坊ちゃまと街に出るという苦行
「本日は、視察を兼ねて街へ行くぞ!」
朝食の席でレオン坊ちゃまはそう宣言した。食堂にいた使用人たちは一斉に手を止めて視線を向け、セリスは黙って紅茶を飲み込んだ。
「坊ちゃま、お出かけのご予定は、昨夜の段階では……」
「いや、急遽思いついた。常に現場を把握するのが優れた支配者というものだ」
(……また始まりました)
セリスは即座に支度へ取りかかった。念のため、坊ちゃまが何かやらかしても対応できるように、多めの応急処置用品と非常時の逃走経路用地図、さらに銀貨数枚と菓子を忍ばせた袋を持つ。
【街中・セリス視点】
街はちょうど市が立ち、にぎわっていた。通りには野菜や果物、布や香辛料の露店が並び、呼び込みの声が飛び交っている。
「ほう、活気があるな。だがこの店の配置、非効率だ。客の動線を考えれば——」
「坊ちゃま、お声が大きいです」
セリスは周囲の視線に軽く頭を下げつつ、レオンをやんわりと誘導する。
通りの角を曲がった先で、子供たちが遊んでいた。棒きれで地面に線を描き、何やら競技のようなことをしている。
「む、これは……! なるほど、“路上ボール戦術ゲーム”か!」
「違います、坊ちゃま。ただの石けり遊びです」
「ふむ、ならばこれを改良して……」
その場に膝をつき、レオンは魔法でミニチュアのフィールドを作り出す。地面がわずかに隆起し、子供たちが目を丸くする。
「見よ! 名付けて《マジック・アリーナ》。ルールは——」
「坊ちゃま、地面を勝手に改造しないでください」
セリスは即座に魔法を解除し、笑顔で子供たちに飴を配ってその場を収めた。
その後も、レオン坊ちゃまの「善意の暴走」は続いた。
香辛料店の前では、「香りで空腹感を操作する魔法」を使って周囲を一時的に満腹にしてしまい、客足が一気に遠のいた。
呪具店では、「その仕組みは時代遅れだ」と言い放って即席で作った浮遊式のランプを設置し、明かりが暴走して爆発未遂。
鍛冶屋の前では、「金属加工を魔法で効率化できる」と提案して熱源魔法を使い、鉄が溶けすぎて炉が崩壊寸前になった。
「……はぁ……」
セリスはその度に裏から回り、謝罪と後始末、そして記憶の改変レベルの情報調整に奔走する。
「坊ちゃま、街の方々は“変わったお坊ちゃん”という印象で止まっておりますが……このままでは本当に、バレます」
「ふっ、それだけ僕の行動が印象に残るということさ」
(違います、悪目立ちというのです)
「今日の街の視察は有意義だったな。あれでこの地の民度も理解できた」
「はい、坊ちゃま」
「ところで、次は市場の制度改革を提案しようと思う。まずは“商品仕入れの集中化”だ」
「それより先に、まずは買い物の仕方を覚えていただけると助かります」
帰り道、セリスは再び荷物の重さを感じながら、ふと横を歩く坊ちゃまを見る。
彼は満足そうな顔をしていた。口元には自信満々の笑み、背筋は伸び、まるで今日一日で国を一つ改革したかのような達成感に満ちていた。
一方で、セリスは心の中で何度目かの溜息をつく。腕の中には膨れた荷物袋、頭の中にはトラブルの収拾と明日の謝罪予定がぐるぐると巡る。
「坊ちゃま、今日の視察を通じて、何か学ばれたことはございますか?」
「うむ、民の生活にはまだまだ改善の余地がある。そして僕の知識はその助けになると確信した」
(……予想通りの答えでした)
レオンの隣で歩きながら、セリスは静かに思う。
(同じ一日を過ごして、どうしてここまで感想が違うのでしょう……)
夕暮れの光が、ふたりの背中を長く伸ばしていた。レオンの影は大きく、自信満々に先を行く。セリスの影は静かにそれを追いながら、そっと小さく肩をすくめるのだった。