8 聞き込みと、ちょっとした騒動
結局、村での情報収集は徒労に終わった。
あれからリンドルの村人に尋ねて回ってはみたものの、これといった有意義な情報は得られなかったのである。
現時点で肩代わり妖精について判明していることといえば、名前がテレシィだということと、そして召喚者はエイクさんの祖父であるということくらいなものだ。
テレシィにもう一度会い、ちゃんとお礼を伝えたい。
そう考えていた俺ではあったが、あいにく妖精に関しては知識がまるでなく、これからどうやって探せばいいのかさっぱりわからなくなっていた。
――またひどい風邪でも引いてみるか?
――そして苦しむ人の元に姿を現すという肩代わり妖精テレシィを呼ぶか?
いや駄目だろう、それは人として卑怯な気がする。御礼を言いたいのは俺のほうなのだ。もう一度会うなら、ちゃんと自分の力で探し出したい。
そう考えたのが昨日の夜のこと。
そして今日、すなわち俺とサラさんがリンドルから戻ってきた翌日。
あまりに暇で閑古鳥が鳴いていたギルドに、どこか陽気で爽やかなサツキさんがやって来た。
なので、ちょうど入り口の近くにいた俺は真っ先に出迎える。
「ようアレスタ、久しぶりだな。……でさ、いきなりだがギルドの方はどうだ? ちゃんと依頼とか来ているのかよ?」
「お久しぶりです、サツキさん! 依頼のほうはそこそこです!」
「ははっ、そこそこか~。でもあれだ、それくらいがちょうどいいかもな」
「ですね」
ドア付近で簡単な会話を交わして、それから俺はサツキさんを奥に通す。
そして雑談でもするためソファに座ろうかというそのとき、ようやくサツキさんは先にいたニックの存在に気がついたらしい。
「おっとっと、なんだよニックもいたのか」
「うん、そりゃね。これでも僕はアレスタの監視役だから。……とはいえ、今日は特に依頼がなくて僕も暇なんだけどね」
お前が暇とか言うなよ。
「はっはっは」
適当に笑いつつ、機嫌のいいサツキさんはニックの隣に座る。受付横にある談話スペースだ。
いつの間に用意したのか、今日はちょっと地味な私服を着ている受付係のイリアスが、座ったばかりのサツキさんの前にカップを差し出す。
「コーヒーでよろしかったですよね? はい、どうぞ」
「おー、すまないな」
「いえいえ」
それから、四人でまったりと静かな午後の時間を過ごすこと数分。
最初に紅茶を飲み干してしまって暇を持て余したのか、そわそわしたイリアスが遠慮がちに切り出した。
「アレスタさん、昨日のことはそろそろ聞いても?」
「そうだね、そのことについてだけど、俺からちょっと報告があるんだ。本当は昨日のうちにすればよかったのかもしれないけれど、あはは、俺が疲れて寝ちゃったから……」
昨日はたった一日でリンドルまで徒歩で往復したこともあり、昨夜は俺も具体的な報告をせずに眠ってしまった。本来ならばイリアスとニックには先に言っておこうと思っていたが、ちょうどこの場にサツキさんもいる。村でのことを話すにはいい機会だろう。
俺は事情を知らないサツキさんやニックのために、肩代わり妖精のことを最初からかいつまんで説明した。
風邪で苦しんでいたところを助けられたことと、その妖精にお礼が言いたくて、情報を得るためにサラさんとリンドルの村まで行ったことなどを。
「肩代わり妖精のことは、結局テレシィっていう名前があることくらいしかわからなかったよ」
「そうでしたか、かわいい名前ですね」
「でね、勝手だけど、あっちで新しく依頼を引き受けてきちゃった」
「……え?」
ポカンとしたイリアスの表情がおかしかったけれど、おそらく笑っている場合でもないので、俺はまた立て続けに説明する。
村で自警団リーダーのエイクさんや魔法学者のブラハムさんに出会ったこと、ブラハムさんが村の脅威になるというデビルスネークの調査をしているということ、そしてその調査に俺が協力を申し出たことなどを。
「まぁ、そういう事情なら仕方ない」
「ですよね、よかったです」
みんな呆れ返ってしまうだろうかという不安はあったものの、俺の説明を聞いたサツキさんは納得してくれた。
平和のために善意で村に潜む危険について調査しているブラハムさんの依頼を引き受けたことは、やはり間違いなどではなかったらしい。
俺がホッと胸をなでおろしていると、
「デビルスネーク……」
その怪物の名を呟いたイリアスの顔にかげりが見えた。
その表情に隠されたのは憂い? 悲しみ? あるいは不安?
彼女の感情をうまく読み取ることが出来ず、それを知ろうとして俺はイリアスの顔を覗き込んだ。
「どうしたの? 何か気になることでもあった?」
「……あ、いえ。どこかで聞いたことがあるような気がしただけですから、あまり気にしないでください」
「そう?」
何かを隠しているようにも見えるが、彼女から具体的に言ってくれないのなら、こちらから無理に追求することもためらわれた。
俺としてはイリアスが何か無理をしていないか不安だが、ここは彼女の言葉を信じることにしよう。
イリアスに続いてようやくコーヒーを飲みあげたらしいサツキさん。
上品に口元を拭きながら何度もうなずいた。
「なるほど、確かにどこかで聞いたことがあるような気がするぜ」
みんなで顔をつき合わせて悩んでいると、突然ニックがティーカップを片手に立ち上がった。お前はちゃんと飲み終えてからに……。
「酒場の店主が言っていた気がする! オンアルコールの魔法でデビルスネークがどうとかこうとかってさ!」
「……そういえばそうだな」
ニックが言っている酒場の店主とは、その名もバッシュさんというオンアルコールの魔法を使う男性のことである。
確かに彼はベアマーク高度魔法化都市記念祭の際、俺たちの前でデビルスネークの名前を出していたような気がしてきた。
果たしてどこまで知っているのかは不明だが、念のため尋ねてみるのも面白いだろう。
「わからない情報といえば情報屋に行くのが一番だが、かといっていきなりあの情報屋に尋ねるのは金がかかる。奴はケチだ。……ってことでアレスタ、まずは酒場に聞き込みに行ってみるか? それでわかれば都合がいいしな」
情報屋は情報屋と言うだけあって、情報に見合った情報料が必要である。
しかしその価格設定は情報屋の気分次第なので、足元を見られれば法外な金額の情報料を請求されてしまうのだ。
立ち上げたばかりのギルドとしては資金が厳しく、その点を考慮すると情報屋は最後の手段として考えておくしかない。
「……それに、あいつにはしばらく会いたくないし」
情報を得るために必要な情報料のことは別問題としても、サツキさんは情報屋の変態店主のことを嫌っているようだ。そういえばサツキさんは彼によって色々からかわれていたみたいだから、気に食わないのも無理はないかもしれない。
ちなみにイリアスも彼のことはあまり好きじゃないらしい。
まぁ変態だしな。
「じゃあ今日は特に予定もないですし、これから酒場に行ってみますか。俺はもちろん行くとして、あとはサツキさんと……ニックも来る?」
「もちろん行くよ!」
こなくてもいいけどな。
ひとまずサツキさんも首を縦にうなずいたことを確認してからイリアスに視線を投げると、俺と目が合った彼女は穏やかに微笑んだ。
「そうですか。では、酒場の聞き込みには皆さんで行ってきてください。その時間を利用して、今日は私も少し出かけることにします」
「イリアスも何か予定が?」
「はい、ちょっと。そうですね、これから一通り調査が進展するまでは忙しくなるでしょうし、この案件が一段落するまでギルドは休業しましょうか? 依頼を増やすわけにはいかないでしょう?」
「とか言っているがアレスタ、いいのか?」
「うーん、そうですねぇ。……今までがんばってくれたから、今日からしばらくイリアスは特別休暇ってことで!」
「ふふ、ありがとうございます」
デビルスネークについて聞き込みをするべく、俺とサツキさんとニックの三人で酒場にやって来た。
この店は町の人々と記念祭の打ち上げをやった場所でもある。店主のバッシュさんとは顔見知りの仲なので、いきなり訪ねても大丈夫だろう。
「すみませーん! お話があるのですが……」
と言いながら腰を低くして店内に入ると、俺たちの姿を見つけた店主がとても助かったとでも言いたげな表情で駆け寄ってきた。
なにやら慌しい。
「だー、お前ら客かっ? ちょーどよかった、ちょっと寄っていけ!」
「ちょ、ええっ?」
強引に腕を引っ張られた俺は、そのまま店内の奥にあるテーブルまで連れていかれる。
「こいつら昼真っから酒を飲んで喧嘩やっているんだ。なんとかしてくれ!」
「な、なんとかしてくれって言われましても」
そこには二人の先客がいた。
テーブルの上には尋常じゃない量の酒瓶、つまみの皿が散乱している。おそらく何時間も飲み続けていたのであろう、客の一人は顔が真っ赤でいかにも酔っ払っていた。同じテーブルを挟んで差し向かいで飲んでいる二人は、なるほど確かに何事かを言い争っているようだ。
はっきりいって、面倒ごとなら関わりたくない。
「……そんなことよりバッシュさん、俺たちは尋ねたいことがあるのですが」
「あーもー、話だったらこいつらが帰ってからにしてくれ!」
吐き捨てるように言い残すと、バッシュさんはカウンターの奥へと引っ込んでしまった。酔っ払って騒ぐ彼らの相手が面倒だからと、俺たちに対処を任せて逃げたのだろう。
客に客の相手をさせるとは、なかなかひどい店主である。
だが、こうなったからには仕方がない。これもデビルスネークに関する情報収集のためだ。手っ取り早く二人が言い争っている事情を聞いて、騒がしい彼らにはお引取り願おう。
俺はサツキさんとニックに目線で合図すると、先頭に立って声を掛けた。
「あの……」
「だぁー、お前ら客かっ? いやぁ、ちょーどよかった!」
「は? ちょっと、ええっ?」
ところが、片方の男にいきなり腕を引っ張られて俺は戸惑った。
くっつくほどに顔を近づけられて、うるさいほどに懇願される。
「どうかこいつに負けを認めさせてやってくれ! さっきから全然俺の話を聞かなくて困っていたところだ!」
「負けを認めさせろですって? どういうことです?」
いまいち要領を得ない俺は、さらなる説明を求めてもう一人の男へ視線を送る。こういうときは双方から事情を聞かなければ全容が見えてこないのだ。たいていの喧嘩は両成敗でうまいこと決着がつく。
すると熱湯で茹で上がってきたかのように顔が赤く、ふらふらと目の焦点も定まらない相手の男は不満たらたらに答える。
「なぁに、オレ様とそいつの二人で酒の飲み比べをしていただけだぁ。そしたらそいつよ、急にオレ様が負けだとか言い張りやがってぇ、ひっく」
と言い終わるや否や、彼は座っているというのにバランスを崩して椅子から滑り落ちる。どしりと床で尻餅をついたところで慌てて何事もなかったかのように椅子へと戻るが、平気そうな体裁を取り繕ったところで酔いつぶれる寸前だと言うのは一目でわかる。
「ほら、どう見たってこの飲み比べは俺の勝ちだろ? そこのドガスとはちゃんと同じ量の酒を飲んでこれだぜ?」
「そうですね、単純な飲み比べの結果なら俺はそう思います」
ドガスと呼ばれた男は俺の目から見ても酔っ払っているが、一方でこの男性は酔っている気配がまるでない。二人で飲み比べていたというのが本当なら、もう面倒くさいしドガスの負けで結論付けたいところだ。
ところが、そのドガスさんから反論がきた。
「あーもー、うるせぇよ。大体なぁ、そのアギトって野郎は卑怯なんだ」
「卑怯ですって?」
俺はドガスさんの指摘に少しだけ興味を持った。
本当に卑怯な手段を使用しているのなら、勝負相手であるアギトさんを非難する彼の気持ちも理解できたからだ。ここの酒場の客はずるがしこい奴も多い。
「そうだって。あー、なんつったっけ、あれ……魔法なんちゃら……」
最後まで舌が回らなくなってドガスさんが言葉に詰まると、意外にも勝負相手だったアギトさんからの助太刀。
「もしかして俺の魔法体質のことか?」
「それだぁ!」
ドガスさんは声を張り上げる。どうやら卑怯と言いたい原因は、アギトさんの魔法体質のことらしい。
けれど俺はそんなもの聞いたことがなかった。
「魔法体質?」
「ふふ、ついでだから、お前もぜひ聞いて驚いてくれ。なんと俺の体は特殊な魔法体質であり、どんなに酒を飲んでも酔わない体なのさ。人呼んで、底なしドリンカー!」
どうやら彼の説明によると魔法体質とは、生まれながら体に魔法的な特徴を持つ人間のことを言うらしい。彼の場合は摂取されたアルコールを即座に分解吸収、そして消滅までさせてしまう魔法体質だという。
言うなれば“アルコールキラー”の魔法体質に関するアギトさんの説明を聞き終えて、改めてドガスさんの赤らんだ顔を見たサツキさんが鼻で笑った。
「はは、まったく。そんな人間に飲み比べを挑んだあんたが悪い。こうなりゃ素直に負けを認めるしかないだろ」
「それは無理だ! なぜならオレ様が負けを認めたら酒代が払えなくて困るじゃねぇか! こっちは財布すっからかんで払える金はねぇ!」
いい年をした大人のくせに無銭飲食とは、本当しょうもないな。いっそ捕まって反省すればいい。
アルコールを摂取しても酔わない魔法体質であるというアギトさんは、やれやれといったように肩をすくめる。飲み比べ勝負では無敵であるがゆえの余裕だろう。
「そっちから勝負を仕掛けてきたくせに往生際が悪いな」
「おめぇが飲み比べを初めてから魔法体質を打ち明けたからだぁ! 最初からわかってりゃ挑まねぇよ、この野郎! くそったれ、ただ酒を飲むつもりだったものを……」
なんて奴だ。話を聞けば聞くほど最低じゃないか。
非難するように無言の圧力を視線に込めて見ていると、その気配を察知したのかドガスさんが俺の顔を見て怪しく笑った。
何か名案がひらめいたようだ。
「くっくっく。お前、オレ様と賭けをしないか?」
「しません。お酒は飲めません。酒も酒飲みも嫌いです」
「違うって。さすがにこの状態から飲み比べはしない。別の勝負をしよう。オレ様の魔法を見破れたらお前の勝ち、お前を騙すことができればオレ様の勝ちだ」
「……いいでしょう」
「ちょっとアレスタ、本当にいいの?」
「もちろん大丈夫。まぁ、ニックは黙って見ていてくれればいいよ」
ニックの心配もわかるが、こうでもしないと話が先に進まない。
適当に相手をして早く帰っていただくこととしよう。
「それじゃあ勝負の説明をしよう。これからオレ様が使用する分身魔法を見て、本物を選ぶことができたらお前らの勝ちだ。いいなぁ?」
「わかりました。どうぞ」
ふらふらと椅子から立ち上がったドガスさんは、よたよたと広いスペースまで移動すると、その場でこぶしを握り締めて気合を込める。
「いくぜ! はああああ!」
それが魔法使用の合図なのだろう、威勢のいい掛け声とともにドガスさんの体が揺らぐ。
蜃気楼のように重なる幻影、瞬く間に増殖する影。輝いた光は横に広がって収束する。
そして完成する分身魔法。わずか一瞬のうちに魔法で分身したドガスさんは、横一列に並んでいた。
魔法によって増えた分身は四人、本物と合わせると全部で五人。
この中から本物のドガスさんを選ぶことが出来れば、俺達の勝ちというわけだ。
「げっへっへ、難しいだろう」
だが――。
「本物はあなたですね」
見た目にはソックリな五人のドガスさんを前にしていながら、俺は迷うことなく一人を指差した。決断までほとんど一秒もかからなかった。
「くっ、なぜ見破った?」
しかも当たった。
それもそのはず。
「あなただけ顔が赤いですし、ふらふらしすぎですから」
どうやら分身魔法で生み出すことの出来る幻影の姿は、通常状態のドガスさん自身らしい。そのため本物は一人だけ、あからさまに酔っ払って目立っていたのだ。
アホだな。
「くっそ~」
自分の負けが確定して気が抜けたのか、足をもつれさせたドガスさんは近くにあったテーブルへ倒れこむように寄りかかる。もちろん魔法を維持する余裕も残ってはいないのだろう、同時に四人の分身も消え去ってしまった。
「ほらほら、負けたんだからちゃんと金払って帰れ」
落胆する彼に対してサツキさんは容赦なく追い討ちをかけた。
「……やだ。次の対戦相手が来るまでここで寝て待つ。勝つまで帰らない」
なんだそれ子供かよ。
しかし彼の言葉を信じるならば、まったく金もないのに飲んでしまったらしいからな。おそらく酒代を支払えなくて、帰るに帰ることができないのだろう。
呆れた俺は肩をすくめるしかなかった。
「しょうがないですねぇ……。ここの酒代は俺たちが肩代わりするので、ドガスさんは気にせず帰ってください」
今後とも町を中心にギルド運営していくことを考えると、専門職の情報屋とは違った種類の情報が集まるであろう酒場の店主とも、恒常的に友好な関係を築いておくことは、決して損ではないだろう。
酒代くらいで情報が買えるなら安いものだ。
そう考えた俺は店主のバッシュさんを呼ぶと、本来ドガスさんが払うべき酒代をギルドの資金から支払う約束をした。そして陽気に歌い始めたドガスさんを恨めしく思いつつ、俺は一緒になって鼻歌を歌いだしたニックの肩を叩いた。
「ニック、ドガスさんを家まで送ってあげてよ。このまま居座られちゃ、邪魔で真面目に話も出来なさそうだからさ」
「仕方ないな。僕に任せてよ」
本当はニックも邪魔になりつつあったとか、そういう余計なことは言わないほうがいいだろう。何故か急に意気投合しつつあるニックとドガスさんは、即興の歌を二人で合唱しながら外へ向かった。
そうして二人が店を出て行く後姿を見送ると、アギトさんは一息ついた。
「ふぅ、やっと帰ってくれたか。ようやく落ち着いて酒を飲めそうだ」
ドガスさんとの飲み比べ勝負で散々飲んだろうに、どうやら彼はまだ酒を飲むらしい。酔えない酒にどんな味があるのか知らないが、アギトさんは常識人みたいだし心配する必要はないだろう。
「よし。騒がしい客も帰ったことだし、そろそろ店主に聞き込みでもするか」
と、俺とサツキさんが店主に向かって足を踏み出した瞬間。
「あんらぁ、いらっしゃーい! ふふふ、来てくれていたのねぇ?」
などと言いながら、カウンターの奥からほろ酔い顔の娘が現れた。
彼女はここの店主にとっては実の娘であり、酒場の看板娘を務めるセーレさんである。酒場で店員として働くセーレさんではあるが、最近成人したばかりらしく、まだまだ若くて魅力的な女性だ。
明るく陽気だし、ちゃんと働いていて、しっかりしている。
ところが――。
「うげっ」
そんな声で露骨に嫌な顔をして彼女を迎えたのはサツキさんである。
折角の美人なのに何がそんなにイヤなのか……は、実はこんな理由がある。
さかのぼることギルド結成の日、なんだかんだでお世話になった人たちとこの酒場で打ち上げをした際のことだ。どういうわけか、その席にいたサツキさんは積極的な彼女に気に入られてしまったのである。
ここ最近サツキさんがベアマークの町に姿を現さなかったのも、彼女による熱烈なアプローチを避ける目的が大きい。セーレさんの恋心という情熱が冷めるのを、彼女から物理的に距離を置いて待っていたのだ。
「アレスタ、後は任せた。俺は先に帰る。じゃ」
そう早口に言い終わると、血相を変えたサツキさんは出口に向かってダッシュした。どうやら余計なことを言われる前に逃げ出そうという算段らしい。
「サツキさんってば待ってよ、ほーい!」
「のわっ!」
しかしセーレさんの右手から飛び出た長いロープが逃げようとしたサツキさんの足に絡まり、出口まであと少しというところでサツキさんを捕らえて離さない。その反動でサツキさんは前のめりになって倒れこみそうになったが、とっさにバランスをとって持ちこたえた。
……どうやって彼女はあんなに長いロープを?
そう疑問に思う場面かもしれないが、それは彼女の魔法である。
セーレさんは手からロープ状の触手を出し、それを自在に操ることの出来る魔法を使用するのだ。
右足を彼女の操る魔法の触手によってつかまれたサツキさんは、必死に抵抗するものの、じりじりと引き寄せられていく。想い人を前にしたセーレさんはとろけた表情に垂れたよだれ、まるで食虫花みたいだな。
「アレスタ! ちょ、アレスタァ!」
ついにバランスを崩して床に倒れたサツキさんは、そのまま引きずられながらも助けを叫ぶ。俺も大切なサツキさんのことだから助け出してあげたいが、触手を引き寄せるセーレさんと目が合った瞬間、すごく怖い顔をされて威嚇されたので足がすくんでしまった。
これにはアギトさんとバッシュさんの二人も恐れをなして、彼女のことは見なかったことにしようとしているらしく、冷や汗をにじませながらも完全に無視している。どうやら巻き込まれたくないらしい。
俺もそうしよう、サツキさんすみません。
「……あの、実はバッシュさんに尋ねたいことがあるのですが」
「ん、なんだ? お前はアホの代わりに酒代を払ってくれたんだからな、なんでも答えてやるよ」
「ありがとうございます。では、デビルスネークについて知っていることを教えてくださいませんか?」
入店してから色々あったが、思えばその聞き込みのために今日はここまできたのだ。バッシュさんがデビルスネークについて何か重要なことを知っているのなら、魔法学者ブラハムさんからの依頼は意外にも早く達成することが出来る。
こちらの予想通り何かを知っているらしく、どっしりと腕を組んだバッシュさんは快く話し始めた。
「デビルスネークというのは、隣のリンドル地方に伝わる有名な昔話だな。今から何百年、あるいは何千年もの昔、リンドルに現れたという巨大な邪悪蛇の伝説だ」
「巨大な邪悪蛇……」
巨大で邪悪、それを聞くだけでも不穏な感じがしてくる。
魔法学者のブラハムさんが危険を感じ、リンドルの村に長期滞在してまで調査している怪物なのだ。きっと生半可な魔物ではないのだろう。
「なんでも胴体は一つだが、そこから伸びる頭が全部で八つもあったという巨大な蛇らしい。リンドルを破壊して暴れまわったが、機転を利かせた旅人がデビルスネークに大量の酒を飲ませ、ふらふらに酔っ払ったところを退治したとか」
「へぇ、そうなのですか。でもその旅人が退治したのなら、もう心配はないんですよね?」
「いや、ところがそうとも限らないらしい。なんでも、そのデビルスネークは十年前にもリンドルに現れていたって話だ」
「……えっ?」
十年前にリンドルに出現した?
何百年、あるいは何千年も前の伝説上の怪物が?
突如としてデビルスネークの存在が現実味を帯びて、俺は言いようのない不安を覚えた。もしも十年前に出現したというのなら、いつかまたリンドルに怪物が現れても不思議ではないのだ。
今までどこか俺は邪悪なる魔獣の存在に対して半信半疑だったものの、どうやら魔法学者ブラハムさんの調査は本当に必要なものかもしれない。
「とはいえ、そのデビルスネークは不完全体だったらしく、村人からの素早い通報を受けた騎士団が退治したという噂を聞いた。……のだが、不思議なことに真偽は不明なのさ。十年前にリンドルで何か事件があったのは事実らしいが、ベアマーク騎士団はこの事件にまつわる情報を魔法操作によって規制してしまったらしい」
「魔法によって情報規制された……じゃあ、もう当時のことを知っている人はいないのでしょうか?」
「今でもその件に関して詳しい事情を知っているのは、おそらく対処に当たった騎士くらいなものだろう。リンドルの村長くらいなら知っているだろうが、立場上しゃべれないのかもしれないな」
「なるほど。……騎士ですか」
俺はふとイリアスの顔を思い出す。デビルスネークという言葉を聞いた瞬間に見せた、あの少しいわくありげな表情を。
デビルスネークが出現したとの噂が出たのは今からおよそ十年前らしいから、まさか事件の当事者というわけではないだろうが、彼女はベアマーク騎士における一部隊の隊長を務めながら、領主にも気に入られていたのだ。
どこかで事件に関する何かを聞いていてもおかしくはない。
もしかしてイリアスなら何か知っている?
しかし、ならばなぜあのとき言ってくれなかったのだろう?
俺は悩むしかなかった。
「すみません、サツキさんちょっと……」
このまま一人で考えていても埒が明かない。
そう思って助言を求めた俺は、振り返ってサツキさんを探したのだが、
「勘弁してくれよ、もう……」
「いやんそんなこと言わないでっ。もっと飲みましょう! ほらほーら」
「お、おいおいー!」
そのサツキさんはというと、魔法の触手で椅子に縛られ、恍惚とした表情のセーレさんによって無理やり酒を飲まされていた。
何かいけない現場を目撃してしまったかもしれない。
彼女の父親であるバッシュさんは娘の行動を目の当たりにして、痛々しそうに頭を抱える。
「セーレ、いい加減にしないか」
「いやよ、パパ。私は彼と結婚するの」
そう言って身動きのとれないサツキさんに抱きついて顔だけをこちらに向けると、セーレさんは挑発的にぺろりと舌を出す。
触手に縛られたままのサツキさんは酔いが回ってきたのか、正しく状況を理解せずにヘラヘラと笑っていた。
これにはバッシュさんも堪忍袋の緒が切れたらしい。
「まったく馬鹿なことを! セーレ、お前は私の魔法で少し眠って頭を冷やすといい! ええい、オンアルコール!」
右手から放たれるバッシュさんの魔法がセーレさんを襲う。
「ふん、甘いわっ!」
「でええっ?」
ところが間一髪のところでセーレさんは左手から新たに触手を伸ばして操ると、その触手によって捕まえたアギトさんを引っ張り出して、うまいこと盾にしてしまった。
我関せずと一人で静かに酒を飲んでいたアギトさんは突然の抜擢に驚いて目を見開き、全身にバッシュさんの魔法を浴びている。
ご愁傷様です。
「客を盾に使うとは何を考えている! 馬鹿かお前は!」
「だっていきなり魔法なんか使ってくるからじゃない!」
「それはお前が……!」
「もう知らない! 知らない知らない! こんなとこにはいたくないわ!」
説教じみた言葉を聞かせようとしたバッシュさんではあったが、怒ったように頬を膨らませたセーレさんは聞く耳を持たず、この場から逃げるように走り出した。まさか家出のつもりだろうか。
ところがサツキさんは触手に巻き取られたまま解放されず、店を飛び出した彼女にずるずると引きずられていってしまう。まさか市中引き回しの刑だろうか?
ご愁傷様です。
そんな娘の大人気ない姿を目の当たりにして、追いかけることが出来ずに黙って見送ったバッシュさん。深々と悩ましくため息を漏らした。
「まったく、あいつって奴は……」
おそらく親として、彼女には色々と言いたいことがあるのだろう。
こう言ってしまうと失礼だが、俺の目から見てもセーレさんはちょっとおかしいので、頭を抱えるバッシュさんの気持ちもわかる。
こうなったらサツキさんに彼女の相手は任せてしまうのが一番の解決策かもしれない。ちょっと気の毒ではあるけれど、セーレさんは美人だしサツキさんも本当の意味では嫌ってなどいない……と個人的には思いたい。
とにもかくにもセーレさんがいなくなり店内に静けさが戻ってくると、なにやら俺の背後から、低く唸るように不気味な声が聞こえてきた。
「うう、ちょっと気持ち悪くなってきた。これは……まさか酔い……?」
恐る恐る振り返って確認してみると、そこには盾にされてしまった不幸なアギトさんの姿があった。
おそらくオンアルコールの魔法が直撃したからであろう、アギトさんの顔はすっかり青ざめている。彼は酒に酔わない魔法体質というが、今にも吐き出しそうなほどである。
それを見たバッシュさんが申し訳なさそうに俺の肩を叩いた。
「すまない。念のため奴を病院に連れて行ってやってくれないか? なにしろ強制的に相手を酔わせる俺の魔法と、絶対に酔わない魔法体質がぶつかりあったんだ。どんな魔科学的反応があるかわからないからな」
「わかりました。バッシュさん、今日は色々とありがとうございました」
「……こっちの台詞だぜ」
結局デビルスネークについての有意義な情報はあまり手に入らなかったが、それは仕方がない。ニックとサツキさんも心配な気がするけれど、それも仕方がない。
ひとまず俺は顔色の悪いアギトさんに肩を貸し、病院へ向かうのだった。