タイトル未定2025/05/22 13:07
ノア・フェリクスに対する陰湿な空気は、入学初日からあった。
「平民がグローリアクラス? 何の冗談だ……」
「推薦? 教会の情けか? それとも可哀想な病妹の物語でも添えたのか?」
そんな声が、教室のあちこちでひそひそと交わされていた。
ノアは光属性に類まれな才能を持つ平民の少年。彼は聖都の片隅から、病弱な妹と両親を支えるため、並外れた努力でグローリアクラスに這い上がってきた。
その無口で穏やかな佇まいは、威圧的な空気にも乱されず、彼の内にある確かな信念を物語っていた。
だが、その沈黙も背景も、彼に対する風当たりを和らげることはなかった。
最初に声を荒げたのは、グランメル公爵家の次男――ヴァルト・グランメル。
彼は、王都でも名の知れた強気な貴族の子息で、貴族主義の権化のような少年だった。
「へえ、随分と品のある態度だな。まるで自分がここに相応しいとでも思ってるのか、平民」
その隣には、彼の取り巻きであるレーベン・クラウスの姿があった。
準男爵家の長男で、強い者にへつらい、弱い者には陰湿な態度をとる、いかにも小物な少年である。
「そんな顔をしてると、うっかり“お前の家はどこ?”って聞いちゃいそうになるよな」
二人の声が響くたびに、教室の空気が冷たく濁っていく。
それでもノアは動じず、黙って鞄を開き、静かに教科書を広げた。その姿は、まるで一切の悪意を拒む透明な結界のように、凛としていた。
「おい無視か。随分といい度胸じゃねぇか……」
苛立ちを露わにしたヴァルトが歩を進めようとした瞬間、椅子を引く音が教室に響いた。
「うるさいわよ、グランメル」
それは、シャルロット・アルヴィスの声だった。
五大公爵家に名を連ねるアルヴィス家の令嬢で、知性・品位・魔法適性すべてにおいて模範とされる、“完璧な貴族”そのものの少女。
その凛とした瞳は、まるで氷の刃のようにヴァルトを射抜いていた。
「教師がいない間に自分の価値を示すことしかできないなんて、貴族の恥よ」
空気が静まり返る中、さらに冷たい声が追い打ちをかける。
「記録に値しない行為」
そう言い放ったのは、ユスティナ・リュクス=アークレー。
隣国ルヴァン公国からの留学生で、理性と論理を重んじる名門貴族の娘。彼女は常に他者を冷静に観察し、無駄を切り捨てるような言葉を選ぶ。
ヴァルトとレーベンは舌打ちを残して引き下がった。
ノアは、そんな彼女たちの視線に目を伏せ、小さく頭を下げた。
(……ありがとうございます)
声にはならない感謝を込めて。だが、教室に漂う空気は重いままだった。
心ない視線、交わされる囁き。それらを、ノアはただ静かに受け止める。
彼の本当の“力”が知られるその日まで、その孤独な戦いは、まだ始まったばかりだった。