第05話:氷の親書、熱き鎖
その日の朝、魔王城の重厚な正門を叩いたのは、一羽の白い伝書鷹だった。
その足に括り付けられていたのは、エリスを泥の中に投げ捨てた「聖教国」の紋章が刻まれた親書である。
執務室の空気は、凍てつくような緊張感に満ちていた。
ゼノスは机の前に立ち、届けられたばかりの羊皮紙を無造作に広げている。その背中からは、普段の彼からは想像もできないほどの、どす黒い魔圧が立ち上っていた。
「……陛下? お呼びでしょうか」
部屋の隅で控えていたエリスが、恐る恐る声をかける。
ゼノスはゆっくりと振り返った。その黄金の瞳は、まるで燃え盛る火焔のように激しく、けれど氷点下の冷たさを孕んでエリスを射抜いた。
「これを見ろ、エリス」
差し出された羊皮紙を、エリスは震える手で受け取った。
そこには、彼女を追放した教皇マルクスの、あまりに傲慢な言葉が並んでいた。
『魔力枯渇の治療法が見つかった。聖女エリスを速やかに返還せよ。さもなくば、これを宣戦布告と見なす』
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
治療法。返還。宣戦布告。
どの言葉も、エリスにとっては「道具」としての価値を再評価されたという、屈辱的な宣告でしかない。
「私は……戻りたくありません」
エリスの声が震えた。羊皮紙を握りしめる指が、白く強張る。
かつて愛した国。けれど、彼女が一番助けを必要としていた時、彼らは彼女を泥濘に沈めたのだ。
「……私の魔力が戻ったとしても、私はもう、あの方々のための聖女には……」
言いかけた言葉は、ゼノスの大きな掌によって遮られた。
彼はエリスの手から羊皮紙を奪い取ると、それを握り潰し、一瞬にして黒い灰へと変えた。
灰が床に散るよりも早く、ゼノスはエリスの細い肩を掴み、力任せに自分の方へ引き寄せた。
「誰が戻すと言った」
耳元で、猛獣の唸りのような声が響く。
ゼノスの腕がエリスの腰に回り、逃げ場を完全に奪う。
彼はエリスの首筋に顔を埋めるようにして、深く、深く、彼女の香りを吸い込んだ。
「あいつらは、お前を捨てた。泥にまみれ、雨に打たれ、死を待つだけの消耗品として、道端に放り出した」
ゼノスの声が、憎悪で低く震えている。
だが、その腕は――エリスを壊さぬよう、必死に力加減を抑えているかのように、微かに震えていた。
「それを今さら、価値が出たと知るや否や、返せだと? 笑わせるな」
彼は顔を上げ、エリスの瞳を真正面から捉えた。
至近距離で交差する視線。
ゼノスの瞳の中には、かつて救われた少年の面影など微塵もない。そこにあるのは、獲物を自分の巣に閉じ込め、永遠に独占しようとする「王」の、そして「男」の、狂おしいほどの熱量だった。
「いいか、エリス。お前は私の『監視物』だ。指先一本、髪の一筋にいたるまで、私の許可なく他人が触れることは許さない」
彼はそう告げると、エリスの額に、誓いとも呪いとも取れるような、熱く、重い口づけを落とした。
それは初めて、彼が彼女に明確に示した「所有」の証だった。
「たとえ世界を敵に回そうと、お前をあの冷酷な檻へ戻すことだけは、私がさせない」
言葉の内容とは裏腹に、エリスを抱きしめる彼の鼓動は、驚くほど速く、必死だった。
エリスは、その激しい鼓動を胸に感じながら、生まれて初めて「自分はここにいてもいいのだ」という、歪な、けれど確かな安らぎを覚えた。
捨てられた聖女を、世界を敵に回してでも守り抜こうとする魔王。
その独占欲は、もはや「監視」という言葉では隠しきれないほどに溢れ出しています。
冷酷な宣言の中に潜む、ゼノスの「捨てられたくない」という怯えにも似た愛情を感じていただけたでしょうか。
物語はここから、国家間の争いという大きな渦に巻き込まれていきます。
しかし、その激動の中でも、二人の間に流れる「言葉にならない熱」は深まるばかりです。
彼らの歪な愛の形を、これからも一緒に見守ってください。
【ブックマーク】や【評価】をいただけますと、ゼノスの不器用な献身にさらなる情熱を注ぐことができます。




