13.宵闇②
(月の光が、よく似合うのね)
彼に初めて会った時も、こんな夜だった。皇城のバルコニーで、差し込まれた月の光がまるで彼のためだけにあるかのように思えた。
「……そういうものか」
(耳、真っ赤……)
見ているうちに、ノアの耳に色が差してきて、濃く、赤くなっていった。白い肌と真っ黒な髪色が、それを一層引き立てている。
「照れてるの」
ミューズが思わず放った無機質な言葉に、ノアは身体を震わせて少しだけ離れた。その様子に、ミューズは血がどくどくと脈打ち口角がつり上がっていくのを感じた。
(あ、これダメだ)
「ミューズ……?」
ノアが空けた距離以上の間隔を詰める。掛けた寝具と、シーツと、寝巻きが擦れる音が通常の何倍にもなって響く。逸らしたノアの顔を覗き込むと、ミューズが映し出されている。
だがそこに映るのは光のない瞳を持つ、ビスクドールだ。
真っ白な紙にインクを零すように、黒い淀みが静かに広がっていく。それを認識した瞬間、ミューズの中にある歪んだ衝動が強くうねった。
「目、閉じて」
低く囁く声は、微かに震えていた。それを隠すように、ミューズはノアの肩に触れた。
「……」
ノアはしばしの沈黙のあと、静かに瞼を閉じた。
(そういえば、アメリア様とはキス、したのよね)
彼の頬に落ちた睫毛の影を見ながら、ミューズは唇を重ねた。式の時とは違う、噛みつかんとする勢いだった。
一度離れて、挑発するようにノアの上に乗り上げようとする。しかし、それは制止されてしまった。簡単に振りほどけそうなくらい、弱い力で。
「誘っている訳では、ないんだろ?」
「……!」
ミューズは何も言えなかった。
図星だったのもそうだが、ノアの瞳に映った自分が、先ほどまでとは別人のように人間らしい姿だったからだ。広がった淀みはいつしか消え、自分の知らない自分がいた。
(なぜ……?)
ノアから離れて、再び距離を取る。
淀みが消えたのはキスをしたから?それとも、制止されたから?
「それにしたってこんな面白みのない人間が、ロマンス小説に出て来るものか?」
沈黙を破るように言ったノアは首を傾げた。話題を変えたのだ。自嘲気味に言う彼は、自分にあまり自信がないのかもしれない。
「あくまで容姿の話よ。中身は全然違うわ」
「……そう。例えば?」
「人気の小説では、こういう状況ならノアは高圧的だったり加虐趣味があったりすることが多いわね」
リリアナたちに借りたロマンス小説では、主人公の女を強引に求める男や心を弄んで楽しむ男がよく出てきていた。どれも乙女の人気を集めていたそうだ。
「ええと……そういうのが好きなの、か?」
ノアは身をよじってミューズから少し離れた。その様子に、ミューズは言葉選びを間違えたことに気づいた。
「私が?ありえないでしょ。と、いうよりは、そういう男性が女性主人公にだけ心を許すという展開が好まれるらしいのよね。出版社の担当の方がそう言っていたわ。私にはよく分からないけれど……」
(でも、私は……)
「そう、だよな」
ミューズが言いかけた時、歯切れの悪い相づちが返ってきた。
(気を遣わせている……わよね)
先ほどのことも要因だろうが、一般的に『穢れたビスクドール』、いや、ミューズに対する恋愛や異性の話は普通にはされないことが多い。礼を欠くほど近いか、腫れ物のように遠いかのどちらかだ。
「もう寝ましょうか。明日も早いでしょう」
ミューズは居たたまれなくなって、ノアに背を向けて横になった。
「ああ。おやすみ」
「おやすみなさい……」
背後でノアが動く気配がして、全身の神経を研ぎ澄ますと、彼の手が髪に近づいてきたのが分かった。しかし手は髪に触れることはなく、離れていく。
しばらくすると、彼の静かな寝息が聞こえ始めた。
彼が触れてこないのが嫌で、でも触れこなくて良かった、とミューズは思った。
◇
翌朝。小鳥のさえずる声でミューズは目を覚ました。昨夜の張り詰めた空気とは裏腹に、よく眠れたようだった。
「おはよう……って、すごい寝ぐせね」
未だ寝ているノアの髪は全ての方向に曲がり、心なしか毛量も増えていた。
(迎えに来た時のあの寝ぐせはマシな方だったのね)
初めて知る事実に、ミューズは心が温かくなる感覚がした。ノアの髪を優しく撫でると、その温かさはより増幅していく。心を支配するのは黒い淀みだけではなかった。
それに気づいた時。ノアを撫でているのに自分が撫でられているような充足感と、彼に対する罪悪感で、一筋の涙が零れた。
——ビスクドールは涙など流さないのに
◇
第一章:追いたい夢と迫る義務 終
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