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木崎桜日(きさき おうひ)

 目が覚めたとき、わたしは自分がどこにいるのか、わからなかった。

天井には、きらきらと輝く巨大なシャンデリア。部屋の隅々まで、華やかな女性たちの笑い声と、甘い香りが満ちている。

わたしは柔らかなソファーに横たわっていた。頭の下には、ふかふかのクッション。

さっきまで、暗く寒い森をさまよっていたはずだった。


「あ、目が覚めた?」

 顔を覗き込んできたのは、とても美しい女性だった。

見たこともない不思議な衣装を身にまとっている。隣国の王妃は複数知っているが、彼女の衣装はどの国のものとも違う。艶やかな布をまとい、太く厚みのある布で腰を巻いていた。鮮やかな花模様。黒髪を高く結い上げ、美しいスティックを髪に挿している。

わたしが警戒しながら身じろぎすると、女性は気さくな調子で話し始めた。

「あなた、綺麗ねえ!何があったの? DV? それともヒモ男に何かされた?」

彼女はわたしのほほを、白く柔らかい紙でふいた。黒いススがつき、わたしは恐縮する。

「もう大丈夫よ。どこから来たの? 名前は?」


 わたしは口ごもった。白雪姫の継母、なんて名乗れるはずもない。処刑を逃げてきた身だ。

ここがどこかも、てんで想像がつかない。

咄嗟に言葉を選んで、「王の…妃でした」と、蚊の鳴くような声でつぶやいた。

女性は面白そうにクスクスと笑う。

「あら、中央区の木崎さん? 下のお名前は?」

下の名前とは、何だろう? その奇妙な響きに、わたしは首を傾げた。

「わたし、いつも…王妃と呼ばれていて」

「桜日ちゃんね。かわいい名前」

その女性は善良で良い人間なのだろう、にこにこと楽しそうで、見ず知らずの私にも親切だ。彼女が手を差し伸べるので、わたしはその手を取り、起き上がった。

「ねえ、人手が足りないの。悪いんだけど、少しお手伝い、してもらえない?」

彼女は、部屋の奥を指差す。

「そのドレスもいいけど、少し汚れているみたいだから、良かったらお店のドレス、どれでも好きなものを着てね」

手を引かれるまま、ドレスルームに導かれる。

「あなた、どこのお店の子? こんなに綺麗なんだから、もう、座ってるだけでいいわ。このドレスにする? それともこっちがいいかしら?」

小気味よく決断すると、女性は一番華やかな一着をわたしに渡した。

「奥で着替えて。着替えが終わったら、声をかけてね」


 まだ夢を見ているのかもしれない。わたしはそう思った。

すべてがふわふわした雲のようで、現実味がない。わたしは汚れたドレスを脱ぎ、身体を固く縛るコルセットを足元に落とす。そして一枚の薄い布、とても心もとないその衣装をぎくしゃくしながら身に着けた。

これでいいのだろうか? おかしくはないだろうか?

奥から出たところに、鏡があることに気づく。不安そうな顔をした私。一人では、何も決められず、何もできない私。

「あら、すてき。ばっちりね。じゃあ、次はここに座ってみて」

そして、彼女は熟練した手つきでわたしの顔に化粧を施し始めた。

「きれいな肌ね。こんなに白いなんて、珍しいわ」

そう言われて鏡を見ると、そこには血の気の引いた、青白い顔が映っている。

でも、女性の手にかかると、みるみるうちに華やかになっていった。わたしは夢でも見ているようだった。

「女は度胸よ」

そう言って女性はウィンクをする。

「眉はもう少し意志を強く、キリっとさせてみましょうよ」

わたしは、自分の顔に魂が宿るのを感じた。


 その夜、きらびやかな音楽が鳴り響き、それがお店の開店する合図だと知った。

美しいドレスをまとった女性たちが一列に並び、扉から入ってくるたくさんの紳士を出迎える。わたしもその列に並んで、立ち尽くした。

「いらっしゃいませ」

彼女が、慣れた様子で品の良い挨拶をする。わたしもそれに合わせて、ドレスの裾を少し持ち上げ、幼少のころから叩き込まれた礼をする。

「おや、新しい子?」

恰幅の良い紳士が目を細めて笑った。

「ママと一緒に、あとで僕の席にいらっしゃい」

すると、ママと呼ばれた彼女が「あら、嬉しいわ」と魅惑的な声で答えた。


 その夜は、もう何が何やら、魔法のようで、すべてがまぶしかった。

軽やかな音楽、甘いお酒、きらきらと灯る明かり、温かい空間。

その場にいるすべての人が笑っていて、すべての人が幸せに見えた。おそらく、わたしですら。

夜が甘く更けていく。すると、ふいに明かりが消え、部屋の中に闇が立ち込める。

夢が冷めたのかと恐怖したが、誰かが陽気に歌を始めた。

「ハッピバースデートゥユー、ハッピバースデートゥユー!」

きょろきょろする私に気がついたのか、ママがわたしの肩をつつき「お得意様のお誕生日なのよ」とささやいた。


 お誕生日!

わたしは思わず立ち上がる。忘れていたけれど、処刑のあの日、わたしは誕生日だったのだ。

「どうしたの?」そう問われて、自分が誕生日だったことを告げた。

「それ、本当の誕生日ってこと?」

ママが尋ねる。

うその誕生日の意味を分からずにいると、ママは笑い「うちの女の子の誕生日は、みんな年に、4、5回あるのよ」と言った。

そして立ち上がると、言った。

「徳田さーん、うちの新人ちゃんもお誕生日だったのよ! 一緒にお祝いしてもらってもいいかしら?」

徳田と呼ばれた紳士は大きくうなづく。グラスを酒で満たすとそれを高く掲げ、こちらに向かって挨拶をしてくれた。

「お誕生日、おめでとう!」

そこにいるすべての人が、おめでとうと言い、乾杯と喜びを分かち合う。

「何歳になったの?」ママが尋ねた。

「私、今年で30歳に」

ママが「素敵」とほほ笑む。

「良い30代に!」

そう言って、わたしたちは何杯もグラスを傾けた。


 どれくらい飲んでしまったのだろう?

きっと母が見ていたら「はしたない」と吐き捨てる程度には、飲み過ぎている。

疲れと、緊張と、そのほか言葉にならない感情がお酒と混ざり合い、わたしはとてもいい気分だった。

「新人さんは何ちゃんていうの?」

誰かが訪ねる。ママが「桜日ちゃんていうのよ。ごひいきにね」と笑う。


 わたしはここに居るすべての人に、感謝を伝えたいと思った。感謝を伝えねばと思った。

「ダンスが得意」どこかで誰かが言った言葉がよみがえる。

ああ、王子が言ったのだ。焼いた鉄の靴を履いて踊れ、と。

「感謝します!」

気がつくと、わたしは叫んでいた。

「感謝します。感謝します!」

体が自動的に動く。美しいとされるしつけられた作法で、深く礼をした。そして広いホールを目指して踊りはじめる。

くるくると回った。気分が良かった。音楽が美しい。目が回る。みんなが手拍子をしてくれる。

楽しかった。わたしは生きている。わたしは生きている!

ここがどこかはわからなかった。天国かもしれないし、違うかもしれない。

でも、わたしはクルクルと踊った。恐ろしいほどの解放感。そして、それを感じる自分に、少しの罪悪感を感じながら。


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