今日もまた、坊ちゃまがやらかしました
「……昨日は、まだマシな方でしたか」
朝の空気が澄み渡る中、セリスは屋敷の廊下を静かに歩いていた。清掃の手伝いを済ませた後、いつものように坊ちゃまの様子を見に行くためである。
前日の火属性魔法による“洗濯物乾燥事件”を思い返しながら、彼女は小さくため息をついた。
(今日こそ、坊ちゃまに釘を刺しておかないと……)
だがその矢先——
「氷属性魔法! ふふ、どうだ、見たか!」
中庭から聞こえるその声に、セリスの背筋が一瞬で凍りついた。
「……嫌な予感しかしません」
彼女が駆けつけた先では、レオン坊ちゃまが井戸の水を凍らせ、それを削って「即席冷却機構」と称し、近所の子供たちに得意げに披露していた。
「この氷を布で包んで首に当てるんだ。うん、これが現代医学的にも推奨される熱中症対策だ!」
子供たちは歓声を上げていたが、周囲の大人たちは顔を見合わせ、明らかに困惑していた。
「お、おい、坊ちゃま、これはちょっと……」
「井戸の水、全部凍ってしまってる……」
(やっぱりこうなった……!)
セリスは静かにその場を離れ、誰にも気づかれぬよう裏から回って井戸の状態を確認した。残っていた氷を溶かし、魔力を用いて必要分の水を補充し、凍った桶や滑って転びかけていた子供をそっと支え、元通りの風景に戻していく。
「……まったく、毎度ながら手がかかります」
冷却布も一つひとつ回収し、説明のつかない素材は裏で燃やした。
村の者たちが屋敷に来る前に、すべての痕跡は処理し終えた。
(次からは、魔法を使う前に私に一言……なんて、期待しても無駄かもしれませんね)
その日の夕方、セリスはついにレオンの部屋を訪れた。彼は机の上で魔法陣の設計図のようなものを広げ、悦に浸っていた。
「坊ちゃま」
「おう、セリス。見てくれ、この魔法陣。次は温水を自在に操る《エレメンタル・バス》の構築に挑戦だ!」
「その前に、少しだけお時間をいただけますか?」
レオンが怪訝そうに顔を上げた。
「……坊ちゃまは、確かに優秀で、何をやっても成功される方です。ですが、その力の使い方は、時に周囲に混乱をもたらします」
「……混乱?」
「はい。今日の井戸の件もそうです。子供たちは喜んでいましたが、大人たちは困惑しておりました」
セリスは一歩踏み出し、真っ直ぐにレオンを見つめる。
「坊ちゃまの行動が注目を集めれば、それはやがて“疑い”になります。力ある者は、慎みを持って行動することが肝要かと」
沈黙。だが次の瞬間、レオンは得意げに頷いた。
「なるほどな……つまり、僕の知略を活かして行動をもっと洗練させろ、ということか。助言、感謝するよ」
「……はい」
(……伝わったようで、まったく伝わっていない)
セリスは内心で再び深いため息をついた。
そしてまた、新たなトラブルの予感を抱きながら、彼女は部屋を後にするのだった。
廊下に出ると、日が傾いていた。中庭に見える井戸のあたりは、すでに普段通りの静けさを取り戻していた。
(あの才能が、もし本当に正しい方向に向けられる日が来るのなら……)
それは、セリスの密かな願いだった。だがそれが叶うには、まだまだ“後始末”が続きそうである。