社交界
部屋に通されると、幸社長は朗らかな笑顔で私を迎えてくれた。ママが言う通り、とても好感が持てる人物だ。彼は昨夜の私を見て、大変気に入ってくれたらしい。
「昨日の晩、あなたを見てね、これは運命だと思ったんです」
社長は嬉しそうに語る。「礼儀正しく、良識のあるご婦人に見えた。それに、とても好感が持てた。ぜひうちの会社で働いてほしい」
彼は自身のビジネスについて説明した。それは、結婚相手を探している男女を引き合わせる仕事。どうやら、この国ではよくある生業であるらしい。
「とても繊細でデリケートな仕事なんです。だからこそ、君のような人材をずっと探していた」
彼は、わたしが「バツ2」であることが、この仕事にとても役立つと言った。
「2回結婚しているということは、それだけ経験豊富だということ。つまり、説得力が増すということだね」
社長は、そう微笑んだ。わたしは頬の奥が熱くなるのを感じた。
「バツ2」という言葉が何を意味するのかは、なんとなくわかった。結婚に二度失敗しているという意味なのだろうと思う。バツが2回ついているから、バツ2。
きっと昨夜、お酒に酔って気分がよくなりすぎたわたしが、自分の結婚歴を話してしまったのだと思った。母に知られたら、鞭で打たれるどころでは済まない。わたしは深く恥じ入る。
しかし、そんなわたしの様子に気づくことなく、社長は続けた。
「そこで、ぜひ今日はイベントを見ていってほしいのです。もしあなたに、今日、時間があるのなら」
男女の出会いを手伝うという言葉に、わたしの胸はときめいた。それは、わたしの国にもあった、「社交界」というものに違いない。
母の厳しい教えにより、私はこの魅力的な催しに参加したことはなかった。けれど、隣国の王妃やその向こうの国の王妃たちが、パーティーで伴侶を見つけたという話は何度も耳にしていたし、少しうらやましくもあったのだ。
「参加する?」
ママが尋ねる。わたしは思わず、子どものように大きく頷いた。
何よりも、今回は見学という立場であるらしい。男女を引き合わせるお手伝いを見学することができる。そんな、胸の高鳴る仕事が、ここにあるらしい。
わたしが参加したいと伝えると、幸社長はとても柔らかな、満足そうな笑みを浮かべた。
「よろしい。では早速、担当者を呼ぼう」
すると、ママがそろそろ夜の支度があるからと帰ると言い出した。急に心細くなるわたしは、もじもじしてしまったらしい。ママは大丈夫よ、と微笑んだ。
「幸社長に、きちんとお店まで送迎するように伝えておくから」
幸社長も、もちろん、と力強く請け合ってくれた。
ママが立ち去ると、先ほどのミスターハンサムがやってきた。彼は不機嫌で、不親切そうに見える。
幸社長は彼を私に紹介した。「担当者の幸だ。詳しいことは彼に聞いてください」
そう言って、わたしは彼に引き渡された。
長い長い廊下を、担当の幸様、もといミスターハンサムと歩く。幸社長と同じ苗字であることから、親族なのだろうか、とちらりと考える。ミスターハンサムは、社長の部屋を出てからまだ一言も話さない。
元夫との楽しくなかった日々を思い出し、わたしは気持ちが沈んでいくのを感じた。
社交界の見学、という言葉で自分を励まし、彼についていく。
やがて、たどり着いたのは、何もない広い広間だった。
舞踏会の準備前のように閑散としている。ミスターハンサムは、ここが会場であると告げた。
「今日はここに50組の男女が集まります」
とたん、華やかな想像で胸がいっぱいになった。体温が上がる。
「とても楽しみですね」
そう言うと、彼はわたしを冷たい目で見返し「そうですね」と答えた。
それは、ちっともそう思っていない「そうですね」だった。
それから、次第に会場が整えられていく様を見学することができた。
色とりどりの花が飾られ、舞台が設置され、軽やかな音楽が流れ出す。甘い香りが、会場中に満ちていく。
「あれは何ですか?」
かごをいくつも積んだタワーのような食器に、小さなケーキやパンが盛り付けられていく。
ミスターハンサムに尋ねると、本日の会は「アフタヌーンティー」と呼ばれるイベントで、お茶やお菓子がふるまわれるのだといった。
「素敵!」
思わず、言葉が口からこぼれ落ちてしまう。ここでいくつものカップルが生まれるのだ。そして自分がその幸せのお手伝いができるかもしれないのだ。
ワクワクして、パーティーが始まるのが、待ち遠しかった。
会場がようやく整った頃、奥の小さな扉が開いて、数人の男女が入ってきた。彼らは同じ衣装を着ていて、わたしはそれを見て、国の華やかな楽団を思い出していた。
しかし、彼女を見つけ、わたしは息を止めた。
黒い髪に白い肌、赤く小さな唇。それは、まるでわたしの白雪姫が少し大人になったような姿だ。もしあの子が成長したら、きっとこんな女性になるのだろう。わたしは、その女性から目を離すことができなかった。
不意に、その女性と目が合う。わたしは慌ててうつむいた。一瞬見えた不機嫌そうな表情が、わたしにはとても恐ろしく感じられた。また、拒絶される。また、傷つけてしまう。そう思うと、自分の存在を消してしまいたかった。
そんなわたしを、ミスターハンサムが皆の前に立たせるとこう言った。
「こちらは本日、ヘルプで入ってもらう、きさきおうひさんだ」
彼はそう紹介し、わたしに向かって「今日はよろしく頼む」と言った。
そして、ミスターハンサムは、ミーティングという名の会議を始めた。
それぞれが、報告を上げていく。円卓もなし。男性も女性も等しく堂々と意見する様子を、あこがれのまなざしでわたしは見見守った。
なんてすばらしい光景だろう!
彼は、皆の意見を冷静に聞き、質問に答え、わかりやすい指示を出していく。この場所で、彼がリーダーであることが一目でわかった。
「じゃあ、そういうことで。みんな、今日も頑張ろう!」
ミスターハンサムが大きく手を一つ打った。彼の合図で、皆はそれぞれ自分の持ち場へと散っていく。わたしもミスターハンサムに指示され、会場の入口とされる、花で飾られた場所に向かった。
そのとき、白雪姫に似た女性に声をかけられたのだ。
「頑張りましょうね、オバさん」
ときめいたものの、ふとその言葉には、何らかの敵意を感じる。
振り返ると、冷たい眼差しがあった。身がすくむのを感じる。
なぜ、わたしはこういうタイプに嫌われてしまうのだろう?
一言の言葉を交わす前から、なぜこうまで拒まれてしまうのだろう?
わたしはあいまいに笑い、それから「おばさん」という言葉について考えた。
「わたしは伯母ではなくて、できたらお母さんと呼んでもらえると嬉しいのだけれど」
すると彼女は気持ちの悪い生き物を見たように怯み、自分の持ち場に立ち去っていった。
わたしの心臓は高鳴り、動揺は深い余韻のように、手足にいつまでも鈍い痺れを感じさせていた。