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治癒魔法使いアレスタ(改稿・削除予定)  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
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24 放たれた魔獣

 悪逆非道のオドレイヤによって街に魔獣が放たれたとの一報を耳にしたアレスタたちは、これから自分たちがどうするべきかを簡単に話し合って、ひとまず倉庫の中へと駆け込んだ。

 もちろん急いで魔獣の対応に向かう必要性を感じてはいたものの、なんにせよ強力な武器となる魔道具は必要であるに違いないと考えたからだ。

 実際のところ、今すぐ彼らが慌てて現場に駆けつけたとしても、まともに魔獣と戦えるのはイリアス一人くらいなものだろう。これがどうしてニックはなかなか役に立たないし、ギルドマスターであるはずのアレスタは治癒魔法専門だ。

 実力はともかく熱意だけはある市民革命団のためにも、多少なりとも武器になる魔道具を持っていったほうがいい。そうすることで初めて彼らも戦力の一部となるのだから。

 重々しい扉を開けて入ってみると、倉庫の中は意外にも整理が行き届いていた。

 いかにも粗暴なマフィアのことだから、どうせ倉庫内も雑然と散らかっているに違いないと予想していたアレスタたちは少しだけ驚かされたものだが、荷物が片付いていて困る事は無い。むしろ助かる。

 果たしてこれは部下を指導するフレッシュマンによるものなのか、なんにせよマギルマは思いのほか末端まで統率がとれているのだろう。

 あるいは門番役のスウォラが見張りの片手間に掃除でもしていた可能性もあるのだが。


「お? なんだろね、これ。ちょっとかっこいいかも!」


 などといきなり言い出して、真っ先に目についた立派な木箱の中から何かを取り出したのは、こんなときだというのに妙に落ち着き払っているニックである。

 どうやらそれは、四つの小さな輪が横に連なった形状の指輪だ。

 用いられている材質は不明だが、冷たく輝く表面には美しい波のデザインが施されいている。


「あんまり勝手にいじっちゃだめだよ」


「ほんのちょっと試すだけだから大丈夫さ。はは、アレスタは心配性だなぁ」


「笑いどころじゃないよ、それ。はっきり言ってあげるとね、ニックの不用心さが周りの人間を心配性にさせているんだよ。そこんとこ自覚もって! ちゃんとしてってことだからね!」


「あはは、短気は損気だってば! 怒らないで大目に見て! 心には余裕と度胸を持たなくちゃ」


 アレスタの忠告をあしらうようにそう言ってのけると、すっかり目を輝かせているニックは得体の知れない四輪の指輪を右手にはめてしまった。人差し指から小指にがっちりとはまって、なかなかご満悦。

 ためらいがないのは、さすがといったところだ。


「おお、いいねこれ。うーん最高じゃん、ねっ!」


 はてさて、すっかりご機嫌なニックだが、それは指輪のサイズがぴったりだったからなのかもしれない。お世辞にも似合うとは断言できないが、おしゃれに関しては他人の評価など知ったことではないのか、当の本人は鼻歌とともに装着した指輪を眺めては喜んでいる。

 そこへ足を運んで来たのは、少しばかり深刻な顔を見せるスウォラである。


「しまった間に合わなかったか……。ニックとかいったな? それは呪術がかけられている魔道具だ」


「……え?」


「外せなくなる」


「そんな馬鹿なことが……って、あれ? あれれ? あはは、ほんとだ……外れない……」


「残念ながら、呪術のために一度はめてしまえば外せなくなるが、性能そのものは悪いものでもない。ネプチュネイルという優れた魔道具だ。うかつだが、つけてしまったものは仕方あるまい。うまくつきあっていくのだな」


 かけられている呪術が解けない限り、軽い気持ちでニックが指にはめてしまったネプチュネイルとの付き合いは、それこそ一生のものになる。

 そんな恐ろしい話を聞くや否や、不快な冷や汗がニックの全身から止めどなく溢れ出す。


「冗談じゃない! こんな指輪ナンセンスだ! いらない!」


 もう二度と外すことができなくなるという呪術。そんな物騒なものがかかっていると聞いては冷静になってもいられず、うるうると涙目になったニックは慌てふためいて指輪を外そうとするものの、時すでに遅し。どんなに力を込めて引っ張ってみても抜けそうにない。

 どうにかしてくれたまえ……と我を忘れてスウォラにすがったが、こればかりは博識な彼にも肩をすくめる事しかできない。

 あっさり万策尽きたのだと悟ると同時、己の軽薄さを呪いたくなるニックだった。

 後悔先に立たずとは、このことであろう。そして多くの期待や希望はあっさりと崩れ去る。

 さて、その一方、まじめな態度で倉庫内を物色していたのはイリアスとカズハだ。

 悩ましく頭を抱え込んでしまったニックをしばらく放っておくことにしたアレスタは、何事もなかったかのような顔をして二人のもとへ歩み寄った。


「あまり悩んでいる時間もないし、とりあえず今は持てるだけの魔道具を持っていく事にしよう。そして市民革命団のメンバーに配るんだ。せめて彼らには自分の身を守るための武器くらいないと、今後も困るだろうからさ。そう考えると、誰にでも手軽に扱える魔道具を選んだ方がいいのかもね」


「それは賛成」


 でも、と言ったイリアスはアレスタにぐっと顔を近づける。

 並々ならぬ気迫を感じたアレスタは後ろに下がって逃げようとしたものの、すかさず肩をつかまれてしまい、なじるようなイリアスの視線から逃れる事はかなわなかった。


「そろそろアレスタも自分用の武器を持つべき。前線に出て戦えとまでは言わないけど、せめて自衛の手段は確保してほしい」


「そうすべきだとは俺だって思うけど、あいにく剣も矢も使えないからなぁ……」


「だからって、いつまでも素手じゃだめ。私だってアレスタを守るにも限界があるもの。剣も矢も使えないなら、それより扱いやすいのを探すべき。わかる?」


「わ、わかるよ。そんな怖い顔しなくても……」


「し、ん、ぱ、い、してるだけ! 怖がるなんてひどい! ショック!」


「ご、ごめん」


「……私、今後アレスタには笑顔を心がけることにする。嫌われたくないもの」


「それは嬉しいけど無理はしないでね」


「無理って何? 私には笑顔が無理とでも?」


「なんでもないよ!」


 なんでもなくはないような一悶着がありはしたが、直前にイリアスが言っていた事には一理あるどころか正論である。

 つまりアレスタもそろそろ身を守るための武器を一つくらい所有しているべきだということで、そのためにも、この倉庫の中にあるであろう魔道具の内から一つを選べというわけだ。


「いいものがあればいいけど……」


「ほらよっと、兄貴! これなんてどうです?」


 いかにもほめて欲しそうな様子のカズハが持って来たものは、装飾として蛇のモニュメントがあしらわれている一本のロッド。

 見つけてきてくれた彼女に簡単な礼を告げて受け取ってから床に突き立ててみると、それはアレスタの腰の辺りまでの長さがあった。

 重さもちょうど良く、手触りから伝わる頑丈さも申し分ない。


「しっくりくるね。でもこれって武器になる? 高級な杖にしか見えない」


「ふふ、意外に思うかもしれないけれど、棒は優秀な武器の一つよ。戦闘の素人にも比較的扱いやすいからね。ほら、ただの杖だって、さすがに力一杯に本気で殴られたら痛いでしょ?」


 つい先ほどアレスタに怖いと言われたことを気にしているのか、そう言ったイリアスは爽やかな人当たりのいい笑顔。わざとらしいほど愛くるしい。たぶん無理をしている。彼女だけに無理をさせる訳にもいかないので、なんだかアレスタも笑い返さなければならないような空気になる。

 うなずいて愛想笑いを浮かべたアレスタと、依然として笑顔のままのイリアスが二人して微笑み合っていると、そんな彼らの話を聞いていたのか生真面目な顔をしたスウォラがやってきた。


「それは”まとわりつく蛇の杖”とも呼ばれる、ある種の魔術が込められたロッドだな。正式名称はジャーロッドとかいったか。私が知っている限り魔道具としてはそれほど大した能力も無いが、彼女が言うように素人にも扱いやすいはず。……とはいえ、君がただの素人とは思えないがね」


「ははは」


 目を鋭くしたスウォラはアレスタの何かを見抜こうとしているらしいものの、治癒魔法のことを隠すつもりであるアレスタは笑ってごまかすしかない。もちろんそれでだまされるほどスウォラは単純な人間でもないのだが、ここで正面から言い争っても埒が明かないことを察している。

 相手がひた隠しにする情報を知るには、知るべき状況とタイミングが不可欠だ。そうでなければ教えてもらう側が譲歩するしかない。

 今でこそマギルマの用心棒とはいえ、本来はアヴェルレスの部外者であったというスウォラはマフィアの思想に染まりきっているわけでもないらしく、街に魔獣が放たれたとなれば、生命が危険にさらされるであろう市民のことを想って、何もせずにはいられない頼もしい性格をしている。

 したがっていつまでも無駄話で時間を浪費することに対して、罪悪感にも似た感情を抱きつつあった。

 へらへら笑ってごまかそうとするアレスタが場のリーダーとして頼もしくないと言いたいわけではないにせよ、少なくともこの場は年長者である自分が引っ張っていくべきだと考えたことは確かだろう。

 気持ちを切り替えたスウォラは全員に聞こえるように意識して口を開いた。


「さて、いつまでものんびりしてもいられまい。そろそろ選別を切り上げて、現場に駆けつけることにしよう。さすがにすべてというわけにもいかないが、ここにある魔道具で都合の良さそうなものを抱えられるだけ抱えていくといい」


 当然、アレスタたちに反対する理由などなく、それもそうだと彼の意見に同意した。

 うっかりはめてしまったネプチュネイルの呪いに動揺していたニックだけはそれどころではない様子だったが、それはそれ、結局いつも場に流されるのが彼である。いつだって問題は後回しだ。







 それぞれに魔道具を持って倉庫を出ると、案内役を買って出た青年を追ってアヴェルレスの街を走っていたアレスタら一行。

 この先で革命団メンバーが待っているという目的地へたどり着く前に、それを邪魔する障害が現れた。

 街を蹂躙する魔獣の群れである。これもオドレイヤが意図的にかつ無差別に放ったものだろう。

 六本足の中型肉食動物。赤く光る目が八つ、裂けた口には鋭い牙が輝いている。

 低級の魔獣とも思えない見た目と、思わず息をのむ不気味な迫力。

 これはオドレイヤが取り戻したばかりのハクウノツルギを用いて、どこかの空間に一時的に切り開いたであろう”低級魔界”につながる次元の裂け目から出現した魔獣である。

 凶暴で、獰猛で、とにかく好戦的な魔獣はといえば、こちらを無視して見逃してくれる温情など持ち合わせているはずもなく。けれど市民革命団のもとへ向かうなら、なんにせよ突破しなければならない。

 安全策をとるならば、魔獣のいない別ルートを迂回するのも一つの手段。

 しかし迂回するということは、目の前に存在する魔獣の群れを野放しにしてしまうことに等しい。


「ここは私が引き受けよう。君たちは先へ行きたまえ」


 傍若無人に暴れ回る魔獣によって無差別な被害が拡大する前に、これらを退治してひとときの平穏を取り戻す必要がある。そうでなければ、ただでさえ不安定な市民の生活がより深刻に破壊されてしまう。

 そう考えたスウォラが、たった一人で魔獣をせき止める役目を名乗り出たのである。

 もちろんアレスタは黙っていられない。


「さすがに一人じゃ無理ですよ! いくらなんでも危険です!」


 しかしスウォラは落ち着き払ったものだ。


「いや、冷静に言って私なら可能だ。可能どころか余裕でさえある。一人で気兼ねなく戦える環境がありさえすればね」


 笑みさえ浮かべるほど自信満々に宣言されてしまっては言い返すこともできなくなる。

 尋常ならざるスウォラの強さは身をもって知っているアレスタたちだ。

 彼に協力するつもりが、かえって足手まといになることだけは避けたい。


「ならせめて魔道具を」


 せめてもの武器にと胸に抱えていた袋の中から何かを差し出そうとしたアレスタだったが、それを制するようにスウォラは首を振った。


「私の戦闘スタイルにとって、中途半端な武器はいらない。この身一つの格闘にこそ秀でているので、邪魔になる道具を持てばかえって弱くなるのでな」


 そして背を向けるスウォラ。これ以上の反論は聞かないとでも言いたげだ。

 その背中を見て覚悟のほどを察したアレスタは彼にこの場を任せる決意を固める。


「わかりました。でも、決して無理はしないでくださいね!」


 右手を軽く上げて答えにかえるスウォラ。

 返事も待たず、たった一人で魔獣を引きつけるように群れの中へと飛び込んでいく。


「よし、俺たちは先に行こう」


「そうね!」


 後ろ髪を引かれつつも、アレスタたちはスウォラに頭を下げて先を急いだ。

 彼の勇気ある献身を無駄にしてはならないと考えてのことである。







 さて、アヴェルレスに迷い込むまで厳しい修行の旅を続けてきたスウォラにとって、野性的で単純な攻撃しかしてこない魔獣の動きを読むことは容易い。

 そのうえ人間相手でなければ容赦する必要もなく、全力の一撃を叩き込めるのだ。

 魔獣の群れと戦っているスウォラの姿は、まるで筋書きの決まった演舞を見ているかのよう。

 まったくもって危うげなものがない。

 たった一人で続けざまに何頭もの魔獣を相手にしなければならなかったせいもあり、当初の想定よりもずいぶん時間がかかってしまったが、それでもスウォラはほとんど無傷のまま魔獣を全滅させることに成功したのであった。

 しかし人は誰も皆、己の勝利を確信した時にこそ、予期せぬ一瞬の油断を許すものである。

 遠距離から飛来する火球による攻撃。

 豪速球で襲いかかってきた高温の火の玉。

 それを直撃する寸前で察知したスウォラは身をひねり、まさしく間一髪のタイミングで飛び退いた。


「あら、避けちゃうなんて無粋な男ねぇ」


 不意打ちで彼を狙った攻撃の主はというと、こんなところへたった一人でやってきた美しい女性。

 幸か不幸か最悪か、あざ笑いを隠さない彼女はオドレ三女神として有名な存在だ。

 その顔と名はアヴェルレスに知れ渡っており、マギルマに雇われの身であるスウォラも知っている。


「炎の魔法使いオビリアだな。私も聞いたことがある。その炎、つまり君の魔法だが、どうやら相手の魔法の効果さえ焼き払ってしまうようだ。これでは奥義を発動させたところで無意味かもしれん。短期決戦は難しいか」


「いいえ、すぐに終わるわ。あなたが私の炎に焼け散ってくれたらね!」


 相手がただならぬ者であることを一目見たのみで悟ったオビリアは、手心を加えぬようにと最初から全力で挑む。長期戦にもつれこんだ場合に不利となるのは、体力が劣っている彼女のほうなのだ。相手が強ければ強いほど、無駄に戦いを長引かせぬよう最初の一撃で確実に仕留めるべきなのである。

 オビリアの生じさせた暴れ狂う激しい炎が、瞬く間にスウォラを取り囲む。

 それを確認した彼女はしかし油断を許さない。

 燃え盛る火の手に閉じ込められた敵には、もはや逃げ場がないことを想像しながら、さらに念入りに葬り去るため、いささか過剰とも思えるほど炎の威力を増大させていく。

 一方で術者のオビリアは対象から視線を外さぬまま少しずつ後ずさって、火炎地獄と化した処刑場から遠ざかる。この状況下でも炎の中に閉じ込めたスウォラから離れるように後方へ動いたのは、やはりただならぬものを感じずにはいられなかったからなのかもしれない。


「さすがに桁違いだな」


 わずかでも触れたものを、一瞬のうちに溶かし尽くす灼熱。

 何人もの敵対者を骨ごと塵に変えて葬ってきた業火。

 あまりにも強力であるが故に決してノーリスクでは扱えず、これまで幾度となく彼女の身体に負担をかけてきた諸刃の剣とも言える魔法である。

 しかしその中心点に立つスウォラはまるで焦りを見せていない。


「心頭滅却、精神の統一。気と体と心を研ぎすませ、一点突破ならば……。いささか無粋ではあるが、破らせてもらう!」


 鍛錬に鍛錬を重ねることで会得した特殊な呼吸法と、生まれ持った魔力の流れを操る能力とで、わずかな間ではあるが、完璧と思われたオビリアの魔法に小さなほころびを作り出したスウォラ。

 オビリアが異変を感じたときにはもう遅い。

 巨大な炎の壁には人間一人分の穴が開き、そこから彼は飛び出して来た。

 取り囲んでいた火の壁を崩して逃げ出した彼を追うように炎をあおいでも、脇目も振らず一直線に駆け抜けるスウォラには達しない。


「な! かいくぐって来るというのっ?」


「魔法によって発生する炎である限り、場を支配し魔の流れを熟知する私には通用しない!」


「厄介な男!」


 だがまだ距離はある。

 相手は接近戦でこそ本当の実力を発揮する格闘家であればこそ、オビリアはこれ以上スウォラに接近される前に彼の行く手を阻む必要があると、もう一度、奇をてらわず真正面から最大火力の火炎魔法を浴びせかける。致命傷を与えられないにせよ、これで普通なら足を止められるはずだった。

 ところが、これをスウォラは避けずして打ち払った。

 両腕を前に突き出したまま、前傾姿勢で突き抜けてくる。

 もちろん彼は命知らずに特攻をかけている訳ではなく、あらゆる魔法を相殺する魔力の壁を前面に発生させているのだ。これはスウォラにも難しい高度な術であって、なかなか持続させられない不完全な一時しのぎ的な技ではあるが、この一瞬を切り抜けられればそれで良い。

 なぜなら疾駆するスウォラがオビリアの喉元に達するまであと数歩。

 たった三歩。

 あとひとっ飛びなのだから。


「対魔格闘術……! なんて下劣!」


 瞬時のうちに湧き上がった憎悪と憤怒の感情に任せて、きつく歯を食いしばったオビリアは手のうちに魔力を小規模に圧縮した上で、これまでで一番強力な指向性の爆発を前方に向かって発生させる。

 人間一人を木っ端微塵に吹き飛ばすには、十分過ぎる威力の爆風だ。衝撃で地面がめくれ上がる。

 しかしそこにスウォラの姿はない。

 まるで最初から誰も存在しなかったかのように……。


「さては幻影! おとりを見せたのね!」


 言うが早いかオビリアは膝裏に強烈な打撃を受け、その反動で地面に膝をつかされる。

 自身の幻をおとりにして背後をとったスウォラがオビリアをうつ伏せに押し倒す。

 まずはひねり上げた右腕を肘の関節とは逆方向に曲げて骨ごと折っておいて、その激痛に気を取られている彼女に魔法が使われるよりも早く、そして確実に意識を奪うべく、さっとまわした右腕で首を絞めつつ、空いた左手の親指をオビリアのこめかみに突き立てる。

 そして彼女の脳へと直接、相手の気を失わせる強力な念を送り込もうと力を込めた。

 が、しかし寸前で飛び退くスウォラ。

 彼女の身体の内側から放出される魔法の気配を察知したのだ。


「禁じ手を……使わせてもらうわ……!」


「なりふり構わぬということか」


「ええ!」


 あろうことか、窮地に陥った彼女は全身に炎をまとったのである。

 単なる炎ではない。己の身を守ると同時に敵を焼く、攻防一体の奥の手であろう。

 直後、地面から起き上がったオビリアは火炎を噴出させると加速しながら回転して、その回転力を活かして至近距離にいたスウォラの上半身へと蹴りを入れる。

 とっさに反応して魔力を込めた腕で受け流す彼だったが、触れた肌が赤く腫れ上がり焦げ臭い煙を上げた。


「さすがに焼けるか、これではな……」


 先ほどまでと比べて格段にパワーアップしている。まともにやり合って勝てる相手ではない。

 その動き、その威力、戦闘に特化した化け物の域だ。

 あまりに強力な魔法を目の当たりにしたスウォラが半ば感心しつつあきれていると、そこへ立て続けに次の攻撃。火の粉をまき散らしながら足を振り回して襲いかかってくる。

 これは冷静に見切って反撃を試みるが、やはり全身を炎で包み込んだオビリアに普通の攻撃は通じない。それどころか、かえってダメージを受けるのはスウォラの方である。

 攻撃は無駄。となると、突破口が見出されるまでは防戦に徹するしかない。

 と、ここでオビリアに新たなる動きがあった。

 背中から火炎を放射しながら、爆発的に加速しての突進だ。

 あまりにも速い。速すぎて気がつけば接近を許している。

 慌てて魔力の壁を作り出して盾とするものの、もはや直撃は避けられず、やすやすと打ち砕かれる。

 衝撃を消し去れなかったスウォラは大きく吹き飛ばされ、ほとんど叩き付けられるようにして地面に転がるが、なんとか受け身だけはとれたようだ。ところが安堵するのもつかの間、そこへ何発もの火球が飛来して追い討ちをかける。

 放物線とは異なる独特な曲線を描いた軌道を見るに、おそらく追尾性の遠距離魔法。すべてを回避することは不可能なほど困難。

 そう判断したスウォラは膝立ちの状態のまま、右腕と左腕を交互に駆使して火球をはじき飛ばす。

 いやそれは酷使だった。火球をはじき飛ばし続けた両腕は、ぼろぼろになったと言っても過言ではない。肌は焼けただれて腕は骨折し、力どころか魔力を込めることさえ難しい。

 ここへさらなる追撃をかけられれば、熟練の格闘家であるスウォラとても万事休す。

 しかしオビリアは突進攻撃の直後に連続して火球を放ったことで疲弊したのか、一時的に動きが止まっていた。シューシューと不気味な音を立てているのは魔力切れか深呼吸か。必死にあえいでいるようにも見える。


「万全というわけでもないようだな。せめてもの救いだよ」


 その様子から見て、禁じ手を発動させた彼女が自分の能力の限界ぎりぎりまで無理をしているとスウォラは看破するに至る。

 そもそも禁じ手には禁じるだけの理由がある。

 おそらく体への負担が大きいに違いなく、あの火だるま状態が長くは続くまい。


「……なら、そこに勝利への鍵があるのかもしれないな」


 そこでスウォラは奥義の一つでもある、制御された瘴気を送り込む作戦に出る。

 実のところを言えば、瘴気を操る行為は彼にとっても無視できないリスクがあったものの、十中八九かそれ以上の確率で、自滅するのは相手が先だろうと予測したスウォラである。

 すでにオビリアは我を失っているため、自分をコントロールできていないのだ。


「覚悟してもらう。恨むなら我が身を呪うのだな」


 体内に取り込んだ魔力を瘴気に変えて放出する。すると真正面から大量の瘴気を浴びた彼女は見るからにもだえ苦しむ。反撃に出る必要性を感じたのか再び炎をまき散らしながら動き始めたが、スウォラとて何度も同じ手は食わない。

 動きが大味になっているオビリアの隙をついては瘴気を発生させながら、やはり勢いだけは衰えない彼女の追撃から逃げ回っていたときである。

 突如として物陰から毒々しいピンク色の液体が彼女に向かって浴びせかけられた。不思議に目立つスライム状のそれは、燃え盛るオビリアの体にまとわりついてしまうと、彼女の動きを制限するように締め付け始めるではないか。まるで興奮状態にある野生動物をなだめているかのようだ。

 長いようで短かい刹那を経て、やがてオビリアが正気に戻る。

 全身を包んでいた火炎がすべて消え去り、禁じ手であった魔法が解除される。

 すると彼女の身体にまとわりついていたスライムが地面に落ちて、たちまち人間の姿に変身した。

 いや、より正確には戻ったといったほうがいいだろう。


「メイナ……」


 スライム状態に変身して飛びついたのは、他でもないメイナであった。

 ふらついたオビリアの肩を支えて、今にも倒れそうな彼女に寄り添って立つ。


「……オビリア様」


「わかっているわよ……。わかっているの……」


 上司であり敬愛する人でもある彼女を心配してやまないメイナの責めるような目。

 それを受けるオビリアは疲労困憊からか、いつもの覇気がない。


「無茶をなさってはなりませんと何度となく申し上げ続けてきたはず。なのに、また……。よろしいですか? 何事も引き際は肝心です」


「あなたが言いたいことはわかるわ。それが今だと言うんでしょう? この私に引け、と」


「ご理解いただけているようで、なによりです。さて……」


 ここでようやくスウォラに目が向けられる。

 すでに放出していた瘴気は止めている。敵に援軍があっては捨て身の作戦など変更せざるをえなかったし、なにより奥義の発動はスウォラにとっても負担が大きかった。

 それを知ってか知らずか、感情を読ませないメイナは優雅に首を傾けた。


「お見逃しいただける?」


 スウォラは返答を考えて、あまり迷わずに決断した。


「……いいだろう」


「でなければ死ぬものね。……お互いに」


 挑発的かつ自虐的にそう言い残したオビリアは、強引に腕を絡めてきたメイナに引きずられるようにして立ち去った。彼女らがいなくなった後には静けさだけが残る。

 本音を言えば、この場で確実にとどめを刺しておきたかったところではあるが、どう取り繕ったところで彼女たちを追いかける余裕など今のスウォラには残されていなかった。

 ひとまず付近の魔獣を退治するという第一目標を達成することはできている。

 強敵を相手に命拾いをしたのだと、前向きに考えて結論づけるべきだろう。

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