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治癒魔法使いアレスタ(改稿・削除予定)  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
60/77

25 枯れた噴水のある公園

 すでに枯れて久しい噴水のみが残っているという、人知れず哀愁を誘う名もなき広場。

 かつてはアヴェルレス市民にとっての数少ない憩いの場であった公園も、今では薄汚れて寂れている。

 現在、ここにはアジトから駆けつけた市民革命団のメンバーたちが即席のバリケードを作っており、逃げ後れた避難民を魔獣の襲撃から守っていた。

 無論、ただの人間である彼らには魔法など使えず、正面切って魔獣と戦うだけの能力はない。

 だからこそ彼らはアレスタたちギルディアンに魔道具の調達を期待していたのだが……。


「皆さん、お待たせしました!」


「おお、待ちに待っていた! 一日を千日に感じるほどに待たされた! しかし信じていたとも、必ず助けに来てくれると思っていたとも! 逃げずに待ったかいがある!」


 名もない公園の周囲を無秩序に徘徊する魔獣の群れをかき分けて、ようやく市民革命団のもとにたどり着いたギルディアン。

 もちろんハルフルートから調達することを期待されていた魔道具も持って来ている。

 それを遠目に発見したハルフルートはすっかり舞い上がって喜んだ。あまりに騒ぐものだから周囲の魔獣を刺激して興奮させかねない。


「落ち着いてください、とりあえず適当に武器を配りますので! 魔法を使えない人にも扱える魔道具なので安心してください。けれど魔獣と戦うつもりなら、決して無理をなさらずに!」


 浮足立っている彼らを心配したアレスタがそう言うと、それを聞いて不適に笑ったハルフルートが革命団の全体を鼓舞するように叫んだ。


「我々を侮らないでいただこう! ここで恐れていてはブラッドヴァンに立ち向かうことなどできない!」


「よく言った、ハルフルート! それでこそ革命のリーダー! さぁ我々の主催するティーパーティーの始まりだ! ものども続け、続け!」


 ハルフルートの隣に並んで、意気揚々と声高に煽ったのはヒゲ面のピアナッツ。市民革命を指導する二人の勇ましい言動に励まされたのか、彼らの部下たちも腕を振り上げて応答する。

 見事に発破をかけられた格好だ。

 実際の戦力はともかく、見かけだけならマフィアにも引けを取らない。


「頼もしいばかりの威勢だね。空回りしなければいいけれど……心配だなぁ」


「心配は当然。不安も当然。でも背中を預け合うことだって大切なこと。さ、私たちも魔獣退治に移るよ。ただし、アレスタはとにかく全員に目を光らせること! 治癒魔法のこと頼んだからねっ!」


 バシッと元気づけるようにアレスタの肩を叩いて、やはり人当たりのいい笑顔を意識しているらしいイリアスはぱちりと方目を閉じてウインクを見せる。ちょっとばかり不自然で、ぎこちない仕草に見えたのはご愛嬌。

 そして颯爽とバリケードを飛び越えては、二刀を鞘から引き抜いて魔獣退治に切り込むのだった。

 今回も例のように後方にて治癒魔法によるサポートを命じられたアレスタは、一人で飛び出していった彼女を追っていくことができない。それが求められた作戦であるからだ。見守るしかない己の立場を苦々しくは思いつつも、前線に出て無理をすれば、最悪の場合には全滅する可能性も捨てきれない。

 今までとは違って、今やアレスタにも最低限の武具はある。まずは自分の身を守ることが一番大事だ。

 ……と、そんなアレスタの横を意気揚々と通り過ぎていく市民革命団のメンバーたち。

 いつの間に配り終えたのか、それぞれに思い思いの魔道具を装備している。

 革命団のリーダーであるハルフルートは、矢いらずの魔導ボウガン。それからヒゲ面のピアナッツは、持てば軽く振れば重い摩訶不思議な金棒。その他のメンバーたちは絶対に折れない強化鉄パイプとか、しびれ爆弾とか、毒の霧吹きとか、とにかくそういった津々浦々の魔道具を持っている。

 革命団に所属する彼らは戦意と根性だけはある。けれど、厳しく見積もれば、それだけである。

 普段から秘密裏に訓練を重ねて来たとはいえ、さすがに初見の武器を手にしてすぐに活躍できるほど実際の戦いは甘くない。

 見慣れぬ魔獣を相手に一進一退。

 なんとか倒せることがあっても、魔獣一体を相手に数人掛かりでようやくといったところ。

 当然ながら怪我人は続出する。どれほど注意しようとも負傷者は後を絶たない。

 したがって……というべきか、次から次へと、それこそ立て続けに救援を求める声が響く。そんな彼らに対する治癒魔法のためテレシィを呼び出したアレスタは、休む暇なく引っ張りだこだ。

 オドレイヤが放った魔獣は強く、一般的な魔獣とは比較にならない凶暴さを秘めている。

 本来ならば一般市民が相手をするなど無謀でしかない行為。

 命知らずの蛮行と笑われても無理のない話。

 それなりに場数を踏んだ魔法使いでさえ、気を抜けば臆病風に吹かれかねないほどの強敵である。

 しかし市民革命団の彼らは違った。

 魔獣を目の前にして襲ってくる本能的な恐怖。それを帳消しにしてしまうほど強烈な、圧倒的なまでの自信を彼らに与える「治癒魔法の奇跡」があったからである。

 ある意味では、死さえも超越する”万能感”にも似た大いなる可能性。

 彼ら本来の力でないにも関わらず、どんな致命傷さえ完治させてしまう強力な治癒魔法をやってのけるアレスタの存在が、もはや何事にも不可能はないのだと彼らを景気付ける。

 おそらく彼らは誰一人として、一歩下がって懸命に彼らをサポートしているアレスタのことも、それを可能にしている肩代わり妖精テレシィのことも、それからもちろん治癒魔法そのもののことも、本当の意味では正しく理解していないに違いない。

 それでも彼らはがむしゃらで、本質的には何も理解しないままにアレスタを信頼するに至る。

 そしてそれは、ほとんど依存と呼んで差し支えない。

 素人の戦闘集団に治癒魔法を頼られきりのアレスタにとって、次第に負担は大きくなる。


「あまり無茶はしないでいてくれると助かるけれど……! さすがにこれ以上はきつくなってくる……!」


 あえがずにはいられなくなってきたアレスタ。テレシィもひたすらに飛び回っていて大変そうだ。

 いよいよ彼のキャパシティをオーバーするかしないかという瀬戸際、いったい何を合図にしたのか、それまで無秩序に暴れ回っていた魔獣たちが一斉に攻撃をやめて後ろに引き下がった。

 しつけられた犬よろしく、次の合図が出されるまで距離をとって様子を見ているかのよう。

 どうやら”飼い主”の気配を察したのだろう。


「あぁ、痛ましい……。なんてことだ。いざ来てみれば、これはペットの虐殺だよ。こんなにも愛くるしいポチブルたちが、こうして何頭も殺されてしまうだなんて。……無惨、無惨、無惨! ひどくおぞましい! 私の繊細な心が、はち切れんばかりだ!」


 わざとらしいまでに演技がかった嘆きの声が響く。どこか愉快な笑い声にさえ聞こえてくる。

 さらなる魔獣と下っ端のマフィアを引き連れて登場したのは、ブラッドヴァンのボスボローである。

 彼がポチブルと呼んだ八つ目の六足肉食魔獣の群れに混じって、人間の面影に重なる四本腕をした骸骨の姿もあるが、あれも魔獣の一種だろう。


「市民どもの行動を制限するため凶暴な魔獣を街に放つという計画の責任者である私には、この双肩にオドレイヤ様の期待がかかっている。その期待は、もはや命令そのものであると言っても過言ではない。遂行せねばならない、絶対に。それをこうして邪魔されてしまっては、万が一にも黙って見過ごす訳にはいかぬ。

 我らブラッドヴァンへの反逆者には、その命を頂いてオドレイヤ様への手みやげにさせてもらおうか」


 そう言ってボスボローがパチンと指を鳴らすと、何もなかった空間に扉が出現する。

 彼の魔法である異空間クローゼットだ。

 こなれた手つきで取り出したのはエレガントな青色の帽子。上下をひっくり返せばバケツとして使えそうな形をしているが、マフィアの間ではオシャレな一品として通りそうだ。


「さて皆さん、ここで死んでもらうことに理解を頂こう。おっと、今は反論しても聞かないよ。どんな要求に対しても、返事は事後承諾でもらうことにしている。それがアヴェルレスでの最も”平和”なやりかたさ」


 いつだって強者が勝つ。これほどわかりやすい暴論はない。

 彼らにとっての平和とは、強者が文字通りの強者でいられる時代のことだ。

 弱者が黙り込むしかなくなれば、波風は立たなくなる。悲しいことだが。


「ブラッドヴァンのお出ましか……」


 さすがのハルフルートも怖じ気ついた様子で、ひそかに固唾をのむピアナッツも同様だ。

 そんな怯える彼らの姿を見て、嗜虐心を刺激されて食指が動く人間こそ生粋のマフィアであるボスボロー。雑魚と見下す相手に怖がられてこそ、彼の欲張りな自尊心が満たされる。


「法の執行!」


 たぎる彼の宣言は一方的。ためらいもない。

 なにしろ前回の計画を失敗してしまった責任のあるボスボローにとっては、これこそが千載一遇の汚名返上のための機会であると、いつも以上に張り切っているのだ。マフィアの人間が張り切ると大抵はろくなことにならないが、今回もまさしくそうであろう。

 すなわち彼はこの場にそろった人間すべてを、一人残らず殺し尽くすつもりなのである。

 愉悦に顔を歪めた彼は傍らに出したままにしていた異空間クローゼットに手を突っ込んで、ごそごそと何かを取り出そうとした。おそらく武器だろう。彼のクローゼットの中は驚くべきほど色々なものが入っている。夢や希望、幸せといったもの以外なら。

 しかしそこへ殺気を放ったイリアスが彼の動きを止めに入る。

 彼女は敵の虐殺を黙って受け入れるほど愚かな人間ではない。


「あなたの相手は私がつとめましょう」


「んむ?」


 手を突っ込んだまま顔だけで振り返り、どこか不格好な姿でイリアスを睨みつける。

 明らかに違う市民革命団の人間とは異なる風格。騎士に特有の戦い慣れした彼女のたたずまい。

 したたかといえばしたたかなのか、自らが卑怯者であることを卑下しないボスボローは無駄な意地を貫き通さない。他人の命を奪うことにためらいはないが、自分の命をかけることにはためらいを覚える人間である。ようするに、何があろうと死にたくはないということだ。

 責任者の仕事とは「先頭に立って命を捧げることではない」のだと、部下の手前もあって一応の言い訳を口にはするが、単純に正攻法では勝てない可能性を察しただけである。


「いや、いやいや! 困ったな! 私が馬鹿正直に強敵の相手をする訳がない。勝てそうにない相手には勝てうる戦術に切り替えて対応するものさ。そう、このように!」


 にやりと笑ったボスボローは異空間クローゼットから取り出したボール状の何かを投げつける。

 不意打ちを狙ったつもりかもしれないが、気を張っていたイリアスには驚きに値することではない。


「たやすい!」


 避けるまでもないと剣を振り上げて弾き飛ばす。

 が、それはイリアスの目の前で破裂した。しかも中には液体が詰まっていたようで、破裂すると同時に飛び散った正体不明の液体がイリアスの体に降り掛かった。

 その液体が発する不快なにおいは今までに彼女が嗅いだことのない種類のもので、そんなものを全身に浴びることとなったイリアスは顔をしかめずにはいられない。


「浴びせかけたのは魔獣を引きつける香りだ。私の相手をしている場合ではないな」


 赤い目のポチブルたちが、そろいもそろってイリアスにむき出しの牙を見せつける。どうやら彼が言った通り、魔獣たちは狙いをイリアスに定めているらしい。

 敏感な嗅覚を刺激されたのか、バラバラに散らばっていた魔獣がイリアスを中心に集まってくる。

 今にも襲いかかってこんばかりのポチブルの数は、どんどん増えていく。悔しいが彼の言う通りボスボローに構っている場合ではない。

 覚悟を決めたイリアスは剣を構える。どこから飛びかかってきても斬り捨てることのできるように。


「やってしまえ! 食欲をそそるスパイスの香りに誘われて!」


 ボスボローが合図を出すと、ポチブルたちが遠吠えの合唱を奏でた。

 そしてイリアスへ向かって次々と襲いかかる。


「くっ、さすがに数が多い! ……けど、どのみち一人でもやるつもりだったから構わない!」


 これはさすがのイリアスか、お得意の高速化魔法の効果もあって、止めどなく襲いかかってくるポチブルを冷静に素早く対処して一切の隙を見せない。

 だが、ものの見事にぐるりと囲まれたイリアスは、続々と集まってくる魔獣の群れに釘付けにされ、もはや自由に移動することができなくなった。


「あれでは餌になるのも時間の問題かな」


 においぶくろを投げつけて、無数の魔獣にイリアスを狙わせることに成功したボスボロー。

 彼女が自由に動けないとなれば、後に残るは烏合の衆だ。

 所詮、市民が中心となった革命団。マフィアの敵ではない。


「敵さえいなくなれば私の仕事は早い。私が所有する自慢のコレクションの一つで、この場を奇麗に掃除してあげよう」


 続いてボスボローが異空間クローゼットから取り出したのは、強烈な電撃弾を打ち出す魔道具。

 特大のショックガンで狙い撃ち、容赦なく市民革命団を無力化していく。


「なんてやつだよ、まったくもって!」


 これは彼が使用する魔道具の効果なのか、アレスタの治癒魔法を用いても意味がなく、ボスボローの攻撃を受けて気を失って倒れた人間を助けることはできなかった。強力な電撃弾による体の怪我は治せるものの、一度でも気を失って倒れれば、なかなかすぐには目を覚まさないのだ。

 幸いなことに死にさえしないが、このままでは戦闘員が減って劣勢になる一方。

 いくら強いとはいえ、この場をイリアス一人で対処するには荷が重すぎる。アレスタはジャーロッドを所持してはいるが、これで戦いに出るには心もとないのも事実だ。

 そもそもアレスタは治癒魔法に専念するのでいっぱいいっぱいであった。


「お困りのようだな、我々が助太刀しよう!」


「なんと! 助かります!」


 そんな折、あたかも救世主のように駆け参じたものこそ防衛騎士団である。

 思えばアレスタたちと出会った酒場では泣き言を漏らしていたナルブレイドだったが、この短時間でどうやって反オドレイヤの意志を持つ同士をまとめあげたのか、十人程度ではあるものの即席の魔獣討伐部隊のリーダーに立っており、あのあと彼はなかなかの活躍をしたようだ。

 手入れの行き届いていない安物の武具ばかりが目立つ小部隊ではあったが、それでもこうして街の危機に立ち上がったことには、やはりアレスタも感銘を隠せなかった。


「ちょこまかと動き回るターゲットが増えたか! おいしそうな狩猟の獲物がたくさんだ! いやぁ、こんなに楽しい娯楽はない!」


 対するボスボローは敵の援軍に動揺するどころか喜んでいた。

 名ばかりの防衛騎士団など、敵のうちにも入らないと見なしているのだろう。


「ならば存分に楽しむがいい!」


 きっと事前に練習してきたに違いない、正三角形の隊列を組んで突撃する防衛騎士団。

 鼻で笑ったボスボローは慌てず騒がず、まずは突出した一人の青年を狙って電撃弾を放つ。


「なんの!」


 ボスボローのショックガンから高速で打ち出された電撃弾。

 ところがこれを、先頭の青年は巧妙に盾で防いでみせた。

 しかしさすがの威力、受け止めた盾は大きく欠けて亀裂も入り、たった一度で半壊してしまう。二度は無事に防げぬか。


「さぁ今だ!」


 強力であるが故に連射はできぬショックガン。

 電撃弾の発射後に生じたわずかな隙をついて、後方に控えていた騎士団員が続々と飛び出す。

 まずはボスボローが連れてきた部下たちに狙いを定めて襲いかかっては、これを数人掛かりで打ち倒す。

 ボスボローの攻撃に対しては交代制で対処するらしく、まだ盾が無事である者が前に出て防ぐ。

 そうして少しずつ敵の数を減らしていくのだ。


「ええい、仕方がない。こちらのドクロ人形も繰り出せ!」


 ナルブレイドたちの意外な健闘にいらだちを隠せないらしく、露骨に機嫌を悪くしたボスボロー。がなり立てて命令が出されるや否や、ガチャガチャと不気味な音を立てて動き出す四本腕の骸骨。

 ポチブルに比べれば動作は緩慢で遅いものの、敵であるからには油断することもできない。


「気色の悪い怪物め!」


 ナルブレイドが剣でドクロ人形の首を切り落とす。うまくいったと彼自身もほれぼれする一撃である。

 しかし彼は驚愕することになる。

 いわゆる普通の生物とは違う仕組みで動いているのか、首をはねても止まらなかったのだ。

 これには防衛騎士団も苦戦を強いられる。

 必然的に治癒魔法を使用する羽目になるアレスタも忙しくなる。


「さすがに敵は強いな……。そういえば、ニックはどこに行ったんだ?」


 一心不乱に治癒魔法を使っているうち、ふと、あたりにニックの姿がないことに気づいたアレスタ。

 これは一大事かもしれないと、周囲に彼がいないかどうか、前後左右に首を振って探した。

 しかしどこにも見当たらない。傷を受けて地面に倒れているわけでもないようだ。


「こんなときにあいつはどこへ……って、えっ?」


 アレスタはあまりの出来事に言葉を失った。

 なんと、突如としてニックがボスボローの背後に出現したのである。

 一体どうして、いつの間に……とアレスタは疑問に思ったが、これはすぐに答えを導きだした。

 戦闘が始まる前のことだ。カズハには護身用のナイフを持たせて、バリゲードの奥に逃げ込んでいる避難民の護衛に立たせていた。なにしろカズハは小さな女の子。命を奪い合う危険な戦闘の前線に立つべきではないと考えてのことである。

 おそらく、いつしか状況の不利を見たニックは打開策を一人で考えた結果、そんな彼女を頼ったのであろう。

 つまりヘブンリィ・ローブの魔法で姿を消したカズハにつれられて、こっそりとボスボローの背後へ接近したのだ。すなわちニックによる起死回生の攻撃だったのである。


「これでも食らえ! ええい!」


「背後に敵か! 驚いたっ!」


 しかしここで致命的な空振り。

 この一振りに気合いを込めようとニックが叫んだばかりに直前で相手に存在を気づかれて、まさに斬りつけるという寸前のところで避けられてしまう。

 かろうじて九死に一生を得たボスボローは、頑丈な鉄製のブーツでニックの騎士刀を蹴り上げる。力強く蹴り上げられれば、頼みの騎士刀はニックの手を離れて飛んでいった。

 唯一の武器である騎士刀を失い徒手空拳となったニック。

 そんな丸腰の彼にショックガンの発射口が向けられる。

 もはや絶体絶命、万事休す。

 まさしくそんなとき、ぎりぎりまで追い込まれてこそ発揮される破れかぶれの一撃は、火事場の馬鹿力にして窮鼠猫を噛む。


「僕だってやるときはやれるはずだ、どうとでもなれえっ!」


 雄叫びは右手に力を込めて。

 武器がなければ素手で殴り掛かるしかなかった。

 さすがに素手ではボスボローを倒せないはず。しかし敵の顔面を殴ろうとしたニック自身も意図しないことではあったが、このとき、右手にはめていた彼の魔道具が反応した。

 ニックが装着していたネプチュネイルから、突如として、四本もの氷の爪が出現したのである。

 鋭く尖って、鉄より硬く、凍える冷気をまとった魔法の爪。

 ネプチュネイルから勇ましく伸びたそれは、鍛え抜かれた短刀四本で斬り掛かるのに等しい。

 至近距離からならば、十二分に深手を負わせられる一撃だ。


「これは意外! しくじりを、この私がぁっ!」


 素手なら容易に避けられた。なにしろニックの動きは完全に見切っていた。

 ところがボスボローのその油断こそが、勝ち誇っていた彼を危機に陥れた原因である。

 まったくの予想外であったネプチュネイルの一撃にはなされるがまま、防御も回避もままならずニックの攻撃を食らってしまったのだ。


「なんだこれ……驚いたなこれは……」


 奇襲に成功した自分でも驚いているらしいニックは、口をあんぐり開けたまま立ち惚けている。


「不意打ちとは……小癪な!」


 負傷しておきながら依然として闘志の衰えないボスボローはいち早く気持ちを切り替え、動きの止まってしまったニックへの反撃をためらわない。


「危ない!」


 そのとき、ボスボローに対して身構えもせず呆然と立ち尽くしていたニックは何者かの手によって後ろに引っ張られる。すると直後に彼の姿は掻き消えてしまい、いきなりニックを見失ったボスボローには手が出せなくなる。

 もちろんこれはカズハの手柄。魔法を発動させたまま隠れていたカズハがニックを引っ張り込んで、彼女のヘブンリィ・ローブの中へと避難させたのだ。

 つまりニックはカズハに助けられたのである。


「姿が見えない敵とは……。これはそれなりの対処を考えねばならないな。今の私には難しい戦いだ。この傷も放っておくには深すぎる。うむ、いっそ堂々と逃げさせていただこう! オドレイヤ様には虚偽の報告でごまかす!」


 うまく意表を突いたニックの攻撃によって、ボスボローは負傷して退散せざるを得なくなる。こういうときの引き際を間違えない彼だからこそ、この競争の激しいアヴェルレスでも生き延びてこられたのだ。

 責任者だったボスボローが立ち去ると同時、役目を終えたのかドクロ人形は粉々に崩れ去った。

 ほとんど時を同じくして、イリアスも群れていたポチブルを全滅させ終える。


「終わったか……いやぁ、まったく! こんなにもくたびれるものだとは!」


 大きなため息をついたのは、防衛騎士団に所属する青年ナルブレイド。実戦はこれが初めての経験だ。

 アレスタは駆け寄って念のために治癒魔法をかけておくが、治癒魔法のことを何も知らないナルブレイドはといえば、自分の体にくっついてきたテレシィのことを人懐っこい妖精くらいにしか思わなかった。


「まさか来ていただけるとは思いませんでした」


「本当に、ね。私からもありがとう。あなたたちのおかげで助かったわ。……それで、まず確認しておきたいのだけれど、これがここの騎士団の全戦力なの?」


 そう尋ねたのは、援軍に駆けつけてくれた彼らに感謝しつつもシビアに物事を考えるイリアスだ。

 今後のためにも正確な戦力を確かめておきたいのだろう。

 威張りたい訳ではないにせよ、ナルブレイドは多少見栄を張って答える。


「まだほんの一部だ。上層部はブラッドヴァンに恐れをなして騎士団本部に引きこもっているが、まだまだ我々の同士は増える」


「それは頼もしいことね。期待してもいいのかしら?」


「上乗せして大いに期待しておけ」


 言い切ったナルブレイドはくるりと背を向ける。


「騎士団本部へ戻るついでに街を見回っておく。ひとまず魔獣騒ぎは沈静化したと思いたいところだがね」


 潔く去ろうとした彼に向かって、もう一言伝えておきたかったアレスタが声をかける。


「そうですね。では、こちらも街の様子を見ながら、気を失っている彼らを市民革命団のアジトに連れて行くことにします。いずれ合流して、ともに戦いましょう」


「ああ、そのときを楽しみにしているとも!」


 そう言い残したナルブレイドは仲間を引き連れて立ち去った。

 それを見送って、やがて姿が見えなくなったところで胸をなで下ろしたイリアスがつぶやく。


「なんにせよ、私はお風呂に入って体を奇麗にしたい。においきついし……」


「さっき浴びた液体のにおい? 魔獣を引き寄せるとかいう。あー、確かにちょっと……」


「嗅がないでよ!」


「ごめん! だけどわざわざ嗅ぐつもりないよ! なんか近くにいると漂ってくるんだもの! ……でもそれって今イリアスが着ている防具にまで染み付いているみたいだけど、替えの防具とかあるの?」


「ない。……けど、ここから先は布の服でもいいわ。治癒魔法で助けてくれるなら水着でも構わない。とにもかくにも臭いのはたまんない! 泣きたくなるもの! アレスタのバカ!」


「ひどいな」


 同情しつつもアレスタはやれやれと肩をすくめるが、とにかく無事で済んだらしいイリアスが元気そうなのを確認して安心するのだった。

 なんにせよ、この戦闘でも戦死者が出なかったのは不幸中の幸いだったろう。

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