4 村の青年エイク
農村リンドルを囲む深い森には、その名もクィックという世界でも珍しい鳥が生息しているらしい。とてもきらびやかな姿をしているという話もある。
ところが村の出身である僕を含めて、自分の目で直接クィックの姿を見たものは誰一人としていない。
ゆえに、今でもその存在を信じさせるのは森に響く鳴き声ばかり、ほとんど空想上の存在として語られる鳥である。
その鳥が実在するものなのかどうかは別として、たとえ村人総出で探したとしても見つからないというのも、冷静に考えてみれば無理のない話かもしれない。なにしろその鳥は人間に対してとても臆病であり、かつ目にも留まらぬほど素早く飛ぶことが出来るらしいのだ。
クィックというのは彼らの鳴き声に由来する名前だが、その鳴き声を耳にした人間が発生源に顔を向けたころにはクィックがすでに枝から飛び立った後であり、目に映るのはわずかに木立が揺れている光景だけなのだった。
そのためか、クィックの存在は村に伝わる不思議な伝説と化している。
今もなお森に響く甲高い不思議な鳴き声は途絶えることがなく、その実在を信じた村人の憧憬を集めてならなかった。
姿なき鳥クィックに関するそんな特別の事情もあってか、今よりずっと小さかった子供のころ、夢見がちだった少年の日の僕は、村の友人達と徒党を組んで、まだ太陽の昇らない早朝から森の中へとクィックを探しに出かけたことがある。
伝説の鳥を見つければそのまま英雄になれる。単純だった僕らはそう信じて疑わなかったのだ。
けれど、たかが子供数人で結成した捜索隊。伝説となった生き物の姿を簡単に見つけられるわけがなかった。大人たちから聞いた伝承どおり、クィックと鳴いている声は耳に響いてきても、それを発しているであろう鳥そのものの姿は見つからない。
結局は広い森の中を当てもなく探して一日中歩き回る羽目となり、すっかりくたびれた仲間達は一人ずつ捜索を諦めてしまうと、早々に探索を打ち切って村へと戻ってしまうのだった。
捜索隊は一日ももたず、なし崩し的に消滅してしまう。
クィックなんて絶対に見つかるはずがない、諦めたように誰もがそう口にした。
それでも執念深い僕は意地を張っていたのだろう。たった一人になっても最後まで粘って、いつまでも森に残り捜索の手を止めなかった。それが功を奏したのだろうか、すっかり日の暮れたころに僕はその声を、クィックという鳴き声をすぐ耳元で聞くことに成功した。
遠くから鳴き声が響いてきたのではない、直近でささやかれたのだ。
すぐ手が届くほどの距離。これはきっと視線を向ければ姿を確認することが出来るに違いない。
ところが森の深い宵闇は、そこにいるクィックの姿を僕の目には見せてくれなかった。それもそのはず、すでに周囲は真っ暗で何も見えなかったのである。
そうして逃げも隠れもせず耳元で堂々と鳴いた鳥にも、後日この話を聞いた友人らにも馬鹿にされて笑われたのは少年だった幼い僕。その日は深夜に帰ってみれば玄関先で腕を組んで待っていた父さんにガツンと怒鳴られてしまった。
これを教訓にして、無駄な努力は決して報われないものだと、短絡的にそう思ってしまったのも僕が子供だったせいだろう。
けれど翌日の午後、森の中には自ら進んで無駄な努力を重ねる僕の姿があった。
「今度は朝まで帰らない!」
そもそも努力なんてものは報われるために重ねるものじゃない、自分の信念を貫き通すために続けるべきものなのだ。
関係のない周囲の人間から「無意味だ」と指摘されるほど、あざ笑うように「無駄な努力だ」と罵倒されるほど、誰よりも気高くあろうとした当時の僕は己の意地を張り通すのに余念がなかった。
つまり僕の子供じみた負けん気が、人前に姿を見せることのない臆病なクィックごときに屈することを許さなかったのである。
捜索二日目の深夜、その日は星明りが美しかったことを記憶している。
これなら辺りが真っ暗で何も見えないという心配もあるまい。そう安心した僕は深い森の中心に立って腰に両手を当てると、どっしりと男らしく構えていた。
すると一人で立ち尽くしていた子供の僕を心配して寄ってきたのだろう、森に響くクィックの鳴き声はどんどん耳元へと近づいてきた。
ついに念願の姿が見える、そう思った時のことだ。
クィックとしか鳴かない鳥の言葉の意味なんて誰にも伝わらなくたって、確かにそのときの僕にはわかったのである。彼らクィックが深夜の森に一人残った少年を心配するくらいには優しいのだということ、そして人間を馬鹿になどしていないということが。
やがて僕を中心にして、いくつもの鳴き声が取り囲んだ。
ところがどんなに目を凝らしても確認しても、一向にクィックの姿は見当たらない。鳴き声が聞こえるたびに枝や葉が揺れるのは確認できても、そこにクィックの面影は発見できなかった。
おそらく、その先の事実を、その状況から漠然と理解できたのは祖父による教育のおかげだろう。まだまだ幼い少年だった当時の僕は姿なき野鳥の声に、村に噂されるクィックの伝承すべてを理解した。
簡単な話である。
そもそもクィックなんて鳴き声の鳥など村人の作り話でしかなく、はじめから存在していない。それは森の木々が鳴らす音だったのだ。
より正確に言えば、人間の目には見えぬ木々の精が、森の枝先で遊んでいる音なのだ。
どうせ誰も証拠なしには信じてはくれないと決め付けて、僕は今なお胸のうちに隠し続けている。
さて、子供のころの僕はといえば、またこんな話もある。
僕は悪を許さぬ正義の騎士になりたかったため、まだまだ成長しきっていない三歳ごろから、日課に自主的な訓練を取り入れていた。もちろんそれを一日として欠かした記憶はない。
けれど心身を鍛えていたからこそ、暴力に訴えるのは嫌だった。殴る蹴る以外の方法で自分の正義を証明したいと思ったわけだ。
たとえば、恐れを知らぬ当時の僕は、木の実をすりつぶした毒にもならない苦味のある粉末を盗み出してはこっそりと食事に混ぜ、「これが正義の鉄槌だぁ」などと言っては悪さをする人間のことを問答無用で懲らしめたこともある。
あるいは無害だが目に染みる香辛料の粉末や、あるいは皮膚に触れるとちょっと痛みの出るような液体状の薬品を家の戸棚から持ち出し、言って聞かぬ人間には懲罰として浴びせかけていた。
その行動の結果だろう、年少のころより僕は「薬屋エイク」とか「苦薬のエイク」と呼ばれては、村中の人間から仲間はずれにされてしまうことが多かった。たった一人の家族である年老いた祖母はといえば、そんな僕の行動を聞いても怒るどころか、かえって薬屋の宣伝になると言って笑って許してくれたものだ。
もちろん気の許せる仲間がなかなか出来ないのは寂しかったけれど、しかしそれも己の信念を貫き通したからこその孤高である。
悪を成敗する正義の存在は、決して私情で揺れ動いてはならない高潔なものだから、俗世間に馴染まない生活は次期自警団のリーダーとしては誇れるものに違いないと信じて疑わなかった。
だからこうして成人を果たして念願どおり自警団のリーダーに任命された僕に、けれど理解者の一人もいないのは、そういう事情もあってのことだろう。
より強く、より正しく。
より過激に、より厳格に。
僕は長年の間に積み重なってきた自己流の信念もあって、まさしく自分が思うとおりの実直なリーダーを貫いた。
そして、現在の話だ。
数年前に成人を迎えて、色々あって村の自警団のリーダーを前任者から引き継いだ僕は、指導者らしく気を引き締めると、その責務に恥じることないよう精を出した。
たとえ軟弱な部下に嫌われようが容赦はしない。村の人間を守るためならと、自警団の活動に関しては手を抜くことなど一度としてなかった。
毎週の訓練や定期巡回、そして異変に対する出動任務。
それらは団員一人ひとりに対して最大のパフォーマンスを求めた。
いつのころからだろうか。
あだ名だった薬屋エイクが殺し屋エイクへと変わり、そうやって僕に不満を抱いた団員によって陰口を叩かれていたと知っていても、それがどうしたと彼らに求める厳しさを緩和した覚えはなかった。
たるんでいれば叱責し、危機感に乏しければ怒鳴りつけた。
だからであろう、いつからか心身ともに耐えられなくなった団員は消極的に自警団から立ち去り、一人ずつ、次から次へと、苦しい訓練から逃げるように遠ざかっていったのである。
自然、リンドル自警団の統率は日増しに失われていった。
「エイクさん、ごめんさない。みんなは勝手に帰ってしまいました……」
「そうか」
「それから、実は――」
その先は彼の口から言われずとも容易に想像がついた。
無理もない、今まで何度だって聞いてきた言葉だからだ。
「お前も今日は帰りたいって言うつもりだろう? いいよ、好きにしてくれ。どうせ二人じゃ何も出来ない」
「はい、それでは失礼します」
僕という厳格なリーダーの手前、卑屈なまでに腰を低くして去っていく彼は申し訳なさそうに体裁を取り繕ってはいるが、内心では嬉しそうに笑っているに違いない。
ここが危険とは無縁のリンドルという、のどかな農村だからだろう。
大抵の村人は熱意どころか緊張感さえまるでなく、歴史ある自警団の存在意義さえもが長い伝統に反比例するように薄れていた。
のどかに暮らせればそれでいい。村に生きる老若男女は例外なくそう考えているようだった。
高い目標や野心を持つような将来有望な若者たちはといえば、自身の内側に眠っているであろう可能性を試すためか、成人する前に都会であるベアマークや帝都に単身旅立って、生まれ故郷であるはずの寂れた村のことなど忘れてしまうばかりだ。
魔物被害、自然災害、事件と事故に、予期せぬ魔法攻撃。
ベアマークのような大都市とは違って騎士の巡回が乏しい農村では、かけがえのない平和と自然の景観を維持するためにも、村に常駐して活動する自警団の必要性は高いはずなのだ。
そもそも魔法という不安定な法則が支配する世界において、社会の安全も安寧といったものも、本当の意味では存在し得ないのだから。
たった一人のたった一つの過ちで、簡単に世界崩壊の引き金を引いてしまえるのだ。それが魔法と呼ばれるものである。
その事実は村に残る文献でも明らかなことだった。
歴史上、何度となく村は大小さまざまに壊滅の憂慮を迎えており、そのたびに第一線で活躍したのが自警団である。
たとえば病気や災害といった自然発生的な出来事を除けば、村で起こった重大事件において、善悪ともに魔法が大きな影響を与えていたことは、誰の目にも疑いようのない事実だろう。
「ああ……」
もしも僕に完璧な魔法が使えれば。
そうなれば、今も豊かな自然に囲まれた村に残って暮らす心優しき青年達に向かって、僕と同じように過激な精神性を求める必要もない。
争いを嫌う彼らに対して、厳しい自警団の責務を強要することもない。
もしも完璧な魔法が使えたなら、そのときには僕ひとりの力で悪に立ち向かい、僕だけが自警団の使命のため犠牲になり、この村をあらゆる脅威から守りぬくことが出来るのだろう。
……いや、そうやって今さら仮定の話をうじうじと考えていても仕方のないことだ。
「ちょっと試してみるか」
自警団の訓練をするという予定が崩れてしまった僕は、今日の予定を立て直すためにも家に戻ることにした。
今では村に唯一となった薬屋である。
自宅でもある店の扉を開くと、僕は店番をしていた祖母に向かって言った。
「おばあちゃん、倉庫の鍵を借りていくよ?」
「ええ、どうぞ」
借りたのは祖母が管理していた倉庫の鍵だ。亡くなった祖父が残した様々な資料の山を調べるためである。
およそ十年前にとある事故で他界した僕の祖父は、この村どころか帝国でも名を馳せるほど優秀な魔法使いだったと聞いている。
しかも優秀なだけでなく、ただの魔法使いではなかった。
祖父は精霊遣い、あるいは召喚師と呼ばれる、このあたりでは珍しい種類の魔法使いだった。
優秀だけあって長年リンドル自警団のリーダーを務めていた祖父は、子供のころから僕にとっての唯一にして最大目標である。天才ゆえに孤独であったろうが、村の記録に残っている限り、たった一度の失敗を除いて、彼は幾度となく村の危機を救ってきたのだ。
僕は偉大な祖父への尊敬の念を込めた丁寧な手つきで、倉庫に残された大量の文献を読み進める。
古ぼけた書物、かすんだ文字、薄暗い照明。
けれど何度だって繰り返し熟読した文献ばかりだ。そのほとんどは読み返す必要もなく暗記してしまっていた。
「……やっぱり、何かあるとすればあの祠か」
村の外れ、森の中にある小さな祠。
普段は村人でさえ近づかない寂れた場所。
祖父の文献の中に、ただ意味深に“通じた場所”とだけ記されている、なんらかの魔力的なゲートと思われる地点。
あの天才的な魔法使いである祖父でさえ最後まで手を出すことが出来なかったという、ざっと数百年以上の歴史を持つ正体不明の祠。
村に残されている信憑性も怪しい伝承、たとえば森の精霊クィックのことを姿なき鳥だと決め付けてしまうような村人の作り話によれば、その祠には伝説の魔獣が眠るという。
僕は村の自警団リーダーかつ孤高の守護者であり。
仮にも優秀だった祖父の血を継いだ魔法使い、人外の生命を操る召喚師である。
行くしかない。
そう思った僕は一人、倉庫に鍵を閉めると村を出た。
村から祠へ続く森の道は茂った草木に覆われ、僕を除けば今では野生の獣くらいしか通らない。由来不明の祠はほとんど打ち捨てられているようなものであり、わざわざ足を痛めてまで行く用事などない村の人間では、この道の存在を知っているものも少ないだろう。
苦労しつつも道ならぬ道を慎重に抜けた僕は、やがて目当てとする祠の前に到着した。
青々と苔むして、いかにも古ぼけた目立たぬ祠である。
丸みを帯びた石に刻まれた文字は風化によって読むことも出来ないが、たとえ綺麗に残っていたとしても、現代言語に慣れた僕には古代文字なんて理解できないだろう。
記されているらしい古代文字の解読は早々に諦めて、とりあえず試しに手で触れてみたが魔力的な反応は何も感じられない。
ここが本当に何か意味のある場所なのか、自警団リーダーとなった今の僕にも判断することなど出来なかった。
まるで意味のない形ばかりの祠、あるいは古びた記念碑くらいにしか見えない。
「……そんなわけないよな」
悔しかった。
何も理解することができない自分の無力さが、何よりも悔しくて仕方がなかった。
あの優秀な魔法使いである祖父が文献に書き残した祠なのだ。ここに魔術的な要素が何もないわけがない。
だからこの祠について祖父が文献に記すような魔力的な意味を発見、あるいは感じ取ることができなければ、それは僕に魔法の素養がないというだけの話に帰結してしまう。
僕はなおも無力なのか? 成長すら出来ていないのか?
いや、少し気を改めよう。
こんなところまで来て、落ち込んでばかりもいられない。気合を入れなおすべく僕は深呼吸して自分の頬を思い切り引っ叩いた。
もちろんそれは僕が祖父から受けついだ唯一の魔法、召喚魔法を使うためだ。気持ちで負けていては魔法など使えるわけもない。
あくまで一般論として、現代の魔法使いが魔法を行使する際、長々と唱えるような決まりきった呪文は必要ない。
なぜなら魔法は特別な言葉や動作によって引き起こされる現象ではなく、魔法を使う能力者の意志によってもたらされる魔力反応であると結論付けられているためだ。
とはいえ、古代においては決まった呪文、あるいは儀式が必要不可欠であったらしい。
現代において魔法の発動に形式的な呪文や詠唱が無用のものとなった経緯については、世界的な使用言語の変化に伴う術者の適応だとか言われているが、そんなものは魔法学者の勝手な屁理屈である。
実際の魔法には、呪文や動作よりも術者のイメージが重要であるというだけの話だろう。
だから経験がものをいう。
「……いざ召喚、木々の精霊クィック!」
しかし、だからこそ一定の言葉や呪文によって、術者の漠然とした魔法イメージを固定化、あるいは細分化しなければならないのだ。
言葉を使用しない無口な魔法使いはイメージばかりが先行してしまい、肝心な場面で魔法が暴発してしまいかねない。
「さぁ、ここに姿を現せ!」
体の前で右腕を大きく振り払い、術者である自分自身の体を媒介として、周囲の魔力を凝縮、そのまま投げ飛ばすように前方へと奔流させる。
ぐるぐると渦を巻いて淡く輝き始める魔力の流れは、やがて収束するように一箇所へと固まりながら、その召喚魔法を実現させる。
「クィック、クィック!」
召喚魔法が発動した地点を中心として、どこか聞き慣れた、あたかも鳥の鳴き声であるかのような甲高い音が森に響いた。
「クィック、クィックかぁ……。はは、この音も昔から全然変わらないな」
目を開けて確認するように音の発生源へと視線を向けると、そこには枝先で遊ぶ小さな生命の姿があった。その姿は鳥でもないのだから、空から飛んできたのではない。
僕の発動した召喚魔法が成功し、木々の精霊、クィックを呼び出したのである。
さて、ここで簡単に説明しておこう。
……といっても僕の魔法に関する情報源は祖父の文献だけが頼りであり、独学による知識ばかりなので話半分に聞いて欲しい。思い込みの結果、間違っている可能性もある。
僕や祖父のような召喚師が発動する召喚魔法には、大まかに分けて二種類あると考えられている。
一つは、召喚対象となる存在そのものを遠方や異界、あるいは自分のイメージの中から呼び出して、魔力的に引き寄せてから出現させるもの。
そしてもう一つは、その場に息づく精霊や妖精など、本来人の目には見えない存在に一時的に召喚魔法で物理的な姿を与えて、それを呼び出した術者とのコミュニケーションを可能とするものである。
後者の魔法は低級魔法であり、僕のような半端者にも難なく成功させることが出来る。今やったクィックの召喚などもそうだ。
だが前者、たとえば魔界から魔獣を召喚して使役するような種類の魔法はというと、幾年にもわたって厳しい修行を重ねなければ成功することはない、とにかく難易度の高い魔法なのだ。
僕が胸をなでおろして召喚魔法の成功に安堵していたところ、リスにもサルにも似た木の精霊クィックは枝から飛び降りてきて、そのまま警戒心もなく僕の肩に乗ってきた。
こうして魔法によって召喚された彼らは基本的に術者のことをマスター、つまりは親のような存在として慕ってくるのである。
とはいえ何事にも例外はあり、たとえば獰猛な魔獣など、あまりに桁違いな魔力を必要とする召喚獣は未熟な術者を敵とみなして襲う場合もあるというが、どうせ今の僕には呼び出せるわけもないだろうから無縁の話だろう。
やがて召喚してからしばらく時間が経過すると、術者である僕から魔力の供給が途絶えてしまったのか、肩から頭の上に移動していたクィックの姿が明滅するように消えてしまう。
一時の逢瀬みたいでなんとも儚いものだが、それも行使できる魔力の最大容量に乏しい僕の限界かもしれない。
悲しいが、現状の僕では召喚を維持するには数十分が限度なのだ。
ひとまず低級な精霊であるクィックの召喚成功に満足した僕は、このまま次の段階へ挑戦することにした。今日は自分の限界を調べるつもりだった。
次に呼び出すのは祖父の文献にも彼がよく呼び出して利用したと記されていた、とある使い魔の召喚である。
僕は呼吸を整えると、先ほどと同じ要領で召喚魔法を発動させる。
「……召喚、使い魔ヴォルフ!」
本音を言えばあまり自信はなかったが、召喚魔法は目の前に一匹の狼を出現させていた。
もちろんそれはヴォルフと呼ばれる魔物である。
どうやら召喚に成功したらしい。ホッとした僕はヴォルフをなでようとして、右手を伸ばしてみた。使い魔とのコミュニケーションも大事なことだ。
「ガウガウッ!」
ところが召喚魔法によって呼び出されたヴォルフの目は鋭く僕を射抜き、むき出しにされた牙は獲物を求めているようだった。
吐き出す息も荒っぽく、爪のとがった前足は地面をかき、今にも飛び掛ってきそうな様子である。
「おいおい、嘘だろ」
一度はヴォルフへ向かって伸ばした右手をすかさず引っ込めると、僕は足音を立てないようにゆっくりと後ずさる。
なぜならそこにいたのは従順な使い魔ではなく、術者であるこちらに闘志を見せ付ける魔物、つまりこちらの命令は通用しない理性なき凶暴な狼の恐ろしい姿だったのだから。
「誰か、助けてくれ!」
不意を食らった僕がそう叫ぶしかなかったのも、情けないけれど無理のない話だろう。