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【第二章完結】夢見る伯爵令嬢は、大家族の継母になる。  作者: 五十鈴 美優
第二章:切り離した過去と紡ぐ今

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断章Ⅱ セシル②

 「セシルはもういない」。その一言に、ミューズは世界が止まったような感覚を覚えた。


「……どういう意味?ねえ、セシルはどこに行ったの!?ねえ!なんでいきなりいなくなっちゃったのよ!」


 問い詰める声が、震えているのが自分でも分かった。マーティンは耐えきれなくなったように、視線を床に落とした。


「父上が……激怒して」


 淡々とした声だったが、その奥に悔しさが滲んでいた。


「『すべてお前のせいだ』って……」


 ミューズの耳鳴りが強くなる。血の引く感覚が、遅れて押し寄せた。


「お前をきちんと見ていなかった、監督不行き届きの罰だって鞭打って、そのままクビにしたんだ」


 喉が詰まり、息がうまく吸えない。

 言葉が、刃のように胸に突き刺さった。膝が崩れ、床に座り込む。冷たい石の感触だけが、鮮明に伝わってくる。


 痛みも、音も、感情も、すべてが遠のいていく中、ひとつの名前だけが重く沈み続けていた。


(セシル……)



 時は少し過ぎて、ミューズは14歳になった。


 サンパング・ダイハン間の緊張は高まり、戦争の足音が確実に近づいていた頃だった。セシルの行方は何も分からないままだった。

 妊娠出産に加えて立ち込める悪評に晒され、それどころではなかった。


 そんなある日。

 学園の図書館でミューズは机に突っ伏し、開いたままの本を見つめていた。内容は難解ということではないが、いまいち内容が入ってこない。


 向かいに座る友人のリリアナが、そっと声をかける。


「ねえ、ミューズ。あなた……何かしたいことはないの?」


 返事はすぐに出なかった。しばらくしてミューズは顔も上げずに答えた。


「別にない。何しても楽しくないし」


 自分の声が、荒れているのが分かる。最近は自重しようと思ってはいるが、棘が混じってしまう。

 だが、少し間を置いて、ふと口を滑らせた。


「……あ、でも」


 リリアナがすぐに身を乗り出す。


「なに?ほら、言ってごらんなさい」

「……セシルが、前に私のメイドをしていた子が、気になる。今どうしてるんだろ」


 その瞬間、リリアナの表情が変わった。迷いのない、はっきりとした目を宿していた。


「じゃあ、探すべきよ」


 即答だった。


「後悔しているんでしょう?このまま何もしない方が、よっぽど残酷よ」


 その言葉は、胸を殴るように真っ直ぐだった。


(私は、逃げていた)


 分からないままでいることで、どこかで向き合わずに済ませていた。

 ミューズはリリアナと目を合わせ、頷く。



 数日後。

 ミューズは、幼い頃に聞いた断片的な記憶を頼りに、リリアナとその従者と共に街へ出た。


 友人同士だったセシルの母と、母・キャロンがかつて交わしていた会話。出身地や親戚の名、働き口の噂。それだけが頼りだった。


 かつて賑やかだった街は、不況により混乱していた。人々は流れ、荷を抱え、声を荒げ、情報は錯綜するばかりだ。戦争が始まりつつある気配が、すべてを曖昧にしていた。


 ミューズたちはしらみ潰しに尋ねて歩いた。何度も空振りし、何度も否定され、何度も引き返した。それでも、足は止まらなかった。


(会わなければ……)


「セシル!」


 何週間も探し回った末、ミューズはようやくセシルを見つけた。

 彼女は、肉体労働で生きていた。畑仕事だけでなく、あらゆる雑用を低賃金で請負い奴隷のように生きていた。

 腕や手には傷が増え、労働の割に払いは良くなく身体は痩せていたが、背筋はまっすぐだった。


「……!お久しぶりです、お嬢様。どうしてこんな所に……」


 その声を聞いた瞬間、胸の奥が痛んだ。懐かしさと、罪悪感と、安堵が、一度に込み上げる。


「戻ってきて」


 挨拶もなく、ミューズは言った。切実だった。


「今度は私が雇う。あのクソ親父じゃなくて」


 だが、セシルは静かに首を振った。顔を背け、泥だらけの手を握りしめる。


「ダメです。あなたの人生を、これ以上壊せない」

「これ以上壊れることなんか、ない。でも、あんたがいないと私は立て直せないと思う」


 荒れた声で、言い切った。取り繕うことも、誇りも、すべて投げ捨てて零れ落ちていた。


 その場に沈黙が落ちる。セシルの目が過去と今と、これからを量るように、わずかに揺れた。やがてその目は前をしっかりと見据えた。


「分かったわ」


 小さく息を吐く。


「……でも、私が仕える主人らしい振る舞いはしてくださいね」


 その言葉に、ミューズは初めて、ほんのわずかに笑った。失われたと思っていた糸が、もう一度、指先に触れた気がした。



 そんな過去の話を聞いたノアは、低く問いかける。


「……閣下は、それを許したのか?」


 ミューズは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「いいえ。でも、そんなの関係なかったわ」



 セシルは伯爵邸を追い出されて間もなく、母親を亡くしていた。元々病弱で、起き上がれない日も多かったという。ニューヤド伯爵領は発展途上であり、彼女たちを支援する制度もなかった。


 それでも生きるためには金が必要で、薬代と食い扶持のため、セシルは伯爵邸で働くことを選んだ。子どもでも労働することができる数少ない職場が貴族の屋敷だった。


 それも無残に切り捨てられてしまった。

 母親同士が友人とはいえ、母・キャロンが伯爵の決定に逆らうことはできなかった。彼女は事件のショックで塞ぎ込み、いちメイドに構う余裕もなかった。


 再会後。

 ミューズはセシルと、彼女の数少ない荷物を抱えて家へと帰った。道中、二人はほとんど言葉を交わさなかった。


 馬車を降りた瞬間、空気が変わった。


 伯爵邸の本邸は、外観だけを見れば変わらず整えられていた。手入れされた庭、磨かれた石畳、均整の取れた建物だ。

 だが、その中身だけが、目に見えないひびで満ちている。空気は暗く、緊張感が漂っていた。呼吸さえも拒むようだった。


 ミューズが出産を終え、田舎から帰ってからずっとこうだ。沈黙が支配し、怒りが熟成され、いつ爆ぜてもおかしくない。

 セシルの手は、ミューズの少し後ろで強張っている。その震えが背中越しにも伝わってきた。


 だがそれを振り返らず、ミューズは真っ直ぐ玄関を進む。そして広間に足を踏み入れた瞬間だった。


 ちょうど家を出る所だった父・ルーカスと鉢合わせた。


「誰だ、それは」


 低く、抑えた声。だが、次の瞬間には雷鳴のような怒号が炸裂した。


「なぜ、ここにいる!!」


 近くにあった椅子を蹴り倒され、上質な杖が石に亀裂が入るほどの勢いで床を打つ。

 その音に引き寄せられるように母や兄、他の使用人が集まってくる。セシルに気付いた誰もが、息を潜め、視線を逸らし、嵐が通り過ぎるのを待つ顔をしていた。


 伯爵の視線は、まっすぐセシルに突き刺さっていた。


「この家を追い出された身で……!」


 一歩、二歩と近づく。怒号が理性を失い、狂気を帯びていく。使用人たちが息を呑む気配がした。


「まだ恥を晒しに来たか!お前が……全部お前のせいで狂ったんだ!!」


 強く握られた拳が、セシルに向かって振り上げられた。


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