"落下"
舞台の上から男が誘うと、観客は虚ろな瞳で立ち上がりはじめる
燕尾服を着て
顔だけが、煙に包まれた様にぼやけて居る
妙な男だった
ぞろぞろと列を成した夢遊病者達の群れが階段を上がり、舞台中央の巨大な、黒い黒い幕へと消えていく
本来ならば幕の先は壁が在る様に思えたが、まるで彼らは昏い穴に入って行く様に幕の中へ去って消える
余りに当然の様に行われて居る為、僕は最初のうちはそれが演出の内なのかとも思って居た
だが、だとして
彼らは何処に消えて居るのだろう
黒幕の裏には、それ程の大きな空間が在るのだろうか
訝しんで居ると舞台の上から、男が僕に向けて「さあ、貴方も」「素晴らしい場所に行きましょう」と云った
人々の無言の足音と衣擦れ、木製の階段を踏む音
男は明確に頭をこちらに向けて、僕の事を視ながら僕に話して居る
列を成した行進の最後の一人が今、舞台に在る幕の黒さへと溶ける様に消えて居った
劇場にはもう、僕と男しか居ない
誰も居なく成ってみると、とても静かだ
僕は、男が自分を責めるのでは無いかと身構えたが、そうした雰囲気は無い
彼は非常識な人間を視る様な視線で、僕をきょとんと一瞥すると自らも幕の中へ去って行った
虚を突かれて
僕は数分ほど、誰も居なくなった舞台の上を視続けた
当然ながら、何時まで待っても何も起こらない
僕は意を決して立ち上がると、周囲を警戒しながら舞台に上がった
左右の舞台袖を視る
動くものの気配が無い
真っ暗な星空の中に居るみたいに、一切の音が存在しない
舞台奥の闇よりも昏い幕を、指で摘んで捲る
灰色のコンクリート壁が、何処までも広がって居た




