15 村の青年達
現状、リンドル自警団は隊長一人を残して解散していた。
これまで長き伝統と実績を残してきたリンドル防衛のための自発的な武装組織であるが、その新しい隊長に一切の妥協を許さないエイクが就任してからというもの、彼の厳しさに耐えられなくなった若き隊員たちが相次いで脱退したためである。
リンドル生まれの優秀な魔法使いはそのほとんどが町に憧れて、自立できるほど一人前に成長すると、自分の適正にあった職を求めて村を出て行くようになった。
そんな新しい時代の影響もあるだろうが、現在のリンドル自警団を組織していたような若者の中には、残念なことに攻撃魔法を得意とする者は多くなかった。
もともと人口も少なく平和な村だ。のんびりと暮らす人々の間で、危機意識が急速に失われつつあったのも事実なのだろう。
十年前にリンドルで発生した事件、つまりデビルスネーク襲来のときを振り返って判断すれば、当時のリンドル自警団はまるで役に立たなかったといってもいい。
あの事件を無事に終息させたのは村に常駐していた自警団ではなく、村の騒ぎを聞きつけてベアマークから派遣された騎士団だった。
しかも対処に当たった当時の騎士団は非常に優秀であったために、かえって一つのミスを犯す。
不完全体だった状態のデビルスネークを素早く退治すると、その怪物についての情報が悪用されぬようにと秘匿するため、事件に関わったすべての村人に対して、事件前後の記憶を封印するという大規模な魔術を施してしまったのだ。
それは村人たちの心の奥底に芽生えつつあった“リスク管理の精神”を見事に消し去り、村の平和な歴史しか思い出さない安易な人々、つまり平和ボケした人間を大量に生み出したのである。
それは間違いなく、村の自警団の衰退に結びついた。
――村の平和を守るのも、すべて町の騎士に任せればいい。
それが、今の村人に広まっていた暗黙の了解であったのだ。
もちろんベアマーク騎士団としても、定期的にリンドルを巡回して治安を守っている。
しかしながら、高度魔法化都市計画を推し進める本拠地ベアマークの治安維持を優先するためか、昨今は寂れつつある農村に過ぎないリンドルへの巡回を軽視する傾向が、わずかながら騎士団にはあったのである。
ここ数年はより顕著で、わざわざベアマークの騎士がリンドルの敷地内に常駐されることもなかった。
ゆえに、リンドルからの連絡を聞きつけた町の騎士が到着するまでは時間がかかるのだ。それまでは村の平和を村人たちが自らの手で守らなければならない。
いかに襲い掛かってくる敵が強大であろうと、そうするより他に防衛の手段は残されていないのだから。
「くそっ、この化物め!」
先頭に立った一人の青年は毒づくものの、そう言ったそばから、情けない具合に体勢を崩して足踏みした。
かといって、彼は怪物から何か具体的な攻撃を受けたわけではない。森を抜けて村に来襲したデビルスネークの移動に伴って発生する地響きが、臆病風に吹かれていた彼の足元をふらつかせたのだ。
「て、撤退しましょう!」
「バカ言えっ! まだ何もしていないうちから逃げ出せるものか!」
「ですが今の我々では勝ち目がありません! 足止めさえも!」
「そんなことぐらいわかってる! わかっているが逃げられねぇ! だから俺たちはもう一度、こうして臨時のリンドル自警団として立ち上がったんだろうが!」
急場の自警団として集まった仲間達から当面のリーダー役を任された彼は、自分では実に勇ましいことを叫んだつもりだったのだが、その声は頼りないほどに弱々しく震えていた。それっぽく構えた剣にしてみても、ボロボロに錆び始めているのが明らかなほど、まるで手入れがなされていなかった。
それも無理はないことなのだろう。
なにしろ一度は自警団を脱退した彼らだ。その彼らが自分たちで自分たちのことを“臨時の自警団”だと言ったのは正しい。何一つとして戦いの準備がなされていなかったのだから臨時でしかない。
本音を言えば、日ごろから明らかに訓練不足の彼らには、どう戦えばいいのかもわからないのだ。
「とにかく隊列を組んでデビルスネークの動きを止めるぞ! おそらく町には連絡がいっているはずだ、騎士団の到着まで持ちこたえられればいい!」
「りょ、了解ぃ!」
この場に集った彼らは一時的に再結成されただけの、いわば急場しのぎの自警団である。
本来ならばリンドルの平和を守る自警団としての役割は、現時点における正式な自警団リーダーのエイクにこそ期待されていたのだが、肝心のエイクがどこにも見当たらなかった。
そのため、暫定的に元自警団のメンバーが集合して、慌てふためきつつも、ひとまずデビルスネークの対処に当たることになったのだ。
戦うために必要な訓練やら準備を一切していなかったのだから無理もないが、普通の魔物とは段違いに強力な怪物であるデビルスネークを相手にすれば、こうして再結集されたエイク不在の自警団はうまく機能することもできず、まるで歯が立たない。
体力的にも精神的にも、ここに集まった彼らは戦士としてはあまりに未熟であり、かような実戦のための十分な鍛錬が足りていなかったのだ。
けれども、まったく勝ち目のない負け戦を前にしてなお、かろうじて一同に統率らしきものがとられていたことは、もはや奇跡的である。身勝手に逃げ出す人間が一人も見当たらなかったのは、訓練されることなく育まれてきた彼らの郷土愛のなせるわざであろう。
あるいは破れかぶれの蛮勇か、またあるいは単純に無我夢中だっただけかもしれないが。
しかし正しい引き際を知らない素人の戦闘集団は、ときとして無慈悲な全滅を招き寄せる。威勢だけではどうしようもない相手を迎えたとき、ごり押し以外の意味ある作戦を、臨機応変に打ち立てることが出来ないのである。
「うわぁぁぁ!」
不幸な犠牲者が一人、デビルスネークの気まぐれによって選ばれた。
合計で八つもあるデビルスネークの不気味な顔。そのうち一番端にあった一つの首が伸びてくると、それとは別の首に気を取られていた一人の若者を狙って、その頭から体全体を飲み込もうと大口を開けたのだ。
そうして怪物の巨大な口によって上半身をすっぽり飲み込まれたところで、自分の絶体絶命な状況に気がついた彼は懸命に抵抗し始めた。
上下に並んだ鋭いキバによって体をがっちりと挟まれたまま、怪物に噛み付かれた青年はその胴体を地面から高く持ち上げられたが、そこで古めかしい剣を握り締めなおすと、一世一代の力を込めた彼はデビルスネークの口の内側につきたててねじ込む。
せめてもの反撃だ。
ところが奮闘する青年の横からは別の首が迫り、むき出しだった彼の下半身を襲った。ふたつのヘビ頭は協力して彼の体を頭と足の両側からくわえると、そのまま上下に引きちぎってしまう。あっけなく、まるで人間の骨肉をものともしない怪力である。
わずかな瞬間の出来事だ。
結果、デビルスネークの二つの首の間に大量の血をたらした青年の上半身と下半身が、それぞれ別々の首に飲み込まれた。
一人の人間という命ある存在を、デビルスネークはいとも簡単に、しかも見るも無残に捕食してしまったのだ。
「ひいいっ!」
仲間である青年が食べられてしまった衝撃はあまりに大きく、彼の仲間たちは悲惨な光景を直視していられなかった。これが戦闘の最中だということも忘れて、ただ呆然と立ち尽くす者も多かった。中には失禁するものもいただろう。あまりにも無防備である。
かりそめのリーダーとして選ばれていた青年は、これでは第二の犠牲者が出るのも時間の問題に過ぎないと直感した。それと同時に、この切迫した状況においては、仮にもリーダーとなった彼の判断が全員の命運を左右するのだとも確信した。
責任が重くのしかかる。
とりあえず、といったつもりで、とにかく悪い方向にある状況を打破するためにも彼は仲間たちへと指示を出すことにした。
実際のところ具体的な方策など何一つとして思い当たらなかったのだが、この場では何も言わないことこそが最も危険であると、そう結論付けたのだ。
統率のとれていない集団ほど危険なものはない。
嘘でも構わないから、とりあえず組織としてのまとまりがほしかった。
「敵の前で腰を抜かすな! 体勢を立て直すぞ!」
「立て直す、ですって? ど、どうやってですかっ?」
自警団の仲間たちは素直に命令に従ってくれるものとばかり思っていた彼だったが、とっさに返ってきた仲間からの声は戸惑いを伝えるものであり、すっかり不安と恐怖に震えていた。その声色は複雑で、暗にリーダーとしての素質がないと、あたかも彼を非難しているかのようでさえあった。
これにはさすがにうろたえた彼としても、まったく自分の頭で考えようとしない他人頼みな団員に向かって文句の一つも言ってやりたくなったのだが、今は仲間割れしている場合ではない。
それに自分から体勢を立て直すと命じた以上、どのように次なる陣形を取るのかを、ちゃんと説明する必要もある。でなければ誰も彼の命令に従いようがないのだから。
「ええい、二列横隊だ! 半円形になって、奴を取り囲め!」
「了解!」
たとえば小魚は弱くとも、大量の群れになって大型の魚に対抗する。一匹では立ち向かえなかったとしても、大きな集団の力は場合によって、あまりある個体差の壁を乗り越えるのだ。
そうしなければ自分が弱いこともちゃんと知っているのだろう。
おびえながらではあったものの、彼らは指示に従って隊列を組んだ。見かけ上は騎士団にも引けをとらないくらいには様になっている。
いくら一人ひとりの内心が臆病に負けそうなほど逃げ腰であろうと、もちろん彼らの根深いところにある本心では、このまま無様にデビルスネークを突破させるつもりなどないのだ。
ところが、彼らの新たなる陣形を見て闘争本能が刺激されたのか、不気味にうごめきだしたデビルスネークはゆっくりと前進を再開する。自分の進行方向を妨害する彼らを威圧するかのごとく、八つの首が順繰りに雄たけびを上げた。
デビルスネークを中心として巨大な爆発があったのかと疑うほど、大地と大気をまとめて揺らす、おぞましい咆哮である。
こうして勇敢にも自警団として再結集した彼らではあるが、一人ひとりのことに目を向ければ普段はあきれるほど温厚な村人たちであり、小さなヴォルフを相手にしても緊張を隠しきれないほどの戦闘初心者なのだ。
これには誰もが尻込みせざるをえなかった。
戦って勝てる相手ではない。誰もが逃げることを考えた。
「む、無理です! やはり不可能です! このままでは全滅です! 急いで逃げま……いや、ひとまず安全な場所まで撤退しましょう!」
「ばっ、馬鹿やろう! ここで俺たちが引いたら村はおしまいだぞ!」
「いいや、だからどうした! この際、村が終わっちまったって関係ねぇ! どっかの町で新しく生活を始めればいいさ! こんな田舎村なんかなくたって、やっぱ命のほうが大事だ!」
「な、なんてことを……! ああ、しかし俺も本心を言えば怖い! 恐ろしいのだ! リーダーの役目など重すぎて……。ぐぬぬ、ここにエイクさえいれば……!」
何人もの束になって戦っても、たった怪物一体にさえ太刀打ちできない歯がゆさ。己の弱さを悔いるようにきつく唇を噛み締めながら、ゆっくりと怪物から距離をとって後ずさりつつ、この場でリーダーを任されている青年は頭をひねった。
ただ一心に考える。
いつまでたっても姿を見せないエイクの代理として、臨時の自警団リーダーとなった責任感から追い詰められた彼ではあるが、彼なりに必死になって打開策を探しているのだ。
けれど勝算を探し求める彼にしても、自分たちが敗色濃厚であることは否定しようがなかった。せめて全滅までの時間をいかに長引かせられるか、それだけが問題であった。
そもそも彼らは素人集団の寄せ集めなのだから、まさか怪物相手に無傷で勝てるとも思ってはいない。町の騎士が到着するまでに少しでも時間を稼げれば、それで御の字だった。
「ええい、あと少しだけだ、少しだけがんばれればそれでいい!」
「……あぁもう! 少しだけ、ですからね!」
一体全体この絶望的な状況で何が彼らを奮い立たせたのか、おそらく彼ら自身にもわからなかったことだろう。精神的に追い詰められたからこそ、かえって火事場の馬鹿力に目覚めたのかもしれない。
さっきは弱気になって逃げ出そうと叫んだ若者も、今となってはそれ以上騒がず、ただ圧倒的なデビルスネークの姿に威圧されつつも、決して退こうとはしなかった。そんな彼は彼で自分の勇ましい精神状態を不思議に思っていたが、半ばやけくそなのだろう。窮鼠猫を噛むとはよく言ったものだ。
獲物の品定めするように、横一列に立ち並んだ彼らを一人ずつ見比べていたデビルスネーク。八つの首を天に向けて遠吠えすると、そのすべてを震わせる。あたかも地の底から響いてくるような不気味さに満ちた怪物の唸り声は、再び彼らの心を恐怖で揺さぶった。
またしても臆病風が吹き荒れそうになったところを、しかし彼らは懸命に持ちこたえた。
互いに顔を見合わせる。無言のまま奮闘を誓い合う。
そしてこの場に居合わせた誰もが、悲壮の覚悟を決めかかったときだ。
彼らの後方から、無謀な突撃を呼び止める叫び声があった。
「待たせたな、大丈夫か!」
「おお、待っていたぞ!」
振り返って答える隊長の声は、明るく弾んでいた。
無理もない、なにしろエイクを探して薬屋へ向かった青年が戻ってきたのだ。一度は全滅を覚悟した彼らの中に、希望の光が一筋、しかし確かに差し込んできた。
ところが、これはどうしたことか。彼らが期待していたエイクの姿は見えない。
一刻も早く戻るためにと、ここまで懸命に走ってきたのだろう。全身ぐっしょりと汗水を浮かべている彼の背後には、本来の自警団リーダーであるエイクの姿はなく、なぜか涼しげな表情を見せるブラハムだけが控えていた。
と、そのときである。
彼らの背後にブラハムの姿を見つけたからであろう、デビルスネークにそれまで漂っていた名状しがたき凶暴な闘志が、にわかに怪物から失われていった。
事情を何も知らない彼らにとっては不思議なことだったが、薬による一応の主従関係にあったブラハムの到着とともに、それを察知した怪物デビルスネークの動きが止まったのだ。
予期せずゆっくりと会話する余裕が生まれたことを知ってか知らずか、再結成された自警団の臨時リーダーを務めていた青年が、慌てて問いかけた。
「おい、そんなことよりエイクはどうしたっ? 俺たち自警団はここにいるんだぞ、リーダーがいなくちゃ話にならないじゃないか!」
「だめだ、エイクは家にもいなかった! エイクの代わりにブラハムさんを連れてきたが、肝心のあいつはどこかに消えちまった!」
「くそ、くそっ、あの役立たず! いつも威張り散らしていたくせに、いざって時に村を見捨てやがったのかよ! 一人で逃げ出したのかよ!」
すると端で会話を聞いていた他の青年達からも、次々と怨嗟の声が漏れだす。
「なんだよそれ、エイクの野郎! 俺たちを馬鹿にすんなよな!」
「村の一大事に自警団リーダーが姿をくらますって、無責任にもほどがあるぜ!」
非日常の権化たるデビルスネークへの恐怖や絶望感から発生したに違いないストレスが発端となって、姿なきエイクへの非難の連鎖が広がっていく。
――こうなったのは何もかもエイクが悪い。
――本物の自警団リーダーにこそ、すべての責任と原因がある。
ここに至って再燃した、エイクへの憎悪を込めた敵意や嫉妬である。
それはあらゆる責任転嫁であり、精神的に追い込められた彼らにとっては現実逃避の手段だった。
かつて無責任な理由で自警団を脱退していった彼らが、今さらになって正義感を出し、この場にいないエイクを槍玉にあげて、この事件のスケープゴートにしようとしているのだ。
最初は低くて静かに聞こえないほどの、しかしやがて堪えきれなくなったのか、最後には愉快に高らかな調子をもって、それまで黙って聞いていたブラハムが笑い声を上げた。
これまで口々にエイクを罵り合っていた彼らも、突如として聞こえてきたブラハムの不可解な哄笑には驚きを隠せない。
「ど、どうされました? 何がおかしいのです?」
「君達はいい、しばらく下がっていろ。ここは私に任せてくれたまえ」
「は、はい……」
半ば問答無用といった様子で名乗りを上げると、静かに冷笑をたたえたブラハムは強引に彼らを下がらせる。たった一人で、すでに落ち着きを取り戻していた怪物のもとへと歩み寄っていく。
それはやはり事情を知らない彼らからすれば、とても頼もしい姿として映ったことだろう。
「すごい、あのデビルスネークがおとなしくなっている……。さすが魔法学者、さすが自警団顧問だ」
「あぁ、本当だな。これならエイクなんて最初からいらなかった。ブラハムさんさえいてくれれば、きっと村は安泰だぜ」
「ブラハムさん、そのまま怪物を退治してください! お願いします!」
ややあって逃げるように安全圏に退いた彼らは一斉にときの声を上げ、単身で怪物に立ち向かったブラハムに一方的な期待を寄せる。
だがブラハムは彼らの声援に振り向いて答えることをせず、半ば無視して、まるで怪物と向かい合って対話をするかのように、堂々とデビルスネークの前で立ち止まった。
「これはプレゼントだ」
そう言って彼が取り出したのは、薬屋で調達してきたばかりの魔力増強剤。
そのカプセルを手元で割ると、忠実な飼い犬のような態度でブラハムを見下ろし続けているデビルスネークに向かって、ブラハムは勢いよくカプセルの中身を投げつけて与えた。
もちろん薬の正体を知らない背後の青年達から見れば、ブラハムが投げつけたのは攻撃作用のある劇薬だと思ったことだろう。
つまりデビルスネークを退治するための行動に見えたはずだった。
しかし実際には正反対だ。
ブラハムは怪物に魔力増強剤を与えたのである。
与えられた強力な魔力増強剤によって強制的に体内の魔力を高められたデビルスネークは、その巨大な体から四方八方へと、なんとも黒々とした怪しい輝きを放ち始めた。
それは影を放つ暗黒の光。
いかにも禍々しい闇のオーラである。
「なぁエイク、悲しいとは思わないか。なにも彼らだけではない。君が守りたいと言った世界なんて、所詮はこの程度のものさ。魔法による不幸と不平等と疑心暗鬼。あるいは他者の魔法能力を理由にした責任転嫁と差別、魔法を持つものと持たざるものが同レベルで繰り広げるくだらない見栄の張り合い……」
「ブラハムさん?」
なにやら様子がおかしいと悟ったのか、うっすらと懸念をはらんだ若者の呼びかけはしかし、すでに自分の世界に入り込みつつあるブラハムによって無視された。
悲しげに微笑んだブラハムは切実に声を振り絞り、十六もの瞳によって彼を見詰めている、もはや従順な使い魔となったであろうデビルスネークを見上げた。
「そこからならわかるだろう? 私が一度、きれいに世界を滅ぼそうとする意味が」
――世界は滅ぼされなければならない。
それは一つにはブラハム個人の妄執であり、また同時に、この世界から混乱の原因である魔法を消し去ろうと暗躍する、反魔法連盟の過激な思想でもあった。
それは魔法の存在を認めた上で世界平和を望む騎士団や、魔法を利用して治安を守るような自警団とは決して相容れることのない、まるで救いようのない悲しい極論である。
世界的規模で、魔法の力を一般社会や日々の生活に溶け込ませようとする風潮が広まった現在、魔法と魔法使いの存在を全否定する反魔法連盟の主張は、もはや時代錯誤であり、到底受け入れられるものではなかった。
もちろん、結果としては自己犠牲によって悪魔の怪物を召喚させられたエイクも、本来ならば反魔法連盟の過激な主張を否定する側の人間である。
「――――!」
しかし悪魔の怪物への不可逆的な変貌は、平穏を愛するエイクの希望を摘み取っていた。
召喚の代償としてデビルスネークに取り込まれたエイクは、その姿で懸命に何事かを叫ぼうとしたが、もはや人間として意味を持った言葉を発することはできなかった。
かろうじてエイクの理性と呼べる意識の一部が、この巨大な怪物の中で今も失われることなく続いているものの、それも弱々しくおぼろげなもので、いつ消えてしまうか。
このままではいずれ、理性のない凶悪な怪物に成り果ててしまうだろう。
どこか怒りとも悲しみとも受け取れるほどに曖昧で、けれど不気味な地響きが、デビルスネークを中心にして一瞬のうちに村を駆け巡った。
泣き喚いた怪物の咆哮だ。
それを不快な音ととして認識した自警団メンバーの誰もが耳をふさぎ、恐怖に胸を締め付けられる。また同時に彼ら青年は、その言いようのない絶望の中で、やおら目に闘志をともらせていくデビルスネークとブラハムの姿を驚きざま交互に見比べていた。
悩み苦しむ弟子を導く導師のような表情で、かつてエイクだったものの異様な姿を振り返ったブラハムは、その怪物へと高らかに命じる。
「さぁ、デビルスネークよ。手始めに彼らを消してしまいなさい」
淡々と残酷な命令を下したブラハムの言葉に驚愕した彼らを全滅させるのに、わずかながらにも人間としての部分が残っていたであろう心を殺してしまった悪魔の怪物デビルスネークは、もはや全力を出し切るまでもなかった。