第16話:魔王妃の教育、あるいは甘い拘束
魔王城の午後は、琥珀色の陽光が長く尾を引いている。
執務室の重厚な机に向かうゼノスの隣、エリスは慣れない魔族の古語が並ぶ書簡を前に、所在なげにペンを握っていた。
「……あの、陛下。いえ、ゼノス様。この部分は、私のような者が目を通してもよろしいのでしょうか?」
魔王妃候補という立場になれば、他国との外交文書や領地からの嘆願書に触れる機会も増える。だが、エリスにとってそれは「聖女」として祈りを捧げていた頃には無縁だった、生々しい「統治」の世界だった。
ゼノスは執務の手を止めず、低い声で応じる。
「お前はもう、ただ守られるだけの捕虜ではない。……私の隣に立つと決めた以上、私の領土のすべてを知る義務がある。それが、私の『監視』をより確かなものにするための条件だ」
彼はそう言いながら、椅子をわずかに引いた。
そして、驚くエリスの腰に手を回すと、抗う隙も与えず彼女を自分の膝の上へと引き寄せた。
「っ……!? ゼ、ゼノス様……っ」
エリスの背中が、ゼノスの硬い胸板にぴたりと密着する。
彼の軍服のボタンが背に当たり、そこから彼の力強い鼓動が伝わってくる。あまりに不敬で、あまりに密接な距離。エリスの顔は瞬時に沸騰したように赤く染まった。
「……動くな。指導の邪魔だ」
耳元で、彼の低音が微かに震えている。
ゼノスは背後からエリスを包み込むように腕を伸ばし、彼女が持っていたペンを、自分の手で上から包むようにして握った。
大きな、熱い掌。
エリスの細い指が、彼の逞しい指の間に閉じ込められる。
彼がペンを動かすたび、エリスの指先に彼の魔力が微かに伝わり、先日「循環」させたばかりの彼女の泉が、共鳴するように熱く拍動した。
「ここだ。この記述は、魔族の古い礼儀に則ったものだ。……書き方はこう。覚えたか」
ゼノスの声は冷静を装っている。
だが、エリスには分かっていた。彼女のうなじを掠める彼の吐息が、先ほどよりもずっと重く、荒くなっていることに。
彼は書面に目を向けながらも、その意識のすべてを、腕の中に収まったエリスの体温に、柔らかな髪の香りに、そして微かな震えに向けている。
「……はい、覚えました。……です、が……」
「何だ」
「あ、の……。この体勢では、少し……集中できなくて……」
エリスが勇気を出してそう告げると、ゼノスの手がぴたりと止まった。
沈黙。
夕暮れの図書室に、二人の重なり合う鼓動の音だけが響く。
ゼノスはゆっくりと顔を伏せ、エリスの首筋に額を預けた。
深い溜息。それは、自制心が限界を迎えた男の、情けないほどに甘い敗北の音だった。
「……集中できないのは、私の方だ」
消え入りそうな独白。
彼はエリスの手に重ねていた力を強め、彼女の指先を、祈るように自分の胸元へと引き寄せた。
「監視という名目で、お前をここに縛り付けている。……だが、足りない。どれほどお前を塗り潰しても、いつかお前がこの体温を疎ましく思う日が来るのではないかと、私は……」
魔王の、あまりに卑屈な独占欲。
エリスは、自分の指先を握りしめる彼の震えに、不思議なほど確かな愛を感じていた。彼女はペンを置き、自分を抱きしめる彼の腕に、そっと自分の手を重ねた。
「……どこへも行きません。あなたの檻の中で、あなたが私を飽きるまで……いえ、飽きても、私はここにいます」
ゼノスは何も答えなかった。
ただ、彼女の首筋に深く、熱く、今度は吸い付くような口づけを落とした。
「教育」という名の蜜月は、夕闇が部屋を飲み込むまで、どこまでも静かに、そして濃密に続いていった。
「教育」を口実にした、逃げ場のない密室でのスキンシップ。
冷静な魔王の仮面が、エリスの存在一つで容易く剥がれ落ちていく様子、
その「じれったい温度差」を楽しんでいただけたでしょうか。
ゼノスにとっては、彼女を教え導くことさえも、
自らの執着を確認するための儀式に過ぎません。
そしてエリスもまた、その「重すぎる愛」の中に、自分の居場所を見出し始めています。
物語は第二章に入り、二人の精神的な距離が、肉体の接触を超えて
より深い「依存」へと加速していきます。
もしこの甘美な拘束に、少しでも胸が高鳴ったなら、
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レオン・クラフト




