18 治癒魔法使いアレスタ
地響きを立てて去っていくクァ=トゥルーの巨大な後姿を見送りながら、半死状態のアレスタは自分に向かって治癒魔法を使用した。
本来ならすぐにでも追いかけて怪物の足を止めなければならないが、今はそれよりも気がかりなことがある。
やがてアレスタは自分への治癒魔法が完了すると、急いで立ち上がり、わずかばかり離れていたイリアスのもとへと駆け寄った。
「イリアス! しっかりしてくれ、イリアス!」
目を閉じて死んだように倒れていたイリアスだが、まだ息はあった。
呼びかけても反応がなく青息吐息の危機的な状態だが、かろうじて生きているのだ。
だが怪物の触手によって作られた傷口は大きなもので、大量の汗と血を流しながら苦しむイリアスは、誰の目から見ても瀕死の状態であった。
未だ出血も止まらず、一刻の猶予もない。
――くそ、なんとしても俺は彼女を助けたい!
――イリアスの命を救いたい!
アレスタは強く願った。自分の魔力すべてを、治癒魔法のすべてを、ただイリアスを助けるためだけに用いようと努力した。
しかし彼の治癒魔法は不完全な魔法だ。
どうしてもアレスタ自身にしか効果を示さない。
無駄だとわかっていても諦めることなどできず、吹き飛ばされて地面に倒れていたイリアスを胸元まで抱え上げると、アレスタは両腕の中に包み込むようにして彼女を抱きしめた。
――自分のことはいい。だけど、だけど……。
――なんとか彼女だけでも、イリアスだけでも助けてやりたい!
いつしかアレスタは目に涙を浮かべていた。
――どうしても俺は、今すぐに彼女の痛みを取り除いてあげたい!
――たとえ、その痛みを俺が負うことになったとしても!
心の中で叫んだ祈りが、ひょっとすると世界中を駆け巡る魔力の流れに沿って届いたのだろうか。
アレスタの献身的な自己犠牲精神が、一つの奇跡を起こす。
「アタシガ、チカラニナッテアゲルヨ!」
あの肩代わり妖精のテレシィが、どこからともなくアレスタの前に姿を現したのだ。
虚空から出現して二人の周りを蝶のように飛び回ったテレシィは、やがて傷ついたイリアスの肩にとまった。羽休めをしているのではない。傷ついた彼女の首筋にしがみつき、肩代わり妖精と呼ばれた不思議な力を駆使して、アレスタの願いを叶えようとしていたのだ。
その変化は、そばにいるアレスタにも手に取るようにして理解できた。
理屈ではない。感覚がアレスタに語りかけてくるのだ。
「治癒魔法が、イリアスにも伝わっている……? まさかテレシィが、俺の治癒魔法をイリアスに届けてくれているのか?」
アレスタの驚きは、暖かな魔力に包まれて意識を取り戻したイリアスにも伝わっていく。
「なんだか不思議な感覚です。全身の痛みが鎮まっていく……」
治癒魔法の効果は甚大だった。
絶体絶命の重傷であったはずの彼女だが、テレシィを介したアレスタの魔法によって驚くほど素早いスピードでイリアスの傷は完治したのだ。
それを最後まで見届けた妖精は喜んで飛び跳ねる。
「モー、ダイジョウブ!」
「……あっ、はい。あ、あの」
全身を縛り付けていた激痛が消え去り、ようやく落ち着いて頭が冷静になったのだろう。
イリアスは抱きしめられている自分の状況に理解が及ぶと、恥ずかしがっているのか、頬を朱色に染めてアレスタから離れた。
アレスタもアレスタで、そんなイリアスの乙女らしい反応を見ると急に照れくさくなってきたのだが、それよりも彼女の傷のことが心配だったので、少しくらい気まずくてもイリアスから目をそらすことはなかった。
「もう大丈夫?」
尋ねられたイリアスは、左肩にとまったテレシィを見詰めながら答える。
「はい大丈夫です。この子がいてくれれば、私はまだ戦えそうです。……もちろん、なによりもアレスタさん。あなたの力が必要ですが――」
「任せてよ、イリアス。君はもう一人じゃない」
今度こそ、ようやく彼は本当の意味で誰かの力になれるのだ。
それが嬉しくて、こぶしを握り締めたアレスタは微笑んで続けた。
「俺はね、イリアス。いつだって誰かのために剣を取り、矢面に立って一人傷ついていく君のためにこそ治癒魔法を使いたい。もう見ているだけじゃ駄目だと思った。俺はこの治癒魔法の力で、がんばる君を助けたいんだ!」
その言葉にはありったけの熱意が込められていた。
だからこそ、嘘偽りなく真摯に伝わったのだろう。
「ありがとうございます」
胸に手を当てて、イリアスは目を閉じた。
己のことだけではない。一人の大切な仲間として、アレスタのことを信じる。
そうなれば、彼女はより強くなれる気がした。
それを言葉にするまでに時間は必要なかった。
「アレスタさん。お願いです。あなたのその治癒魔法の力で、どうか私をサポートしてください」
イリアスは決意の込められた瞳でアレスタの目を覗き込んだ。
ちょっとした気恥ずかしさもあってアレスタは視線を横に流し、そこにいたテレシィを見る。
先ほどイリアスに治癒魔法の効果が現れたのは、アレスタの治癒魔法を彼女に届ける役目を果たしたテレシィのおかげである。だからアレスタは彼女に答えるより先に、これからもテレシィが治癒魔法のために力を貸してくれるのかと視線で確認したのだ。
その肩代わり妖精はアレスタから頼られることが嬉しいのか、人懐っこく穏やかに笑っていた。
不思議な感覚だったが、テレシィとの魔力的なつながりを確かに感じる。これなら自分自身に対してだけではなく、おそらくイリアスに対しても治癒魔法が使えるということを、この瞬間アレスタは確信するに至った。
「任せてくれ!」
頼もしいアレスタの答えを聞いたイリアスは一瞬だけ表情を緩めて、ホッとしたのもつかの間、ただちに力強くうなずき返した。
「任せます!」
そしてイリアスはクァ=トゥルーと互角に戦うための方法を練りだした。
といっても、難しいことをしようというのではない。
それまでずっと身に付けていた重厚な騎士の鎧を、その物理的な鉄壁の守りを、もう戦闘には用済みのものであるとして脱ぎ捨ててしまったのである。
たとえ高速化魔法を発動していても、重装備は軽やかな動きに制限をかける。それが強敵との戦いにおいては無視できないネックとなっていた。
しかしながら、反応速度上昇魔法によって強制的に身体スピードを上げて戦っている間は、かえってイリアス自身も受けるダメージが大きくなってしまうという重大な欠点もあって、今までは重い装備を脱ぎ捨てられずにいたのだ。
だが、今の彼女には単純な重装備よりも信頼できる仲間が誕生した。
イリアスは鎧の下に着込んでいた私用の薄着だけを晒して、身軽になった自分の感覚を確かめるように簡単なストレッチを試みた。先ほどかけられたアレスタの治癒魔法がきちんと効いているらしく、気になるほどの痛みや疲れもなく身体の調子がいい。
「俺は後ろから治癒魔法で援護するよ」
「お願いします。では、私はあの怪物を追います!」
「うん、わかった。テレシィ、イリアスのことを頼むよ!」
「モチロン!」
テレシィはうなずいて、振り落とされぬようにとイリアスの肩に止まる。
イリアスは二本の剣を構えなおし、すでに遠く離れつつあった怪物へと照準を定めた。
そして駆け出して、間もなく追いつくと、敵の視界の外から足止めの攻撃を試みる。
「てやぁっ!」
重装備を捨てたイリアスは軽やかなステップを踏むと、まるで重みを感じさせない華麗な身のこなしで両手の剣を振るった。反撃を警戒するよりも、効果的な攻撃を加えることを意識した足運びだ。
アレスタと彼の治癒魔法のおかげだろう。もはや負傷を恐れることもなく、半ば捨て身になって、獅子奮迅の活躍で怪物に挑む。
ためらいのない動作は無駄のない攻撃につながり、その波状攻撃は敵に決して隙を与えない。
積極的に攻勢を維持する果敢なイリアスに若干おされ気味ではあったものの、クァ=トゥルーも黙ってばかりはいられない。敵意をむき出しにして反撃を試みる。
すべての触手と九つの首がたった一人の敵を、すなわちイリアス一人を狙って動き出す。
身体を痺れさせるほど強力な毒霧を吐くらしい竜頭の数は全部で九つあるのだが、怪物の巨大な胴体から伸びる触手の数は倍以上もある。
それらがすべて彼女だけを狙って次々と襲い掛かってくるのだから、いくらイリアスが高速化の魔法によって主導権を握っていたとしても、ひとたび油断を許せば簡単に敵の餌食となってしまう。
「くっ……!」
ほんのわずかな隙や油断が彼女に深い傷を許す。怪物の攻撃によって左足をえぐられたのか、痛烈な痺れが走って踏み出すことが出来ない。
まるで力が入らないのだ。
支えを失って、またしても倒れこみそうになるイリアス。そこを狙って次の触手が彼女の命を消し去ろうと俊敏に動き出す。
このままなら回避もできず、連撃を受けてしまえば助かる見込みはない。
けれど彼女の背中にはしっかりと張り付くようにテレシィがいて、その後方には彼女を見守るアレスタがいる。
「大丈夫だ、イリアス! 君には俺がついている!」
戦っているイリアスは一人ではない。
怪物を相手に共闘してくれる仲間がいるのだ。
即座に発動したアレスタの治癒魔法が彼女の傷を癒す。
「助かります!」
わずかな時間で治癒魔法の効果を得たイリアスは、完治したばかりの左足に力を込めて、触手の攻撃を跳躍によって回避した。直撃ギリギリのところだったが、危なげない余裕すら感じさせる。
見とれるほどに優雅で、そして機敏で無駄のない動きだ。
それからの戦闘で、攻撃と治癒魔法は何度も繰り返された。
イリアスも勇敢に戦ってはいるが、それにしたってクァ=トゥルーも強い。彼女は攻撃をかわしながら剣を振るっていたが、同時に幾度となく負傷もした。捨て身の態勢だから無理もない。
かろうじて即死こそ免れていたものの、中にはひどい重症もあった。
普通ならば死んでいただろうが、そのたびにアレスタは彼女を応援する。彼女に張り付いている肩代わり妖精に支えられつつではあるものの、アレスタも全力の治癒魔法を連発したのだ。
どんな傷であろうと、たちどころに治癒してみせる。それは敗北なき戦い。もはや彼らの前に障害はないようにも思われた。ひたすら攻撃に徹する前衛のイリアスと、そんな彼女を治癒魔法でサポートすることに徹する後衛のアレスタが正しく役割分担され、怪物を退治するための万全の体制が整ったのだ。
けれどさすが真なる怪物か、クァ=トゥルーの自然治癒能力も侮ることが出来ない。すでに必要量の魔力は枯渇しつつあるというのに、どれほど攻撃を加えようとも弱まることがなく、なかなかどうして消え去る気配が見られなかった。
ここでこの真なる怪物を打ち倒すには、まだ何かが足りないというのか。
いや、そもそも人の身に神獣を討伐することなど出来るものなのか。
いつまでたっても終わりの見えてこない死闘に、さすがのイリアスとアレスタもあせりを感じ始めていた。先に体力が尽きてしまうのは、下手をすると自分たちのほうかもしれない。
治癒魔法を発動するアレスタにだって限界がある。
ベアマークの町から騎士団の援軍が来てくれれば……。
汗水にまみれながら、疲労しつつあった二人はそう願っていた。
「加勢いたします!」
そんな二人の願いが天に届いたのか、時を置かずして、本当に援軍が到着した。幻聴かと耳を疑ったのか、それでもアレスタとイリアスは驚いて振り返る。
そこにいたのはベアマーク騎士のサラだ。
風の精霊エアリンも連れている。
「おいアレスタ、頼れる仲間を連れてきてやったぜ!」
それどころか、駆けつけたサラの後方にはサツキもいた。彼が言う頼れる仲間とは、もちろんサラのことである。ベアマークに残って情報屋で情報を得たサツキは、町の出口で警戒に当たっていたサラと合流し、そのままリンドルへと向かってきたのだ。
予想以上に早い到着だが、ここへの移動に騎士団所有の馬車を使ったからだろう。
説明を受けるまでもなく漠然と事情を察したサラはイリアスの隣へと、そしてサツキはアレスタの隣へとそれぞれ駆け寄った。
「おいアレスタ、あいつが……?」
「デビルスネーク、だったはずです。なのですが、先ほどブラハムさんを取り込んだかと思うと、いきなり巨大化してしまいました」
「なるほどねぇ。それじゃこいつがクァ=トゥルーってことか」
サツキは思わず怪物を見上げて、ため息を漏らす。
あまりに異質な姿を見て驚いたのか、言葉を失ってしまいつつあった。
彼らの前方では今も懸命にイリアスが戦っており、そんな場所へと不用意に近づけば、怪物の攻撃に巻き込まれて二人は無事ではすまないだろう。
「クァ=トゥルー?」
素朴なアレスタの問いかけに、呆然としかかっていたサツキは正気を取り戻す。
「ああ。奴は旧時代の神獣だと聞いた。……だが、そうはいっても弱点がある。そもそもクァ=トゥルーは水属性の魔物であって、地上では本来の実力を出し切れないらしい。それからやっぱりこの辺りの魔力分布量では活動するのに十分な量が得られないらしいな。見ろよ、まだ翼が完成していないじゃないか。敵は強大だが、倒すなら今だ」
「倒せ……ますよね?」
「信じるしかないだろう。あの二人を。それは無理なことじゃない」
そう言ってサツキは視線を前方へと投げた。アレスタもその動きにつられて顔を向ける。
そこにはイリアスとサラの二人がいた。
イリアスの右後方で自分の立ち位置を得たサラは騎士らしく剣を構えつつも、その剣を直接攻撃の手段としては用いない。剣の腕前はイリアスに負けているのがわかっているからこそ、中途半端な手出しを躊躇したのだ。
その代わりとして、彼女は自身が得意とする魔法でイリアスを援護する。
剣の切っ先を向けた前方方向へと、次々と光の弾丸を放ったのだ。
それは使えるようになって日が浅く、きちんとした修練を終えていない攻撃魔法だが、今はためらっている場合ではない。力の加減が難しく、光弾の軌道を操るのも不安定だったが、相手が怪物ならば手加減する必要などないのだ。
これまであまり実戦で使用した経験のない未完成の攻撃魔法ではあるが、最前線で戦っているイリアスの邪魔にならないよう、なるべく怪物の頭部を狙って容赦なく発動する。
いくつかの光弾がうまく頭部に命中すると、衝撃によって身をよじらせた怪物は、ようやくイリアスのほかに存在する二人目の敵として認識したのか、サラへとその顔の一つを向ける。
いよいよこちらへも何か攻撃が来るかと、サラはおびえながらも身構えて、怪物からの反撃に備えた態勢をとる。
そのときであった。
まじまじとサラの顔を確認すると、それまで怒り狂っていたはずだったクァ=トゥルーの動きが、突如として遅く鈍重なものとなったのだ。
……サラのことを敵と認識することが出来ない?
世界を滅ぼしかねない暴虐の怪物としては不自然な挙動だ。
それはまるで彼女の登場に驚いて動揺しているような、いかにも人間らしい反応である。
そういえばデビルスネークだったときも、あの怪物にはどこか人間への攻撃をためらう様子があったようだと、このときアレスタは思い出していた。
あのときは、そう、確かにブラハムが言ったのだ。「最愛の人のことを思い出したから」などと、デビルスネークの動きが止まった理由を……。
ひょっとすると――と、何か重大なことに勘付くアレスタ。
だが、それはなかなか明確な言葉にはならない。
様子がおかしいとはいえ、敵は強い。油断ならない神獣を相手に戦っているのだから、今は余計なことを考えている余裕などないはずだ。
しかし、これは本当に余計なことだろうか……?
アレスタが一人考え込んでいると、隣のサツキが声を張り上げた。
「おいサラ、風だ! 奴は風の魔法に弱い!」
その声を聞いたサラは、肩に腰掛けている可愛らしい精霊に目を向ける。
「エアリン、お願いできる?」
「モチロンサ!」
そう答えたエアリンは怪物の顔、特に目を狙って、風の刃を繰り出して飛び回った。
威力は弱いが、いわゆる“かまいたち”のような魔法攻撃だ。
巨体を相手にして小さすぎる精霊エアリンでは、一見まともに太刀打ちできなさそうではあるものの、風に乗って縦横無尽に飛び回ることによって怪物を手玉に取っているかのように思われた。
それもそのはず、なにしろクァ=トゥルーは独立した首が九つもあるので、小さく素早い動きをするものに翻弄されやすい。さらにエアリンの魔法によって吹きつける鋭さを持った風が視界を遮るので、なおさら困惑せずにはいられなかったようだ。
イリアス、サラ、エアリン。三人の攻撃がクァ=トゥルーを追い詰める。
攻撃を受け続けるうちに徐々に怪物の勢力は弱まり、少しずつ最初にあった威勢を失っていく。
巨大な怪物にとっては魔力の枯渇も限界に来た。
そしてついにそのときを迎える。
「これで終わりです!」
「グギャアアアアア!」
凄まじい声量の断末魔を残して、あたかも泡がはじけ飛ぶようにして全身が砕け散った。
三人同時による最後の一撃を受けて、真なる怪物クァ=トゥルーは消滅したのだ。
すると、どうだろう。停滞していた嵐が瞬く間に過ぎ去ったかのように、立ち込めていた周囲の暗くよどんでいた空気が明るいものへと一変する。
それは平穏の香りに包まれていた。穏やかな村本来の風景である。
リンドル全体を覆っていた不気味なオーラは、怪物の死とともにすっかり消え失せたのだ。
「消滅した……。倒せたってことだよな……?」
もっとも体力を温存していたであろうサツキが、好奇心もあって恐る恐るクァ=トゥルーの消滅した地点へと近づいていく。そこには怪物の死骸のようなものが残されていて、まさか罠ではないだろうが、まだ何かあるかもしれないと彼なりに警戒してのことだった。
ところが、慎重に歩みを進めていたサツキを追い抜く影があった。
風の精霊エアリンである。
怪物の消滅地点まで飛び急いだエアリンは、その少し上空で滞空するように立ち止まり、なにやら意味深に目を伏せている。固く口を閉ざしているものの、何かを伝えたいように見える。
わずかに遅れて追いついたサツキは小さな子供に対応するような優しさで、なだめるように穏やかにエアリンへ問いかけた。
「どうした? 何か思うところがあるのか?」
「コレ……」
滞空しながら悲しそうに下を指差すエアリン。
その先を確認したサツキは驚いて目を見開いた。
「これ、まさか骨か? おいおい、こりゃ、どうも二人分の人骨だぜ……」
クァ=トゥルーの消滅地点となった地面に残されていたのは、おそらく人間二人分と思われる、バラバラに重なってうずもれた骨だった。
今まで怪物と同化していた人間が、その怪物の消滅とともに骨だけの状態となって残されたのだろう。
予想だにしなかった人骨という不穏な言葉を聞いて気になったのだろうか、ぞっとして顔を見合わせたアレスタとイリアスも、確認せずにはいられないと覚悟を決めてサツキのもとへと急いだ。
「おそらく、一つはブラハムさんのものでしょう。俺たちの目の前で怪物に取り込まれていきましたから、そう考えて間違いないはずです」
「じゃ、もう一つは……?」
「それは……」
アレスタは口ごもる。
何を言うにも、根拠となる確証がなかったからだ。
「ブラハムの仲間か、あるいは利用された人間と考えるべきか……」
難しく考え込んでしまったサツキはあごに手をやり、それを見たイリアスは首をかしげて思いを巡らせ、アレスタは口をつぐんで顔を伏せた。
誰も次の句を継げず、彼らは残された骨を囲んで黙り込んでしまう。
そんな悩める三人に遅れるようにして、どこか頼りない足取りで最後に到着したのは、なにやら顔色の優れないサラだった。
彼女はゆっくりと近づいて、その場に膝を落とす。
「……そんな」
サラは呟く。
「そんなことって」
「サラさん?」
アレスタは驚き、小刻みに震えているサラの肩を差し出した手で支えた。彼女の心を襲ったのは強い衝撃だったらしく、何か尋常ではないショックを受けている。
あまりにも弱々しい姿だ。
「――さんです」
「え?」
あまりの小ささで近くにいてさえアレスタには彼女の声が聞き取れず、支えているままでサラの顔を覗き込んだ。
「……エイクさんです」
言って、サラの口が小さく動く。
「私には、わかります」
「エイクさんだって? じゃあ、これがエイクさんの……?」
アレスタは驚きを隠すことが出来ない。
「でも、どうして? どうしてエイクさんが?」
混乱するアレスタに代わって、言葉を継いだのはサツキだ。
「なぁ、アレスタ。俺がベアマークの情報屋で仕入れてきた話によれば、デビルスネークの正体は召喚獣の一種だそうだ。つまり、あの巨大な怪物は何者かの手によって召喚されたということさ」
情報屋で仕入れた情報を思い出しながら分析しつつ、サツキはひとつの答えを導く。
「……残念ながら、この村で怪物を召喚することができたのは、おそらくエイクだけだろう。彼が優秀な召喚師である祖父の血を受け継いでいるのなら、その可能性は高い。デビルスネークほどの怪物になると、召喚した術者の命も無事ではすまないというからな、きっと彼も犠牲になったのだろう」
「…………」
一番高い可能性のある真実を指摘するサツキの言葉を聞いても、膝を屈したままのサラは顔を伏せたままで何も答えない。
肯定にも否定にも、彼女は首を動かすことがない。
誰からも反論がないと見えて、サツキは結論を急いだ。
「どうやらブラハムは本当に反魔法連盟の一員だったようだな。そして彼は、エイクがリーダーを務めるリンドル自警団の顧問だったとも聞いている。つまり、おそらくエイクは主義者ブラハムによって騙されて……」
「サツキさん」
ところが、それをアレスタが制した。
「たぶん、そうなのでしょう。でも、今は――」
そう言って、口を閉ざしたアレスタは気まずげにサラへと視線を送る。
サラはうつむいて茫然自失としていた。
さすがに決まりの悪さを感じたのか、顔を背けたサツキはアレスタの進言に同意した。
「わかったよ。なにも急いで結論を出すことでもないからな。今は口をつぐんでいよう。……すまなかった」
「ありがとうございます」
アレスタはそう言ってサラの様子をうかがったが、やはり彼女は心ここにあらずといった感じで、まだまだ安心できるものではなかった。
一方、風の精霊エアリンは、自分を召喚した主であるエイクの死を直感によって理解していた。召喚者である彼のことを親同然に慕っていたからこそ、その喪失は精霊にとっても大きい。
まるで人間が涙するように、悲しげな様子だった。
それはサラも同じことだ。いや、彼女はもっと深刻だったかもしれない。
なぜなら彼女は、誰よりもエイクのことを――。
「…………!」
サラは瞳を潤ませて、震えながらもきつく唇を噛み締めた。胸にこみ上げてくる救いようのない感情は、よりどころを失った彼女に深い悲しみと絶望を与えてくるけれど、どうしてもそれを認める勇気だけが足りなくて、いつまでも彼女に泣き出すことを許さなかった。
感情の激流は言葉にならない。嗚咽さえも吐き出せない。
自分の正直な感情と向き合えないほどに、このときの彼女はあまりに幼かった。
「……サラ!」
そんな彼女の姿はあまりに痛々しくて、弱々しいもので、このまま黙っているまま、何もせずにはいられなくなったイリアス。
自分より幼いサラにこれ以上の無理をさせてはいけない。
そう考えたイリアスはかつての先輩として、彼女なりの優しさあふれる強さによって、真正面からサラを抱きしめた。
言葉はない。
けれど伝わってくるものがある。
やがてイリアスの胸にしがみついたサラは悲しみに押しつぶされ、ついに堪えきれなくなっては、さめざめと声を殺して泣き始めるのだった。
イリアスの暖かな胸の中で。