第19話:秘めた代償、あるいは揺れる信仰
嫉妬に狂ったような昨夜の熱が、嘘のように静まった雨の朝。
エリスは、ゼノスから「安静にしていろ」という命を密かに破り、城の北塔にある魔導資料室へと足を向けていた。
首元の鎖が、時折、脈打つように熱を持つ。
それが彼との「繋がり」であると信じて疑わなかったエリスだったが、その熱があまりに不自然に、そしてあまりに「彼の温もり」そのものであることに、言いようのない不安を覚えていたのだ。
「――おや。陛下に内緒で迷い込むには、少々、この場所は知恵が回りすぎるのではありませんか?」
影の中から、鈴を転がすような、中性的な声が響いた。
現れたのは、真っ白な法衣に身を包んだ、この世の者とは思えないほど端正な顔立ちの青年――宮廷魔導師長、イザークだった。彼は冷ややかな微笑を湛え、山積みの古文書から顔を上げた。
「……イザーク様。失礼いたしました。ただ、この首飾りの魔力が、少し……」
「ああ、その『呪い』のことですね」
イザークは歩み寄り、エリスの返事を待たずにその首元に指を伸ばした。
彼は魔石の輝きを透かすように見つめ、小さく溜息をつく。
「美しい。……けれど、醜悪だ。陛下は本当に、貴女という小鳥を籠に閉じ込めるためなら、ご自分の『根源』さえも切り刻む」
「……どういう、意味、ですか……?」
エリスの指先が、恐怖で冷たく凍りつく。
イザークはエリスの瞳を覗き込み、残酷なまでに穏やかな声で告げた。
「貴女の枯渇した『泉』は、本来なら二度と戻ることはありません。それを強引に動かしているのは、陛下がご自身の命の灯火――寿命を削って練り上げた、純粋な生命魔力です。貴女が呼吸をし、ここで生き永らえるたびに、陛下の魔王としての命は、砂時計のように零れ落ちている」
「そんな……っ、陛下は、そんなこと一言も……!」
「言うはずがないでしょう? あの御方は、貴女に嫌われることよりも、貴女を失うことを恐れている。……貴女を『監視』しているのではない。貴女の命を、ご自身の身を削って『肩代わり』しているのですよ」
イザークの言葉は、鋭い刃となってエリスの胸を貫いた。
あの日、雨の中で自分を拾い、独占欲を剥き出しにして抱きしめた男。
「監視だ」「契約だ」と冷たい言葉を並べながら、彼はただ、自分の命を切り刻んで、価値のないはずの自分に分け与えていた。
エリスは、震える手で首元の鎖を掴んだ。
かつて愛を誓った聖女の信仰が、今、全く別の、もっと昏く重い「献身」という名の熱に塗り替えられていく。
「……私が、陛下を……殺しているというのですか……」
「解釈は貴女にお任せします。……ですが、このまま彼を独占し続ければ、いずれ魔王の座は崩れ、この国は内側から崩壊するでしょう。……さて、聖女様。貴女にとっての『救い』は、どちらにあるのでしょうね?」
イザークは優雅に一礼し、闇の中へと消えていった。
一人残された回廊で、エリスは溢れ出す涙を抑えることもできず、ただ熱を持ち続ける首飾りを抱きしめていた。
愛しているから、側にいたい。
けれど、側にいることが、彼を破滅へと導くというのなら――。
二人の間に流れる沈黙は、今、これまでにないほど残酷な色彩を帯び始めた。
暴かれた「献身の裏側」。
ゼノスが隠し続けていたのは、自らの命を削ってまで彼女を生かすという、
あまりに歪で、あまりに純粋な「独占」の形でした。
愛が深まれば深まるほど、死が近づいていく。
この残酷なパラドックスに、エリスはどう立ち向かうのでしょうか。
「拾われた聖女」という受動的な立場から、
彼を救うために自らを生贄にするという「能動的な愛」への転換点が近づいています。
二人の運命が、国家の存亡をも巻き込んで大きく揺れ動く第二章。
その切ない「溜め」の行く末を、ぜひ共に見守ってください。
もし、この絶望的な愛に胸を打たれたなら、
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レオン・クラフト




