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9 二人のこと

 この町の中央地区に位置するベアマーク総合病院は、大まかに分類すれば一般外科と一般内科、それから魔術外科と魔術内科という四つの分科で構成されている。

 これらは基本的に、治療について魔法が関係しないものは一般分野、治療に魔法が関係するものが魔術分野の領域だと考えればいいらしい。

 したがって、酒場店主のバッシュさんが放ったオンアルコールの魔法によって体調を崩したアギトさんのことを考えれば、これから俺たちが行くべきは魔法内科だろう。

 初めて病院を訪れた俺は体調のすぐれないアギトさんに肩を貸しつつ、そんな病院についての説明を聞きながら、進行方向に迷いそうになった所々で口頭による道案内を受けて、なんとか無事に彼を病院までつれてくることが出来た。

 それから受付の待ち時間を利用して、俺たちはロビーの椅子に座る。


「いやぁ、すまなかったな」


「いえいえ、お気になさらず」


 時間経過によってだいぶ楽になってきたらしく、アギトさんの顔色も先ほどより回復しているようだった。オンアルコールの魔法がどのような影響を与えたのかわからないけれど、彼にとっては魔法による酔いの効果も一時的なものですんだのだろうか。


「しかし、またこの病院の世話になるとはなぁ……」


「また? もしかして前にも一度?」


「そうなのさ。そもそも俺みたいな人間が持っている特殊な魔法体質というものは、人が言うほど便利なだけじゃないからな。いきなり体調を崩すこともあるし、過去には長期の検査入院をしたこともある」


「難儀なものですねぇ」


 アギトさんのような特殊な魔法体質なんて、初めて聞いたときには利点ばかりの素晴らしいものかと思っていたが、現実的にはそうそう単純な話ではないらしい。

 それもこれも普通の人とは様々な点で異なる常識の通用しにくい体質なのだから、いついかなる状況で予想外の異変が身体に起こったとしても、決して不思議ではないのだとか。

 実際問題、彼らなりに色々と大変なのだろう。他人がどんな苦労や努力をしているかも理解せず、簡単に相手のことを羨ましがってはならないということだ。

 きっと暇つぶしのつもりだろう。アギトさんが話を振ってきた。


「そういえば知っているか?」


「何をです? 自慢じゃないですが、俺はほとんど何も知りませんよ」


「ふーん。じゃー、やっぱり知らないかもしれないな。肩代わり妖精っていう、なんとも不思議な存在のことさ」


「……!」


 俺は驚いた。まさかこんなところでテレシィの話題が出てくるとは思わなかった。

 しかしこれはまさに千載一遇のチャンスかもしれない。

 機会を逃すわけにはいかないと身を乗り出した俺はもっと詳しく教えてくれないだろうかと、鬼気迫る表情で必死にアギトさんに頼み込んだ。

 少し引かれてしまったが、隠すようなことでもないらしくアギトさんは色々と知っている噂を教えてくれてから、最後にこう言った。


「この病院での目撃証言が多いんだとよ」


「なるほど、そうでしたか」


 肩代わり妖精のテレシィは、苦しんでいる人間のところに出現する妖精だ。

 ならば苦痛にあえぐ患者の多い病院に現れるという話は、なるほど信憑性が高い。

 どうせ他には探す当てのない八方塞がり状態だったのだから、この機会を利用してテレシィを探してみるのも面白いかもしれない。


「……それじゃあな。アレスタといったっけ? とにかく今日は色々とすまなかった」


「いえいえ、俺は大丈夫ですから。アギトさんもお大事に」


 そう言った俺は順番が来て診察に向かったアギトさんを見送ったあと、すぐには帰らず病院のロビーで一人静かに立ったまま、先ほどの会話に出たばかりの肩代わり妖精テレシィについて少し考えた。

 ここで待っていれば、あるいは出会えるのかも。

 そんな淡い期待をして、どこかにいないかと周囲に視線を巡らせる。我ながら調子のいい考え方だ。


「ん?」


 そのときのことである。

 俺は自分の視界の片隅に、ふわりと宙を舞う小さな影を見た。

 あれは、妖精?

 はっきりとした正体もわからぬまま、ただひたすらに俺は追いかける。

 見舞い客を装って病棟の奥へ。階段をいくつか上り、小さな姿を見失ってしまいかねないと心ではあせりつつも、騒ぎ立てて周囲の迷惑にならぬように気をつけながら長い廊下を静かに歩いていく。

 やがて追いかけていた小さな人影が、とある病室に入ったのが見えた。


「ここは……カイナさん? 知らない人の病室だ」


 カイナという名前は聞いたことがない。たぶん俺の知り合いではないだろう。

 しばらく扉の前で考え込み、悩んだ挙句に俺は控えめなノックをした。

 ひょっとしたら休んでいる病室の患者に迷惑かもしれないが、かといってこのまま立ち去ることもできない。せめて挨拶だけでもして、この病室の中にテレシィの姿がないかどうか確認しておこう。


「どうぞ」


 ノックから数秒後、中から返ってきたのは落ち着いた女性の声だった。

 簡単に礼を伝えて、俺は遠慮がちにドアを開けた。


「……えっ?」


「アレスタさん……?」


 ドアを開けて入った病室の隅。

 部屋に備え付けられたベッドの横に置いてある丸椅子に座っていた女性。

 驚いたことに、なんと彼女はイリアスだった。

 そういえば今日はどこかに出かけるといっていたが、なるほどこの病院を一人で訪れていたようだ。まさかこんな場所で顔を合わせるとは思わず、不意をつかれた俺は動揺してしまう。


「ええっと、お見舞い? ひょっとして邪魔しちゃったかな?」


「……いえ、私は構いません。それよりアレスタさんは、なぜここに?」


 予期せぬ突然の来訪にイリアスは困惑している様子。

 だが、一方でどこか穏やかな彼女の表情を見る限りは、別に俺の存在が迷惑というわけではないみたいだ。その透き通った目で俺の顔を見つめている。

 たまたま居合わせた俺に対しても、この部屋の病人を見舞ってほしいと願っているかのような。

 けれど、直後に何故か彼女は動揺する。


「……もしかして、ギルドから私のことを追ってきたのでしょうか? 私のことを疑って……?」


 何かを堪えるように不安な声を震わせながら、そう言ったイリアスはこぶしを握り締めていた。

 顔こそ下げずに前を向いているが、今のイリアスは見るからに普段の凛々しさや覇気を失っており、どうやら何かが理由で落ち込んでいるらしく、寂しげに肩を落としていた。

 もしかして俺からの追及を恐れている?


「俺は――」


 それより先の言葉を継げない。

 まるで彼女との間に見えない壁があるように、不思議な心の距離を感じてしまう。事情が事情なら力になれるのかもしれないが、あまり俺を頼ろうとしているようには見えない。

 何かに悩んでいるのは間違いなさそうだが、いきなり単刀直入にイリアスに向かって問いかけることを俺はためらった。

 さりげなく室内を見渡してみてもテレシィらしき姿はなく、こんなところまで妖精を追いかけてきたのだとは言い出せない。

 そういう状況ではない気がするのだ。

 もっと何か重大な、彼女にとって深刻な何かが、俺との間に横たわっているのではないか。彼女がなぜ俺を含めたみんなに黙ってこの病室を訪れていたのか、それには何か特別な理由があるのではないか。

 言葉を急ぐ必要はない。ゆっくりといこう。


「隣、いい?」


「どうぞ」


 彼女は自分の横に新しい椅子を差し出した。

 俺はその椅子に浅く座り、座った位置からベッドの上を眺める。

 病室のベッドに目を閉じて寝ているのは、三十代か、あるいは四十代くらいの男性だ。どうやら状況から見てイリアスの知り合いらしいが、ギルドを始めて間もない俺には交友関係が少なく、まるで見覚えがなかった。


「この人は?」


「……カイナ。私の父です」


「イリアスのお父さん?」


 そう言われてもう一度顔を見てみると、なるほど確かにイリアスの面影がある。寝息も立てず静かに眠っているからだろうか、おそらく四十前後の男性とはいえ、まだ若くも感じられるカイナさんには不思議な美しさがあった。

 半開きにされていた病室の窓から入り込んだ風が頬をなでる。

 そろそろ日が暮れ始める頃合だ。


「聞いてもいいかな?」


「いいですよ」


「……病気なの?」


 すると、彼女の口から返ってきたのは意外な答えだった。


「わかりません。ただ、ずっと眠っています」


 ……わからない。

 それは深刻な病名を聞かされるよりも絶望的な気がしてならなかった。

 はっきりとした病気への対処法がわからず、いつまで昏睡が続くか判明せず、そして本当の苦しみさえもわからない。

 けれど、だからこそ治るかもしれないという一握りの希望にすがらざるを得ないのだ。そしてとらえどころのない何かにすがらなければならない生き方は、とても辛いものだ。

 イリアスはどんな気持ちでいるのだろうか。

 このまま何も聞かずに立ち去ることはできない。たとえ余計なお世話になろうとも、何か不幸を背負っているらしい彼女と状況を共有したいという強い思いがあった。


「何があったの? よかったらでいい、俺にも教えてくれる?」


 彼女は悩む。俺に語るべきかどうか、目を伏せたまま思い悩む。


「いいですよ。……いえ、どうか聞いてください」


 そしてイリアスは語り始めた。


「アレは今から十年前、私がまだ八歳ごろのことでした。たまたま得られた父の休みを利用して、私と母さんは二人で父を誘い、リンドルの温泉宿へと家族旅行に行ったのです」


「イリアスの父さんって、ここに眠っているカイナさんなんだよね? 彼の仕事って?」


「父は私と同じ、ベアマークの騎士でした。それも小部隊の隊長などよりずっと上の地位である、騎士団トップの騎士団長です。だから一年中を通して多忙な父はなかなか休みが取れなくて、当時の私は珍しい家族旅行に舞い上がっていました」


「そうだったんだ」


「けれど――。到着したリンドルで私たちを待っていたのは、地獄でした」


「聞き捨てならない話だね。想像もつかない」


「はい、まさにあれは地獄でした。現実とは思えないほどに。あの伝説上の怪物、デビルスネークが出現したのです」


 そう言ったイリアスの顔はうっすら青ざめていた。当時八歳、彼女がまだ小さかった子供のころの話だ。そのとき感じた恐怖など、昔の記憶を思い出してしまったのかもしれない。

 デビルスネークの実物を俺自身が見たことは一度もないが、魔法学者のブラハムさんが脅威となりうる存在として調べるほどなのだから、きっと凶悪な怪物なのだろう。

 彼女がおびえてしまうのだって無理はない。


「あの日、突如として現れたデビルスネークは村を襲い、多くの村人が犠牲になりました。その場に居合わせた父は、もちろん騎士団長の責務として善戦し、なんとかデビルスネークを退治することができましたが――」


 イリアスはそこで一旦言葉を止めて、気持ちを落ち着かせるための深呼吸をした。

 それから彼女は自身の胸元に手を当てて、ゆっくりと語る。


「私を庇って逃げ遅れた母は死に、退治したデビルスネークから出た瘴気を浴びた父は意識を失って、それからずっと眠ったままなのです。父がこん睡状態に陥ったのは呪いではないかと予想されましたが、結局今日に至るまで正しい原因がわからず、回復の予兆はありません」


 それを聞いた俺は、ベッドに眠るカイナさんに目を向ける。

 とても穏やかに眠っているが、彼女の説明によれば彼はもう十年も原因不明のこん睡状態なのだ。きっとカイナさん自身も、そして彼を思うたくさんの人々も、同じような悲しみや苦しみに包まれているに違いない。

 俺の視線に気が付いたのだろう、昔を思い出すように遠い目をしたイリアスも、ベッドの上のカイナさんを見る。


「私は父が好きでした」


「俺は彼のことを知らないけど、きっと強くて優しい人だったんだろうね」


「はい」


 だからこそ――と、イリアスは言葉を続ける。


「あの日何もすることができなかったことへの罪滅ぼしと、悲劇に立ち会ったことから生まれた平和への使命感、そして勇敢だった父への憧れから私は騎士の道へ進みました。ベアマークの騎士団長だった父と領主様は長年の親友だったらしく、騎士団試験を受けた私は領主様の情けもあって、新人ながら一部隊の隊長に任命されたのです。私が親友の娘だったからでしょう。領主様からは、たいへんよく気にかけられました」


 今になって思い返せば、この町の領主はイリアスのことを異常なくらい気に入っていたようだったが、そこにはそんな事情があったのだろう。

 今からおよそ十年前、リンドルを襲ったデビルスネークを退治した際の事故によって意識を失った親友の、当時八歳だった娘が父の背中を追うような形で騎士団に志願してきたのなら、こん睡状態のカイナさんに代わってイリアスの面倒を見たくなる親心にも似た気持ちが出てきたのだって、俺には十分に理解できた。


「ただ、私には騎士として迷いがありました。小さな事件の事後処理ばかりを任せられる日々。それは確かにベアマークの平和を守る意味で素晴らしいことでしたが、もっと別の道があったのではないかと考えていたのです」


「もっと別の道?」


「はい、どうしても組織として限界のある騎士とは別の道です。精神的に弱かった私は、平和への近道を求めてしまったのでしょうね……」


 平和への近道を求めてしまうことは決して悪いことじゃない。世の不幸を悲しむ心優しい人間なら、誰だってそれを願っているはずだ。

 ところがイリアスは懺悔する。


「あなたの使用した治癒魔法を見て、期待してしまったのです。長年思いつめてきた苦しみに耐えられなくなって、私は自分の心を制御できずに暴走してしまったのです」


「暴走って、どういうこと……?」


「私は自分が救われるための希望を失いたくなくて、ただそれだけのために、行き先がなく困っていたアレスタさんをそそのかして、この町でギルドを開設させてしまったのですから」


 カーターとの一件が無事に決着したあの日、イリアスは騎士を辞め、これからのことに困っていた俺のためにと、この町でギルドを開業する手伝いをしてくれた。

 その親切な行動が、本当は治癒魔法を使える可能性のある俺のことを手放したくないからだったと、つまり治癒の奇跡の可能性を自分の目が届く範囲に置いておきたかったからなのだと、イリアスはそう言っているのだ。


「けれど、今も私には自分の本当の気持ちがわかりません。父のことも、騎士のことも、ギルドのことも、アレスタさんのことも、何一つとしてわからないのです」


 そう言ったイリアスは震えるこぶしを膝の上で握り締めていた。

 きっと気持ちの整理が落ち着かないのだろう。

 俺は今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女を励ますため、あえて明るい口調で言った。


「悩んでいるのなら、そう言ってくれればよかったのに。それからね、これだけは忘れないで。君の本当の気持ちがどうだろうと、俺はさ、イリアスのためなら力になってあげたいよ」


「ありがとうございます。……ですが、たとえ悩んでいたとしても言えるわけがありません」


「どうして?」


「なぜなら初めてアレスタさんと出会ったあの日から、治癒魔法が使えるかもしれないというあなたを、私は自分の希望のためだけに利用していたのですから。アレスタさん。私はあなたではなく、あなたの治癒魔法を見ていたのです。……しかも治癒魔法の力が不完全とわかったとき、私は失望さえもしました。あなたの気持ちも考えずに」


 ――最低です。

 自嘲して呟いたイリアスは、とうとう涙を見せる。

 なんだか見ていられなかった。


「ねぇイリアス、どうか悲しまないで顔を上げて。約束するよ。今は未熟な治癒魔法しか使えなくて、イリアスのために何もしてあげられないけれど、それでもいつか俺はね、本当に可能なら、君のために治癒魔法を使いたいと思う」


「…………」


「イリアス、そして君のお父さんを助け出したいよ」


 泣いている彼女は顔を上げてはくれなくて、そんな俺の決意には何も答えてくれなかったけれど、それは俺の本当の気持ちだった。







 それから、どうしてだろう、すっかりイリアスとは気まずくなってしまった。

 別に何も気にしないからと俺は言ったものの、どうにも気に病んでいるらしい彼女から、まるで避けるように距離を置かれてしまうのである。

 たとえば俺とギルド内で顔を合わせるたび、彼女は「すみません」あるいは「申し訳ありません」などと言って、遠目にもわかるほどの涙目で苦しげに顔をうつむかせるか、あるいはこちらに寂しげな背を向けて立ち去ってしまうのだ。

 いつか披露してくれた華麗なドレス姿は面影もなく、あれ以来、彼女は服装もシンプルで地味なものに統一してしまった。

 ある夜のことだ。

 このままではいけない。ゆっくり顔を合わせることも、まともな会話をすることも満足にできない現状をなんとかしようと、なんとか一人で策を講じた俺は彼女の部屋の前に立ち、閉ざられた扉越しにイリアスへ話しかけることにした。

 優しくノックをして、声を掛ける。


「ねぇイリアス、ドアは開けなくていいから、ここでちょっと話せないかな?」


 すぐに反応はない。部屋の中にいるのかどうかもわからない。

 けれど根気強く待っていると、息を潜めるような足音があって、扉一枚の向こう側に気配が止まる。


「イリアス?」


 扉越しにいる彼女は言葉を選んでいるのか、かすかに聞こえたのは息遣いのみ。

 それでも俺は静かに待つ。

 かろうじて聞こえてきたイリアスのか細い声は、震えて消えてしまいそうな語尾まで全部、すっかり悲しみで染まっていた。


「……合わせる顔がなくて」


 ――だから、ここは開けられない。


 ――だから、ちゃんと顔を合わせて会話することもできない。


 本当はそんなことないのに、彼女は考えすぎなのだ。

 だから適当な言葉を使ってではなく、正直な気持ちで俺は答えた。


「そんなに難しいことは考えないで、いつものイリアスでいいよ。今までのままでいいからさ、できたらこれからもずっと、俺たちと一緒にギルドを頑張っていこうよ」


 やはり長い沈黙の時間。

 たっぷり考えたのだろうか、イリアスは答えを搾り出した。


「もちろん、言い出したのは私ですからギルドの運営は手伝います。ですが、やはり今までどおりには……」


「ううん、できないことはないと思う。少なくとも俺は大丈夫だよ?」


「……いえ、苦しいんです」


「苦しい?」


 何が苦しいのだろう?

 それは彼女の口から教えられた。


「私は今まで自分のためだけに演技をしてきました。優しい振りです。そして自分が本当は心身ともに弱い存在であることを、必死になって騙し続けてきたのです」


「それは違うよ。実際にイリアスは優しかったし、誰よりも強かったじゃないか」


「そんなことはありません。だって今の私は、本当の私は、……いつまでも震えが止まらないから」


 震えている。不安と恐怖におびえているのかもしれない。

 彼女の力になりたい――俺は言葉に力を込めた。


「俺じゃ震えを止められないかな? 俺の言葉じゃイリアスの力にはなれないのかな?」


 ずっと待ち続けたが、いつまでも返事はなかった。

 実際、偉そうに問いかけた俺にも自信はないのだ。彼女もまだわからないのだろう。

 ただ、しばらくすると何度目かの謝罪があった。


「調子に乗ってごめんなさい」


「そんなことないってば……」


 苦しくなってドアに背中を預けて座り込むと、なんだか夜が果てしなく寂しいものに感じられた。

 孤独、不安、恐怖、後悔。

 そういったネガティブな感情やためらいが、この暗くて深い夜には俺たちを容赦なく打ちのめそうと襲い掛かってくるらしい。


 ――ねぇ、イリアス。君もそこに座っているのかな?


 彼女を慰める答えが見つからない俺は逃げるように自分の膝へと顔をうずめて、そのまま遠い夢に落ちていくのだった。







 数日後のこと、くたびれた顔のサツキさんがギルドにやって来た。サツキさんと会わなかったのはたった数日だが、ずいぶん久しぶりに感じられた。

 いつもの挨拶から簡単な近況報告を経て、そして雑談へ。

 その流れの中で気にかかったのだろう、微妙に距離を置いた俺とイリアスの浮かない顔を見比べて、サツキさんはすっかり心配した様子だった。


「どうした? 何かあったのか?」


「それが……」


 イリアスの手前、ここでは言いにくい。


「便秘でしょ?」


「違うだろ、おめぇは馬鹿だから永遠に黙ってろ」


 何故か隣にいたニックが口にした的外れな見解に苛立ったのか、サツキさんは能天気に笑うニックをうっとうしそうに小突いた。

 実はイリアスと距離を感じるようになった翌日からギルドにいたくせに、その天然な鈍感さで俺たち二人の異変には全然気づかなかったニックだが、能天気な彼がギルドにいてくれたおかげで雰囲気があまり深刻にならないので、気まずさを忘れられて助かっているのも事実だ。


「それはそれとして――」


 俺とイリアスの間に生じている詳しい事情はさておき、大体の状況を察したらしいサツキさんは、そっと俺に耳打ちする。

 こんな提案を持ちかけられた。


「外を歩きながら話そうか」


「はい、お願いします」


 ここは聞いてもらうしかない。いわゆる相談だ。

 そう思った俺は立ち上がったサツキさんに促され、ギルドにイリアスとニックを残して外へ向かった。

 ギルドを出る際、後ろ髪を引かれて振り返ると、かすかに目があったけれど、ハッとしたイリアスは息苦しそうに目を伏せるばかりだった。そんなに気にする必要はないのに……と思いつつも、俺だって気にしているのだから人のことは言えない。

 俺の沈んだ気分とは裏腹に、外はよく晴れていた。

 すれ違う人々も活気にあふれ、いつものベアマークがそこにあった。

 なんだか途端に世界から取り残された気がして、俺は危うく涙を流してしまいそうになる。それはまずいと俺は懸命に目を拭って、あのイリアスが見せた切ない表情を思い出す。

 馬鹿みたいに一人で悲しんでいる場合じゃない、感情を高ぶらせる前に理性を働かせなければ。


「でさ、アレスタ。俺にも言える範囲でいいから教えてくれよ」


「わかりました」


 町を歩きながら、俺はサツキさんにこの前の出来事を説明した。

 どうしてあれほど正義感の強いイリアスが、誇り高い騎士職を辞めてまで俺のギルド設立を手伝ってくれたのか。

 また、俺のことを熱心に気にかけてくれていたのか。

 つまりイリアスの父であるカイナさんや、十年前にリンドルを襲ったデビルスネークのことなどを簡単に伝えたのだ。


「なるほどねぇ。やけにお人よしだとは思ってはいたが、そういう理由だったのか。イリアスがお前の治癒魔法に期待していたとはな」


「そのことはいいんですが、どうやら彼女は俺に対して申し訳なく思っているみたいで、ずっと悩んでいるようなのです。だから俺、どうしたらいいのかわからなくて……」


 親身になってくれているのだろう、サツキさんは腕を組んで考え込んだ。

 そして、しばらく歩いてから口を開く。


「その答えは難しいだろうけど、お前とイリアスの間にだけ導き出すことが出来るはずさ。アレスタ、残念だが部外者である俺には正しい答えを教えてやることは出来ない」


「……はい」


「彼女は綺麗だし、優しいし、なによりお前のために一生懸命だったからな。意外でもあるだろう。……だけどな、アレスタ。もしもイリアスに距離を置かれてショックを受けているのなら、それは今まで浮かれていたお前が悪い。たいした理由もなく彼女から好意を向けられていて当然だと、どこかで甘えていたんじゃないのか? 自分は特別な存在だとかさ」


「それは……」


 否定することが出来なかった。

 思えば俺はずっとイリアスに頼り、その優しさに甘えてきたのだろう。

 今回のことで消極的に悩んでいるのだって、どうせ俺の方からでは彼女のために何もしてあげることが出来ないと、自分の本心ではそう思っていたからに違いない。

 なんて情けない話だ。

 一人の人間として悔しさもあり、無力な俺は唇を噛み締めた。

 サツキさんが諭すように口を開く。


「ギルドの頼もしい仲間としてか、それとも相談に乗ってくれる優しい友人としてか、あるいは将来の恋人として彼女との関係を大切にしていたのか、本当のところは知らないが――」


 そしてゆっくりとした動作で、サツキさんは俺の胸に指を突きつけた。


「なぁアレスタ。それでお前は彼女のために何かしてあげたのか? たった一度でいい、イリアスを支えてやれたのか?」


 ……俺は、何も。

 苦しむ彼女のために、何一つとして役立つことをやれていない。

 ふと冷静になって振り返ればわかる。俺は彼女と初めて出会ったころから、ずっとイリアスに助けてもらってばかりだった。

 俺は今の今まで甘え続けて、一人で悩む彼女を苦しめていただけなのだ。

 サツキさんは言う。


「だからって必要以上に気に病む必要はない。俺もお前を責めるつもりはないぜ。人のことを言えるような人間じゃないからな。だいたい、自分勝手なのは、みんな自分勝手なのさ。こう言っちゃなんだが、自分の勝手な都合で世界を解釈しようとする奴ばかりだからな」


「ですが……」


「心配するな、これから新しい付き合い方を考えていけばいいさ。彼女はこれからもギルドの仕事を続けてくれるんだろう? 人間関係の基本は些細なことの積み重ねで構築されるものだ。あわてたって逆効果だぜ」


「サツキさん……」


 励ましの言葉だ。それは嬉しくて仕方がなかった。

 もちろん解決の方法は自分で探し出さねばならないが、サツキさんに話を聞いてもらったのは正解だった。少しだけ前向きになれた気がする。


「……っと、いつの間にかここまで来ちまったのか」


 サツキさんが言い、俺は顔を上げて確認する。

 どこかと思えば情報屋だ。


「なぁアレスタ、ついでだから寄っていこうぜ。ここの変態店主の間抜け面を見れば、いい気分転換になるかもしれないし。つっても、俺はあいつのこと嫌いだけどな」


「あはは……」


 あまり気乗りしないのが本音だが、確かに気分転換は必要だろう。

 心機一転を図って、俺とサツキさんは情報屋に入るのだった。

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