表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

激重男サスペンス

【番外編】誰からも愛されない魔女は、一途すぎる使用人から愛されている。

作者: 桐山なつめ
掲載日:2026/01/10

※この話は【本編の後日譚】です。

※レシオンside/一部ネタバレを含みます。本編を読了のうえでの閲覧をおすすめします。

※R15相当の恋愛描写(キス等)を含みます。苦手な方はご注意ください。

※本編は全年齢対象で公開中です。

 1 大英雄の苦悩(レシオンside)


 ――五百年。


 たった一人を想って国中を彷徨い、魔物と刃を交えてきた。

 命を救ってくれた最愛の魔女、キリシャ・エスワール。

 彼女に愛されたいがために、己を鍛え上げ、魔王さえも討伐した。


 手に入れた称号は申し分なく、国王からは恩賞として広大な領地を賜った。


 そして先週、ようやく――ようやく想いが通じた。

 これで堂々とキリシャを僕の妻として迎え、一生を添い遂げられる。


 ……そう、確信していたはずだった。


「お、おはようございます。レシオンさま」

「……」


 朝日が差し込む、洋館のダイニングルーム。

 テーブルの上には、二人分のパンと、縁の焦げた目玉焼き。

 立ち上るハーブティーの香りが、静まり返った部屋に漂っている。


 朝食を準備するのは、本来僕の役割だった。

 だが、僕の正体が『英雄レシオン』だと明かして以来、キリシャが甲斐甲斐しく担うようになった。


(……完っ全に、気を遣われている)


 静かに椅子を引き、重々しく腰を下ろす。


 ふと視線を上げると、少し離れた場所でトレイを抱え、こちらを窺うキリシャと目が合った。 笑いかけると、彼女の表情が目に見えて強張る。


「おっ、お口に合うといいのですが……」

「……キリシャ。なんでそんなによそよそしいの」

「そんなつもりは……ありません」


(いや、嘘だ。完全に萎縮しているじゃないか)


 鏡を見るまでもなく自覚はある。

 僕は、およそ”気安く接する”には程遠い外見をしている。

 百九十センチを超える長身に、鍛え上げた肉体。

 顔立ちには三十代半ばの厳しさが刻まれ、戦場を渡り歩いた身体は古傷だらけだ。

 何より眼光が鋭すぎて、時に「魔物より恐ろしい」と怯えられたことさえある。


 だからこそ、僕はアルシオンという、華奢で人懐っこい少年の姿に化けて彼女に近づいた。


 ……だが。


(やりすぎた)


 ギャップがあまりにも大きすぎて、彼女の心が追いついていないのは明白だった。

 重苦しい沈黙の中、彼女が焼いてくれたパンにジャムを塗り、口に運ぶ。


「……いただきます」


 しかし、キリシャは一向に近づいてこようとしない。

 トレイの縁を指でなぞりながら、落ち着かない様子で立ち尽くしている。

 僕と同じ席に座ることすら躊躇っているようだった。


(まずいな、これは)


「……あのさ。僕のこと、怖い?」


 弾かれたように、キリシャが顔を上げた。


「まさか! ……でも、ずっと伝説だと憧れていた方だから。

 どう接したらいいのか、分からなくなってしまって」


「敬語じゃなくていいって、何度も言っているのに」


「すみません! ……じゃなくて……ごめん、なさい」


「…………」


(だめだ、こりゃ)


 僕はパンを皿に戻した。

 本意ではないが、彼女を怯えさせ続けるわけにはいかない。


 ぱちり、と小さく指を鳴らす。

 魔力が身体を駆け巡り、一瞬で視界が低くなった。

 キリシャが見慣れたアルシオンの姿へと、肉体を再構成する。


「しばらく、この姿でいるよ」


 すると、それまで身を硬くしていたキリシャが、

 目に見えて安堵の笑みを浮かべた。


 その純粋な笑顔に、胸の奥がちくりと痛む。


「本当にごめんね、アル!」


 アルの姿になった途端、彼女の声から緊張が消え、今まで通りの口調が戻る。


「謝らなくていい。それと、ご飯は今まで通り僕が作るから。無理しないで」

「でも、もう使用人じゃないし」

「だからこそ、得意なことを分担しようって言ってるの。

 そのうち結婚もするんだし。……夫婦って、そういうもんでしょ?」


 自分で言いながら、顔に熱が集まるのが分かった。

 照れ隠しにそっぽを向くと、「ふふっ」と彼女の柔らかな笑い声が聞こえ、

 軽い足音が近づいてきた。


「アル」


 呼ばれて振り返った瞬間、彼女の指先が僕の頬を無造作に拭った。


「ジャムがついたまま言われても、カッコつかないわよ」

「……」


 至近距離でのぞき込んでくる、青い瞳。

 視線が交わった瞬間、愛おしさが溢れて、僕は彼女の細い体を掴んで引き寄せた。


 編んだ髪から甘い香りがふわりと香って、鼓動が跳ねる。


 そのまま、夢中で唇を重ねた。

 こうしてキスをするのは、あの夜の森以来……一週間ぶりだ。


 キリシャは驚いたように身を強張らせたが、抵抗はしない。

 おずおずと僕の身体に手を回し、応えるように抱きついてきた。

 その柔らかな感触が、痺れるような熱を持って全身に広がっていく。


 重なる唇から伝わる、彼女の体温。

 微かに漏れた吐息に頭の奥がビリッと痺れる。


 彼女の背中を抱く自分の力が強まるのを自覚していたが、止められない。

「アル」の華奢な指先では収まりきらない衝動が突き上げ、腕に力がこもる。

 キリシャが僕の腕に爪を立てた瞬間、全身の血が激しく昂った。


 ずっと求めていた温もりが腕の中にある幸福感に、

 理性の箍が外れていくのを感じた。


 深い口づけを繰り返し、やがて互いに息が苦しくなって、顔を離した。

 紅潮した彼女の頬と、潤んだ瞳を見た途端、胸の鼓動が跳ね上がった。


 その負荷が、魔力の制御を狂わせた。


 呼吸するたび、肌の下で筋骨が震え、身体が内側から焼き付くような熱を持つ。

 もう一度、確かめるように彼女を抱き寄せようとしたところで

 ――キリシャの顔が引きつっていることに気がついた。


「あ」


 彼女の瞳に映っていたのは……少年ではなく、眼光の鋭い――レシオンだった。

 キリシャが途端に硬直し、見る間に耳まで赤く染まっていく。

 そして、飛び退くように僕から距離を取った。


「すみません、レシオンさま!」

「……!」

「私……洗濯をしてきます!!」

「ちょっと、キリシャ……!」


 必死の呼びかけも虚しく、キリシャは脱兎のごとく駆け去っていった。

 静まり返った部屋に、僕の激しい鼓動だけが響く。

 いまだ身体も熱く、全身が火照って仕方がない。


 けれど、この英雄の姿で、逃げ出した彼女を追い回すわけにもいかない。


 行き場を失った手を、ゆるゆると下ろした。

 そのまま椅子に座り直し、腕を組んで天井を仰ぐ。


「――どうしよう」



 2 揺れ続ける乙女心(キリシャside)


「ああああ……っ!」


 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい……!


 庭の洗濯物干し場で、私は濡れたシーツをバンバンッと思い切り叩き伸ばす。

 そうでもしないと、羞恥心に苛まれて叫びだしてしまいそうだった。


 そっと、自分の唇に指を当てる。

 未だにアル――いや、レシオンさまの唇の感触が、熱を持って残っている。


 アルとレシオンさまは同一人物で、

 私のことを五百年も愛し続けてくれた。


 頭では理解している。

 嫌というほど分かっている。

 けれど、心がどうしても追いつかない。


(だって、大英雄さまなんだもの……!)


 国中の人間が羨望の眼差しを向け、名声も、地位も、

 何もかもを手中におさめている、生きる伝説。


 彼の英雄譚は穴が開くほど読み込み、すべて暗記している。

 たとえ愛されなくても、一生に一度でいいからお目にかかりたいと、

 ずっとずっと願っていた。


 ――そして、その事実を。

 彼は「アルシオン」としてずっと隣で見ていた……いや、見られていた。


 それだけでも恥ずかしくて悶絶しているというのに。


 その憧れの人と――


 私は! 朝っぱらから! 一体何をしているの!!


 再びバァンッとシーツを叩く。


(痴女だと思われたらどうしよう!!)


 せっかく愛されたのだ。

 もっと、凛とした姿でいたい。

 英雄の妻として相応しい、気高く美しい魔女だと思われたい……。


(それなのに、どんな顔をして接したらいいのか分からない)


 まるで、知らない人になってしまったみたいで。


(遠く感じる……)


「キリシャ」


 背後から低い声で名前を呼ばれ、全身が跳ね上がる。

 恐る恐る振り返ると、そこには()()の姿をした彼が立っていた。

 さきほどの熱情など嘘のように、いつも通りの冷めた表情で。


「街まで買い出しに行ってくる。何か要るものは?」

「い、いいえ。要らないわ」

「そ。遅くなるから、しっかり戸締まりしておいてね」


 アルはそれだけ言うと、ひらりと身を翻して屋敷の方へ戻っていく。

 去り際の後ろ姿に声をかけようとしたが、喉が引き攣って言葉が出なかった。


「……」


(えっ?)


 それだけ?


 素っ気なくない?

 さっき、キスしてきたのに?

 夫婦になったら、って話もしてくれたのに?


 シーツを握る手に力がこもる。


(私があまりにも距離を取りすぎて、呆れられちゃった?)


 ……そりゃそうだ。


 いつまでも、ぎこちない反応ばかり繰り返している私が悪いのだ。


(レシオンさまなら私なんかじゃなくても、相手は選び放題なのに……)


 私への恩義だけで五百年も慕ってくれたというけれど、

 いざ恋人として、結婚相手として向き合ったら、

「なんか思っていたのと違うかも」と幻滅されていてもおかしくはない。


 そこまで思考が辿り着いた瞬間、ぎゅうっと胸が締め付けられた。


(本当に、ただの買い出しなの……? 

 もしこのまま帰ってこなかったら――)


 くらりと足元が歪むような、目眩を覚えた。


(ついていってみよう――!)


 私は洗濯物を放り投げるようにカゴへ戻し、屋敷に駆け戻った。



 3 二人の距離(レシオンside)


 どうにかして、キリシャとの距離を詰めたい。


 日が暮れる頃、僕は街の外れにある酒場に訪れていた。

 店内で待っていたのは、女エルフのエナだ。


「久しぶり~、レシオン。お元気だった~?」

「また若返ったんじゃないの?」


 何百年経っても、二十歳そこそこの若い女の姿であるエナは、

 薄暗い店内でも、透き通るような肌とプラチナブロンドの髪が嫌でも目を引く。


 その見目は、大陸一の女神と云われるほど麗しく、

 周囲の男たちが、好奇の入り混じった視線をちらちらと投げているのを肌で感じる。


 彼女とは魔王討伐の旅の途中でパーティを組んだこともある腐れ縁だ。

 僕はエナと向かい合うようにして座る。

 大柄な僕の体に悲鳴をあげるように、木製の椅子がギシリと音を立てた。


「急で悪かったね」

「あんたから相談があるなんて、天変地異の前兆じゃないかしら」


 エナの軽口を無視して、僕は鞄の中身を丁寧に取り出した。

 一つ、二つ、三つ……うず高く積み上がったのは、手のひらサイズの小箱の山。

 すべてに魔法の装飾が施され、淡い燐光を放っている。


 僕はその一つを手に取り、蓋を跳ね上げた。

 中には極上の魔法石で出来た指輪が鎮座している。


「どれをキリシャに贈るべきか、意見を聞きたくて」


 エナの笑顔が、引き攣ったまま固まった。

 

「まさか、これ全部指輪? あんた、根こそぎ買ってきたの?」

「どれも捨てがたくて」

「普通、買う前に相談しない!? これひとついくらすんのよ」

「そこらの家なら買えるんじゃないか」

「金払いやっば……」

「金なんて、大した問題じゃない」


 僕は手元の小箱を次々と開いていく。


「で、だ。それぞれの指輪の特性なんだけど……」


 解説を始めると、自然と言葉が溢れ出した。


「まずこの『蒼泉石』。これは魔力を補填し、増幅させる触媒としての機能が極めて高い。キリシャは僕を助けたせいで魔力が衰えているし、

 何よりあの綺麗な青い瞳に、この石の輝きは絶対的に映えるはずだ」


「……はあ」


「でも、この『緋炎晶』も捨てがたい。ドラゴンの心臓で精錬された希少な逸品だ。

 彼女は本来、炎系統の魔法が一番得意だったからね。

 かつての力を誇りに思っているなら、これこそが彼女に寄り添う一品になる」


「……へえ」


「一方で、こっちの『白銀晶』は女神の祝福付きだ。加護による幸運と、あとは……そう、店主が言うには『今、王都の若い女性に一番人気のデザイン』らしい。

 キリシャには、流行の最高級品を身につけてほしいし……。

 で、あっちの『暁光華』は――」


「…………」


「ちゃんと聞いてるのか?」


 顔を上げると、エナが椅子を引いて、物理的に僕から距離を取っていた。

 まるで得体の知れない魔物を前にしたような、薄ら寒いものを見る目で。


「いや、もう全部あげたら?」

「重いって思われるだろ」

「十分重いわよ! てか、キリシャって、あの魔女のことよね? 

 まだ探してたとか、執着やばすぎて引くんだけど!」

「執着じゃない、愛情だ」

「こっっっわ!!」


 店員が運んできた安酒を煽り、僕は小さくため息をついた。


「ついでに、あなたに貸していたノール城も引き渡してもらえる?」

「ええ~~っ!? あそこ、静かだし広くて気に入ってるのに」

「キリシャと住むんだよ。

 五百年もタダで住まわせてあげたんだから、感謝してほしいくらいだ」

「いや、感謝はしてるけどさあ」


 エナは頬杖をついて少しだけ拗ねたふりを見せたが、「仕方ないか」と呟くと

 すぐに元の朗らかな笑みに戻った。


「ま、今までありがと。夫と子どもたちにも伝えておくわ」


 彼女は僕のグラスにカチンと自分のグラスを当てた。

 口は悪いし、旅の途中では散々僕らを振り回したが、根は律儀なのだ。

 こういうところが、昔から憎めない。


 ふと周囲に視線をやると、エナに見惚れていた男たちが、

 僕の眼光に射抜かれたように一斉に目を逸らした。


「……エナ。やっぱり僕って、怖いのかな」

「何を今さら。あんた、ザコ魔物なら睨むだけで消滅させてたじゃない」


 真剣に悩む僕の様子がおかしかったのか、

 エナは身を乗り出すと、僕の眉間に細い指を立てた。


「何より、この目つきの悪さがいけないわ。ほら、ここ、ずっと皺が寄ってる」

「気安く触るなよ」

「んもう、いいじゃないの。減るもんじゃあるまいし。ほら、もっと笑ってみてよ」


 まるで子ども扱いだ。

 さっさと手を払い除け、


「で、結局どの指輪がいいと思うんだよ?」

「そうねえ。う~~ん、やっぱり、この蒼泉石じゃないかしら。

 魔力が少ないんじゃ、魔力増強っていうスキル付与もありがたいと思うし。

 何より、青色がとっても綺麗だわ。これをもらって喜ばない女はいないんじゃないかしら」

「……そう」


 僕は蒼泉石の指輪を手に取り、改めて観察する。

 これを渡したとき、キリシャはどんな顔をするだろう。

 そう考えただけで、自分でも驚くほど口元が緩むのがわかった。


「相談ってのは、そんだけ?」

「まあ、うん」


 僕は、適当に小箱の一つをつまんで、エナに差し出した。


「じゃ、これはあなたに」

「えっ? なんで!?」

「ここまで来てくれたお礼と、急な城の立ち退き料ってことで。

 これで後腐れなしだからね」

「んまあ、律儀な子ね~~!」


 エナは僕の髪をわしゃわしゃと、犬でもあやすかのように乱暴に撫で回した。

 英雄レシオンをこれほど雑に扱えるのは、世界でエナくらいなものだろう。

 彼女は小箱から嬉しそうに指輪を取り出すと、自分の指に嵌めてはしゃぎだした。


「んん、綺麗! ありがと、レシオン。大好きよ~!」

「はいはい、よくお似合いだよ。じゃあ、僕はそろそろ――」


 だが、不意に背後に刺さるような視線を感じ、反射的に振り返った。


「ん?」


 視線の先、酒場の入り口に立ち尽くしていたのは――キリシャだった。


(えっ)


 彼女は、親密そうに僕の髪を撫でるエナを凝視し、

 テーブルに並んだ高価な指輪たちを見た。


 指輪を嵌めて喜ぶエナと、”レシオン”の姿で酒を酌み交わす僕。


 キリシャの瞳が、みるみるうちに潤み、絶望に染まっていく。


(……あ。違う。キリシャ、これは)


 声をかけるより早く、弾かれたようにキリシャは踵を返す。

 スカートが翻り、勢いよく夜の街へ走り去っていった。


「え、もしかして?」

「……」

「やっばーーー!! タイミング神すぎ!!」

「うるっさい!」


 一気に血の気が引いた。


(完全に!! 浮気だと思われた!!)


 ◆ ◆ ◆


 夜。

 寝室の柔らかな灯りの中、キリシャはベッドの隅で布団に包まっている。


「だから、誤解だって」

「……う、うん」


 必死で弁明する僕に、彼女は消え入りそうな声で返事をした。


 怖がらせないよう、僕はアルシオンの姿のまま、

 ベッドサイドに置いた椅子に腰掛けたままじっと見つめる。


「アルは……英雄だもんね。慕ってる女性だって、たくさんいるわよね……」

「……キリシャ、信じてくれないの?」


 自分の積年の想いをないがしろにされたように感じて、無意識に声が低くなった。

 しかし、それが彼女には怒っているように聞こえたようだ。

 怯えたように肩を震わせ、さらに深く顔を伏せる。


「ごめん……なさい」


 その悲しげな、あるいは諦めたような表情を見て、僕はすぐに後悔した。

 違う、悲しい思いをさせたいわけじゃないのに。


(ああ、もう……なんでこんな口しか利けないんだ、僕は)


 不甲斐なさに舌打ちしたくなるのを堪え、僕は懐から小箱を取り出した。


「街に行ったのは、贈り物を買うためだったんだよ」

「……え?」

「キリシャのために買ってきたんだ。……きっとよく似合うよ」


 おずおずと小箱を差し出すと、キリシャはゆっくり顔を上げた。

 緊張した面持ちで、四つん這いのまま僕の近くに寄ってくると、

 躊躇いがちに受け取ってくれた。


 蓋を開くと、酒場でエナが一番だと選んだ魔力増幅の指輪、

『蒼泉石』が青く澄んだ光を放っていた。

 それを見たキリシャは目を大きく見開き、ぱっと表情が明るくなった。


「わあ……すっごく綺麗! もらっていいの!?」

「もちろん」

「ありがとう、()()!」


 笑顔のまま僕と目が合う。

 しかし、すぐに現実に引き戻されたのか、表情が強張った。


「あ……レ、レシオン、さま」

「……いいよ、アルで。別に」

「……」


 キリシャは蓋を閉じると、ぎゅっと小箱を握り込む。

 再び顔を伏せたかと思うと、その瞳から――ぽたりと涙が落ちた。

 ぎょっとして、僕は思わず椅子から立ち上がる。


「どうしたの? どこか痛い?」

「……違う」


 首を横に振っているが、その声は震えていて、

 抑えた目元からは涙がぽろぽろとこぼれている。


「私、あなたのこと何も知らない……」

「僕の冒険譚は全部知ってるじゃないか」

「そんなの、全部うわべだけよ!」


 叫ぶようなキリシャの声に、息を呑んだ。


「あの人は本当のあなたをよく知ってる。

 それなのに、私は怖がってばかり……!」

「……」

「私だって、普通に話がしたいし、相応しい魔女にもなりたい。

 でも、あなたが知らない人になっちゃったみたいで、怖くて。

 だけどそんな風にしか思えない自分が悔しくて、嫌なの」


 キリシャが僕を見上げたまま、縋るようにシャツの裾を掴んだ。


「ねえ……どうしたらもっと好きになってもらえる?」


「キリシャ」


 気づいたときにはもうベッドの上にいて、

 目を丸くするキリシャの両手首を掴み、力任せに引き寄せていた。


「……アル、えっと、どうしたの」


 腕の中で戸惑い、あたふたとするキリシャの鼓動を感じながら、僕は指を鳴らした。


 魔法が解け、瞬時に身体が膨れ上がる。

 少年のか弱さは消え、厚みを増した僕の胸板が、彼女の華奢な体を包み込むように重なった。

 自分の体が大きくなるほどに、腕の中のキリシャが儚く感じられる


「レシオン、さま……! あの……」


 腕の中で、彼女は頬を染め、身をよじって逃れようとする。

 けれど本気で嫌がっているわけではないことは、その表情を見れば分かった。


 姿が戻れば、彼女を容易く閉じ込めてしまえる。

 その温度差を肌で感じながら、

 静かに、けれど逃げ場のないほど深く抱きしめた。


「……もういっそ、越えちゃおうよ」

「な、何を、ですか」


 上ずった声に、思わず自嘲気味に笑った。


「言わせる気?」


 彼女の熱い頬をゆっくりとなぞる。


「僕がただの余裕のない男だって分かれば、英雄レシオンへの憧れなんて吹っ飛ぶよ」

「それって」


 僕はキリシャの左手を取ると、

 細い薬指に、蒼泉石の指輪を根元まで優しく押し込んだ。

 驚きに目を見開く彼女に、僕は笑いかけた。


「これは、婚約指輪のつもりだよ」

「……!」

「いい加減さ、僕はあなたが欲しい」


 キリシャの指で光る青い輝きを確認し、その手を強く、大切に握った。


「――返事は聞かない。五百年、あなたしか見てないんだから」


 今の僕は、きっと英雄の冷静さなんて残っていないはずだ。


 何かを言いかけ、わずかに開かれた彼女の唇を、強引に塞いだ。

 そのまま倒れ込むようにして、重なる身体をベッドへ押し倒す。


 首筋に回された彼女の細い腕が、拒むことなく遠慮がちに僕を引き寄せた。


「あなたは僕の最愛だ」


 そこから先は熱に浮かされるまま、夜の深みに溺れていって――。


 あまり、記憶がない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ