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7 風の精霊エアリン

 案内されてやってきたエイクさんの家は味のある二階建ての木造建築で、今ではリンドルの村で唯一経営しているという老舗の薬屋だった。

 なんでもエイクさんの祖母である調合士のアイーシャさんが、ほとんど一人で切り盛りしている状態らしい。

 もちろん孫であるエイクさんも一人でがんばる祖母のため薬屋を継ごうと勉強していたそうだが、召喚術と薬の調合術では必要となる魔法分野が根本的に異なるため理解するのは難しく、最終的に調合魔法の習得は挫折してしまったようだ。

 そのため現在は召喚魔法を中心に積極的な自警団活動の傍ら、アイーシャさんの経営する薬屋の仕事を邪魔にならない程度で手伝っているという。

 ちなみに自警団の運営費は村の公的資金から捻出されており、その団長を務めるエイクさんの給料はなかなかいいのだとか。現在ではエイクさん一人で危険な任務すべてを担当しているのだから、そこまで不思議な話ではないだろう。


「さぁ、二人とも遠慮せずどうぞ」


「お邪魔します」


 回り込んでみると薬屋の裏庭は隅々まで綺麗に整備されており、あらかじめ想像していたよりも広い土地だった。裏庭の周囲は山に連なる木々にこれでもかと囲まれており、付近には他の民家が一軒たりとて見当たらない。

 そっと耳を澄ましてみても聞こえてくるのは鳥のさえずりと、時折吹く風が木々の枝葉をさらさらと揺らす音くらいなもので、どこまでも静かな空間が広がっていた。

 というのも、ちゃんとした理由がある。

 たとえば魔法を用いた調合術が失敗した場合、それによって発生する悪影響から周囲への危害を少しでも抑えるため、意図的に住宅密集地を避けて薬屋を構えているらしい。

 危険物を調合する際に発生しかねない悪臭や有毒ガスなどといったものが、万が一に備えて薬屋のアトリエに張られている魔術結界から漏れる可能性などを考慮しているそうだ。

 薬屋の定期的な利用者からすれば遠隔地に立地されていると不便なのは不便だが、かといって利便性だけを考えて安全性を無視するわけにもいかず、これはなかなか難しい問題である。

 そう考えたエイクさんは定期的な利用客のこともサポートすべく、時間が許す限り配達業務も行っているようだ。

 そんな話を聞きながら裏庭に足を踏み入れると、そこへ一人の男性が姿を見せた。


「待ちくたびれたぞ、エイク」


 だぼだぼの薄汚れたコートに、まるで手入れをしていない無精ひげ。

 さりげない身のこなしは無駄のない洗練されたものかと思えば、一方で全身から漂う風格は無頓着な自由人という、なんともつかみどころのないおじさんだ。

 エイクさんの背後にいる俺たちの姿を見つけた彼は、さっと目を細めつつ素早い動作でコートの内ポケットに右手を入れると、表面上はいかにも友好的な笑顔を浮かべながらこちらへと近づいてきた。

 ひょっとしたら、いや気のせいかもしれないが、俺たちのことを少し警戒しているようにも見える。


「見かけない顔だが、彼らは誰だ?」


 彼から問いかけられたエイクさんが代表して、おじさんと俺たちの間に立って紹介してくれる。


「こちらはベアマーク騎士のサラと、それからベアマークでギルドを開いているというアレスタさんです。僕に用事があったようなので、それならと思って招待しました」


「ほほう? しかし帝国にギルドなんてあったかな?」


「なんでも新しく始めたらしいですよ。ねぇ?」


「ええ、そうなんです。依頼があったら喜んでお引き受けします」


 にこやかに営業スマイルを浮かべると、そんな俺の顔を見たブラハムさんは引きつった愛想笑いをするばかりだった。悲しいことに、どうやら信用されていないらしい。

 しかし自分で言うのもあれだが、開業したばかりで実績のないギルドなど胡散臭いだけなので、話半分に聞き流すようなブラハムさんの反応も無理はない。

 これからの活動次第で世間の評判も変わってくるのだろうと、俺は改めてギルド代表者として身を引き締めた。

 などと、そんなやり取りをしている俺たちのすぐ横では、少し怪訝な顔をしたサラさんが小声でエイクさんに耳打ちする。


「あのエイクさん、こちらの方は?」


「そうだね、僕のほうから二人に紹介するよ。彼はこの村に滞在している魔法学者の方で、ブラハムさん。今は善意の自警団顧問として、僕の召喚魔法の師匠をしてくださっているんだ」


「彼の言ったとおり、私は魔法学者のブラハムだ。よろしく頼む」


 そう言ってブラハムさんから自然に右手を差し出されたのだが、きっと握手を求めているのだろう。先ほどの微妙な警戒心はすでに消え去っており、意外に社交的で気さくな人なのかもしれない。

 騎士としての礼儀なのか、まずはサラさんが嫌味のない笑顔で握手に答える。

 すると彼女の手を握った直後、いきなりブラハムさんが呟いた。


「なるほど、君は光を操る魔法が得意なんじゃないかな?」


「……はい。もしかして、あなたは手を触っただけでわかるのですか?」


「少しくらいならね」


 さすがは魔法学者を名乗る人間だけはある。照れ笑いを浮かべて謙遜してはいるが、握手しただけで相手の魔法を見破るなんて、とてもすごいことだ。

 実際に当てられて驚いたのだろう、サラさんも目を丸くしている。

 そして次は俺に向かって右手が差し出される。その目に深い感情の色は窺えない。おそらく単なる社交辞令のつもりだろう。

 とはいえ、思えば俺は世界に一人しか存在しなかったという治癒魔法使いである。そんな世にも珍しい治癒魔法すら一発で見破ってしまうのだろうかと、俺は緊張してブラハムさんの右手を握り返した。


「ん? これは……」


「ど、どうかしましたか?」


 俺の手を握り締めたまま、浮かぬ様子でブラハムさんは眉を曇らせる。

 なにやら悩んでいるようだ。


「初めての感覚だ。うまく形容できない。……君は魔法使いか?」


 ――魔法使いであるか?


 その率直な問いを受けて、俺はしばらく考えてから丁寧に答えた。


「申し訳ありませんが、今後とも安全安心なギルド運営を目指す以上、代表者である俺の魔法について詳しくお話しすることはできません」


 ……付き合いの浅い人間に対しては極力、治癒魔法のことを秘密にする。

 それは、頼れるナイスガイであるサツキさんからアドバイスされたことだった。

 相手がどんな反応をするかわかったものじゃないから、特別な理由がない限り治癒魔法のことはべらべら喋るなと俺はサツキさんから忠告されていたのだ。

 しかしそんな事情が俺の側にあったとしても、好意的に尋ねてきた相手に対して冷たく言ってしまったのは失礼だったかもしれない。

 そう思って顔色を窺うように恐縮していると、意外なことにブラハムさんは感心してうなずいた。


「ふむ、そうだな。自分の魔法属性などは相手が誰であろうと不用意に教えないほうがいい。利用されるか、裏をかかれる」


「あ、ありがとうございます」


 なるほど、さすが魔法学者である。

 きっと彼は魔法そのものに関する幅広い知識だけではなく、魔法によって引き起こされる多種多様なトラブルについても熟知しているのだろう。でなければ自分の魔法を隠すことに対して、これほど好意的な理解をしてくれるはずがない。

 感心した俺はブラハムさんのことを深く尊敬した。

 これから先、もし何かいい機会があれば、エイクさんにならって俺も弟子入りしてみよう。

 可能性は低いが、もしかすると治癒魔法も特訓してくれるかもしれない。


「それよりブラハムさん、早速ですが今から召喚に挑戦しようと思うのですが」


「今日は観客もいることだし、そうしたほうがいいかもしれないな。ふふ、エイクよ。心なしか普段よりやる気に満ちた顔をしているぞ」


「い、いえ……」


 照れたように口では否定しつつ、そばに控えるサラさんのことをちらりと確認してしまうエイクさん。どうやら新しい召喚の挑戦を前にしたエイクさんは、それを見学するサラさんのことを意識しているようだ。

 そんな思春期男子のような初々しい反応を見せるエイクさんに、なにやら図鑑のような分厚い書物のとあるページを開いたブラハムさんが、こまごまと指図しながら確認を求める。

 こちらからでは遠くて中身まで見ることが出来なかったけれど、どうやら彼の呼び出せる召喚獣がたくさん載っている手書きの図鑑らしい。


「とにかく実際に召喚してもらうことにしよう。エイク、確か今日はこいつに挑戦するんだったな?」


「はい。お願いします」


「よし、では行くぞ」


 短い会話を交わした二人は、裏庭の広いスペースに出る。

 おそらく召喚魔法の邪魔にならないためと、そして万が一の場合に備えてだろう。俺とサラさんは少し離れた場所から見守ることになるようだ。

 そして始まる召喚。

 深呼吸をして気持ちを切り替えたエイクさんが口を開く。


「悠久なる風、世界を流転する大いなる風よ――」


 見守るような表情をしたブラハムさんが背後に立ち、召喚魔法に挑戦するエイクさんの背を右手で支えている。ブラハムさんは召喚魔法の師匠だと言っていたから、おそらく魔術的なアシストをしているのだろう。

 しばらく呪文のような言葉をブツブツと呟きながら精神を統一させていたエイクさんは、やがて目を見開くと同時に右手を真っ直ぐ前へと伸ばした。


「出でよ、風の精霊エアリン!」


 召喚する精霊の名を叫ぶと、エイクさんの周囲で風の流れが変わった。

 エイクさんの前方へと、渦を巻くように一箇所へと集まる風。高まる魔力濃度。

 そして完成される召喚魔法。


「ンタァ!」


 そんな幼い喜びの声が聞こえると同時、魔力風の激しく渦巻いた中心点で突如として輝いた光とともに現れた存在は、見るからに元気いっぱいな、とても小さい人の姿をした精霊だった。

 おそらく風の精霊にとって象徴的なものの一つだろう、ふわふわと魔力の風に舞っている。エイクさんによって召喚された精霊の背中には、左右に大きく伸びる穢れなき白い翼があった。

 身にまとった服装は短パンを隠したミニスカート。おへそは隠さず、ただ胸元を覆うように緑色の布が巻かれている。

 風の精霊エアリン。

 それは人間の肩に乗るくらいの小さな背丈であり、愛嬌たっぷりな可愛らしい少女の姿をした使い魔であった。

 人ならざる精霊の姿は可憐かつ優雅であり、今までそういった霊的存在に縁がなかった俺は生まれて初めて目にするのだが、一方でまた、俺にとってはどこか見たことがある存在の姿に近かったのも事実だ。

 驚いた俺は思わず目を見開く。


「この精霊の姿、あの時見た肩代わり妖精に似ている……」


 そう言ったつもりの俺ではあるが、ちゃんと最後まで言い切る前に――。


「そんなことより可愛いです! ちょっとアレスタさん! エイクさん、この子ったら可愛すぎます!」


 まるで小動物のような可愛い精霊を前にして、溢れ出る母性を抑えきれないとでもいうのか、とろけた表情を見せるサラさんが好奇心旺盛に目を輝かせていた。

 おかげで俺の言葉はかき消されてしまったらしく、誰も俺を見ていない。

 ふわふわ風に乗るように宙を舞っていたエアリンは周囲を見渡すと、ゆっくり自分の召喚者であるエイクさんの肩に向かって降下して、そのまま腰をかけて座った。使い魔だが術者に遠慮することはなく、すっかりなついているようだ。

 エイクさんはその様子を目で追いながら、自分の肩に座ったエアリンの頭を指先でなでて柔らかく微笑む。


「あはは、ちゃんとサラにエアリンを気に入ってもらえたようでよかった」


「ヨロシク!」


「わぁ! この子、喋りましたよっ! よろしくお願いされちゃいました!」


 天真爛漫なしぐさでヨロシクと言って右腕を上げたエアリンと、その小さな右手に人差し指を当てて微笑むサラさん。どちらも笑いあう姿は無邪気に可憐であり、はたから見ているだけで癒される素敵な光景だ。

 ちょっとエイクさんが羨ましい。


「じゃあ、サラ。しばらくエアリンのことをお願い」


「任せてください! おいで、エアリン」


「ウン!」


 自分が呼ばれたことを理解したのだろう、風の精霊エアリンはエイクさんの肩から飛び立つと、誘われるようにサラさんのもとへ向かった。

 そして俺とエイクさんから少し離れた場所に行き、はしゃぐサラと遊び始めた精霊エアリン。それはまるで華麗に舞う一匹の蝶と、それを追いかけて無邪気に戯れる少女を見ているかのようだった。

 そんな二人の様子をしばらく無言のまま見守ってから、名残惜しみつつ意識を切り替えたらしいエイクさんが俺の方へと振り返った。


「ところでアレスタ君。もしかして、肩代わり妖精って言ったかい?」


「言いました、言いました。それはもうはっきりと言いましたよ!」


 さっきはテンションの上がったサラさんに発言を邪魔されてしまったので、念には念を入れて何度も深くうなずいた。


「よし、ちょっと待ってくれ」


 何か思い当たったらしく、エイクさんはパラパラと図鑑をめくる。

 そして目当てのページを見つけたのか、パチンと指を鳴らすと顔を上げた。


「あったあった。たぶんこのテレシィのことじゃないかな?」


「テレシィ?」


「ああ。たとえば肉体的な痛みとか精神的な悩みとか、とにかく触れた相手の様々な苦痛を吸収してしまう力を持った妖精さ。ただし、その代わり自分が苦しむことになってしまうっていう、かわいそうな妖精だよ」


「おお、まさにそれです!」


 その説明を聞いて直感した。

 エイクさんの言うテレシィとは、あの日激しい風邪に苦しんでいた俺を助けてくれた、あの肩代わり妖精のことに違いないと。

 俺が確信を持ってうなずくと、それを見たエイクさんは遠い目をした。


「テレシィは昔、僕の祖父が生きていたころに召喚した使い魔だよ。もう呼び出した術者がいなくなってしまったのに、まだ消えずに残っているんだなぁ……」


「エイクさんの祖父ですか」


 肩代わり妖精、つまりテレシィを召喚したのはエイクさんの祖父らしい。

 しかし、残念なことにテレシィの召喚者であるエイクさんの祖父はすでに他界しているという。

 それを聞いて色々と思うところもあったけれど、ひとまず俺は胸に抱いている自分の思いを伝えるべく、何事かを考え込んでいるエイクさんに声をかけた。


「召喚したのはおじいさんのようですが、よかったらエイクさんにもお礼を言わせてください。あの、本当にありがとうございました。俺はその肩代わり妖精テレシィに、病気で苦しんでいるところを助けてもらったんです」


 感謝を込めて深く頭を下げると、それを見たエイクさんは明るく笑った。


「ははは、僕は何もしていないよ。お礼なら直接テレシィに言ってやってくれ、きっと喜ぶよ。妖精にだって心があるからね」


「ええ、それはもちろんです。エイクさん、実はそのために今日はリンドルまでやって来たのですが……」


「なるほど、つまり君はこの村でテレシィを探しているのか」


「はい。サラさんにエイクさんが詳しく知っているとお聞きして……」


 そう言った俺は頼み込むように、すがるようにエイクさんを見詰める。

 するとエイクさんは考え込むように腕を組んだ。


「どうやら祖父が召喚したテレシィだけど、今でもリンドルやベアマークを行ったり来たりして、人々の間で噂になっているようだね。なんでも、苦しむ人のところにやってきて助けてくれる不思議な妖精だって。僕も何度か村人から噂話くらいなら聞いたことがあるけれど、残念ながら実際にこの目で見たことはないんだよ」


「そうでしたか。しかしこの村でもテレシィが噂になっているのなら、目撃情報などを尋ねて回れば何か情報が得られるかもしれません」


「うん、それがいいかもしれないね。何かわかったら僕にも教えてくれ」


「もちろんです」


「……すまない、ちょっといいだろうか?」


 俺がエイクさんとテレシィのことについて話しこんでいると、その会話の中に出てきた「噂」という単語に反応したらしく、それまで黙ってそばで聞いていたブラハムさんが言いにくそうに切り出した。


「私は魔法学者として、この地の危険を未然に防ぐため調査しているのだが……」


 そう前置きされてしまうと、何か大事なことがありそうで真面目に聞かずにはいられない。

 話の内容が気になった俺とエイクさんは、二人そろってブラハムさんに顔を向ける。

 それを確認してだろう、うなずいたブラハムさんも姿勢を正した。


「ちょうどいい機会だから、ここで君達に尋ねておきたいのだ。デビルスネークという魔獣のことを誰か聞いたことはないかな? この村で人々の噂になっているそうだが、どうやら魔術的な情報規制が張られているらしく、誰も教えてくれないのだよ」


「……あ」


「エイクさん、大丈夫ですか?」


 ブラハムさんが言い終わると同時、立ちくらみのようにふらりとバランスを崩してしまったエイクさん。いつからそこにいたのか、その異変にいち早く勘付いたサラさんが心配して彼に寄り添う。

 もちろんエアリンも一緒である。


「う、うん……」


 気分が優れないのか、エイクさんは顔色がよくないようだ。


「すみません。話の途中ですが、私とエイクさんは少し席を外します」


「うん、そうして。俺はブラハムさんの話を聞いておくから」


 体調を崩したらしいエイクさんに肩を貸し、サラさんたちは彼を休ませるためにこの場を離れていった。きっと裏庭のほかに、どこかゆっくりと落ち着ける場所があるのだろう。

 一方、残された俺にはブラハムさんの視線が突き刺さる。


「アレスタと言ったね? どうやら君は心当たりがあるようだ」


「確かに、どこかで聞いたような話ではありますが……」


 デビルスネーク。その名前を俺はどこかで聞いたことがあるはずだ。

 必死に思い出そうと頭をひねっていると、ブラハムさん。


「君はベアマークでギルドをやっているんだったかな?」


「はい、どんな依頼でも受け付ける便利屋ギルドです」


「ならば私から正式に依頼しよう。デビルスネークに関する詳細な調査を願う。謝礼なら――」


「おっと、お金は結構ですとも」


 詳しい事情までは知らないが、魔法学者のブラハムさんは村の危険を未然に防ぐためデビルスネークと呼ばれる魔獣の調査をしているらしい。しかも善意でリンドル自警団の顧問になり、さらにエイクさんの師匠として精力的に行動しているときた。

 自分よりも人のために行動しているブラハムさんの頼みであるなら、むしろこちらから率先して協力を願い出るべきだろう。依頼料を取っている場合じゃない。


「そうか。それなら君の好意に甘えさせてもらおう。……頼めるか?」


「ええ、お任せください」


 全身全霊、とにかく俺は力強くうなずいた。







 デビルスネークについて真剣な話を交わすアレスタたちから離れ、彼らの会話が聞こえない場所まで来て腰を下ろしたサラとエイク。

 風の精霊エアリンは心配した様子で二人の頭上を飛んでいた。


「エイクさん、大丈夫ですか?」


「ああ、ごめん。迷惑をかけたね」


「いえ、迷惑だなんてそんな……」


 慌てて首を横に振ったサラは、しばらく口を閉ざして次に出すべき言葉を選んだあと、すっかり落ち込んでいるらしいエイクへと思い切ったように尋ねる。


「あの人が言っていたデビルスネークって、昔このリンドルを襲ったという怪物ですよね? エイクさん、その名前を聞いて、とても苦しそうにしていたから……。もしかして、昔のことを思い出して?」


「うん、そうかもしれない。なにしろ僕の祖父と、それから父さんと母さんの三人はその怪物に殺されたから。まだ僕が小さいころだったから詳しくは覚えていないけど……」


「その事件に関しては、迅速に対処した当時の騎士団によって高度な魔術的情報規制が実施されているので、意図的に記憶を封印されている可能性がありますね。どうやら他の村人の方々も、騎士団に協力した村長を除けば、誰もはっきりと事件のことを覚えていないようですし」


「うん、それが何を意味するのか僕にはわからないけれど」


「……ええ」


 途端、思いつめた表情を見せるエイク。

 悩める彼の顔を黙ったまま見ていられなかったのは、心優しいサラである。


「私、やっぱり心配です。だってエイクさん、いつも一人で無茶をなさるから」


「あはは、危険も多い自警団は大変だからね。穏やかな村のみんなに自警団への加入を強要するわけにはいかないし、どうしたって僕ががんばるしかないのさ。そりゃ無茶もする」


「で、でもっ」


「ううん、大丈夫だよサラ。これからはちゃんと一人でもやっていけるように、今はブラハムさんのもとで召喚魔法を修行しているから」


 言って、サラの頭に右手を乗せるエイク。その顔は彼女を安心させるためだろう、爽やかに笑っていた。しかしそれが無理をしてのものだと受け取ったサラは、自分の膝の上に乗せたこぶしをギュッと握り締める。

 そして彼女は勇気を振り絞って口を開き、顔を向き合わせたエイクの瞳に自分の瞳を覗き込ませる。


「もしもエイクさんが必要としてくれるなら、私、リンドル自警団の一員として……」


 けれど、やはり面と向かって言ってしまうのが恥ずかしいのか、その先を明確な言葉にすることができずに目を伏せてしまうサラ。美しい金髪によって隠されてはいるが、その下の表情は恋する乙女そのものである。

 顔の火照った彼女の隣に並んで腰をかけるエイクもまた、このときばかりはサラと同じように極度の緊張による赤面を隠しきれず、かろうじて搾り出すようにして口に出す言葉を探した。


「ねぇサラ、君は隊長に昇進したんだったよね?」


「は、はい。でも――」


「だったら君を祝って、僕からプレゼントがある」


「……え?」


 不思議に思って首を傾げた彼女の顔の前に、そっと上向きにして差し出された彼の右手。

 おそらくエイクがアイコンタクトで呼んだのだろう。その右手の上に、飛び疲れて羽を休めた精霊エアリンがちょこんと座りこんだ。


「なぁエアリン、召喚者である僕からのお願いだ。いつも彼女のそばにいて、村を離れられない僕の代わりにサラを守ってくれ」


「ウン、マカセテ!」


 エイクの手のひらの上で力強くうなずいたエアリンは立ち上がり、そのまま抱きつくようにサラの胸へ飛び込んだ。


「ボク、サラノコト、マモルマモル!」


 そう言いながらギュッと顔をうずめてくるエアリンに、思わずサラは頬を緩める。


「ふふ、エアリンったら女の子なのにボクですって。なんだかエイクさんみたい。真似をしているんですね、きっと」


 それを聞き、おどけて肩をすくめるエイク。


「ひどいなぁ、サラは。僕はもっと男らしいよ」


「……わかっています」


 切なさ色に笑顔を隠したサラは風の精霊エアリンを胸に抱きながら、真っ直ぐにエイクの瞳を見詰めた。言葉を閉ざして懸命に何かを伝えようとする彼女の真剣なまなざしは、おどけていた彼の心にも真面目さを引き出させる。

 一瞬の静寂。

 優しい風。

 瞳と瞳。

 想い。


「だって私、エイクさんのこと――」


「待って、サラ。その先は言わずに目を閉じて」


「……はい」


 リンドル自警団のリーダーであるエイクと巡回騎士のサラは、一年ほど前に初めて顔を合わせたそのときから、いくつもの多彩な任務を共に乗り越えてきた。他の自警団メンバーとは精神的な距離を置いて孤立していた彼と、最年少かつ新人の騎士で不安ばかりだった当時のサラは、とても馬が合ったらしい。

 思えば幾たびも、エイクとサラは背を預けあったこともあるし、互いの悩みを語り合ったこともあるし、時には対立して喧嘩をしたことだってある。

 しかし共に恋愛経験のない二人のことだ、それが恋心と気づいたときには頬を赤らめただけでは収まらない恥じらいを覚えた。そしてそれは二人とも半分以上も自覚していながら、ついに今日まで明確な一歩を踏み出すことが出来なかった。

 知らず知らずのうち、いつしか彼らは惹かれあっていたのである。

 お互いに尊敬し、大切な想いを寄せ、そんな風にして初恋は二人の胸の中で膨らみ続けていき、いつだって相手のことを意識せずにはいられなかった。

 けれど、きっと二人はこのときほどお互いの存在を強く感じたことはないだろう。


「アツイヨ……」


 サラの胸元に優しく抱かれたまま間に挟まれたエアリンがあきれるほどに熱く、二人は言葉もなく夢を語り合うのだった。

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