22 立ち上がる市民革命(下)
ハルフルートとピアナッツの二人に案内されるままアレスタたちが奥の広間に入ってみると、中央に設置された大きな円卓を取り囲んで、おおよそ十人前後の男達が雑談に興じていた。
扉を開いてハルフルートが入室したことに気付いた瞬間の彼らが見せた安堵を含めた歓迎振りから察すると、彼らもみな市民革命に参加する同志たちなのだろう。誰もが理想に燃える者に特有な独特の熱気をはらんでいる。
「それでは紹介しよう、みなさん。ここにいる彼らは――」
丸い円卓には上座も下座もないだろうが、たった一つだけ革張りの椅子が置かれていた特等席に迷うことなく腰を落ち着けたハルフルートが声を張り上げ、自身のすぐ隣まで引っ張ってきたアレスタたちをみなに紹介し始めた。
よそ者に過ぎないアレスタたちはいざ知らず、アレスタの背に乗っかっているカズハはカロン盗賊団として少なからず有名であったので、彼女の存在を認めた彼らからは控えめな歓声が上がった。
なにしろマフィアを欺くことができるかもしれないヘブンリィ・ローブの魔法を使える少女なのだ。まさか誰も無下にはしないだろう。
その正体が魔法を除けば非力な幼い少女であることはさておき、なんとしても戦力の補充がほしい市民革命団としては、ぜひとも同士の一員に歓迎したいところだった。
「ともに戦ってくれるね?」
とは、最後の最後にようやく口に出されたハルフルートの本心である。
形式上、その言葉はアレスタに向けられていた。ここに来るまでの道すがら、アレスタがギルドの代表者であることを自分から名乗っていたためである。
つまりこれは、一応のところギルドへの依頼なのだった。
「ともに戦いましょう……と、一つ返事で決めてしまうには考えるための時間と情報が足りません。ですが、悪名高きブラッドヴァンを止めるためにできることがあるのなら、喜んで手を貸しましょう」
あえて仰々しい口ぶりでそう言って、アレスタは右手を差し出す。けんか腰ではない。さわやかにハルフルートと握手を交わすためだ。
「喜んで手をお借りしよう」
集まっている仲間を鼓舞するためであろうか、これ見よがしにアレスタの右手を握り返したハルフルートは周囲を見渡した。
事実上の協力関係が発足したことにより、円卓を取り囲んでいる男達の顔にも力強い微笑が浮かぶ。
そもそも彼らはあくまで一般市民であり、こうして革命団に入っているといってもめぼしい魔法能力はない。したがって、たとえ四人程度の数少ない協力者であっても、魔法が使えるであろうアレスタたちの助太刀を見込めるのは、彼らにとって千人力にも等しいのかもしれなかった。
「ちなみに、この組織の名前は?」
アレスタとハルフルートの手が離れたタイミングを狙って尋ねたのは生真面目な顔を浮かべたニックだ。うずうずしているところを見ると、ずっと気になっていたのだろう。
どうでもいいこととはいえ、体裁を気にしがちなニックとしては格好いい名前を期待しているのかもしれない。
「組織の名前? かつて我々は“ユーゲニアの春告げ鳥”を名乗っていたこともあるが、早い段階で捨ててしまったよ。市民革命に名前はいらない。ブラッドヴァンやらマギルマなどという、ああいう自己顕示欲ばかりが強いマフィアと違ってね。名無しであることが不都合なら、オーソドックスに市民革命団とでも呼んでくれたまえ」
「なんかそのままだね。僕らのギルドもほかの事を言えた義理じゃないけど」
まだ洒落た正式名称のないギルドである。名無しの彼らのことを評価できる立場にはない。
折角だからベアマークに帰るまでにはギルドの名前を考えておこうと思ったアレスタ。そんな余裕があればの話であるが、いずれは作らねばならないだろう。
そして円卓を囲んだ彼らに協力者として加わることになったアレスタ一行。
ここにきてようやくカズハを背中から下ろすことのできたアレスタはホッと一息をつく。しかしそんなアレスタとは違って、市民革命団の男達は血気盛んに議論を戦わせていた。
喧々諤々、もはや半ば喧嘩と言っても差し支えはあるまい。
どうやら市民革命団の一角を占めるらしい慎重派の意見に痺れを切らせたピアナッツは、好機をみすみす見逃そうとする慎重論の男どもを一方的に臆病者と罵って、自分はそんなやからとは違うと言いたげに荒々しく立ち上がった。
椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで、反り返らんばかりに胸を張っている。
「今こそ立ち上がるのは民衆の総意だ。革命はすでに望まれているのだよ。あとは実行するだけだ、我々のちっぽけな命を賭すだけ! 民意の結果、民衆の熱望という一言があれば、それだけで我ら市民革命団は最強の勇気を武装する!」
「左様!」
「右に同じく!」
主戦派を筆頭に列席者から口々に同意の声が上がる。市民革命団の盛り上がりは最高潮といったところか。沸騰せんばかりな熱量の前にあって、少数派に過ぎない慎重派の意見は抹殺されるに至った。
もちろん心意気が実際の戦力差を打ち破ることもありうる。
だが……。
「勝算なき自殺行為に巻き込まれるのはごめんだな……」
こっそりと呟いたアレスタは頭を抱えた。
オドレイヤとは直接会ったことがないアレスタだったが、これまでの話を聞いただけでも、一筋縄ではいかない強敵であることが推測される。少なくとも熟練の魔法使いであることは間違いない。ろくな対策を立てずに戦える相手ではないだろう。
ざっと見渡した印象では、市民革命団の中に専門的な魔法使いの姿はないようだった。
それはつまり、ブラッドヴァンと市民革命団との間に絶望的な戦力差があるということである。
「でも、やっぱり仲間は必要だと思う。私たちだけじゃ、さすがに無理よ」
こっそりとイリアスが耳打ちする。
本気でアヴェルレスのマフィアを打倒するつもりなら、確かに仲間は必要不可欠だ。アレスタたちだけでは不可能と言っていい。
フレッシュマンが結成したマギルマ、東西マフィアを配下に従えるオドレイヤのブラッドヴァン、それからハルフルートが率いる市民革命団に、ナルブレイドが所属するユーゲニア防衛騎士団などなど……。
このアヴェルレスには互いに争ういくつもの勢力が存在するようではあるが、現時点でアレスタたちに快く手を差し延べているのは、この市民革命団だけである。規模も兵力も何もかも、おそらく戦力的には最も弱い組織だろうが、マフィアとは無縁の市民革命団であるだけに、自由と平和を求めるアヴェルレスの民衆の多くは彼らを支持するだろう。
そういう意味では、最終的に最も組織力のある勢力に成長する可能性はある。
革命に直接的には参加しない市民たちによる、草の根的な協力も得られるだろう。市民革命とはそういうものだ。
もちろん、ブラッドヴァンという敵が強すぎるのが不安ではあるものの……。
悩んでいるアレスタをイリアスがじっと見詰めている。せかされている気がして、ええいままよといった心境でアレスタは腹を決めた。
「我々もギルドとして、マフィアとの闘いに協力はします。しかしながら、どうでしょう? できれば市民革命団における独立部隊として、ある程度の自主性を尊重していただけると幸いですが……」
それが認められれば、万が一にも彼らの無茶な作戦に翻弄される危険性は少なくなる。その一方でアヴェルレスの情報など、市民革命団のサポートは受けられるはずだから、あくまでも独立部隊としてなら、形式的に彼らの組織に所属する価値はあるだろう。
わずかな時間であらゆる損得勘定を脳内で済ませたハルフルートは譲歩も早かった。
「致し方ありませんな。我々は我々、あなた方はあなた方。それで結構。……しかし、さすがに何もかも自由というわけにもいきますまい。あなた方への“依頼”という形で、我々の考える作戦を遂行していただきたい」
「それなら構いませんよ。なにせこちらは依頼あってのギルドですから」
「ところで一つ確認しておきたい。あなた方への依頼料は――」
「依頼料なんていりませんよ。こちらにいる間の食事を融通していただければ、それで」
「おお、そんな、たやすきこと! ――さぁみなさん、早速おもてなしだ! ここで今から歓迎会の食事としよう! 我々の頼もしい客人を盛大にもてなそうじゃないか!」
「異議なし!」
これには慎重派も主戦派も対立することなく同意が結ばれた。討論ばかりで腹が減っていたのだろう。つい先ほどまでは一触即発の雰囲気だった者同士も、食事と聞いてすっかり笑顔である。
議論は休戦ということか。あるいはもう決着をつけたつもりかもしれない。
数人の炊事当番らしい者が慌てた素振りで広間を出て、向かった先はきっと厨房じみた施設だろう。それがおしゃれなキッチンなのか原始的なかまどなのか、この廃墟の具合からはちょっと想像がつかない。裏庭に自給自足のための畑があっても不思議ではないのだが。
この際なので、いっそ食べられるものなら何が出てきても美味しく頂こうと思ったアレスタたちであったが、どうやら心配は杞憂であったようである。
生産から物流と、とかく補給の限られた異次元世界ユーゲニアにおいては、上流社会にしか許されないであろう食事が用意された。
香ばしい肉、新鮮な魚介、そして煮込まれたスープなどなど……。
全員が全員をして舌なめずりしているところを見ると、彼らは普段からこのようなご馳走を食べているわけではないらしい。
すると客人の手前、見栄を張ったのか。
あるいはもともと、この決起集会を盛り上げるため特別に用意していた豪華な晩餐だったのかもしれない。
「すみません、この、なんだか毒みたいな色の飲み物は?」
用意された食事の中に、アレスタが初めて見る飲み物があった。
それはいかにも毒々しい紫色の液体で、しかも苦い薬みたいな独特のにおいがきつい。危険察知能力の高い野生の動物なら、たとえ飢えていても避けて通るレベルである。
礼儀作法などどこ吹く風のカズハやニックは顔をしかめて鼻をつまんでいた。頼まれたって絶対に飲みたくないと言わんばかりに露骨なほど嫌な顔をしている。無礼な態度に映らなければいいが。
「ああ、ご安心を。それはパープルティーですよ。これがまぁ高級品でして、なかなか手に入れられる代物じゃありません」
「それはそれは、そんな高級なものを。では折角ですから、一口くらいは――うっ」
こんなものが高級なのか、これは安くても飲まないな――と誓ったアレスタである。
まずいくせに意地でも張っているのか、ピクリと眉をわずかにしかめただけのイリアスは、ほとんど上品な態度を崩さずあっという間に飲み干した。敵であれなんであれ、決して何ものにも屈しない元騎士としての誇りがそうさせるのかもしれない。
「口に合わないからといって残すのは負けを認めるようなものよ。それに失礼。快く提供してくれた相手にも、それからもちろんパープルティーそのものにもね」
「だったら残りはイリアスにあげるよ……どうもこの香りは苦手だ……」
「子供じゃないんだから飲みかけをよこさないで。ただでさえ気分が悪くなりそうなのに、これ以上飲んだら私だって吐いちゃうわ。それでもいい?」
「イリアスが吐いちゃうのはよくないな……それなら俺が吐いたほうがいい……」
「あなたも吐かないで」
まるで弟を注意するお姉さんのようにぴしゃりと言い放ったイリアス。
どこから取り出したのか、どうやら近くに置いてあったらしい砂糖の小瓶を手に取ると、身を乗り出したイリアスはアレスタのパープルティーに砂糖をどっさり投入した。
きつかった香りも、ピリピリと舌を刺激する苦味も、さすがに無慈悲な大量の糖分には勝てなかったのか、少しだけ甘さで中和される。
味もへったくれもない。高級品が台無しだ。
「これなら飲める。……おいしくもないけど」
「まーまー、ほら頑張って。料理のほうはとっても美味しいから、さっさと飲みあげて舌鼓を打とうよ。ね?」
いつの間にか小さく切った肉を頬張りながら、よだれをたらさんばかりにイリアスが満面の笑みを浮かべていた。その半分とろけた表情を見る限り、本当に美味しい料理らしい。
いつもクールで気取りがちな彼女には珍しく、すっかり油断した笑顔と落ち着きぶりだ。意外にもグルメなのかもしれない。
「ふぅ……。なんかこれ一杯でおなかいっぱいだな」
てこずりつつも、ようやく飲み終えたパープルティー。
たった一杯で満足したアレスタがへとへとになってカップを置くと、すかさず脇から新しいカップが回ってきた。しかもカップには紫色の液体がなみなみと注がれている。こちらから頼んでもいないのに、おかわりが来たようだ。なんとはた迷惑なサービス。
こんなに飲めるものかと、うんざりしようとしたところ……。
「どうか兄貴! こいつの処理、お任せします!」
と言いつつ渡してきたのは誰であろうカズハであった。
たっぷり砂糖を入れても飲めなかったらしく、ちょっとしか減っていない。一口だけ味見して心が折れたのかもしれない。ほろ苦いコーヒーなどと同じで、子供の口には合わなかったのだろう。
正直なところアレスタはもはや一滴たりとも口に含みたくないほどだったが、結局、彼女の飲みかけを頑張って飲み干すこととした。まるで本物の兄を見るかのようなカズハの熱いまなざしが、アレスタに有無を言わせなかったのだ。
いたいけな少女の期待と信頼を裏切ることはできない。
「ねぇアレスタ、ついでに僕のも……」
「やだ」
「うわ即答だね。しかもこっちを見てもくれなかったね。すげないやぁ……」
しょげたニックは仕方なく自分のパープルティーに口をつける。その姿は人生の落伍者じみて哀愁漂うが、アレスタも二杯目なので構ってはいられない。
とにかくこの自己主張の強いパープルティーを真っ先に始末しなければ、折角の素晴らしい料理が手元のパープルティーから立ち上る強烈な香りのせいでまずくなってしまうのだ。それはもったいないではないか。
……とはいえ食前にたっぷり二杯も飲むと、パープルティーは食欲を失わせるのに効果的だった。
ダイエットにいいのかもしれない。
「少しばかり、お話をよろしいかな?」
口に合わないパープルティーですっかり意気消沈した一部の人間を除いて宴もたけなわなころ、ほどよく暖まった座の頃合を見計らって、改まった口調のハルフルートがアレスタに声をかけた。
市民革命団とギルドの代表者同士の会話とあって、雑談しながら適当に料理をつついていた周りの人間たちも自然と声量を落とし、二人の会話に聞き入ることになる。
「我々に名簿はなく、また我々に名前はない。あくまでも形式上は明確なリーダーなき万人が形作る市民革命だからね。しかしあなた方には名前が必要だ。外世界からの協力者としての美しい旗印が。そこで私は考えた。とても素晴らしく、すごくいい名をね。あなた方のことは今後、対マフィア独立遊撃部隊……その名もギルディアンと呼ばせていただこう」
「……ギルディアン、ですか」
いまいちしっくりこないとは言えないアレスタ。さすがに気は遣う。
「名前なんてものは何よりもわかりやすさが一番だ。そうだろう? ギルドの人間だからギルディアン、これなら誰でも覚えやすい。そして二番目に大事なのは名前の響きだろう。格好いいじゃないか、ギルディアン。ディアンのところが特に気持ちがいい」
自分で考えておきながら、その命名センスを自分で褒めている。明日から自分がギルディアンとでも名乗りそうな勢いだ。
ここまで自信満々に自画自賛しているハルフルートを目の当たりにすると、何か正当な理由がなければアレスタにしても断りにくい。
「そうしてください」
もはや名前など何でもいいさと割り切って、苦々しい愛想笑いで答えるアレスタだった。