第04話:図書室の沈黙、揺れる灯火
魔王城の図書室は、まるで知識の墓標のようだった。
天を衝くほどの高さがある書架には、人間たちの国では失われたはずの古文書や、禁忌とされる魔導書が整然と並んでいる。エリスは、許可を得てその静謐な空間に足を踏み入れていた。
「……何か、私の『泉』を戻す手がかりがあれば」
聖女としての力を失い、国を追われた身。魔力が戻ったからといって、あの冷酷な故郷へ帰るつもりはない。けれど、何の力も持たぬままゼノスに「監視」され、生かされるだけの存在であることに、エリスの自尊心は微かな悲鳴を上げていた。
高い位置にある書架。そこに、見覚えのある紋章が刻まれた背表紙を見つけた。
それは、初代聖女が残したとされる、魔力の循環に関する古い口伝の写しだった。エリスは背伸びをして手を伸ばすが、指先は無情にも空を切る。
「……あと、少し……っ」
爪先立ちになり、必死に指を伸ばしたその時だった。
背後から、音もなく忍び寄った巨大な影が、エリスを包み込んだ。
ひやりとした、それでいて芯に熱を孕んだ独特の香気が鼻腔をくすぐる。
エリスが振り返るよりも早く、頭上から伸びた逞しい腕が、いとも容易くその本を抜き取った。
「――無知な聖女が、禁書に触れて何を目論む」
鼓膜を震わせる、深く、硬質な声。
ゼノスだった。
彼は本を手にしたまま、エリスを壁と自分の腕の間に閉じ込めるような形で、至近距離から見下ろしていた。
逃げ場はない。
エリスの背中は冷たい書架に押し付けられ、正面からはゼノスの放つ、暴力的なまでの存在感が押し寄せてくる。
彼の胸元がすぐ目の前にあり、軍服越しに伝わる体温が、エリスの頬を赤く染め上げた。
「……陛下。その、本を……探していただけです。良からぬことなど……」
「そうか。ならば、なぜこれほどまでに脈を乱している」
ゼノスの空いた手が、ゆっくりとエリスの首筋に伸びた。
長い指が、彼女の喉元で狂ったように跳ねる拍動を、確かめるようになぞる。
その指先は、凍えるように冷たいはずなのに、触れられた場所から焼けつくような熱が全身に広がっていく。
エリスはたまらず視線を逸らした。
だが、ゼノスはそれを許さない。彼はもう片方の手でエリスの顎を掬い上げ、無理やり自分の方を向かせた。
「私を見ろ、エリス」
黄金の双眸が、射抜くように彼女を捉える。
そこにあるのは、言葉通りの「監視」の鋭さではない。
もっと泥濘のように深く、一度足を踏み入れれば二度と抜け出せないような、祈りにも似た昏い情熱だった。
彼は何も言わない。
ただ、沈黙の中で、エリスの唇を見つめ、それから震える睫毛を見つめた。
沈黙の意味が、ゆっくりと変質していく。
拒絶の壁だったはずのそれは、今や、互いの吐息さえも共有するための、あまりに甘美な檻となっていた。
「……お前は、私のものだ。魔力があろうとなかろうと、お前のすべては、私の城の静寂の中に閉じ込めておく」
それは、求愛よりも傲慢で、呪いよりも救いに満ちた独白。
ゼノスは抜き取った本を、エリスの胸元に押し付けた。
その瞬間、彼の指先が、エリスの指に微かに触れる。
たったそれだけの接触で、エリスの膝から力が抜けそうになった。
「……明日も、ここへ来い。私がお前を……『監視』してやる」
ゼノスは突き放すようにそれだけ言うと、翻した外套の裾を闇に溶け込ませ、図書室を去った。
一人残されたエリスは、抱きしめた本の重みと、まだ首筋に残る指の感触に震えていた。
彼が去った後の図書室は、以前よりもずっと、呼吸がしづらいほどに熱を帯びていた。
視線がぶつかり、指先が触れる。
そんな何気ない一瞬に、どれほどの「言えない想い」を詰め込めるか。
今回の図書室での一幕、皆さまの胸に届いたでしょうか。
言葉で「嫌っている」と言いながら、その瞳で「愛している」と叫んでしまう。
そんなゼノスの矛盾した献身に、一分でも、一秒でも長く悶えていただけたなら幸いです。
物語が深まるにつれ、二人の距離はさらに「逃げ場のない場所」へと加速していきます。
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