表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
治癒魔法使いアレスタ(改稿・削除予定)  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
63/77

28 防衛騎士団の落日(上)

 ユーゲニア防衛騎士団の本部施設はアヴェルレス東部の果てにあり、わびしく色あせたように少し寂れていて、住宅街のような人口密集地からは十二分に離れている。

 仮にも防衛騎士団の本部とあって、街を牛耳っているマフィアのものとは比べ物にならないが、かろうじて要塞と呼べるような堅牢な造りをしている施設だ。しかし、それがいくら立派な面構えをしていようと、この異次元世界ユーゲニアを外敵から防衛するという建前のために存在するに過ぎなかった。

 ほとんどすべての防衛騎士団員は生まれてこのかた訓練ばかりで実戦経験がなく、ひな鳥のような彼らが住まう本拠地は、ただの一度として攻防戦の主戦場になったことはない。

 それでも本部基地として機能的な欠陥があるわけではなく、本気でやろうとさえ思えば、長期間の篭城さえ可能である。

 ただし、このユーゲニア防衛騎士団を実際に指揮する上層部の中においては、ただの一人として、ブラッドヴァンに本気で立ち向かおうと主張する勇敢な人間などいなかった。それどころか、これまでマフィアが繰り返してきた数々の蛮行には目をつぶって、ただひたすらオドレイヤに唯々諾々と従うべきとの考えが広がっていたのだ。

 もちろんそれは延命のためである。

 とはいえ、さすがに今回の事件……つまりオドレイヤがアヴェルレスに無数の魔獣を放った出来事は、ブラッドヴァンと戦う前から完全に屈している彼らの態度を改めさせられる、いいきっかけになったとも言えるだろう。

 やはりマフィアを放置しておくことは危険であると、この街の誰もが再確認したのだ。

 そういう風向きもあってか、騎士団の主要な上層部の人間が集まった会議室では、まさに打倒マフィアを志すナルブレイドが熱弁を振るっていた。

 もちろんオドレイヤへの徹底抗戦を主張するものだ。目指すはマフィアの根絶である。

 並々ならぬ決意に燃える彼は、今こそ防衛騎士団が立ち上がるべき時だと信じて疑わない。そして本当にアヴェルレスの平和を願う者ならば、それはもう誰もが誰も、まったくの無条件で彼と覚悟を等しくするところと考えていた。

 ある意味では無邪気なのである、まだ年若い彼という人間は。

 けれども、この世の誰もが勇敢で正義感にあふれているという訳でもないのが世知辛い現実の姿だ。

 夢見がちな理想家の語る理想は万人が作る現実の前に無力であって、大抵の場合は独りよがりだ。そう簡単に他人の共感は得られない。最大多数の最大幸福など、マフィアのような人間が多数派となった途端に地獄となる。

 一人きりで過ごす夜を前にした子供よりも臆病で、とりあえず無難に過ごせればいいと考えるだけの無責任主義な上層部の同意を得ることは、どのように議論を尽くそうが難しかった。

 ナルブレイドが上の立場の人間を前にいらだちを隠せなくなったのは、だから仕方のないことと言えるのかもしれない。あまりに大人げないのは確かだが、声を荒げずにはすまされなかった。


「ならば市民は何人死んでもいいとおっしゃるのですか!」


「やり方を考えろと言っている! 今の我々がブラッドヴァンに楯突くというのは、全裸で魔獣の前に飛び出していくようなものだ! オドレイヤから見れば餌にしか見えんだろうさ! しかも食べ尽くされた後で不味い顔をされる! それを人は”惨め”というのだ!」


「腰抜けが! 偉いのは肩書きだけで、人間としては新兵以下だ!」


「なんだと、貴様ぁ!」


 ふがふがと顔を真っ赤にした老齢の男性はこれでも騎士団長。自分より未熟と信じて疑わない若輩者に煽られて我慢できなくたったようで、身を乗り出して殴り掛かろうとしてみせる。これは幸いにも隣に座っていた面長の副団長が止めに入ったため流血沙汰にはならなかった。

 お互いの意見をぶつけ合うどころか、拳のぶつけ合いに発展しかねない一触即発の危ない雰囲気だ。

 とても理性的な大人の議論とは思えない。


「おーおー、おっかねぇな。とかく自分が一番頭がいいと思っている奴は、態度がでかいだけで他人の意見を聞きやしないから……これじゃ聞き分けのない子供の喧嘩だな。……いや、まだ子供の方がかわいげがある分だけマシかもしれねぇや」


 来客として会議に同席しているキルニアはマギルマを代表しての使者であり、名もない数名の部下を引き連れて防衛騎士団へ訪問中であった。といってもキルニアが連れてきた部下たちはマギルマでも下っ端中の下っ端で、真面目な議論の邪魔になると決めつけて外の見張りにつかせており、防衛騎士団本部の中にはキルニアが自分一人で入ることにしていた。

 自他ともに認めるアホのキルニアがたった一人で交渉を担当するのは不安どころの話ではないが、損得勘定を抜きにして、ありのまま率直に意見を言い合えるという意味では適任かもしれない。

 ここまで無駄に白熱してしまっては冷静な議論など望めそうにもないのだが。


「ブラッドヴァンに歯向かうように魔獣討伐隊として挑発的な行動をしたのは、この防衛騎士団でも一部の人間だけだ……。だがしかし、オドレイヤは我々をひとまとめにして非難するだろう。いかように釈明したところで話を聞いてくれるとは思えない」


「かといって、このタイミングで反攻の狼煙を上げたところで瞬殺だ。我々に勝ち目などない」


「死ぬしか……死を待つしかないというのか……」


「いえ、方法はあります! おそらく最も多数の人間が助かるであろう方法が!」


 ほぼ全員が死を覚悟した沈痛な雰囲気の中、淀んだ空気を読まず息巻いて立ち上がって声を張り上げたのは、いつだって己の保身にしか興味のない男Aだ。ある意味では自信家の、ナルブレイドが名前を覚える価値もないと心の中で見下している騎士Aである。

 このタイミングで声高に言い出すからには何か名案があるのかと、生存の手段を切望する全員の視線が彼に注がれる。


「ナルブレイドを反逆者として捕らえて、我々の手でブラッドヴァンに引き渡すのです。……そして許しを請う! 二度と反逆しないと誓って、ひたすらに許しを請うのです!」


「……なるほど!」


 今度は全員の視線がナルブレイドに注がれる。その目は半ば血走っているようにも見える。

 精神的に追い込まれた彼らは希望の道にすがるしかないのだ。これでは本当に実行しかねない。

 慌てたナルブレイドは直ちに反論した。


「何がなるほどですか! 頭を冷やされてはどうです、皆様方! あの悪逆非道な魔法使いが相手なのです、こちらが謝ったところで見逃す訳がないでしょう!」


「たとえ一縷の望みであろうと、ないよりは頼もしい! そもそもナルブレイド、この問題は何もかも独断専行した君の責任ではないか! 嫌とは言わせぬ、言っても聞かぬ。その身で償いたまえ!」


「正義のために死ぬのならばいざ知らず、事なかれ主義者たちの保身のために犠牲を強いられるのは黙っていられません! あなた方が言っても聞かぬとおっしゃられるのなら、ここで今の私から答えられるのは、おそらくこの一言だけです!

 ……勝手にしろ! 私は防衛騎士団を脱退する! 脱退した上でオドレイヤと戦わせてもらう! たとえ一人でも!」


「逃がすものか。そいつを捕らえろ!」


 捨て台詞を残して退席しようとしたナルブレイドは取り囲まれ、退路を塞がれた。思わず剣を抜いて威嚇を試みようとしたナルブレイドではあったが、会議室に入った直後に安全対策のため武器は取り上げられており、部屋の片隅に立てかけられていたのを思い出した。

 あいにく丸腰では強引に突破することもできない……というわけでもないのだが、さすがにマフィア以外の人間を相手に手荒いまねを演じたくはなかった。


「とんでもないことになっちまったな、まったく。これでマギルマと防衛騎士団との共闘路線も消えちまいそうだ。もとから戦力になりそうもなかったから残念というほどでもないけどさ。いやはや、さてと、ここで俺はどうするべきか……」


 マギルマと防衛騎士団の手を結ばせるためには、今まさに捕縛されつつあるナルブレイドを助けなければならないだろう。あくまでも現状は部外者であるので、本当は放っておいてもよいのだが、これでもキルニアは交渉役として訪れているのだ。

 何もしないまま交渉の成果なく帰ることになってしまえば、それはもうフレッシュマンやナツミから大いに失望されることだろう。それだけは避けたい。

 どうせこれまでアホと笑われて生きてきたキルニアのことだ、ここで改めてアホ呼ばわりされたところで痛くも痒くもない。言ってみるだけならタダなのだ。黙っているよりずっといい。

 そこで、ナルブレイドを捕らえようとしていた男たちに向かって、ひとまず考え直すようにと言おうとしたキルニア。

 しかしそのとき、アホなりに勘だけは鋭い彼は、ただならぬ気配を感じ取った。


「お前ら全員、とにかく伏せろ! あるいは逃げ出せ!」


「ちくしょう、そいつは同感だ!」


 おそらくほとんど同時にナルブレイドも何かを感じたのだろう。とっさに身を屈めた。

 これは……そう、なんらかの魔法が発動する気配だ。

 それもとびきり強力な。

 かろうじて気がついた二人だけが正体不明の攻撃に身構えると、次の瞬間、会議室に六本もの刀剣が出現した。空中に浮いているようにも見えたが、実際には同時に出現した六つの不思議な黒い影が、それぞれの刀剣を一本ずつ持っているらしい。

 遠距離からの攻撃を可能とするエッゲルト・シーの魔法、「乱れ操り刀剣」である。

 人知れず訪れた襲撃者エッゲルトは防衛騎士団の本拠地の外で、今まさに彼の魔法の射程範囲内に到達したのだ。

 魔法により操られた六本の刀剣が、不幸な六人を狙って振り下ろされる。さらに不運なことには、それぞれの背後からだ。認識範囲外の死角から狙われる本人たちは音もなき突然の攻撃に対処できず、ただひたすらに呆然としている。

 ひどい言い争いを演じていたとはいえ、同じ騎士団員という仲間であることに変わりはないためか、苦々しく思いながらもナルブレイドは狙われた彼らを見て見ぬ振りをすることもできない。

 そこでとっさの行動に打って出た。


「スリップ!」


 舌打ちするように短く呪文を唱えると、その場に立っていた者、椅子に座っていた者すべてが、突如発生した不思議な力により足下をすくわれて転倒する。

 これぞまさしくナルブレイドの魔法だ。

 しかしこの転倒魔法スリップは、使用者であるナルブレイドの未熟さゆえか、魔法使いとしてのレベルが自分よりも上位の人間に対しては通じない。したがって彼よりも強いマフィアの人間相手には効果がないことが多い。そのため、基本的には魔法が使えない素人相手に発動させるしかない魔法であった。

 それでも今は彼らに通じればそれでいいのだ。

 室内にいたキルニアを除く全員が強引な魔法の力によって地に伏したため、当たるはずだった一振りは空振りで終わった。すると、いったんすべての刀剣は消滅してしまう。エッゲルトの魔法の特性だ。

 だが魔法の気配がすべて消え去った訳ではない。じきに二回目の攻撃がくる。

 やはり直感だけはいいキルニアが全員に聞こえるよう叫んだ。


「この場にいない全騎士団員にも今すぐ命令を出せ! ここから逃げ出せ、と! でなければ全滅だぜ、俺も他人事じゃないけどな!」


 ナルブレイドの魔法によって転ばされ、それによって奇跡的に命が救われたことすらも理解できず、激しく混乱しているらしい初老の騎士は片膝立ちになって喚いた。


「な、何事なのだ! まずはそれを説明しろ!」


「そんな暇があるかっての! ここが襲撃されていることは確かだが!」


 じれったい彼らの態度を見てか、まるで苦虫をかみつぶすような顔をするキルニア。

 いまいち危機感が伝わっていない。

 この場でキルニアと同じように、姿の見えない敵による遠距離魔法で攻撃されていることを察しているのは、おそらくナルブレイドのみだ。ゆえに二人は自然と顔を見合わせた。


「おい、キルニア! なんとかしてマギルマから援軍を呼べないか!」


「あいにく俺には無理だな、そんな権限も能力もねぇ! その代わりと言っちゃなんだが、こいつを受け取れ!」


 ちょうど壁際にいたキルニアは立てかけてあった武具を手に取り、軽いスナップを利かせてナルブレイドに投げて渡す。古びた剣と盾だ。しかし手ぶらよりはいい。

 直後、二回目の攻撃がきた。

 一難去ってまた一難を予想するよりも早く、居合わせた多くの人間が油断と混乱で対処に遅れた。

 適当な六人を狙って刀剣が操られ、今度は避けられなかった三人が貫かれた。


「だから逃げろっての! 逃げ出せっての! お前ら全員馬鹿かよ!」


 けれど彼らは腰が抜けて動けない。

 あるいは身体が無事に動けても、肝心の思考が強烈なショックによって止まっている。

 怯える獲物をあざ笑うように、容赦のない敵の攻撃は待ってくれない。

 そうこうするうちに会議室に集まっていた騎士の半数が死んだ。よく確かめれば息はあるかもしれないが、どのみち致命傷だ。一方的に狙われ続けているこの状況では瀕死の彼らを助ける方法はない。


「敵の姿が見えないんじゃ、とにかくここを出て対策を練るべきだ! 他の騎士団員についてはひとまず俺たちが伝えて回るしかない。もうとっくに別の襲撃者が入り込んでいるかもしれないが」


「しゃーねぇな。しっかし、巻き込まれちまうとはついてねぇな……」


「通信室に行って市民革命団へ緊急の連絡を出す。この惨状じゃあ、あの魔法使いを呼ぶしかない」


 あの魔法使いとは他でもないアレスタのことである。

 もちろんアレスタが使用する”治癒魔法のようなもの”を期待してのことだ。ナルブレイドはアレスタが治癒魔法のようなものを使うということを、つい先ほどの魔獣騒動のときには理解できなかったものの、その後に仲間たちから話を聞いて興味を持っていたのである。

 それから二人は先陣を切って会議室を飛び出した。

 逃げ場のない狭い空間にとどまっているのは得策ではない。

 そんな彼らの姿を見て同じ考えに至ったのか、続いて部屋を飛び出してきた者が数人。

 何度かの攻撃で敵の魔法は同時に刀剣を六本までしか出せないらしいことを見抜いていたので、そろって狙われるリスクを分散するため二手に分かれる。通信室に向かうナルブレイドと、ひとまず出口へ向かうことにしたキルニアだ。

 いかに戦うか……ではなく、いかに逃げ出すか。

 袋の中のネズミは袋の口が締まってしまう前に脱出するしか生き残る術はない。

 一方、建物の外側から「乱れ操り刀剣」の魔法を使って逃げ惑う騎士たちを狙うエッゲルトは愉快に笑っていた。あまりにも一方的な殺戮を心から楽しんでいるのだ。オドレイヤに命じられた襲撃作戦であるため積極的に手を抜いている訳ではないにせよ、本気で勝負を挑んでいるというよりは、エキサイティングな狩りを遊んでいる部分があるのは否定できないであろう。

 なにしろ先ほどまでエッゲルトは、最強最悪の魔法使いであるオドレイヤを相手に文字通り死ぬ気で戦う羽目になっていたのだ。それに比べて、これほど戦力差のある戦いは口直しにちょうど良かった。自分の優位性を強く実感させられるため、とてつもなく快感な状況なのだ。

 結局、この襲撃は彼にとって、所詮は憂さ晴らしのようなイベントに過ぎない。

 遊び感覚で殺戮を楽しむエッゲルトは、別にこだわりがあった訳でもないのだが、会議室を出て二手に分かれた獲物を遠視能力で見て、とりあえず目についたナルブレイドを先に狙うことにした。

 キルニアを誰も追いかけていなかったのに対して、ナルブレイドの後へとついていった騎士の人間が多かったということもある。なんとそこには最年長である騎士団長の姿もあった。

 お仲間の多い会議室の中にとどまらず、慌てて追いかけるようにして外へ出たのは、おそらく彼は彼なりにナルブレイドを買っていたからなのかもしれない。いざとなると自分の命運をナルブレイドに託そうというのだから面白いものだ。

 実際のところ、なんだかんだと言いながら、何かと悩みの多い騎士団長である彼にとっては他の誰よりも頼もしかったのだろう。

 さて、偶然であれ必然であれ、結果としてエッゲルトに狙われることとなったナルブレイド。敵の魔法攻撃はあまりにも強力で油断も隙も無い猛攻だ。たとえエッゲルトが手を抜いていたとしても、戦闘に不慣れな防衛騎士団にとっては強敵であることに変わりない。

 当然、彼もおとなしく殺されるわけにはいかなかった。

 せめて通信室にたどり着かなければ。


「待て! 私をかばえ!」


 そう言って呼び止めてくるのは、すでに息が切れかかっている高齢の騎士団長だ。

 ほんの少し前はナルブレイドのことを捕らえようとしていた男の台詞とは思えない。

 その変わり身の速さには呆れと恨みが半々にあって、ついナルブレイドは皮肉的な言葉で突き放してしまう。


「かばってられるものか、ご老体! その年まで長らく生きながらえてこられたのだから、ぜひこれからもご自分の力で努力なさってはいかがか!」


「なんてことを……ひいいっ!」


 廊下を走る騎士団長のまさに目の前である。

 無慈悲なエッゲルトの魔法攻撃が真正面から襲いかかってきた。

 ご老体の騎士団長は足をもつれさせて廊下に倒れ込むと、姿勢を低くしたまま這いつくばって壁際に避難する。すんでのところで刃先はかすり、なんとか無傷ですんだようだ。しかし完璧に見切っていたわけではない。今のは完全に偶然による幸運である。すかさず次がくれば絶対に避けられまい。


「大丈夫ですか、騎士団長!」


 そこへ慈悲深くも駆け寄ったのは騎士Aだ。

 怯える騎士団長の肩へ手をかけ立ち上がらせると、ためらいなく上官を見捨てたナルブレイドのことを非難する目つきで睨みつける。

 きつくにらまれたナルブレイドはとうとう彼の名前を思い出せなかったが、これが彼との最後の会話かもしれないと思いながらも、茶化す気持ちで敬礼をしてみせた。

 そしてもう振り返る必要はないとばかりに走り去る。


「臆病者の騎士団長殿を最期まで護衛してくれたまえ! 市民を見捨てて騎士団の存続を守る、あなたこそ模範的な防衛騎士団の騎士なのでしょうから!」


 廊下の角を曲がって突き当たりの階段をおりていると、踊り場を過ぎたあたりでエッゲルトの魔法攻撃が再びナルブレイドを襲い始めた。ひょっとするともう、あの騎士団長と騎士Aはやられたのかもしれない。あっけないものだ。

 まったく心が痛まなかったわけではないが、せめてもう少しは時間稼ぎをしてほしかったと冷淡に思う気持ちもあるナルブレイドであった。

 しかし感傷に浸っている余裕がないという事情もある。

 次から次へと情け容赦のない攻撃はナルブレイドの足と余計な思考を止める。そして致命傷を与えれば息の根さえも止めてしまう。


「止まらずに走れ、ナルブレイド! 助けにきた!」


 そのとき数人の部下を引き連れて参上したのは、まるで話の通じなかった騎士Aとは違って、ナルブレイドにいつも親身に接してくれた理解ある上官ケニーだ。

 会議室にて半死の状態で生き残っていた誰かが、施設全体に緊急警報を発してくれたのかもしれない。

 今が異常事態ということだけは伝わっているらしい。


「敵は六本もの刀剣を自在に操る魔法使いです! どこにも姿は見えず、神出鬼没です!」


「了解だ。……で、お前はどこに行こうとしている?」


「通信室へ! 外部に援護を呼ぶために!」


「なるほどな。それなら、お前が行った方がいい。なにしろ俺は口べたでね。ここは俺たちが食い止める。時間稼ぎにしかならないかもしれないが、その時間でやってくれ」


「はい! お任せします!」


 ナルブレイドにも親身な上官ケニーは彼の部下を率いて敵の攻撃のおとりとなる。全員が声を出し合って連携し、盾や剣をうまく使って襲撃者の刀剣魔法を防いでみせる。危なげない動きは頼もしさを感じさせる。無論、それだっていつまで続くかわからない。なにしろ敵と防衛騎士団との間には圧倒的な力の差が存在しているのだから。

 そう、これは彼らが命をかけることによって作り出してくれている貴重な”隙”だ。敵に狙われることのない安全な時間を使って、脇目も振らず通信室へと急ぐことにしたナルブレイド。

 そう遠くはない。一生懸命に走ればそれほど時間はかからない。

 そして通信室の扉にたどり着いたナルブレイドは走ってきた勢いそのままに、飛びつくようにドアノブへと手をかけた。

 だが、その瞬間である。

 ふと自分の背後に人の気配を感じた。

 しかも鬼気迫る不穏な気配だ。

 命の危機を感じたナルブレイドはドアノブに手をかけたまま、それでも振り向かずにはいられない。


「な、なぜ、あなたが! ここまでいったいどうやって!」


 振り返ったナルブレイドの目に映ったのは、ここまでを全速力で駆け抜けてきた騎士Aである。

 鬼の形相をした彼は息も整わぬうちから叫び答えた。


「執念だ!」


「何が執念だ!」


「生きることへの執念だ! 命乞いをした! みっともなく泣き叫んで敵に助けをこうた!」


「それでどうなる!」


「敵に情けをかけられたさ、土壇場で命を救われたのさ! ……お前をこの手で捕まえると誓ってな! くたばれナルブレイド!」


「なんと、己の命惜しさに敵であるマフィアに取り入るつもりか! あまたもの市民の命を奪い続ける悪のマフィアに!」


「死んでしまっては善も悪も無に帰ろうが! 生きるために全力を尽くすのが生物の本懐だとも! しぶとく生きてこそ勝者への道が開かれるのだ! 死んでしまってはなぁ!」


 そう叫び、一目散に飛びかかってきた騎士Aによってナルブレイドは組み伏せられた。

 通信室まであと一歩、すぐ扉の前で……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ