日本の特殊な農政事情〜何故、日本政府は零細農家を未だに守るのか
バーベキューの出来る広い庭付きの家、家族と犬、そして芝刈り機。
今の人は知らないかもしれないが、かつてのアメリカ人が目指した、幸福な人生のロールモデルである。
一見すれば、日本の農政と関係ないような言葉だが、複雑怪奇な日本の農政を説明するのに、これ以上最適な導入はないように思う。
Z世代にも解り易く言えば、それは自分の部屋、大きなモニター、そしてゲーミングPCとゲーミングチェアと、それを彩るフィギュアだ。
人生には、目指すべき解り易いロールモデルが誰にも必要だ。
タワーマンション、納税額、マウントの取れる職業、着飾った美しいパートナーが現代社会のそれだ。
欧州において、庶民の目指すべき解り易い幸福のロールモデルは長い間変わらなかった。
キリスト教の世界観が支配する、農業に組み込まれた、仲間との慎ましやかな生活である。
それこそが、欧州の庶民の誰もが持つ幸福の象徴であった。
近代化に伴い、多くの農民が小作農から解放された時代、フロンティアであるアメリカ大陸では、確かにキリスト教世界の幸福のロールモデルは大多数が達成出来たのだ。
しかし1920年代に農業恐慌が来ると、キリスト教世界の支配する幸福のロールモデルは崩壊した。
原因は世界大戦で戦火にまみれた欧州の復興による過剰供給と言われているが、その本質は機械化と化学肥料の普及である。
農業は大規模化へ、アメリカ資本主義は、零細農家の生きられない世界へと変貌する。
かつてアメリカで大多数を占めたキリスト教徒の農民たちは、家を失い、生活の崩壊という形で、自分たちの信じる宗教に裏切られたのだ。
もちろん彼らは無抵抗という訳では無かった。
当時アメリカ人口の20%を超える農家たちは仲間が破産すると、競売にかけられる農場を1セントで買い戻そうと、競売の始まる裁判所へ武装して集まった。
事ある度に会合を開き、我々が幸せに生きていけない法であるならば、それはアメリカ憲法が悪いのだと声明を発表したりもした。
共産主義と協力したりもした。
それは、アメリカが体験する南北戦争以来の国家の危機だった。
教科書には載せられない歴史である。
所得と家、かつての懐かしい全ての幸福を失ったサラリーマン化するアメリカ人には、新しい幸福のロールモデルが必要だったのだ。
そう、バーベキューの出来る広い庭付きの家、家族と犬、そして芝刈り機。
キリスト教世界の幸福のロールモデルをぶち壊した、資本主義の支配する幸福のロールモデルである。
では、日本の事情に置き換えてみよう。
戦後、資本と鉄量に劣る日本の農業は、大規模化されていない上に、小さな土地に未だ小作人の残る、アメリカにとっては前時代的な農業だった。
農業人口は、列強国のただ中にあってなんと40%を超えていたのである。
米の驚異的な力のせいであると言うよう。
農業人口40%超という数字は、農業恐慌によりアメリカが実質的な農民の失業によって国家的危機を迎えた1920年代の農業人口約25%を遥かに超えていた。
ただでさえ敗戦を迎えた日本という国家が、アメリカの辿ってきた過酷とも言える農業の大規模化に耐えられるはずもなく、小作人たちに購買力を持たせるための小作人解放へ向かうのは必然だったと言うよう。
この時代に、農村に産まれた日本人の約半数は心に持つ幸福のロールモデルが決まったのだ。
慎ましやかに生活を営む、あたかもキリスト教世界が失った幸福のロールモデルに近い、零細農家という心の在り方の原風景である。
今の時代の若者には解らないであろうが、幸福のロールモデルである零細農家を辞めろというのは、Z世代で言えば、政府がお前の持つ大きなモニターを取り上げてやる。
政府が一人部屋を取り上げてやる、ゲーミングPCを取り上げてやる、ゲーミングチェアを取り上げてやる。
お前の持つ、何の役にも立たないフィギュアを取り上げてやると言っているような物なのだ。
また、零細農家は、日本人の従来持つ幸福のロールモデルという思想の他に、票田としても政党に非常に都合が良かった。
この二つの事情があり、先進国において、日本では唯一、古くからの零細農家が守られる社会になったのだ。
もちろん、零細農家を守る社会に反対する人は居る。
大規模化した農家や、幸福のロールモデルを他に持つ日本人、純粋に高コストな零細農家を日本から無くそうという人などだ。
幸福のロールモデルの保持は、あくまで個人の価値観の話であるから、私は議論を避けておく。
しかし、日本の複雑怪奇な農政事情を知るには必要不可欠な要素と言えよう。
また、この経緯を知らなければ、まともな農政の議論など不可能である。
どちらにしても、グローバル化の中、零細農家はいずれ幸福のロールモデルと共に時代に消えて行く定めであろうと私は考える。
意図的に時計を動かすのか、零細農家の消えて行くに任せるのか、どちらが私たちにとって、より幸福なのかが農政の本質的な議題であると言える。




