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10 ベアマークにて (上)

 サツキさんと二人で情報屋の中に入ると、奥のカウンターにふてぶてしく座っていた店主は目ざとく俺たちの姿を発見して、テンション高めの声とともに身を乗り出してきた。


「よお、アレスタ! ちゃんとあの子の依頼は解決してあげたかー?」


「ばっちりです」


 情報屋店主の彼が言うあの子とは、町に住む少女チークのことだ。

 あの雨の日の依頼のとき、俺は逃げた猫の情報を求めて彼のもとを尋ねていたのである。

 なんでも猫は苦手ならしく、そのときは役に立たなかったが。


「なるほどー、そいつはよかったぜ。女の子が悲しむ顔は見るだけで胸が痛むからな」


「ですね」


 その意見には俺も同感だ。

 チークのような幼い女の子は、いつだって笑顔でいてもらうに限る。天真爛漫な少女の存在はそれだけで世界に潤いを与えるのだから。

 すると彼、情報屋の変態店主ことオーガンさんは、こちらを見てにっこり。


「それで今日は何をしに来たんだ? サツキと二人して深刻な顔をしているってことは、ひょっとして女の子の情報が狙いか?」


 そんなわけないだろ。

 余計な無駄話につき合わされるのはこりごりだ。ここは単刀直入に言っておこう。


「そんなことより、情報屋であるオーガンさんに尋ねたいことがあります。デビルスネークっていう怪物の話、どこかで聞いたことありませんか?」


「くはっ! おいおい、よりにもよってデビルスネークの情報かよ……」


「よりにもよってって、その反応からすると何か知っているみたいですね」


 知っているのならばぜひ教えてほしい。

 ところが素直に教えてしまうことを渋っているのか、わざとらしいくらいに難しい顔をする。


「知っていることには知っているが、残念ながらそいつは一級品の情報だな。かなり高くつくぜ? もちろんお前らの頼みなら教えてやれないこともないが、情報料をちゃんと払えるのか?」


「情報の対価ですか。おいくらです?」


「よし、耳打ちで教えてやろう。……ごにょごにょ」


「ふむふむ、なるほどー。……って、そ、そんなにっ?」


 驚いた俺はその場で腰を抜かしかけた。

 なにしろ情報屋のオーガンさんが俺に提示してきたのは、現在のギルド経営の調子では三年かかったって手に入らないほどの、それはもう驚くほど高額な情報料。

 これはもう間違いなく、今の貧乏な俺には支払えるわけがない金額であった。


「もちろん全額前払い、きちんと一括で頼むぞ」


「…………」


 しかも一括前払い。今すぐ大金を用意しなければ情報を得ることは出来ないという、あんまりな条件を聞かされて俺は言葉を失う。

 何を言ったらいいのかわからない。

 すると呆然と口を閉ざしてしまった俺を見て、同情でもしてくれたのだろう。文句の一つも言い返せない俺の代わりにサツキさんが指摘する。


「やっぱりえげつねーよな、お前の商売ってさ。たかが情報一つに大金はたいて身を滅ぼしてられるかっての」


「そうか? 俺からしてみれば当然の対価だと思うが。まぁしかし情報ってものは目に見える形がないからな、その価値を正しく理解できる人間は少ないのかもしれない。だが俺は言わせてもらう。世間の人間は情報の価値を軽視しすぎていると思うぞ」


「けっ、ぼったくり情報屋の詭弁だな」


 ぼったくりであるかどうかは情報の相場がわからないので結論を保留しておくとして、どうやらサツキさんは相当彼のことを嫌っているらしい。

 いつものことだけど。


「なんだよサツキ、そう言うなって。今日はやたらに冷たいじゃないか。……アレスタは俺の言い分を理解してくれるよな? なぁ?」


「ええまぁ、なるほど……。確かに世間的に価値のある情報は、その使いようによっては単純な武力や魔法よりも強い意味を持ちますからね。ですが、それにしたって情報料が高すぎませんか? もしかして俺の足元を見ています?」


 だとしたら恨めしい。せこいやり方だ。

 そもそも正規の取引市場がない情報の価値なんて相対的なものに過ぎないのだから、それを欲している人間に対して、一般的に考えられるであろう相場より高く売りつける悪徳商売もやりやすいはずだ。


「待て待て、アレスタ。勘違いしてもらっちゃ困るが、情報料の高さは欲が深いからってわけじゃないぞ? 俺が売っているのは情報だけじゃないんだからな。その情報を手に入れるまでのあらゆるリスクを含めて、つまり自分の命も売っているのさ」


「リスク?」


 いろいろなことを知っているから頼りになる情報屋だとは思っていたが、そういえばどうやって表には出回らないような情報を仕入れているのかを俺は考えたことがなく、あまり想像がつかないのも事実だ。

 情報を手に入れる際のリスク。そしてその情報を顧客に売る危険性。

 なるほど確かに一筋縄ではいかなそうである。


「よく聞け、アレスタ。俺が様々な情報を収集するために使っている他者への精神干渉魔法だが、こいつは帝国内では違法な手段なのさ」


「なっ! それって大問題じゃないですか」


 この国の法律は知らなかった。そして彼の得意な魔法も知らなかった。

 精神干渉魔法。

 つまり、強制的に自白させる魔法みたいなものだろうか。


「それだけじゃない。危険な情報を得るためには危険な人物とのやり取りがあるし、さらには手に入れた情報の提供や、そこから派生するデマの流布などによる様々な影響によって、思いもよらぬ人間からの恨みや憎しみを買う可能性だって否定できない」


「そんなの自業自得だろ」


 というサツキさんの小言はなかったものとして無視された。


「だから情報料が高額なのはリスクに対する保険みたいなもの、つまり高い金を払ってくれるような信頼できる人間にしか情報を与えないという意味もある。なにしろ安い金で売った情報というものは、その顧客によって安い扱いを受けてしまうからな。仮にも隠れ情報屋である俺の尻尾をつかまれてしまいかねないのさ」


 そこまで聞かされると納得せざるを得ない。いつしか俺も情報料に対する不満を言うことができなくなっていた。うまく言いくるめられてしまったのかもしれないが。

 だが仕方ない。

 いざというときはブラハムさんを直接ここに連れてこよう。


「わかりました。さすがに今すぐは支払えないので、デビルスネークの情報は諦めます。そもそも今日の目的はそれじゃなかったので……」


「目的?」


「えぇ、まあ」


 サツキさんと二人でギルドを出てきた理由なんて、さすがに気まずくて言えるわけがない。さてどうするかと俺が何も答えられずにいると、あっけらかんとした様子でサツキさんが答える。


「目的ってほどじゃない。ここに寄ったのは単なる気晴らしさ」


「ふーん、気晴らしねぇ。そう言われると今日は元気がないように見えるな。なぁアレスタ、お前に何があったのかなんて知らないし、あえて聞かないことにするが、女の子の情報なら安くしとくぜ?」


「あはは、それはお断り――」


 しようと思った俺は、ふと思い出した。

 どういう心境になったのか不明だが、わざわざ向こうから安くしてくれると言っているのだ。

 この際ついでだから本当に“女の子”の情報でも聞いておこう。


「……いえ、だったら教えてほしいことがあります」


「ほー? 半分冗談だったのに本当に知りたがるとは思わなかったぜ。しっかしそうか、女の子の情報か。ふっふっふ、お前が知りたいのは誰の情報だ?」


「はい、それはですね……」


 詳しく知りたいあの子の名前を言おうとしたところ、いきなりサツキさんに遮られた。


「おいおいアレスタ、まさかイリアスのことをこいつに聞いて調べるつもりか? お前が彼女のことで悩んでいるのはわかるけどさ、情報屋に頼るのはちょっと卑怯だぜ」


「ち、違いますよ、サツキさん!」


「じゃー誰だよ?」


 何を勘違いしたのか、むっと唇を尖らせたサツキさんが批判的な目を向けている。

 ひょっとすると調子に乗って女の子の情報を知りたいとか言い出した俺のことを軽蔑しているのかもしれない。だとしたら悲しいな。どこかの変態と同じように見られているようで。

 もったいぶって隠すことでもない。ここは素直に答えておこう。

 誤解されたままでは今後に関わる。


「厳密に言えば女の子とは違うのかもしれません。俺が知りたいのはテレシィ、つまりベアマークやリンドルで噂になっている肩代わり妖精のことです」


「え、それ女の子なのか……? いや、俺は見たことないから実感ないけどさ」


 妖精であるテレシィが女の子ということに納得がいかないのか、なにやら一人で性について悩んだらしく、それきりサツキさんは口を閉ざしてしまった。


「ほほう? アレスタが知りたいのは肩代わり妖精テレシィのことか?」


「あ、はい。情報屋としては何か知っていますか?」


「まぁな。自慢じゃないが、人々の間で噂になっていることは大概すべて知っている。苦手な猫について以外はな」


 本来ならば大言壮語にしか聞こえないのだが、彼が情報収集のために使っている精神干渉魔法というものが真実なら、この言葉もあながち嘘ではないだろう。

 それに、たとえ人々の噂レベルの情報でも無視は出来ない。

 ここは低姿勢になって、彼が知っているすべてを聞かせてもらおう。


「じゃーまずはこちらから質問させてもらおうか、アレスタ。肩代わり妖精は苦しんでいる人のもとへ現れるわけだが、それは何故か知っているか?」


 なぜ妖精は苦しむ人の前に現れるのか。

 俺が風邪を引いて寝込んでいたときはテレシィの存在など知らなかったのだから、助けがほしくて俺が呼んだというわけでもないのだろう。

 つまり肩代わり妖精である彼女のほうから自発的にやってきてくれたわけだ。


「……たぶん何か、彼女にとっての大切な理由があるとは思いますが」


 その答えを期待していたのか、彼はニヤリと笑う。

 なかなか気持ち悪いな。


「そう、大切な理由。ただ助けたい、それだけの思いで姿を見せるのさ」


 そして、こちらに顔を近づけてくる。


「すごいだろ? 感動するだろ? お前らも人助けのためには目先の損得勘定を抜きにして、粉骨砕身して事に当たれよ」


 全く同感だ。お前に言い返してやりたいよ。

 その後も折角の機会だからと、あれこれとテレシィに関する話で盛り上がったのだが、そのほとんどはすでに俺たちのほうでも調べがついている内容だった。


「今どの辺りにいるのかってわかりませんか? 探してはいるのですが」


「それはわからん」


「え、わからないんですか? 期待したのに残念です」


 違法な魔法を使ってまで情報収集をしているらしいが、さすがになんでも知っているわけではないらしい。まだ人々の間でさえ具体的な噂になっていないからか。

 しかし情報料は前払いしか認めていないのだから、今後は気をつけたほうがよさそうだ。

 彼が持っている情報は必ずしも完璧ではないと留意しておかねば、くだらない情報に大金をむしりとられてしまいかねない。


「なにしろ当の召喚者が死んでしまったって話だからな、それでも魔力が途絶えずに存在し続けるテレシィってのは孤独な妖精なのさ。誰かが飼い主にでもなってサポートしてあげられればいいんだが……」


「そうですね、どうにかしてあげられるといいんですけど」


 まともに喋ったこともないのだから、俺にはテレシィの気持ちはわからない。

 けれど、彼女を召喚したはずの術者がいなくなった今も一人でこの世界をさまよい、苦しむ人々の身代わりになり続けている妖精のことを考えると、彼女に一度でも世話になってしまった俺は、なんとかして力になってあげたいと考えてしまうのだ。

 いったい何をすれば肩代わり妖精のテレシィが喜ぶのか、幸せになれるのか。唯一使える治癒魔法ですら自分自身にしか効果を発揮しない未熟な俺なんかでは役に立てないのかもしれないが、だからといって無視できるものでもない。

 ……などと考えているときだった。


「ふっふっふ、いい話を聞かせてもらったぜー」


 俺たちが会話していた背後から突然の登場人物が現れた。

 店主であるオーガンさんは不審者を前にして、露骨に警戒心を見せる。


「ああん? 誰だよ、お前? 俺の店に勝手に入ってくるな」


「はっはっは、一見さんお断りなんて入り口には書いてなかったぜ?」


 どこかで見たような顔……というか、ちょっとした知り合いだ。


「ドガスさんじゃないですか」


 酒場でアギトさんと飲み比べしていた酔っ払いだ。

 こんなところまで何をしにきたのかは知らないが、また厄介ごとに巻き込まれてしまいかねない予感がした。危機ならば回避したい。


「お、誰かと思えば酒場にいた若者か。あのときの俺は酔っ払っていたが、なんとなく覚えているぜ」


「そりゃどーも」


 興味なさげな振りをしてサツキさんは肩をすくめた。

 あのとき酒に酔っていたドガスさんは面倒くさかったので、あまり関わりあいたくないのだろう。


「そういえばもう一人はどうした? 俺様を介抱してくれた男だ」


「もしかしてニックのことですか?」


「そうだ、そいつだ。ニックって奴にはあれから一晩中俺様の愚痴に付き合ってもらったからな。いやー、ストレス発散のためにずいぶん世話になったぜ。また酒の相手を頼みたいものだ。今度あいつに会ったらよろしく言っといてくれ」


「わかりました」


 なるほど、ニックもたまには人の役に立つらしい。

 ずっとギルドにいられても迷惑だから、月に数度はドガスさんにレンタルしてみよう。おそらくニックのことだろうから嫌がるだろうけど。

 そんなことをしていると、情報屋店主のオーガンさんが警戒した表情のままドガスさんをにらみつけた。彼らは初対面らしいから、様子をうかがっているのだろう。


「無駄話はいい、客なら早く用事を言え」


「おっと、そうだったな。いや用事ってわけじゃないんだが、ちょっと前を通りかかったら肩代わり妖精なんていう、とっても面白そうな話が聞こえてきたんでな」


「アホか。外まで聞こえるわけないだろ。うちの窓は防音性に優れている特注品だ」


「え、普通にドアが開いていたぞ? たぶん閉め忘れていたんじゃないか?」


「な、なんだってー!」


 オーガンさんはその場でひっくり返りそうな勢いで驚いた。口をぱくぱく、目を白黒させているので、こういっちゃなんだが見ていて面白い。思わず笑ってしまいそうだ。

 だがしかし、いつまでも暇をつぶしているほど心に余裕があるわけでもない。何故かショックで放心状態となったオーガンさんに代わって、俺が彼との会話を代行しておこう。


「肩代わり妖精テレシィについての話題が聞こえてきて興味を持ったって言いましたが、具体的にどうするつもりです? まさかドガスさんも探すんですか? 誤解しているのかもしれませんが、テレシィは酒の妖精じゃないですよ?」


 すると、ドガスさんは肩を揺らして豪快に笑った。


「どーするって、そいつを捕まえて売れば金になるだろ? いやぁ助かった、今月はもう酒代がピンチなんだ。げっへっへ、肩代わり妖精で一攫千金を狙ってやるぜ!」


「んな……!」


 これはとんでもない下種がいたものだ。

 あの純真無垢なテレシィを売るなんて、にわかには信じがたい話である。

 ふつふつとわいてきた怒りと、いっそ殴り飛ばしてやりたい衝動が俺を奮い立たせようと襲ったが、短絡的に行動してはならないと思った俺はグッとネガティブな感情を抑えた。

 俺の手で怪我を負わせてしまったドガスさんの目の前に、何も知らないテレシィが現れてしまったら泣くに泣けない。


「行きましょう、サツキさん。こんなところで油を売ったって金にはなりません」


「ふーん、もういいのか? まぁ別にどうでもいいけどさ、用事もないし」


 俺はむしゃくしゃする気持ちをおとなしく押さえ込むことが出来ず、とりあえず頭を冷やすためにも外に出たいと考えた。

 テレシィを捕まえて売り飛ばすと笑いながら言ったドガスさんのことを許すことが出来ず、とてもじゃないが冷静な状態では彼の顔を見ていられなかったのだ。


「なんだぁ、お前らはもう行くのか? 折角のチャンスだというのにもったいないな。俺様はもう少しこいつから話を聞かせてもらうとしよう」


「そうしてください。たぶんドガスさんには絶対に捕まえられないと思いますが」


 少しだけ挑発的にそう言い残した俺は、ほらほらとサツキさんの背中を押して出口に向かう。

 するとタイミングよく気を取り直したのか、店を出ようとした俺たちに向かってオーガンさんが声を張り上げた。


「そうだ、帰るのなら城にでも寄って行ったらどうだ? 調べているというデビルスネークについてだって、お前らなら領主に会って直接話を聞いたほうが早いだろう。それから、ちゃんとドアは閉めていけよ! 絶対だぞ!」


「わかりました」


「……それから。たぶん今日はまだ大丈夫だと思うが、念のため気をつけておけよっ!」


「……ん?」


 扉を出ようとしたその刹那、よくわからない意味深な忠告をされてしまった。だが抽象的過ぎる忠告だ。あまり気にしないほうがいいかもしれない。

 思わせぶりなことを言って、不要な情報を売りつけようとする算段かも知れぬ。

 その手には乗るか。







 というわけで、ついでだからと領主に会いに来た俺とサツキさん。

 衛兵の騎士たちまでが俺とサツキさんのことを知っていてくれたこともあり、煩雑な手続きを免除され、ほとんど顔パスによって謁見の間まで向かうことが出来た。

 とはいっても、もともとベアマーク城は領主の方針によって市民に開放的なので、よほどの理由がない限り追い返されたりはしないのだが。


「お久しぶりです。ギルド開設の際にはお世話になりました」


「いやいや、気にするな。ギルドについては私よりもイリアスちゃんのほうが一生懸命にがんばってくれたからな、礼なら彼女に言ってやってくれ」


「……はい。わかっています」


 もちろんだ。彼女には礼を言っても言い足りないくらいである。

 いつだって助けられ、支えられ、彼女がいなければ俺は今頃どうなっていたのかさえ想像できない。

 しばらくイリアスのことに思いを馳せていると、暇を持て余したのか領主が口を開いた。


「それで、あれから君の治癒魔法については何か進展があったのかな?」


「いえ、未だに自分自身に対してしか、治癒魔法の効果は見られません。機会があるたびに何度も試みているのですが、あまり成果は芳しくなく……」


 それは事実である。未だに俺の治癒魔法は不完全なのだ。

 本当は苦しむ人を助けようとするテレシィのごとく、俺も人のためにこそ治癒魔法を使いたいと願うが、それが現実のものとなるのはまだ遠い日のようだった。


「そうか、そうか。これは前にも話したとは思うが、伝説上の治癒魔法使いは負傷者の治癒から死者の蘇生まで、もっと豊富な治癒魔法を自在に扱ったのだ。それに比べると、君の制限された治癒魔法はいささか疑念が残る」


「自分でもこれが治癒魔法なのかわからなくなるときがあります」


「まぁ、実際そのほうがいいかもしれないぞ。なにしろ真の治癒魔法使いならば、私も君を野放しにはしていられないからな」


「やはり世界的には、治癒魔法使いは特別な存在なのですね……」


 ――治癒魔法使いは普通の人生を送ることが出来ない。


 それはかつて、治癒魔法が世界に巨大な動揺を与えたからだという。

 それを知らない俺にとっては理解できないことだが、現在でも治癒魔法は人々を救う英雄の証であるとともに、世界を根底から変えてしまうほどの力を持つ、魔王の証としても忌避されるものらしいのだ。


「だが安心したまえ。幸いにも、ここの領主は私なのだ。このベアマークにギルドの本拠地を置く限り、君の身分は私が保証しよう。危険な治癒魔法使いとしての嫌疑をかけられ、帝国の研究所や監獄に閉じ込められるのは困るだろう? 他にも君に興味を持ち、接触しようとする人間が現れるかもしれないからな」


「助かります」


 感謝を込めて頭を下げると、それに満足したのか領主は微笑んだ。


「ただし、あまり治癒魔法に関することで目立つ行為は控えてくれよ。さすがに伝説上の治癒魔法使いであると確定すれば、領主である私でも君をかばいきれなくなる。なにしろ治癒魔法は魅力的だからな。世界は君の命を狙うことになるだろう」


「そうですね。……ちょっと手遅れかもしれませんが」


 大々的に言いふらしているわけではないが、人前でも普通に治癒魔法を使ってきてしまったので、すでにベアマークでは治癒魔法使い(仮)として有名になりつつある。

 この噂が一人歩きして、ベアマークの外まで広がらないことを祈るばかりだ。


「それで、今日ここにきた理由は? おそらく私に話があったのだろう? ただの顔見せにくるような、殊勝な君たちではないだろう」


 よくわかっていらっしゃる。

 俺はできる限りの低姿勢で切り出した。


「実は、デビルスネークについて教えていただきたいのです」


「デビルスネークか……」


 その名を聞いた領主は表情を曇らせる。

 おそらくイリアスのこと、そして盟友だったというカイナさんのことを思い出しているのだろう。十年前の領主がどんな人物だったのかは想像さえできないが、少なくともデビルスネークの事件で心に傷を負わなかったとは思えない。

 どこか悩ましげにあごひげをさすりながら、まるで遠いあの日の面影を見るように、寂しさを覗かせた領主はため息をついた。


「デビルスネークの件については事情があって、いきなりすべてを教えることなどできない。そこで、まずは君に問いたい。どこまで知っている?」


「今からおよそ十年前でしたか、デビルスネークがリンドルに現れたということは聞いています」


 その先を言うべきかどうか悩み、一人で思考した結果として、俺は正直に伝えることにした。

 これから教えてもらおうというのだ、隠しても仕方があるまい。


「そして八歳の子供だった当時のイリアスが居合わせていて、その事件がきっかけでカイナさんが意識不明の重態になったことも、すべて彼女から聞いてきました」


「なるほど、だからデビルスネークのことを……」


 思い出すことがあるのだろう、領主は静かに目を閉じる。

 重苦しい空気が沈黙によって濃度を増す前に、俺は立て続けに言葉を続けた。


「それだけではありません。実はリンドルに滞在している魔法学者のブラハムさんという方が個人的にデビルスネークの調査をしていて、俺たちもその手伝いができればと行動しています。また現れないとも言い切れないのでしょう? いつか再びデビルスネークが猛威を振るう前に、安全のため、打てる手を打っておくべきだと考えます」


「……かもしれん」


 そう呟いた領主は、目を開いてまっすぐに俺を見た。


「真似をする人間が現れないとも限らないからな、万が一に備えて情報の漏洩を防いでいたのだ。いや、実際にはアレは召喚者が特別な素質を持っていたから可能であっただけで、その情報を得たところで、どうせ他の人間には真似することなどできないだろうが……」


 そこまで流暢に語ってくれた領主ではあるが、俺はとある言葉が引っかかった。


「……召喚?」


「おや? そこまでは知らなかったのか? 十年前、デビルスネークはリンドルの地で召喚されたのだ」


「つまり、デビルスネークは人の意志で呼び出されたと……?」


 まさかそんなことはないと無意識に思っていただけに意外な事実だ。

 デビルスネークが人の手によって召喚されたとすれば、それは今後再び召喚される可能性があるということにも等しい。

 いったい誰がなんのために、村を破壊するほどに凶悪なデビルスネークなどという怪物を召喚したのだろうか。

 ――と、そのときだ。

 考え事をしていた俺を妨害するように、城の外で大きな音がした。

 こちらまで振動が伝わってくるような、何かが崩れるほどの爆発音だ。


「何事だっ?」


「任せてください、俺たちが様子を見てきます!」


 何が発生したのかわからない以上、領主を危険に晒すわけにはいかない。

 そう考えた俺とサツキさんは不安顔の領主を謁見の間に残して、音の発生源である城外へと急いだ。

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