第10話:朝靄の拒絶、あるいは愛という名の執着
窓の外には、白い朝靄が立ち込めていた。
昨夜の熱が嘘のように、寝室の空気はひんやりと肌を刺す。エリスはシーツの中で身を縮め、自分の首元に指を這わせた。
そこには、昨夜ゼノスが深く唇を押し当てた、あの熱い感触がまだこびり付いている。
彼に刻まれたのは魔石の重みだけではない。彼の執着という名の、目に見えない烙印だ。
(……陛下は、今、何を考えていらっしゃるのだろう)
不意に、部屋の重い扉が静かに開いた。
入ってきたのは、いつも通り完璧に軍服を着こなしたゼノスだった。だが、その足取りはどこか重く、エリスを見ようとしない。
「……昨夜のことは、忘れろ」
第一声。それは、昨夜の情熱を根底から否定するような、冷徹な一言だった。
ゼノスはベッドサイドのテーブルに、無造作に一輪の月見草を置いた。庭園に咲いていた、あの銀色に光る花だ。
「あれは魔力の共鳴による一時的な錯乱だ。お前の『泉』を安定させるため、私の魔力を直接流し込む必要があった。……それ以上の意味はない」
彼は言い聞かせるように、自分にすら聞こえないような低い声で続けた。
だが、エリスは見ていた。
花を置いた彼の指先が、エリスの体温を求めているかのように、シーツの端をわずかに掠めて震えたのを。
「……そうですか。魔力の、ため……」
「そうだ。それ以外に何がある」
ゼノスはようやくエリスを見た。
その黄金の瞳は、鋭い拒絶の光を宿している。……けれど、同時に。
もしエリスが「いいえ、あれは愛だったはず」と一言でも告げてしまえば、その場で膝を折って彼女を抱きしめてしまいそうな、危ういほどの脆さを孕んでいた。
沈黙が流れる。
言葉にできない想いが、朝靄のように部屋を満たしていく。
「お前はただ、ここで生きていればいい。人間どもの手の届かぬ場所で、私が……『監視』し続ける」
ゼノスはそう告げると、エリスの頬にかかった銀髪を、乱暴なほどの手つきで払った。
だが、その掌が肌に触れる瞬間、彼はやはり耐えきれないというように、指先の力を抜いた。触れるか触れないかの、微かな愛撫。
その矛盾。
言葉では「忘れろ」と突き放しながら、その手は彼女を離すことを拒んでいる。
「……陛下、お顔が、お疲れのようです」
「……黙れと言っているだろう」
ゼノスは逃げるように背を向けた。
執務室へ戻る彼の背中に、エリスは昨夜の彼が漏らした悲鳴を重ねる。
「独りにしないでくれ」
あの日、少女だった自分が救った少年は、今もこの孤独な魔王の中で、泣きながら彼女に縋りついているのだ。
扉が閉まる音。
エリスは置かれた月見草を手に取り、その花びらにそっと唇を寄せた。
彼がどれほど否定しようとも、この花が運んできたのは、彼が一生をかけて彼女に捧げようとしている、あまりに献身的な愛の匂いだったから。
「忘れろ」という言葉に込められた、忘れられるはずのない執着。
己の激情を「魔力の安定」という論理で包み隠そうとするゼノスの姿に、
もどかしさと愛おしさを感じていただけたでしょうか。
エリスもまた、彼の不器用な「拒絶」の裏にある真実に気づき始めました。
二人の距離は、肉体的な接触を経て、より深い精神的な「密室」へと閉じ込められていきます。
物語は次話、平穏を打ち破る「外からの影」が、ついに魔王城の結界に触れることになります。
ゼノスの独占欲が、今度は「怒り」として世界に牙を剥く瞬間……。
もしこの朝靄の中の静かな情熱を、美しいと感じていただけたなら、
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レオン・クラフトと共に、この甘く残酷な檻の物語を、最後まで歩んでいきましょう。




