第09話:仮面の破片、溢れ出した熱
触れられた頬が、焼けるように熱かった。
ゼノスは、エリスの細い指先が自分の肌に触れているという事実に、目眩にも似た衝撃を覚えていた。
「……陛下?」
エリスの声が、夜の静寂を優しく震わせる。
その瞳に映る自分は、あまりに惨めだった。世界を統べる魔王としての威厳など、彼女の慈しみに満ちた眼差し一つの前では、砂の城のように脆く崩れ去る。
ゼノスは、彼女の手を乱暴に振り払うべきだった。
冷たい言葉で突き放し、二度と自分に触れるなと命じるべきだった。
そうしなければ――己の中に飼いならしている「獣」が、彼女を一生離さないほどに深く噛みついてしまうから。
「……黙れと言ったはずだ」
声が、掠れていた。
ゼノスはエリスの手首を掴み、そのまま彼女を庭園の奥、大樹の陰へと押しやった。
背中が樹の幹に当たり、エリスが小さく息を呑む。
逃げ場を塞ぐようにして、ゼノスは彼女に覆い被さった。
「お前は、私を試しているのか? それとも、聖女特有の独りよがりな同情か?」
ゼノスの手が、エリスの顔の横に叩きつけられる。
至近距離で睨みつける琥珀色の瞳は、もはや理性の光を失っていた。代わりに宿っているのは、飢えた獣のような、剥き出しの独占欲。
「陛下……私は、ただ……」
「何も言うな。お前のその声が、その眼差しが、どれほど私を苛立たせるか分かっているのか」
嘘だ。
苛立たせているのではない。狂わせているのだ。
ゼノスは、震える指先でエリスの顎を強く、けれどどこか縋るようにして上向かせた。
「お前が死を覚悟したあの日、私は決めたのだ。お前を二度と外の世界には返さない。たとえお前が私を憎み、この檻の中で枯れ果てようとも、私の目の届く場所に繋ぎ止めておくと」
彼の顔が、ゆっくりと降りてくる。
唇が触れそうなほどの距離。エリスの吐息が、彼の唇を熱く濡らす。
ゼノスは、そのまま彼女の首筋――自分が授けた「契約の鎖」がある場所へ、深く顔を埋めた。
「……ああ、お前は……なんて甘い匂いがするんだ。私の魔力に侵され、私の色に染まりながら、どうしてそんなに清らかなままでいられる……」
首筋に、彼の熱い唇が押し当てられる。
それは口づけというよりも、自分の印を深く刻み込むような、切実な「刻印」の儀式だった。
エリスは思わず声を上げそうになり、彼の軍服の胸元をぎゅっと掴んだ。
ゼノスの心臓が、耳元で激しく鐘を打っている。
冷徹な魔王の、狂おしいほどの人間らしさ。
彼は彼女を抱きしめることはしなかった。ただ、逃げられないようにその体を壁に押し付け、己の体温と魔力を浴びせ続けることで、彼女を塗り潰そうとしていた。
「……行かせない。絶対に行かせないぞ、エリス」
それは、世界に向けた宣戦布告であり、一人の女性への敗北宣言でもあった。
月の光が届かない木陰で、二人の影は分かちがたく重なり合い、沈黙の熱だけが、どこまでも濃く、深く、二人を飲み込んでいった。
理性の限界を超えた、魔王の「執着」の噴出。
「抱きしめる」という救いの代わりに、「壁に押し付ける」という支配を選ぶ不器用さが、ゼノスの愛情の深さを物語っています。
首筋に落とされた熱い唇の感触が、エリスの心にどのような波紋を広げるのか。
「監視者」と「捕虜」という関係は、この夜を境に、言い逃れのできない「男」と「女」の関係へと変質し始めます。
二人の沈黙が、さらなる甘い熱を孕んでいく様子を、これからも丁寧に紡いでいきます。
もし、ゼノスの剥き出しの本音に少しでも胸が締め付けられたなら、
【ブックマーク】や【評価】という熱を、この物語に注いでいただけますと幸いです。
レオン・クラフト




