表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/77

12 対峙のとき

 あの変態店主……ではなく、裏社会では名が知れているというベアマークの情報屋からカーターについての情報を得ることができた俺は決意を改め、大急ぎで城に戻ることにした。

 こうしてカーターの企みを知ってしまったからには、すべてが手遅れにならないよう、自分にできることをするのみだ。

 と、その途中である。

 ちょうど城の門にたどり着こうかというそのとき、俺は見慣れた後姿を発見したのだった。


「カーター!」


 呼び止めるように力の限り大声で叫ぶと、数十歩先を堂々と歩いていたカーターは驚いたように振り返る。

 ここにいることが意外だったのだろう。俺の顔を確認すると肩をすくめながら、こう言った。


「アレスタか。お前、今頃は地下牢の中で処刑を待っているはずだが?」


「そんなことはどうでもいいんだ! 俺なんかのことよりも、カーター、父さんは何をしに行くつもりなんだよ!」


「そう騒ぐんじゃない、アレスタ。お前が気にすることではない。私は英雄として、自分がやるべきことを果たそうとしているだけだ」


「……騎士を利用したクーデターがそうなのか?」


 声を震わせて俺が尋ねると、今までほとんど無表情だったカーターは不愉快そうに眉をひそめる。

 どうやらあの店主の情報は間違っていなかったらしい。見直しておこう。


「なるほど、そこまで勘付いていたか。これは迂闊だった。わざわざ暗示魔法を使ってバカ領主どもにお前の始末を任せるのではなく、私が直接に手を下したほうが早かったかもしれないな。十年間ともに暮らしてきたとはいえ、妙な情を出すべきではなかった」


 そう言い終わる前に覚悟を決めたのか、カーターはいきなり腰の剣を引き抜いて向かってくる。

 歩みは遅いものの、ためらいはない。

 あまりに一直線で、考える間もなく最短距離を詰めてくる。


「ほ、本気なのか?」


 もちろん俺はクーデターが事実なら説得してでも止めようと思って来たのだが、話し合いの機会すらもなく、いきなり危険な手合わせをするつもりなどなかった。

 それも当然だ。十年来世話になった育ての親を相手にして、本気で殺し合いをしようなどと考える馬鹿はいない。

 ところが現実には挨拶代わりに剣を取る、そんな馬鹿げた育ての親というものもあったようだ。

 考え方が甘いと言われればそれまでの話だが、こうして剣を手にしたあいつだって仮にも俺の父さんなのだ。俺はカーターに備わっているであろう良心に期待していたのである。


「どういうわけか知らぬが、十年前に帝都にある魔城の地下で初めて出会ったときから、お前には私の暗示魔法が一切効かなかった。……となれば必定、魔法ではなく剣術によって貴様を殺し、お前を逆賊として始末したことにするまでだ。暗示魔法によって証言者を一人でも作ってしまえば、それが既成事実となるのだからな」


「なあ、カーター、本当に暗示魔法が使えるのか? ねえ、父さん、だって魔法は使えないって……」


「……アレスタ、そうだったな。お前には言ってなかった。驚いたか?」


 敵として向き合うことに少しだけ未練がある。

 魔法が使えると、父さんの口から聞かされたくはなかったとの後悔もある。

 だがそれらを上回るほどの新しい決意、そして覚悟を胸にした俺は首を横に振った。


「いや、大丈夫。答えてくれてありがとう。これで心置きなく父さんを止められるってわけだからね。俺の目から見ても悪人だよ、今の父さんは。……呆れた話かもしれないけれど、もしこれで俺の間違いだったら、何かをやろうとしている父さんの邪魔をして申し訳ないなって思っていたんだよ?」


「間違いか。……そうだな、この世に間違いがあるとすれば、私の意に反することだけだ。我々こそ正しいと、いつかそれを世界が実感するだろう。わかったなら、そこをどけ、アレスタ!」


「まったく、そういえばデッシュのときもそうだったけど、みんな問答無用で襲いかかってくるんだもんな。ええい、こなくそ! 悪人には平和的に話し合いで解決するって考えがないのか……!」


 おどけて言いつつ、俺は警戒する。剣を構えて身をかがめた低姿勢で駆け寄ってくるカーターから逃げるように後ずさる。

 だが後方に下がるにも限界はある。

 見る見るうちに物理的な距離が縮められていく。

 こんなこと自慢にはならないが、俺には剣を持ったカーターと対等に戦えるだけの力がない。これは単なる親子喧嘩じゃないのだ。こぶしで殴って倒せる相手じゃないだろう。

 けれど俺はこの状況になっても思う。

 親を相手に剣を取り合うことだけは避けたかった、と。


「理解するつもりもなく単純に意見を押し付けあうだけの無意味な話し合いに、世界を変える力もなければ人を救う力などあるわけがない!」


 距離をとって安全地帯へ逃げ出そうにも逃げられず、カーターに追いつかれた俺はかろうじて振り下ろされた剣戟をかろうじて見切り、肉を斬られる直前で攻撃をかわすことに成功する。

 ただの偶然かもしれない。しかし、これまでの少なくない戦闘経験が功を奏し、攻撃を回避する確率は以前よりも高まっているはずだ。

 たとえ治癒魔法が使えるとはいえ、カーターの攻撃を一々食らっていたら心も体ももたないだろう。最初から無駄な傷を負わないに越したことはない。

 とはいえ、さすがにカーターからの激しい攻撃を避けてばかりもいられない。ますます劣勢を極めるばかりだ。どこかで反撃に転じる必要はあるだろう。

 しかし親子喧嘩に人殺しの武器はいらない。

 そう考えた俺は力強く言葉で反論を突きつける。


「だからと言って誰かを傷つけるためにばかり力を振るっていたら、みんなを助けることなんて絶対にできないよ! 俺はさ、難しいことってよくわからないけど、父さんが傷つけようとしている人たちも助けたいんだよね、やっぱり!」


「あまりに愚かしい考え方だ。見損なうに値する。ちゃんと教えたはずだぞ、アレスタ。すべての人間を平等な意味で救うこと、助けること、守り続けることなど、現実には不可能なのだ!」


 カーターは怒りに身を任せ、剣を横に振るう。

 その剣先が水平に弧を描き、わずかに反応の遅れた俺の左腕を掠める。切り裂かれたような鋭い痛み、いや、実際に皮膚を切り開いたのだろう。

 体内からは熱を持った赤い液体が、斬りつけられたばかりの傷口に沿って飛び散るように流れ出した。

 零れ落ちた赤い斑点が周囲の路面に色をなして、ほんの少量ではあったが、カーターにも返り血を浴びせかける。十年来連れ添った息子の血だ、つながっていないとはいえ生々しい血の香りだ、それがカーターの殺意をやわらげてくれるだろうと俺はひそかに期待した。

 ところが信頼に基づく期待はあっけなく裏切られ、すでに覚悟を決めたカーターの手は止まらない。俺の血には不愉快そうに反応したのみで、剣を手にした前進を思いとどまらなかった。

 少し遅れて痛みを訴えた左腕が悲鳴を上げる。これ以上の出血は命にかかわりかねない。それでも俺は必死に答えた。


「もちろん現実には、その通りかもしれない。だけど父さん、すべての人に手を差し伸べることができなくたって、すべての人を平等に幸せにすることができなくたって、だからって誰かに敵意をむける必要はないだろ? どうしてそこで殺すって結論が出て来るんだ!」


 大声を出そうとして力んでしまったせいか、左腕から全身に走った鋭い痛みに屈して思考が停止しそうになる。ここで倒れてはならないと、痛みをごまかすように歯を食いしばって耐える。

 ふと地面を見下ろせば、足元には薄い血だまりがあった。出血により意識が朦朧とし始めたらしい。

 けれど俺はしぶとい。再び顔を上げて続けた。


「みんなに対して平等に自分の力を貸すことが不可能でも、みんなに笑顔を向けるくらいなら不可能じゃない。みんなを自分一人の力で助けることが難しくっても、まわりと少しずつ協力することができたら、なんとかなるかもしれない。

 いや、そうは言ってもさ、俺だって、世の中にはどうしようもないほど悪い奴がいて、そういう悪人には誰かが心を殺して成敗することだって必要なのもわかるんだ。だけどさ、なぁ、父さんが今やろうとしていることはどうなんだよ? 俺からしたら今の父さんこそ悪い奴に見えるよ」


 長々とカーターに語りかけながら、俺は力を込めた右手に意識を集中させる。それからカーターの剣によって出来たばかりの深い傷口を右手で優しくなでつける。

 すると、かざした右手と左腕の傷口は共鳴するように淡く光り輝き、魔力の伝達が行われたのか、ゆっくりと傷がなくなっていくのがわかる。

 俺にとって唯一の対抗手段、それは治癒魔法だ。

 正々堂々と剣をぶつけ合って戦うことができないなら、こうしてカーターと対話しつつ、俺の治癒魔法でしぶとく噛み付くしかない。


「……ほう? お前が右手をかざして何をするのかと思って様子を見ていれば、それは治癒魔法の一種か? ふむ、やはり帝国は何か真実を知っているらしい。まさか本当に治癒魔法を使える者がこの世界に……」


 言いかけて、自分で何かを否定するカーターは首を横に振った。


「まぁいい。アレスタ、これでお前を容赦なく切り捨てる理由がもう一つできた。お前が使ったその治癒魔法こそ、最も忌むべき暗黒の魔法だからな。世界は治癒魔法の術者によって、いともたやすく蹂躙される」


 左腕の傷を治すために使った俺の治癒魔法。

 その一部始終を観察するように眺めていたカーターは一転して攻撃を再開して、決意を新たに奥深く踏み込んでくる。

 その手には剣、その目には殺意。

 一方で俺は完治した左腕の傷口から右手を離すと、とっさに横へ跳び、かろうじて直線的に振るわれた攻撃から逃れた。

 余裕はない。必死だった。


「私は反魔法連盟が一人、カーターことカタルシスだ! 魔法を使う人間など世界には必要ない! アレスタ、無論お前もだ!」


 過激な思想を有する反魔法連盟の主義者、カーターは、戦闘に特化して熟練した動きで俺の挙動を捕らえて逃さない。

 大きく横に跳んだ結果、ふらりとバランスを崩してしまった俺の隙を見逃さず、そのまま勢いよく剣を突き刺してくる。

 真っ直ぐに点を突くように一閃。それを避けるには速さが足りなかった。


「父さんだって魔法を使うだろうに!」


 答えた俺の口からは吐血交じりの声が出た。カーターの突きは俺の横腹を見事に貫いたのである。

 その深い感触を確かめたカーターは、勝ち誇った顔で剣を引き抜く。

 すると、当たり前ながら剣の動きに合わせたように血が吹き出した。先ほど見た左腕の出血など比べるまでもない。内臓まで容赦なく傷つけられたのか、穴の開いた横腹から流れ出すおびただしい量の鮮血は、感じられうる絶望の中でもっとも甚大なものだった。

 もはや治癒魔法を使用しようと意識するまでもなく、とっさに俺は熱をこめた右手を傷口に運んで、原始的な止血のためだけに押し当てていた。

 とどまることなく流れるように溢れ出る血は生暖かく、小さな右手だけでは止めるのも間に合わない。治癒魔法とは無関係に左手も添えて、暴れるように訴えてくる苦痛をひたすらに我慢した。

 そこへ、告白。聞きたくもない暗い理想の告白。


「ああ、アレスタ、だから私は自分のことも大嫌いだよ。この世の魔法使いをこの手で皆殺しにしたら、最後には自分の首を自分で切り落とすことが私の理想だからな」


 自らの中に眠らせていた理想を口にしたことで改めて闘志を燃やしてしまったのか、俺の横腹を貫いて飛び出した大量の返り血を、燃え盛っているかのように赤く染めてしまうほど顔に浴びていたカーターが、どこまでも冷酷な無表情で無感情に笑う。

 人間らしい声ではない。それは無機質な音だった。

 その不気味な顔を見ながら、憂鬱を覚える。

 たまらず俺は苦痛に顔を歪めて脱力し、地面に片ひざをつく。

 その瞬間、この世のあらゆるものが俺を突き放したかのように、周囲の気温が一気に氷点下まで下降したのではないかと錯覚した。あまりに寒く、冷たく、小刻みに震えるしかなかった。

 それは死を前にした恐怖心なのか。あるいは血を大量に失って命の危機に陥ったからか。

 それでも俺は思い出したように蛮勇を奮う。

 すると口だけは動いた。


「いいことを教えてあげるよ、カーター。……世界中の魔法使いを皆殺しにすることは不可能だし、自分のことを自分で殺すことほど愚かなことは他にないってね」


 次には顔が少しだけ持ち上がり、なんとかカーターを見上げることが可能なくらいには動き始める。

 俺を見下ろすカーターの瞳を見つめ続けたのは、ほんのわずかな時間だったのかもしれない。俺は先ほどよりも強い口調で言葉をつむいだ。


「そんなことをやろうと思うくらいなら、世界中の人々のためにもっとましな方法で戦ってみたらいいと思うよ。魔法使いと共存する方法さ。みんなを平等に幸せにすることが不可能でも、魔法を根絶やしにすることだって同じくらい不可能だよ。だったら、同じ不可能なら、少しでも救いがあるほうがいい。共存の道を探す。そのほうがよっぽど現実的だ」


 語りかけつつ、やはり試みるのは治癒魔法。俺は右手をカーターの剣に貫かれた横腹に思い切り押し付けていた。

 戦うには頼りない遅々とした速度で、非常にゆっくりとではあるが、朦朧としていた意識も段々はっきりしてくる。

 やがて体も末端まで不具合なく動き始める。

 どうやら生死に関わるくらいに深い傷だと、それだけ治癒魔法にも時間がかかってしまうらしい。

 だけど、それでも治癒できるのなら俺にだって希望はある。

 一度ならず、すでに何度も死に掛けた俺ではあったが、もう一度、力強く顔を上げ、真正面からカーターに立ち向かう。


「なるほど奇妙なり。その治癒魔法、まさかと思って試してみたが、それほど深い傷でさえも癒してしまえるか。ならば仕方がない、不幸だよアレスタ。世界のためにも、ここでお前の首をはねるしかあるまい」


「……全然俺の話を聞いちゃいないみたいだな」


 有言実行のつもりか、顔色を変えもしないカーターはためらうこともなく、俺の首を狙って剣を振るってきた。

 このまま首を跳ね飛ばされれば、さすがに治癒魔法をかける暇もなく死んでしまう。なんとしても一撃で首をやられるわけにはいかない。

 だからだろうか、俺は反射的に左手を盾にして剣戟から首を守った。

 すると刀身が肉を裂いて骨にまで達したのか、あるいは骨を砕くほど深い傷を負ったのか、その一撃、たった一瞬で左手の感覚が消し飛ばされる。

 もしかして左腕が切断されたのか、そう思って確認したがそれはない。つながってはいるようでひとまず安心だ。

 ところが尋常ではない量の夥しい血が、ちぎれそうなくらい大きく開いた傷口より漏れるように流れる。

 俺は力が入らずだらりとぶら下がってしまった左腕を右手で庇うように抱きかかえると、慌てて立ち上がり、続けて剣による斬り返しを振るおうとしたカーターから距離をとる。

 もちろん考えなしに後退する訳ではなく、この隙を利用して、治癒魔法を必死になって使用する。数秒のうちに傷口が完全にふさがったころを見計らって、押さえつけていた右手を離し、治癒魔法が成功したのかどうかを確かめるため左腕を上下に振ってみた。

 痛みはない。無事に治ったらしい。

 どうやら先ほどから何度も立て続けに治癒魔法を使用しているせいか、徐々に魔法の扱いにも慣れてきたらしく、治癒魔法の効果が現れる速度も速くなっている気がするのは心強かった。


「くそ、ちょっと待ってくれよ! せめて俺の話くらい聞いてくれ!」


 しかし現実には無策に等しい。

 どれほど治癒魔法の発動が速くなろうとも、それを上回る頻度でカーターの攻撃を受けていてはきりがない。体力の限界が来れば、いつしか治癒魔法の力が及ばなくなってしまうのも目に見えている。

 効果ある打開策を見出さなくては、カーターを止めることなど夢のまた夢であった。


「世界のために掲げた私の大きな志を前に、お前が語る小さな理想を振りかざされたところで、この私の歩みを止めることなど不可能であると思い知るがいい!」


 小さな理想か……。

 おそらく反魔法連盟に所属するカーターがなそうとしていることは、その善悪を別としても、社会を根底から変革するくらい大きな野望だったろう。

 それに対して、俺は?

 俺は一体何を考え、何をしようとしているのだろう?


「よいか、アレスタ! たかが小鳥ごときが、世界を覆わんとする鳳凰の前に出てくるんじゃない!」


 再び襲い掛かってきた身を裂くような激しい痛みに、俺は悩み始めていた思考を停止させる。生き方を悩むのも人間には大切だが、それは今じゃない、後に回せ。荒れ狂うカーターを無視しているわけにはいかない。

 それから俺は何度も何度も治癒魔法を繰り返しながら、やがて思いついたようにカーターに語りかけた。


「今の俺には、たぶん、他の誰かを否定できるだけの根拠となるような自分という存在がまるでないんだよ。経験も、知識も、だから想像力だって未熟なものだ」


「だろうな!」


 カーターによって治癒魔法の要である右腕を狙われた俺は冷や汗を流しつつ、それを全力で避けるべく慌てて体の向きを変え、左腕を防御のため犠牲に捧げる。だが今回もカーターの剣が深く入りすぎたのか、そのまま肘から先を切断されそうになって肝を冷やしたが、かろうじて骨はつながっていた。

 全身を駆け巡る激痛に顔をしかめながらも治癒魔法を使い、地を這うようにカーターの追撃を逃れる。

 反撃のため使うのは言葉だけ。ただ祈るように投げかける。


「だけどさ、そんな乏しい俺の想像力でだって、父さんのやり方が間違っているかもしれないって思うんだよ! 誰かを犠牲にするような方法に、たとえ誰かを幸せにする力があったとしても、それじゃ絶対に他の誰かが悲しむだけだろ?」


 ところがカーターから返ってきた言葉は予想外のものだった。


「その悲しみは時が癒してくれる悲しみだ。必要悪の一つとして、世界のために許される悲劇だ。たとえばお前は、今から千年前の悲しみを覚えているか?」


「せ、千年前? そんな昔のこと……」


 生まれる前の話など覚えているわけがない。

 俺がそう言い切る前にカーターは語り始めた。

 どこか嬉々として、それこそが世界の真理であるというように。


「千年前の戦争でこの帝国が得た利益はお前も享受しているが、その戦争に駆り出されて死んでいった当時の帝国兵の悲しみなど知りはしないだろう。もちろん知らないのは、お前だけではない。今に生きる帝国国民のほとんどがそうだ。しかし帝国の繁栄は過去に何度となく繰り返されてきた戦争の賜物である。悲劇に上塗りして忘れているのだよ。それでも世界は続いている!

 わかるか? 私は一時的な平和や実体のない希望ではなく、そういった歴史的な救いを実行しようとしているのだ!」


 そう言いながら振り下ろされた剣は重く、カーターの怒りが上乗せされた痛みを俺に伝えてきた。もう何度も味わった体を切り裂かれる痛みが激化している。ここにきて恐怖が新鮮味を帯びる。

 危うく失神寸前で、すべての意識がとんでしまうところだった。

 寸前のところで気を持ち直して、俺はカーターの言葉に考える。

 過去の痛みは時とともに薄れるばかり。こうして今を生きる俺たちが歴史的な事実として過去を知っていたとしても、個人の感情的には風化してしまっており、遠い過去の悲劇など他人事として忘れているのかもしれない。

 ならば過去のあらゆる悲劇よ、それは今の世界を形作るための必要悪だったのか?

 現在の世界に否定しがたく蔓延する「魔法による悪影響」を消し去るためなら、それを未来の「魔法なき平和や平等」といった理想の世界のために必要だと思うなら、結論として、この時代に生きる魔法使い達が一身にその痛みを引き受けるべきなのか? 誰一人残さず滅ぼすべきなのか?

 ……いや、違うだろう。

 間違っているだろう、それは。

 本気で言っているつもりなのかよ、父さん。


「それでも俺は、己の理想のために誰かを犠牲にする方法は否定したい。だって、たとえ一人でも悲しい顔をする人がいるのなら、それは辛いじゃないか。どんな理屈や御託を並べたって、それじゃ心が痛むだろう?」


 そして俺は語りかける。確信を持って告げる。


「カーターだって、本当は誰も傷つけたくないんじゃないの? だって、だからこそ何かを変えようと必死になっているんでしょう?」


「知ったようなことを!」


 返ってきたのは首を横に振った否定。

 己の価値観を肯定するべく、カーターは再び荒々しく剣を振るった。

 袈裟斬りによる剣を正面の至近距離から受けた胸が激痛に包まれ、今まで以上に勢いよく血しぶきを撒き散らす。


「知ったようなことを言ってごめん! 今の俺は父さんのことはおろか、自分のことだってよく知らない馬鹿な子供だよ! でもさ、ちゃんと知らないからってだけで無視はできないんだ!」


「アレスタ、なぜ私の前に立ちふさがるのだ!」


 悲痛にも聞こえたカーターの言葉を受けて、俺は自分自身にも言い聞かせるように叫んだ。


「自分にすら自信が持てない俺の言葉なんかで考えを改める必要はないのかもしれない。……でもさ、だからこそカーターは自分自身で、それこそカーターなりの言葉で、もう一度だけ父さんの頭で考え直してほしいんだ! 父さんが今やろうとしていることはさ、俺みたいな人間を打ちのめしてでも、強引に力ずくでやり遂げなくちゃいけないものなのかっ!」


「……くっ」


 一瞬の迷い。

 わずかな脆弱性。

 その反応に少なくない勝機を見出した俺はここで一転攻勢をかけるべく、さらに言葉を畳み掛けようと身を乗り出すが――。


「黙れぇ!」


 いみじくもカーターが切り払った剣は、無慈悲に俺の右腕を狙う。

 風より速く飛ぶ鳥でさえ落ちるであろう一撃。目で捉えた瞬間に当たっていた俺には避ける余裕なんてなかった。

 大きくも素早く、的確な一振り。寸分の狂いなく研ぎ澄まされた一閃。

 それに合わせて噴き出すは、何度目かと思える血の乱舞。

 激痛なんてものじゃない。右肩から先は感覚そのものが奪われていた。


「……アレスタ、これで治癒魔法は使えまい」


 何か大きな塊が地面に落ちた音がする。大量に血が飛び跳ねた音もした。


 ――ああ、父さん。確かにその通りだろうさ。


 治癒魔法を使うべく俺は右腕を動かそうと試みて、しかしそれは反応がなかった。

 当たり前である。そこにはもう、なんら存在しなかったのだから。


「…………」


 何かを喋ろうとしても言葉は出ず、歩き出そうにも足は動かない。

 身を覆うのは圧倒的な恐怖と絶望ばかりで、もはや何も考えることさえ出来なくなっていた。

 他でもない、俺はカーターによって右腕を切り落とされたのである。

 治癒魔法という絶対的な救いのため、頼り続けてきた右腕を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ