中でもないのだから、まっすぐに進んでいればいつかは必ずゴールが見えるはず。ところどころの壁にかけられた簡易な案内板が、現在位置との関係でそのことを裏付けてもくれている。

 しかし彼は逃亡の道半ばにして、その足を止めずにはいられなかった。

 焦る心とは裏腹に、強引にも止めさせられたのだ。


「あら、ごきげんよう。……あなた、マギルマの人間ね? うんうん、そうそう、間違いないわ。かろうじて見覚えがある!」


 出口につながる通路にて、ふてぶてしく壁に寄りかかって、逃げる彼を待ち構えていたのは、スライム女として悪名高いブラッドヴァンのメイナである。さては他にも敵がいるのかと思えば、目に見える範囲では彼女が一人いるだけだ。

 だが、たった一人であっても相手はマフィアの幹部。立ちふさがってくるならば、キルニアにとって無視できない敵だ。

 走るのに一生懸命だったせいもあり、まったく身構えていなかったキルニアは思わずつんのめった。足がもつれそうになるのを懸命にこらえて、不格好に急停止せざるを得ない。隙だらけの危険な状況だ。

 ところが彼女は反応らしい反応は鼻で笑った程度で、不意打ちの攻撃によって彼を痛めつけることもしなかった。不用心に飛び出してきた獲物を前に舌なめずりしている余裕の態度だが、好戦的なマフィアの人間にしては珍しく、出会い頭に問答無用で襲いかかってくるわけでもないらしい。

 ひょっとすると彼女には、ただ「敵を殺す」という以外の冴えた考えがあるのかもしれない。

 万が一にも、ここで彼女と戦わずに済む展開もありえるだろうか。すなわち、相手と話が通じるかもしれない可能性を期待して、こちらには戦意がないことを示すように両方の手のひらを広げたキルニア。

 あまり卑屈になりすぎないよう気をつけながら、訝しみつつも、相手の出方を伺うように問いかける。


「マギルマの人間か、だって? もしも俺が”違う”と言ったら?」


「言った瞬間に遠慮なく殺すわ。だって、マギルマの人間でなければ生かしておく価値がないもの」


 淡々とした感情の感じられない口ぶりから察するに、彼女はどうやら防衛騎士団に所属する人間を皆殺しにするつもりらしい。

 おぞましさと恐怖によって己の背筋を冷やしたキルニアはしかし、あえて感情的には反応せず、アホを自認する彼なりの範囲で冷静に考えることにして、やれやれといった感じに小さく溜息を漏らす。

 もちろんそれは余裕を見せるための演技だ。

 本心のところでは、彼は緊張によって胃を締め上げられている。


「……マギルマさ。マギルマの一員だよ、俺は。ここの人間じゃない。今日はフレッシュマンの使いとして、一時的に防衛騎士団を訪れているだけだぜ。……なぁ、おそらく襲撃の目的は防衛騎士団だろ? ブラッドヴァンとマギルマは水と油のように反発して憎しみ合う敵とはいえ、下っ端に過ぎない俺は弱いし、あえて殺すほどの価値もないのだし、今回ばかりはこうして廊下ですれ違っただけだ。あんたに優しさと余裕があるなら、ここは見逃してくれねぇか?」


「ふぅん? そうしてあげたいのもやまやまだけれど、残念なことが一つあるわ。あいにくオドレイヤ様が来ているのよね」


「へぇ、あのオドレイヤが。こんな街の外れまで、わざわざ足を運んできたってか。そいつは俺にとってみりゃ、まず間違いなく不幸な真実だぜ。あいつは好戦的で、敵の生き残りを許さないからなぁ……。俺みたいな無力のアホウが相手でも、な?」


「そういうこと。私もね、オドレイヤ様に怒られちゃうのはたまんないのよ。なんたって、下手をすれば処刑だもの。だからね、たとえ雑魚とはいえ、取るに足らない下っ端の人間とはいえ、意味もなくあなたを見逃すわけにもいかないわ」


 そう言うとメイナは実に偉そうな態度で腰に手を当てて、家畜か奴隷を見るような冷たい目をしてキルニアへと挑発的に微笑みかけた。

 するとそれが無言ながらも合図になったのか、あたかも従順な機械仕掛けの兵士であるかのようにして、彼女の背後からゾロゾロと四つの人影が歩き出てくる。

 その統制のとれた動きから察するに、敵の手駒か。


「な、お前らは!」


 そう叫んでキルニアが驚くのも無理はない。

 なんと敵として彼の目の前に現れたのは、どうやら無慈悲に殺されたらしいキルニアの部下たちだったのである。つい先ほどまで生きていた彼らも、今では感情なく動く死体だ。きっとオドレイヤの魔法によって、傷一つなく”奇麗に殺された”死後の身体を操られているのだろう。

 オドレイヤが操る死体は動く爆弾にもなる危険な存在だ。あれに捕まってしまえば一巻の終わりである。

 たとえば、もしここで足止めする敵がスライムに変身する能力しかないメイナだけだったなら、逃げるしか能のないキルニアにも何とかなったかもしれない。けれど、すでに状況は五対一の劣勢である。戦うと見せかけて逃げの一手で突破するとか、そういうわけにもいかないようだ。


 ――しかし、ここで戦うといっても、どうやって?


 一歩ずつ後ずさりながら対策を考えるキルニア。しかし自他ともに認めるアホウな彼に名案が出てくる気配は一向になかった。逃げるにしたって、出口への道は敵が塞いでいる。体の向きを変えて反対側へ走ったところで出口は遠くなるだけだし、最悪あのエッゲルトに再び狙われることにもなりかねない。

 あっけなく万事休すである。


 ――あきらめるしかない、か。


 そうやってあっさりと自分の死を覚悟したところで、もちろん無意識ではあるのだろうが、キルニアの頭の中で過去の回想が始まった。人はそれを「走馬灯が走る」というのだが、意外にも彼はそのことを楽しんだ。敵を目前にして死にかけているくせに、のんきなものである。

 それもこれもすべて、この危機的状況で思い出す出来事が、追い込まれている彼にとって他の何よりも大切なナツミとの記憶であったからであろう。

 彼は現実逃避してしまうくらいに深く甘く熱っぽく、あたかも思春期の少年のように一途に彼女に惚れているのだ。目の前に差し迫った死さえ忘れて、のんびりと思い出に浸れるくらいには。

 これは……そう、それほど遠くはない昔のことだ。

 かつてマギルマで、魔道具を使った戦闘訓練をしていたときのこと。周囲の状況に流されるままマギルマに参加したキルニアは当時、新入りであった彼を厳しく指導していたナツミを不注意による魔道具の暴発で殺しかけて、危うく逆に殺されかねないほど激怒させたことがある。

 そんなことがあって以来というもの、嘘かまことか、「敵よりも仲間を傷つけかねない」という不名誉な理由によって、周囲に低く評価されたキルニアは魔道具を持たせてもらえないでいた。

 それはもちろん、未熟な彼が魔法を暴発させかねないからだ。

 それどころか普通の武器でさえ所持を禁じられている徹底ぶりである。

 つまるところキルニアという人間は、人手を欲しているマギルマにあってさえ、純粋な戦力としては期待されていないというわけだ。

 そんなこともあって、活躍を期待されていない彼は退屈な見張り番やら雑務やら、あるいは重要度の低い偵察や交渉、それから陽動といった、どちらかといえばメインではない作戦に携わることが多かった。たまに与えられる数少ない重要任務はといえば、人型の動く避雷針としての働き……すなわち、前線に赴くナツミに同行して悪運を一手に引き受ける役割である。

 早い話が戦場で盾になれということであった。


「あんたはとにかく生き延びることにかけては才能あるみたいだから、その特技をのばしなさいな」


「ナツミさんの身代わりに死ぬっていうのが、俺に期待されている唯一の役割じゃあ……?」


「バカねぇ。なにかと死に急ぐ人間っていうものは、結局は周りの人間を巻き込んじゃうものなのよ。向こう見ずな蛮勇って、大抵は失敗して自分以外の誰かに尻拭いを求めるものだから。アホに特有な常識にとらわれない柔軟な思考で、あの手この手を駆使しても生き残ること。そういうしぶとさが、結果的に仲間を救うこともあるんじゃない? 隣で死なれると寝覚め悪いし」


「おお……感動しちゃうぜ」


「こんな安っぽい言葉くらいで涙ぐまないで。けど、単純なのも嫌いじゃないわ」


 そう言ってナツミは笑ったものだ。

 半分以上はあきれていただけかもしれないが、ちょっとくらいは本当に”嫌いじゃなかった”のかもしれない。ちゃんと仲間の一人に数えられていたのかもしれない。

 だからキルニアは、彼女の言葉を改めて噛み締めた。

 ……なんとしてでも生き残ること。

 交渉が通じる相手ではない。

 戦って勝てる相手でもない。

 ならば、ここは逃げ延びるしかないではないか。

 選択肢など……そもそも他に必要はない。


「う、ぐああああ……」


 うなりながら前屈みになった彼は、だらりと下げた両手を床に着けた。そして獣のように四つん這いの姿になった彼は、うなり声から続けざまに力強い雄叫びを発する。

 理性なき野生の獣のように、雄々しく目の前のメイナへ威嚇するように。


「あああああっ!」


 これはキルニアが扱える唯一無二の魔法、己の身体能力を野性的に向上させる”獣化”である。

 思考能力が著しく低下するという欠点もある。ただでさえアホのキルニアにとっては致命的だ。

 しかし、「命がけで逃げる」という、たった一つの単純明快な目的のためなら。

 この土壇場で、もはや小賢しい程度の知性は必要でない。

 少なくとも、本能で生きがちな彼にとっては。


「逃がしゃーしないってね!」


 ただならぬキルニアの変貌ぶりを見た瞬間に何かを察して宣言するや否や、即座にお得意の魔法でスライム状態に変身したメイナ。

 そして巨大なスライムの塊から、腕のように長い触手を伸ばす。

 粘着性の強いスライムの触手、それは飛び回る獲物を捕食するかのように長く伸びる腕だ。

 これに野性的な直感のみで対応するキルニア。回避しようとして狭い通路を縦横無尽に跳躍するが、それを追うメイナは実戦経験も豊富で魔法使いとしても一枚も二枚も上手である。あいにく二人が相対する戦場も彼にとって不利な逃げ場の少ない狭い廊下であった。

 彼は彼なりに死力を尽くしたであろうが、健闘むなしく最後にはメイナの”手”に捕まった。

 いくら魔法で獣化して身体能力が強化されているとはいえ、ブラッドヴァンの優秀な魔法使いであるメイナに勝てるほど彼の動きは俊敏にはなれなかった。

 とはいえ捕まった彼も彼で、最後のあがきを忘れない。ひっくり返されたまま、束縛からの脱出を狙って手足をばたつかせて暴れるが、びっちり粘り着いたスライムは彼の身体を逃さない。

 もともと豊富でない魔力も尽き始めたのか、ゆっくりとキルニアの獣化が解けていく。

 ところがこのとき、少しずつキルニアに理性が戻ってくるのに合わせて、どたどたと慌ただしい幾人かの足音が二人のもとへ響いてきた。


「よくわからんが、そこにいるネバネバの怪物は敵か! それに捕まっているのは、つまり敵の敵に違いない! おそらく味方だ、助けるぞ!」


 その勇ましい声を耳にして、動きを封じられているキルニアは安堵した。

 どうやら彼らは騒ぎを聞きつけて駆けつけた騎士団員のようだ。

 すると直後、ちょうどタイミングをよくして、スライムに捕まっている拘束状態のキルニアを挟んだ通路の反対側からも同様に、これまた数人の騎士たちが駆けつけてくる。

 偶然にも、前後からの挟撃が可能な位置関係だ。


「あらあら、残念ね」


 まさか素直に負けを認めるわけでもないだろうが、少なくない援軍の存在を確認したメイナはスライム状態から魔法を解いて人間の姿に戻った。言葉ほどには残念がっていない表情が彼女の余裕を感じさせる。

 しかし、彼女はスライムから人間の姿に戻っても、キルニアの拘束は解かなかった。

 きっちりと背後からキルニアを羽交い締めにしたまま、身体の自由を奪った彼をずるずると引きずるようにして廊下の壁際に下がる。そして耳元でつぶやくのだ。


「あなたには価値がある。ここに来るときに遭遇した、入り口に立っていた四人の見張り……あなたの部下としてついて来たマギルマの人間は、本物の下っ端。けれどあなたは、マギルマでも信頼された下っ端。だから生かしておかないこともないわ」


「だったら今すぐにでも解放してもらいたいんだが……」


「彼らの頑張り次第によっては、ね」


 思わせぶりに微笑むメイナ。熱っぽい吐息がキルニアの首筋をくすぐる。

 何を考えているのかわからない彼女の思惑などキルニアには想像することもできないが、それでも彼女の遊んでいるかのように聞こえる挑戦的な口ぶりから、どうやら自分は必ずしも殺されてしまうわけではないらしいと彼は考えた。

 それに、こうして拘束されてはいるものの、援軍として駆けつけた彼らを足止めするための人質というわけでもないらしい。


「こっちはいい! そいつらを倒してくれ!」


 キルニアは羽交い締めにされている自分のことは無視するようにと、隊長不在で指示待ち状態となっていた騎士団員たちに言葉を飛ばした。

 どこか遠くの場所から、オドレイヤが操っているであろう死体人形は四体。

 対する防衛騎士団の援軍は、隊長クラスではないが十人を超えている。

 実戦経験の少なさから練度は低い彼らだが、手に手に槍を装備した騎士団は一概に雑魚と言い切ってしまえるほど弱くはない。

 死体人形の魔力的爆発によって多少の犠牲者は出たが、それでも死者が三名、負傷者が五名と、最悪の予想よりは遥かにすばらしい結果に終わった。オドレイヤに歯向かえば全滅するのが当たり前のご時世にあって、この戦果は上々である。

 ……あるいは、ただ単に、魔法で死体人形を操っているオドレイヤが本気を出していなかっただけかもしれない。しかしそれは敵側の事情、あるいは慢心だ。少なくとも、こちらにとって勝ちは勝ちである。それこそ、かけがえのない価値がある勝利なのだ。

 当然、こちらが勝つとき、あちらが負けている。

 それもただの負けではない。格下の相手と戦っての負けである。

 ところが、むしろメイナは晴れ晴れとした嬉しそうな表情を浮かべていた。

 そしてこんなことを言うのだ。


「私を見張っていたオドレイヤの死体人形がなくなったみたいね、やればできるじゃない。さーて、と。だったらもう、こんな茶番はやめやめ!」


 ガチガチに羽交い締めにされていたキルニアはここで、手駒を倒されたにもかかわらず不自然に上機嫌なメイナによって、突き飛ばされるように解放される。


「ブラッドヴァンを仕切るオドレイヤは魔法で操っている死体人形を通して、離れた場所の情報を見聞きすることができるの。だから今までは、この場所もオドレイヤの監視下にあった。どちらかといえば私はブラッドヴァンの中でも自由を許されている方だけれど、それでもねぇ……。けど今はあなたたちのがんばりによって、邪魔でしかなかった監視の目がなくなったのよ」


「監視の目が邪魔でしかないって……。えーと、お前はオドレイヤの部下じゃないのか?」


 あっけにとられたキルニアが問いかけると、ゆっくりと目を細めたメイナは思わせぶりに微笑んだ。ころころと楽しそうに笑いかけて、それをこらえて、くるくると踊るように壁際を離れて歩くと、目を閉じて噛み締めるように心の愉快さを表現する。

 それからややあって、うっすら開いた目をキルニアに向けて、ある程度は腹を割ることにしたらしい彼女は一転して落ち着いた声でこう語る。


「実のところ私、あなたたちマギルマには、徹底してブラッドヴァンと戦ってほしいの。これでもかと徹底的にあらがってもらって、少しでもいいからオドレイヤを弱らせてほしいのよ」


「面白い話だなぁ。……でも、なぜだ?」


「なぜって? それはもちろん、ブラッドヴァンなんていう悪趣味で低俗な組織を壊せるだけ壊して、私が個人的に敬愛するオビリア様をアヴェルレスの次なる支配者にしちゃうためよ。オドレイヤなんて老害は大嫌いだし、あいつは野蛮なだけで、私とオビリア様の理想郷には邪魔だもの。個人的にはさっさと死んでほしい」


「なんというか、それは実にマフィアらしい話だな。最強の組織といえど、必ずしも一枚岩とは限らないってことか」


「あまりにも圧倒的過ぎちゃって、興味や関心が内側に向きがちなのよ。つまり、ブラッドヴァンにおけるトップの座の奪い合い。……けれど、やっぱりオドレイヤが強すぎて、ブラッドヴァンの人間でさえ手が出せない。……直接的には、ね」


「ふーん、そこで俺たちの出番と。あわよくばオドレイヤが死んでくれれば、と。組織内におけるトップ争いっつうことは、結局のところマフィアの内乱か。どうせなら身内でつぶし合って、そのまま自壊してくんねぇかな」


「それはそれで私も構わないわ。そんなにうまくいけばね。……まぁ、悪女らしくと言っちゃっていいものか、圧倒的な悪に憧れるオビリア様は、あろうことか本心からオドレイヤを慕っているみたいだけど。あれが理想的なボスだなんて、オビリア様ってば本当に歪んでるわ。そこが素敵なんだけど……趣味は悪いわよね。こうやって心の底からオビリア様のことだけを慕っている私の気も知らないで、ブラッドヴァンの幹部だなんて役職を喜んでやっているものね」


 だがこのとき、本気を出さぬままに戦闘を切り上げたメイナとキルニアのやり取りは、とある人物の特殊な遠視能力によって目撃されていた。

 姿なき目撃者とは、乱れ操り刀剣のエッゲルトである。

 当然といえば当然の結果だが、マフィアの敵であるキルニアを相手にしておきながら遊んでいるようにも見えるメイナの言動を怪しんだエッゲルトは、その浅はかな頭で瞬間的に一つの結論を導きだした。

 敵であるキルニアを見逃すそぶりを見せていた彼女。その不審な姿を遠視能力で見届けたエッゲルトは、彼女をブラッドヴァンの裏切り者であると決めつけたのである。

 そう考えるに至った彼は具体的な行動に出るのも速い。

 なんとか自分自身の力で手柄を立てたいという、つまるところオドレイヤに成果を認められて出世をしたいという一心で、独断的かつ短絡的に裏切り者と決めつけたメイナに対して、予告なく魔法による奇襲をかけることにしたのだ。裏切りに関する事実や証拠など、彼女を殺してしまってからでっち上げればいいと楽天的に考えてのことである。

 どうやら見逃してもらえるようだとすっかり油断していたキルニアの目の前で、唐突にメイナを取り囲むように六本の剣が出現した。直後、一切の逃げ場なく六方向から一斉に彼女を貫く。

 しかし彼女は咄嗟にスライムへと変身してこれを回避した。

 変身魔法によってスライム状態になった彼女に対しては、切断や打撃といった普通の物理攻撃はその大部分が無効化されるのである。

 最初の一撃をしのいだことを確認すると、彼女は魔法を解いて人間の姿に戻る。


「何かと思えばエッゲルトの魔法か……まったく。今の攻撃は絶対に私を狙ったわね、あいつ。いったい何を考えているのやら、うぬぼれやがっちゃって……気に食わない! たかだか下部マフィアのボスごときが、街の支配者であるブラッドヴァンの人間に手を出しちゃうって、とっても非常識よね!」


 上下関係をわきまえない無礼な急襲を受けたメイナは悔しさと腹立たしさに歯ぎしりし、虚空を睨みつけるようにしてエッゲルトへの激怒を隠さない。

 にじみ出て来た殺意の影響からか、自然と言葉は荒くなる。


「つまり仕返しに殺されちゃったっていいってこと! あのクズ! この私が何の策もなく一人で乗り込んだとでも思っているのかしら。だとしたら笑っちゃう!」


 無法地帯ともいえるアヴェルレスに暮らしているマフィアたちは、誰しも自分の護身にだけは熱心だ。そうしなければ不意をつかれて死んでしまいかねないからであるが、とかく普段から目立ちがちな組織の上に立つ人間であればあるほど、もしものときに備えて身を守るための手を打っていることが多い。

 もちろんオドレ三女神とも呼ばれるメイナもその一人だ。

 彼女の部下は、特殊な粘着弾を操るブラッドヴァン所属の少女部隊。

 こうなることを正確に見通していたわけではないが、襲撃のずっと前から物陰に隠れてエッゲルトを見張っていた少女部隊に対して、すっかり怒り心頭のメイナが連絡用の魔道具を通して命じる。

 攻撃の合図だ。

 すると間もなく、メイナの部下である彼女たちがエッゲルトに向かっておびただしい粘着弾を浴びせかけたらしく、一時的ではあるが、彼を行動不能にした。

 ふーっとため息をこぼしたメイナはそれで気が済んだのか、少しだけ表情を緩めると、びっくりして腰が引けているキルニアに顔を向ける。


「おとなしく今すぐに出て行くのなら……そうね、ここは見逃してあげる」


「ここにいる全員を、か?」


「……ええ、あなたたち全員を逃がしてあげるの。特別にね。そしてあなたのボスに伝えなさい。徹底的に戦って戦って、最後には刺し合う形でオドレイヤと心中するようにって。そうしたら私の敵は両方とも勝手につぶし合って、消えてくれるもの」


「伝えてはおくさ。伝えた結果として、その通りに実行するかどうかはともかく」


「なら。……結果が楽しみね」


 そう言い残したメイナは優雅に歩き去った。

 彼女を呼び止めるでもなく無言のままその場に残されたキルニアは、同じく置き去りにされる形で残された防衛騎士団の団員たちを見渡す。

 この状況下において、襲撃者に対して無意味に戦いを挑んで全滅するよりは、たとえ少人数でも、生き残った彼らを無事にマギルマまで連れ帰った方がいいだろう。どのみち今の戦力では頼りなく、いかような作戦を立てたところで最強最悪の魔法使いであるオドレイヤを倒せるわけがない。


「さてと、これからの運命を選んでもらおうか」


 おどおどと顔色をうかがうような騎士団員たちの反応を一応は待って、しかし場の空気を読まない性質のキルニアはあっけらかんといった口調で続ける。


「今ここで、ブラッドヴァンに襲撃されている防衛騎士団とともに意味もなく命を散らすか、あるいはここから逃げ出し、今後はマギルマの一員として打倒マフィアのため命を捧げるか……。あんたらが俺みたいにアホウでもなければ、考えるまでもなく即答できると思うがね」


 今度は騎士団員の反応を待つまでもなく、キルニアはなんでもないことのように言ってのける。


「なんたって、うなずくだけだ。ここを抜け出して、俺についてくるってな」


 無視できない程度のためらいはあったが、最終的な結論として、キルニアに誘われた彼らは全員がマギルマに参加することを決意して、オドレイヤとエッゲルトの襲撃に沈み行く防衛騎士団の本部を抜け出すことにしたのだった。

 それを戦果と言い切ってしまうには、まだまだアヴェルレスの情勢が先行き不透明ではあったけれど。

 お、お久しぶりです。実に四年ぶりの更新ですが、さすがに章の途中で更新を停止したままでいるのはどうかと思ったので、ひとまず第三章については完結させたいと思います。

 当時のプロットを元にしてはおりますが、色々あって執筆するのも数年ぶりということもあり、すでに投稿済みの部分と矛盾する点や違和感の発生しているところがあるかもしれませんが、お気づきの点などがありましたら感想欄などでお知らせください。

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