13.違和感の理由
シブリヤ領の150年続く美術商の家には長く、子どもができなかった。そこで美術に興味のある養子をとりたいと考えていたそうだ。
そこで目を掛けられたのがイアンだった。
イアンは絵画だけでなく工芸など美術全般に興味があり、学園主催の造形コンクールでは、年上の生徒や専門の家庭教師をつけている貴族家子女もいる中で優秀賞を取っていた。
「是非、引き取りたい」と美術商は以前より打診していたそうだ。
「今後も同じように学園に通わせてくれるそうだ。リリアナ嬢が仲介してくれると言ってくれた。もちろん、イアンも行きたいと……」
ミューズとノアは本邸の書斎へ移動した。机には養子縁組に必要な書類が数枚と里親の離縁届が1枚揃えられていた。
養子縁組をするということは、実の親子と同じ関係になるということだ。実態はどうあれ、制度上一時的に育てているにすぎない里親とは一線を画す。
「随分と話が進んでいるのね……」
そう言うと、ノアの目が少し泳いだ。リリアナからも何の連絡もなかった。ミューズはノアをじっと見つめると、彼はこともなげに離縁届にサインをした。
「実は、できるだけ早く迎えたいとのことで、明日手続きを済ませたら一週間後には居を移す予定だ」
(そんなに早く!?)
一週間後は、ちょうど学園の試験期間が終わる頃だ。
「どうしてそんな急に……」
「イアンもそうしたいと言っていたんだ」
芸術に興味があるイアンにとって、美術商の家の養子になるということはこれ以上ない好機だ。法律でも、養子縁組が決まったらできるだけ早く養親に引き渡すよう決まっている。
試験期間に影響が出ないようにと一週間後となっているが、本来であればもっと早くに出て行ったとしてもおかしくないという。
「だけど、イアンはまだ9歳で……」
(9歳……?9年?)
途端に、ミューズの脳内に様々な記憶が思い出される。イアンと初めて2人で話した時のこと、好きな本のこと。
(……)
バラバラになっていた欠片がひとりでに集まり、記憶の扉を開ける鍵となった。
ミューズは書斎の本棚から、子どもたちの資料がまとめてあるファイルを取り出した。そしてサンパング国の詳細な資料がまとめられた棚から、近年の犯罪処刑事例集を出した。
その二冊をローテーブルに置く。ミューズには何の感情も湧かず、ただの作業のようにページを捲っていく。
「ミューズ」
ノアは声を掛けるが、決して止めようとはしない。そうする権利は自身にないと思っているようだった。
ミューズは何も答えずイアンの経歴書を出し、犯罪処刑事例集の9年前のページを開いた。
(やっぱり)
「どうして気づかなかったのかしらね。『ベビーバスケット』の子の誕生日が記録されているなんて、通常ありえないのに」
ベビーバスケットは、主に労働者階級の女性に向けた、何らかの事情で育てられない赤子を「名前を明かさず」託す制度である。
この制度が始まったのは9年前。本来の始動はもっと先になる予定だった。
それが、ある出来事によって始動が早められた。
表向きに、そして記録の上でも「抹消すべき子ども」が存在したからだ。
通常、ベビーバスケットに預けられた子どもは「誕生日不明」と記録される。
預けられたのが生まれたその日なのか、数日後なのかが判別できないからだ。便宜上、預けられた日を誕生日とすることはあっても、過去経歴書のような公的書類では「不明」と記載される。
「おかしいことは、まだあったわ」
ミューズはイアンの過去経歴書の「出自不明」の文字列をなぞる。
「そもそも、ベビーバスケットの子ならそう書けばいい。公爵邸の外に捨てられていたアリーナでさえ、その日時と状況が記録されているのに。ハドソンは嘘を……いや、ついてはいないわね。真実でもないけれど。実際、ベビーバスケットの子として”扱われて”きたのでしょうね」
ベビーバスケットの子ではなく「出自不明」と書かれること。出自不明なのに誕生日が確定していること。
その矛盾を説明できるのは、ただひとつの状況しかない。
その子が医者やその他関係者立ち合いのもと秘密裏に産まれ、かつ記録の上ですら「その母親との親子関係を抹消させたいと望む者」がいた場合だ。この場合、「望む者」は母親だけとは限らない。
この裏の画策には、貴族や要人が必ず関わっている。
貴族や要人の女性が自ら孤児院に預け入れることは不可能ではない。しかし、その場合、親子関係は記録に残ってしまう。その辺りの路上に捨てたのでは遺棄の罪になる。
ベビーバスケットに預けることもまた、不可能ではない。しかしイアンの実の母はそれができる状態ではなかった。
いくら貴族や国が絡んでいても、公的書類に嘘は書けない。
だからこそイアンの過去経歴書には「ベビーバスケットの子」ではなく「出自不明」で誤魔化されていた。ベビーバスケット側からすれば「不明」は間違ってはいない。
これで親子関係の完全な断ち切りとなる。事実を知っているのは、産んだ母親と立ち合った関係者、そして「それを望んだ者」くらいだ。
ここ数年では、ベビーバスケットは貴族の不適切な関係によって生まれた子どもを隠蔽するために利用する場合があるそうだ。
だが開始すぐの9年前なら、それは殆どない。
「制度が開始された9年前という時点で疑って……いえ、想像しておくべきだったわ。私の場合は、すっかり忘れてしまったのよね。全く、情けないわ」
(何より、彼の名前が……)
イアン。ミューズが小さな頃から好きな小説『ユートピア航海譚』の主人公の名前だ。母親に捨てられた孤児という設定で、世界を渡っている男の子。
かつてイアンは「自分の名前は本当の母親の恩人がつけた」と語っていた。このような偶然が重なることは、まずない。
「ノア。イアンはあの子なのね」
「……」
ノアは黙ったまま頷いた。無表情なミューズに対し、彼は傷ついたような、崩れそうな顔をしていた。
「あのブランディ子爵家の生き残りの。本当に、イアンと名付けられたのね。名付け親は、私だったのね。恩人だなんて、欺瞞じゃない」
ミューズは犯罪処刑事例集の一節を指差した。「4月10日 国家転覆従犯 マリッサ・ブランディ子爵夫人」
そして隣に置いたイアンの過去経歴書の誕生日欄には、4月10日と書かれている。
イアンは、産まれたその日に母親を処刑で亡くした。正確に言えば、イアンの誕生を待ってから処刑が執行された。「国家転覆従犯の子ども」は秘密裏に産まれ、出自不明として記録の上から消されていた。
すべては9年前に起こった、おぞましい事件に端を発している。
通称を、『ドール事件』という。




