第13話:傷痕に降る、熱き沈黙
戦火の余韻が消えた城内は、以前にも増して重く、静かな熱を孕んでいた。
ゼノスの私室。そこは魔王城の中でも、限られた者しか足を踏み入れることを許されない「聖域」だ。その主の寝台で、ゼノスは上半身を晒したまま、不機嫌そうに窓の外を眺めていた。
左肩から胸元にかけて、アリステアの聖剣が刻んだ傷が、痛々しく赤紫に腫れている。
「……陛下、動かないでください。薬を塗るのが難しくなります」
傍らに座るエリスが、微かに震える指先で薬草を練り上げた軟膏を掬い取った。
ゼノスの逞しい肩に触れる。その瞬間、彼の肌がびくりと跳ねるのを指先が捉えた。
「……こんなことは侍女にやらせればいい。お前がすることではない」
「私が望んだのです。……私のせいで負ったお怪我ですから」
エリスは譲らなかった。
ゼノスは「ふん」と鼻で笑い、再び視線を逸らす。だが、その耳朶がわずかに赤く染まっているのを、エリスはもう見逃さない。
指先が傷口の縁をなぞる。
ゼノスの筋肉が岩のように硬直し、彼の荒い呼気がエリスの頬を掠めた。
静寂。
部屋を支配しているのは、ただ二人の呼吸音と、衣擦れの音だけだ。
エリスは集中しようと努めたが、至近距離から漂うゼノスの「男」としての匂い――焦げた大気と、深い森の匂いが混ざり合ったような、彼自身の香りに意識が溶けそうになる。
「……エリス」
不意に、名前を呼ばれた。
見上げると、そこにはいつもの冷酷な魔王の仮面をかなぐり捨てた、迷子の子供のような瞳があった。
「なぜ、残った。……あいつらと共にいれば、お前は再び『聖女』として、何不自由ない生活を送れたはずだ」
それは、彼が一番聞きたくて、そして一番聞くのが恐ろしかった問いだろう。
エリスは軟膏の瓶を置き、迷うことなくゼノスの大きな、傷だらけの手を両手で包み込んだ。
「……陛下。あなたは、私が『聖女』でなくなったから、私を拾ったのですか?」
「…………」
「違いますよね。あなたは、私が泥の中にいたから、見つけてくださった。……私を見てくださったのは、あなただけでした」
エリスが微笑むと、ゼノスの瞳にどろりとした、強烈な情熱が灯った。
彼は無傷の右腕を伸ばし、エリスの後頭部を力強く引き寄せた。
額と額がぶつかり、視線が至近距離で絡み合う。
「お前は、自分が何を言っているのか分かっているのか。……私から離れないということは、この先、お前の清らかな魂が、私のどす黒い魔力に永遠に浸されるということだ」
彼の指先が、エリスの首元の鎖に触れる。
カチリ、と金属音が響く。
「……望むところです」
エリスのその一言が、ゼノスの最後の理性を焼き切った。
彼は負傷していることも忘れ、エリスを寝台の上に押し倒した。
覆い被さる彼の重み。首筋に押し付けられる、熱い、熱い唇。
「……ならば、もう逃がさない。死んでも、私の瞳の中に閉じ込めておいてやる」
それは誓いであり、呪いだった。
ゼノスの独占欲が、沈黙を突き破り、濃密な愛となってエリスを飲み込んでいく。
傷口の痛みさえも、二人にとっては、お互いが生きていることを確かめ合うための甘美な調味料に過ぎなかった。
傷を癒やす手が、いつの間にか互いの存在を確かめ合う抱擁に変わる。
ゼノスの「もう逃がさない」という言葉は、彼自身の弱さを曝け出した究極の献身です。
「聖女」という殻を脱ぎ捨て、魔王の「執着」の対象であることを自ら選んだエリス。
二人の沈黙は、もはや拒絶の色を失い、
互いを深く侵食し合うための甘美な儀式へと変質しました。
これから始まる「魔王妃」としての生活は、さらにじれったく、さらに熱く、彼らを繋ぎ止めていくでしょう。
新しい章へと歩み出した二人の行く末に、
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レオン・クラフト




