12.足跡②
庭園の奥、噴水のそばでは、ジャスミンとロイが手をつないで遊んでいた。
ジャスミンが石畳の上をぴょんぴょんと跳ね、ロイは転ばないようにと彼女の手を引いて支えている。
噴水の水面は、光を受けて金色に揺れ風が二人の淡い金髪をそよがせた。
「ロイ、ジャスミン」
ノア公爵が声をかけると、ふたりは振り返り、ぱっと笑顔を見せた。
「パパ、ママおかえりなさい!」
「どうしたの?」
「ただいま。二人にぴったりなものを見つけたんだ」
一つずつ、同じ大きさの大袋を渡すと、ジャスミンとロイは同じ手順でリボンを解いて袋を開いた。すると、それぞれ中からクマのぬいぐるみが飛び出すように現れて二人の腕に収まった。
片方のクマは首元に黄色いリボン、もう片方は淡いピンクのリボンをつけている。
「わぁ!」
「かわいい!!」
二人は同時に声をあげ、ぬいぐるみを抱きしめた。ジャスミンが目を輝かせて両手を伸ばし、ロイは興味津々で覗き込む。
「おそろいだ!」
ロイが目を輝かせた。一方のジャスミンはクマを見つめてしばらく考え込んだ後、ロイへ声を掛けた。
「この子の名前はコロにする!」
「じゃあ……ぼくのはペタ!」
二人は顔を見合わせてながら、ぬいぐるみ同士を近づけて握手をさせた。
「今日から仲間入りだな」
ノアの言葉に、ロイは嬉しそうに頷いた。
「うん!この子たちもいっしょに寝るんだぁ」
「一緒に?」
「いっしょがいいの!寒くないようにぎゅってするから」
その無邪気な笑顔に、ミューズとノア公爵は思わず顔を見合わせた。夕暮れの光が噴水を透かし、双子の笑い声が水面を渡っていく。
(この子たちが笑っていられる時間を、守りたい)
そんな想いが、静かに胸の奥に灯っていた。ミューズはそっと胸に手を当てると、そこに宿る温かさを確かに感じていた。
◇
「さて、あとは別邸に行けばみんなに行き渡るわね」
ミューズとノアは並んで歩き、庭園を抜けて別邸の玄関へと入った。
別邸は、本邸の四分の一ほどの広さだ。本来は客人が宿泊する部屋を中心に、物置部屋となっていたらしい。ニューヤド伯爵邸でも、同じような機能を持つ別邸があったが、それよりも広そうだ。
今は一階に客人の部屋があり、二階は男子、三階に女子の部屋がそれぞれある。割り当ての使用人は少ないが、本邸同様に清潔に保たれている。
子どもたちの声が遠くから微かに届くが、別邸内は線を引いたように静かだ。
二階に上がると窓とドアを兼ねた開き戸の向こう側に、スケッチブックを広げる小さな影が見えた。そこは庭園を見下ろせるバルコニーだ。
ノアが足を止め、ミューズに目をやる。
「やっぱりここだな」
「ええ。イアンは決まって夕方の光を描くって言っていたわ」
バルコニーへと繋がる開き戸を開けると、気配に気づいたイアンが振り返った。白いシャツの袖をきちんとまくり上げ、背筋を正したまま立ち上がる。
「お父さん、お母さん。お帰りなさい」
小さな体が、完璧な礼儀作法でお辞儀をする。その姿は、年齢よりずっと大人びていた。
「ただいま、イアン」
ミューズが微笑むと、彼の緊張が少しだけ解ける。
「今日も描いていたのね」
「はい。春に描いたものと比べながら、庭の影のかたちを少し変えてみたんです。季節で影の形が違うことに気づいて」
ノアがうなずく。
「観察が鋭いな。影の形の違いまで見るなんて」
「ありがとう。……でも、まだ上手く表せなくて」
「上手く表せないと思えるうちは、きっと成長している証拠じゃないかしら」
ミューズも物語を書いている時、同じようなことを思う。イアンははにかむように笑った。
「今日はお土産を持ってきたんだ。イアンにも渡したいものがあって」
ノアが手にしていた包みをそっと差し出した。
「街の雑貨屋で見つけた。イアンにぴったりだと思ったんだ。良ければ使ってくれ」
イアンがそっと包みを開くと、革表紙の上質なスケッチブックと、木箱に入った絵の具のセットが現れる。
イアンの瞳が、ゆっくりと大きく開いた。
「……これ、僕に?」
「もちろんよ」
ミューズが優しく頷く。
「この前、あなたの絵を見たの。学園のコンクールでも良い評価を得ていたでしょう?青の重ね方がとても印象的だったわ」
「……見たの?」
驚きが混じった声が、いつもより少し高く響いた。
少し前のこと。イアンが学園内のコンクールで賞を取った、とテオが嬉しそうに別邸の一階にその絵を飾っていた。
「ええ。ここの一階に飾っていたでしょう?」
ミューズの笑みには、不思議と誇りがにじんだ。
イアンは俯き、胸の前でスケッチブックをそっと抱えた。その表情には、照れくささと、言葉にできない嬉しさが交錯していた。
「ありがとう。……大事に使います」
「遠慮はいらないよ。たくさん描いて、思うように汚していい」
ノアの言葉に、イアンは小さく笑った。
「じゃあ、きっとすぐに真っ黒になりますね」
「それなら何冊でも持ってくる」
「ノアは、イアンが描く世界を見るのを楽しみにしているのね」
ミューズが描かれたスケッチに目を落とすと、イアンは庭園の先を見やった。
「それなら……次はこの庭を描いてみようかな。二人が並んで歩く姿も入れたいです」
「え?私たちを?」
「うん。さっき、光がちょうど二人に差していて、すごく綺麗だったから」
その瞬間、風がふわりと吹き抜け、どこからか飛んできた葉が一枚、スケッチブックの表紙に落ちた。
「それは光栄だな」
「……そうね。仕上がったら見せて」
◇
二人が去る頃には、再び鉛筆の音がテラスに響いていた。振り返れば、光に包まれた少年が一心に鉛筆を走らせている。
二階の廊下の目立たない所に、イアンの絵が飾られていた。昼間の緑豊かな草原に、一人の少女が駆けていく後ろ姿が描かれている。ミューズは小さくつぶやいた。
「……あの子の世界は、こんなにも静かで、美しいのね」
ノアは頷き、歩調を合わせながら答えた。
「あの静けさの中に、言葉では言い表せないような想いがあるんだろうな。……さあ、エリオットの部屋へ行こう」
ノアに続いて暗い廊下を進む。二階の一番奥の部屋の扉が少しだけ開き、光が漏れていた。
部屋の扉をノックすると、無機質な声が返ってくる。
「どうぞ」
中は子どもの部屋というより、小さな書斎のようだった。子どもらしい趣味の類のものはひとつも見当たらない。
机の上には書き込みで黒ずんだ教本、開きっぱなしの辞典、埋め尽くされたノートが何冊も重なっている。空気には少し古い紙とインクの匂いが漂っている。
その山の向こう、ペンを走らせていたエリオットが顔を上げた。眼鏡の奥の瞳が、一瞬だけ光を受ける。
「お疲れ様、エリオット。街に行ったから、お土産を持ってきたの」
ミューズが微笑みながら大きな包みを差し出すと、エリオットは少し驚いたようにまばたきをした。
「……僕に?」
包みを解くと、縦型の箱が現れた。重厚な梱包から現れたのは筒形の望遠鏡だった。
「夜空を覗くと、驚くほど遠くまで見える。この部屋からだと空が開けているからな」
エリオットの部屋からは木や建物などの高いものが近くにないため、太陽の光も星の光もよく入ってくる。前公爵夫人の強い勧めでこの部屋になったらしい。
彼はしばらく無言で望遠鏡を見つめると、大事そうに手に取った。
「星を見る道具……ですか」
「ええ。とても綺麗に見えると思うわ」
エリオットは少し考え込み、やがて真剣な顔になった。
「じゃあ、星の位置を毎晩記録すればいいですね。観測ノートを作って、季節ごとの変化を比べたら……」
二人は顔を見合わせる。ミューズは苦笑し、ノアは目を細めた。
「そういうの良いかもしれないな」
ノアがやわらかく言う。
「でも、ただ見るだけでもいいんだ。何も記録しなくても、星はちゃんとそこにある」
エリオットは少しだけ困ったように笑った。
「……記録をつけて学べ、ということじゃないんですか?」
その言葉に、ミューズはふと胸が痛む。幼いのに、自分の“正しい在り方”を守ろうとするような目をしている。
彼にとって、遊ぶことやぼんやりすることは「怠けること」と同義なのだ。ミューズは何も言わず、机の上に置かれた教本をそっと見やった。
「ええ。でも記録をつけたいのなら止めないわ。貴方の自由にして良いのよ」
その言葉を聞いて、エリオットはようやく少しだけ表情を緩めた。けれど、その笑みもすぐに消え、彼はまた机に目を落とす。
「ありがとうございます」
ノアはその様子を静かに見守り、何も言わずに窓辺へ視線を向けた。外では、茜に染まる庭園の噴水がきらめいている。
「いつか、星を眺める夜が楽しみになるといいな」
小さくそう呟くノアの声に、ミューズは微かに頷いた。
部屋を出るとき、ふいに振り返った時に見えた机に向かうエリオットの背はどこか大人のように静かだ。それでも彼の身体は、背もたれで隠れる程に小さかった。
◇
別邸を出るとすぐ、執事のハドソンが小走りで駆けてきた。
「公爵様、こちらにいらっしゃいましたか」
「何かあったのか?」
「いえその……例の件がまとまりましたので。イアン君の……」
声をすぼめたハドソンはどこか気づかわしげにミューズを見やる。
「そうか。それは良かった。あの子にも話して、準備を進めよう」
ノアも何故かこちらを見ようとしない。
「どういうこと?」
聞いてはならないような気がしたが、一応聞いてみる。
「イアンの養親となる人が見つかった」
「えっ……!?」




