11.帰路①
「沢山買ったわね」
馬車いっぱいに積まれた品々に、ミューズは感嘆の声を漏らす。セシルは御者台に上り、二人だけの車内で積み上がった箱の揺れる音がする。
眩しい夕陽に、ミューズはカーテンを閉めた。
「さっき、何かあったのか?」
「え?」
「さっきの店で。様子が変だった」
(気づかれていた……!?)
ミューズはハッと息を呑む。揺らぐ瞳に、ノアは慌てて「言いたくなければいいんだ」と付け加える。
「いや……。ニューヤド伯爵家の皆と会っただけよ。まさかクロエ夫人が出産されていたとはね」
「え?」
ノアはもたれていた背を起こし、目を見開いた。彼も知らなかったらしい。
「彼らに悪気があったわけじゃない。それは私がよく分かっているから大丈夫よ。知らされていなかったのは……少し、寂しかったけれど」
ニューヤド伯爵家では、決してミューズは虐げられたり、無視などされていなかった。むしろ、伯爵家として大事に育ててくれたとは思う。
(ただ、私がいない方が上手くいくだけのことよ)
「……それは、寂しいな。ミューズの子どもへの愛情は、本物なのに」
「愛情……?私が?」
「見ていれば、分かる。中々自分では気づかないのかもしれないが」
思ってもみなかった言葉に、ミューズは言葉を探すように息を吸った。
「それは、ノアもそうでしょう」
彼を見つめる子どもたちの目は、信頼感があるとミューズはいつも思う。そして、彼も子どもたちを大切に思っているのがよく分かる。
彼の目にも、ミューズはそう写っているのだろうか。
ミューズの言葉に、照れたように笑うノアとふと目が合った。
(……あ)
疑問符を浮かべながらこちらを見るその表情を見て、はたと気づく。今の彼の目は、子どもたちを見る目と同じだ。
大切に、思われている。
そう、自惚れてもよいのだろうか。迷いの中で、言葉が零れた。
「この前……突然電話したのは、昔の記憶が私を支配しようとしたからよ」
ノアの表情が少し強張った。
「ケイト宰相の令息に、『ドール事件』について尋ねられて。……少しバランスを崩してしまったの」
ミューズはあの日の出来事を話した。ノアは時折頷き、また軽く問いかけながら話を聞いてくれた。
「……『政治や戦争に感情は不要』という彼の論理は間違っていないわ。でも、あの事件はその後の戦争も含めれば、あらゆる人の恐怖や悲しみ、痛みを生んだわ。9年前だから……彼は5歳か6歳。……それがどれだけ衝撃的な出来事でも、当時をよく知らない人からすれば、ただの歴史上の出来事でしかなくなるのよね。そこにあった感情を想像することも難しくなるのでしょう」
ケイト宰相の令息にとっては、ただの論述課題を片付けるための調査にすぎなかったのだろう。
調査にも、感情は不要だ。客観的事実から検証し、未来に繋げることが学問や学術研究の目的だ。
(全ては、終わったことだから)
「主観を廃した結果、痛みや苦しみといった感情は、見えなくなってなかったことになる。そして……もっと長い年月……30年、50年、80年、100年と経って、主観的事実を伝える人がいなくなって、また同じ過ちを犯す。そして、また悲しみや痛みが生まれる。生まれてからでは、遅いのにね」
もっと冷静に、大人として、彼にそう諭せればよかった。でも、できなかった。ミューズは当事者で、当時の傷は未だいつ剥がれてもおかしくないかさぶたのまま残っているから。
落ちる沈黙に、ミューズは困ったように笑うことしかできない。だが、ノアはゆっくりと頷いた。
「ありがとう、ミューズ。話してくれて……それから、頼ってくれて」
「どうして、貴方が?礼を言うのは私の方なのに」
彼に気を遣わせ、嘘まで吐かせたのはミューズだ。今した話も、聞くだけで不愉快で仕方のない話だというのに。
「俺のことを頼ってくれたから。ミューズは飲み込みも早いし、一人で大抵のことはできるだろう。……それに感銘を受ける一方で、心配でもあった。もし、一人で抱え込んで、一人で泣いていたら……と」
ミューズの頭に疑問符が浮かんだ。一人で抱え込んで、一人で耐えて、一人で泣くのは、特段珍しいことではない。
「ミューズは、これまでそれが普通だったのかもしれない。いや、そうせざるを得なかった、の間違いかな。でもこれからは、そうあってほしくない。これは俺の勝手な気持ちで、強いる気持ちはない。だからこそ……その上で、頼ってくれたのが嬉しかった。話してくれて、嬉しかったんだ」
真っ直ぐで、誠実だ。ミューズは素直にそう思った。
それと同時に、貴婦人たちの中でノアを「誠実だ」と評する声が一定数あったことを思い出した。
(彼の求婚を断らなくて、良かった)
「貴方のことは、信頼しているつもりよ。それにしては言っていないことが多いけれど。……何について知りたい?『ドール事件』のことなら、歴史書と裁判の記録を見れば分かるでしょうし……」
ふと、積まれた品々からひらりと落ちた紙束が目に止まった。
劇場の小冊子だ。演目ごとに、役者の情報やインタビュー、衣装や小道具などの特集、ストーリーについての解説などが書かれている。
(ああ、これ……)
ミューズは小冊子を手に取り、ノアへ渡す。
「そうだわ。今日観たあの劇、脚本を書いたのは私よ。観てないあと二つもそうだけれど」




