12.足跡①
「お帰りなさいませ、公爵様、ミューズ様」
メイド長のカレンと執事長のハドソンが恭しく一礼して出迎える。
「ただいま」
ノアが頷き、ミューズも微笑を返す。
「これ、みなさんに」
馬車に積まれた品々を差すと、ハドソンは目を大きく見開いた
「よろしいのですか?」
「ああ。皆にはいつも世話になっているからな」
「いつもありがとう。カレン、ハドソン」
御者とセシルが品々を渡すと、二人は他の使用人も呼び邸宅内へとそれらを運び入れた。
「さあ、俺たちは子どもたちの所へ行こう」
ミューズとノアは子どもたちへの品を抱え、本邸へと向かった。
◇
本邸の居間に入ると、温かい風がカーテンを揺らしていた。テーブルの上には色とりどりの布や刺繍見本が広げられている。
テーブルの傍にはアリーナが背筋をすっと伸ばして座っていた。結い上げた黒髪に、恋仲のハーバー公爵令息から賜ったという髪飾りを留めていた。
その背中は、まだ17歳でありながら、どこか大人の女性の落ち着きを漂わせている。
彼女はメイドと声を交わしながら、布を手に取り光にかざし、その質感を確かめていた。
「ただいま、アリーナ」
ミューズが静かに名を呼ぶと、彼女は振り返って切れ長の瞳を見開いた。彼女はわずかに驚いた表情を浮かべたが、すぐに口元を引き締めて姿勢を正した。
「おかえりなさい」
「街に行った土産だ。受け取ってほしい」
ノアは雑貨店の袋から、丁寧に包装された箱を差し出した。受け取ったアリーナは丁寧に包装を剥がし、箱を開けた。
「これは……香水瓶?よろしいのですか?」
紙テープの緩衝材に守られるように箱に入っていたのは、淡いブルーの硝子に金細工が施された小瓶だ。シャンデリアの光を受けて、宝石のように輝いている。
「大人になる貴女にふさわしいと思ったの」
「結婚後も、その先もずっと使い続けられるだろう」
アリーナは胸の前で小瓶を抱くようにして、真っ直ぐ二人を見つめた。
「ありがとう……大事にいたします」
彼女の瞳に柔らかな光が宿り、大人びた表情が少女らしく解ける。
その時、今に一際強い風が吹き抜けた。テーブルに置かれた布が一枚飛んで、ミューズの足元に落ちた。
「あら。……これは婚約式の衣装を考えていたの?」
布を拾って手渡すと、アリーナはテーブルを見やりながら頷いた。
「はい。ブティックの方がいらっしゃる前に、大体の方向性を決めておこうかと思いまして」
「そう。それじゃあ、私たちはもう行くわね」
「はい。また後で」
◇
二人は居間を後にし、廊下へ出た。
(他の子たちはどこかしら)
そう思った時、廊下の角の向こうから軽やかな足音が近づいてきた。
視線を向けると、ローズが鼻歌混じりに歩いてきた。片手には小さな焼き菓子を持ち、もう片方の手で淡い茶色の髪をかきあげている。
「ローズ」
彼女は足を止めたが、その顔には面倒そうな色が浮かんでいる。
「お土産よ。受け取ってもらえたら嬉しいわ」
ミューズが小さな包みを差し出すと、ローズは少し考え、焼き菓子を口に放り込んで包みを受け取って、開いた。すると、中から濃いピンクのリボンが現れた。光沢ある布地に細やかな金色の刺繍が入り、動くたびに光を反射している。
「……かわいい」
ローズの頬にぱっと色が差し、ほんの一瞬、心を奪われたように見つめる。けれど次の瞬間には気だるげに肩をすくめ、「まあ、悪くないわね」と素っ気なく呟いた。
「似合うと思うぞ」
ノアは小さく笑い、穏やかにそう言うと、ローズは鼻を鳴らし再び歩き始めた。だが、彼はその先を制止した。
「それから」
彼はその手で綺麗なハンカチをローズに差し出した。
「歩きながら菓子を食べたら、服が汚れるぞ。せっかく似合っているのに」
「……あ」
ローズのワンピースの裾には、焼き菓子の欠片が落ちていた。彼女はハンカチを受け取り、汚れた裾を拭った。
「……ありがと」
彼女はハンカチを返すと、早足で廊下を去って行った。その耳の先はほんのりと赤く染まっていた。
(って、ハンカチ持っていたのね)
ミューズは昼間、自身のハンカチで彼の涙を拭ったことを思い出した。
余計なことをしたかもしれない、とノアの様子を窺う。だが、その視線はすぐに気づかれてしまった。
「?どうかしたか?」
「い、いえ……何でもないわ」
慌てて視線を逸らすと、ノアは少し屈んで視線を合わせてきた。彼はミューズと話す時、たまにこうして視線を合わせる。
(子どもに話しかけているみたいね)
「本当よ。さあ、他の子の所へ行きましょう。誰かはいるわよね」
二人は庭園へと急いだ。
◇
夕陽を受けて黄金色に染まった庭園は、花壇の彩りと木々の緑が鮮やかに混じり合っていた。噴水の水音と、子どもたちの高い笑い声が涼やかに響いている。
そんな喧騒から外れ、木陰のベンチに長い脚を投げ出して寝転がる少年の姿があった。
学園の制服のまま、上着をベンチの背にかけ、シャツは胸元が少し空いている。頭の上には学園の分厚い教本が開いたまま乗せていた。
腕を組んでいるのは居眠りのためか、それとも周囲に気を許さない癖が抜けていないからか。
「テオ」
ノアが低く穏やかな声で呼ぶと、本を落としそうになりながら上体を起こした。
「……なんだよ」
眠たげな目をこすりつつ、不思議そうに眉をひそめる。こうして見ると、彼もあどけない普通の少年だ。
「これを」
ミューズが雑貨店の紙袋から、小さくも重たい箱を取り出して差し出す。包みを解いたテオの手に現れたのは、艶やかな黒塗りのメトロノームだ。光沢ある木肌に、銀の振り子が光っている。
「これ、ピアノに使うやつだろ」
彼の瞳が、驚きと戸惑いで大きく揺れた。
「ええ。従来のものよりも使いやすいはずよ。良ければ使って」
「まぁ……上手くなるんなら、使ってやるか」
素っ気なく言っているが、その目はメトロノームに釘付けだ。口角をわずかに上げると、癖のある黒い前髪をかきあげ立ち上がった。
「じゃ、また後でー」
テオはゆらりとした口調で教本と上着を掴み、別邸へと歩いて行った。
「……気に入ってくれた、かしら?」
テオの心境はいまいち読み取れない。いつも唐突で、粗暴かと思えば冷静だ。
「少なくとも、あれはかなりご機嫌だな」
「……どうしてそう思うの?」
「髪が元気だから」
テオの背中から上に視線をずらす。確かに、彼の髪はフワフワと揺れていた。心の内が髪に反映されるなどおかしな話だが。
◇
彼の背中を見送ると、バタバタと賑やかな足音が近づいてきた。
「ノアー、なにしてんの?」
「ミューズさん!それなに?」
グレンとセレーネが走ってくる。アンジュは少し遅れ、スカートを払いながら駆け寄ってきた。
「みんなにお土産よ」
ベンチに腰を下ろしたノアが紙袋から三つの包みを取り出すと、三人の目がきらきらと輝く。
「グレンにはこれだ」
ノアが差し出したのは、長方形型の包みだった。グレンが包装紙を破り、濃紺の箱を開けると、そこには子ども用の木剣が入っていた。
子ども用だが、柄には銀の紋様が彫り込まれている。
「すげぇ!」
グレンは目を丸くしてそれを受け取り、陽にかざした。
「ほんとの剣士みたいだ!」
「これは切れないけど、当たったら痛いから気を付けて」
ミューズが言うと、グレンは頬をかきながら「……わかってるって」と照れ笑いした。
その姿に、ミューズの胸が温かくなる。彼が「暴力ではなく守るための力」を覚えようとしていることが、確かにわかる。
「中等部になれば剣術の授業もある。今からやっておくといい」
「へえー!って、あれ?じゃあノアも剣をやったのか?ノアが剣やってるの見たことねえけど」
グレンは手に持った剣とノアを交互に見やった。
「三人がここに来た時はもう学園を卒業していたからな。騎士団ほどではないが、それなりにはできるぞ」
「……へえ!なんか意外だなあ。どちらかと言うとミューズさんの方が剣とか強そう」
「わ、私……?」
「うん。なんとなくだけど」
「あー、私もそんな気がする。ノアは優しいっていうか、お人好しだもんね」
グレンとセレーネの言葉に、ミューズは体温が少し下がったような気がした。ぎこちない笑顔を浮かべつつ、首を振った。
「私は、刃物はからっきしよ」
「刃物って……剣は重いから分かるけどさ」
「……あら、そうね。でも料理の包丁も全然だもの。剣なんてとんでもないわ」
そう言ったミューズに、三人は不思議そうな視線を投げかけた。
「ミューズさんは貴族の人なんだから当たり前じゃん!」
「そうそう。それが普通なんでしょ?」
どっと笑いが起きるのと同時に、遠くから犬の遠吠えが響いた。
「さて、セレーネにはこれだ」
賑やかな笑いが湧く中、次にノアがセレーネ渡した包みは彼女が両手で抱える程の大きさだ。鮮やかな赤い色のローラースケートである。
「外で遊ぶのが好きだからな」
セレーネの目がぱっと見開かれると、彼女は「ほんと!わたしにピッタリ!」と胸を張り、スケートを抱えて飛び跳ねる。
「ほどほどに頼むよ。坂道では気をつけて」
「はーい!」と言いつつ、たぶんその言葉を半分も聞いていなさそうだ。早速、ローラースケートのローラー部分の状態を確かめている。
「そして、アンジュにはこれだ」
最後にノアが手渡したのは、小さいが重量感のある包みだった。
グレンとセレーネも見守る中、剥がれた包装紙の下からは重厚な箱が現れた。さらにそれを開けると、おがくずに埋もれた木箱が顔を出す。
繊細な彫刻が施されており、蓋を開けてつまみを引くと柔らかな旋律が流れ出した。
「オルゴール?……きれい」
アンジュは小さな指でオルゴールの蓋をそっと撫で、耳を澄ませる。音のひとつひとつを逃すまいとするように。
「この曲、なんだか優しい」
「そうね。夜に聴くと、夢が穏やかになる曲よ」
「じゃあ、寝る前に毎晩聴く」
グレンは剣を構え、セレーネはスケートを試したくてうずうずし、アンジュはオルゴールを胸に抱く。
「ありがとう、ノア!」
「ミューズさんもありがとう!」
「大事にするよ」
ノアとミューズは自然と顔を見合わせた。
「喜んでくれたのなら、良かった」
「ええ。こちらこそよ」
陽が少し傾き、二人の影と三人の影が芝生の上でゆるやかに重なる。
「そっちの袋は?誰に渡すんだ?」
グレンがベンチに置いた残りの紙袋を指差す。
「双子と、エリオット、イアンよ」
ミューズがそう言うと、グレンは「ふうん」と斜め上をちらりと見た。
「双子はあっちの噴水にいたよな?」
「うん。イアンはあっちのバルコニーにいたわね」
「エリオットは……たぶんお部屋で勉強してると思うよ。いつもそうだし。じゃね!」
三人はそう教えて、別邸へと戻って行った。
「……みんな、本当にいい顔をするようになったな」
「ええ。やっぱり、子どもは笑っているのが一番よね」
木々を渡る風が三人の笑い声をさらっていく。その音は、初夏の空に溶けていった。




